第二十二話 水の都・ルインレット
「ユーリさん、今のうちに移動してしまいましょう。一日中都に滞在したいでしょう?」
綺麗な星が見えたところでカーテンを閉じ、薄暗い部屋の中でフレッドはユーリにそう問うた。どれくらいの壮観さなのかが気になってユーリも風で揺れている窓を覗き眺めた。確かに、都市部からでは絶対に見ることの出来ないような景色だった。
「そうだね。この夜空の中を歩けたらどれだけ綺麗だろうね」
ユーリは一日目や午前の件から考えてみると、彼はかなりロマンチストらしい。フレッドは懐中時計を確認する。これからホテルを出れば、夜明けの直前に水の都に辿り着くことが出来るだろう。川に映る太陽が美しいとかなんとか。確かレオンハルトがそんなことを言っていた気がする。二人は朝の二時半にホテルを出発し、水の都・ルインレットに向けて移動を開始した。
「水の都というのは都市が沈没しているの?」
「いえ流石にそれはないでしょう。同僚に聞くとかなり面白そうな移動方法でしたよ」
ユーリは頭に疑問符を浮かべる。徒歩ではないのか、とフレッドに尋ねるとくすくすと笑い、雑誌をユーリに見せてくれた。仄かに光るランプに暖かみを感じる。そんなことは置いておいて、じっくりと細部まで見てみると、なんと主な移動手段は舟であった。馬車でも徒歩でもないとは! 本当に驚いた。水の都というのは本当に水しかなく、舟の上に品物があり、それらには沢山の種類の店が存在するようだ。
想像に花を咲かせながら二人は道を進んでいった。少し暇な時間が出来、余裕もあったのでユーリが不思議そうに彼に尋ねた。
「フレッドは怖いものとかあるの?」
「ええ。例えば……森とかは怖いですね。絶望感というか」
安心感もありますけど、と頬を掻きながら照れくさそうに話す。完璧でないことが恥ずかしいらしい。ユーリにとってはあり得ないような照れる理由だったが人がどこを目指すかなんて各々が決めるべきだろう。だから口にはしないでおいた。あとは女性らしい。知的な人であれば全然いいが、明らかに恋愛のために接触されるのがあまり好きではないようだ。意外と人間らしい部分があったのかと感嘆した。
「ユーリさんは僕のことを何だと思っているんですか……」
「完璧人間だと思っていたけど。というか何で敬語なの?」
「人を尊び敬うことは大切ですから。友人になりたいんですか?」
ユーリはフレッドから目を逸らしてこくんと頷いた。それを見てふふっと微笑み、
「これから数か月間よろしくね。ユーリ君」とわざとらしい笑みを浮かべながら言った。
* * *
右に曲がり数分直進し続けて左に曲がる。そして一区画でさらに左へ突き進むと川が見え始めた。まだまだ小さい方だが、水の都に行けばもっと川幅は広くなるのだろう。フレッドは楽しみだった。穏やかに流れ続けている川面に手を当てる。夜のように冷たく、目を覚ますのにはどれほど効果であったか。とにかく眠気が川に剥ぎ取られたのでようやっと起きたという感覚になった。
「ユーリ君、あれが水の都だよ。日の出が近いから見に行こう」
指差したるは大きな川と周辺にある建物。橋が架かっていてあそこは店員が移動する用なのだろう。
建物はふんわりと水に浮かんでいて今にもゆらゆらと移動していきそうだ。そうならないようにするためなのか、錨で四方を押さえつけている。
ルインレットにある、公園の鐘が周辺一帯に鳴り響いた。それは日の出を示していた。美しい鐘の音に心を奪われながらもテーリア共和国を二つに分断するレーセ川は陽の光を反射して見事に素晴らしい景色を作り上げている。
二人は料金を払って舟を借り、水面に浮かべられたそれに乗る。
「フレッドは舟が漕げるのか?」
「流石にこれくらいだったらね。進むよ」
フレッドが櫂を目一杯後ろに引くとグン、と舟が進んだ。思ったよりも安定していて、グラグラするといったこともなさそうなので横転することはないだろう。フレッドはそう安堵して再び漕ぎ始めた。最近は専ら新しく開発された蒸気船とやらにしか話題が向いていないが、こういう場所も風情があって良い。ルインレットは異国情緒を思う存分感じられるような素敵な場所だった。
大きな橋を潜り抜けるとユーリが何かを指を差していた。それは不思議な形をした舟だった。
「見てよー。あれ、すごい大人数乗ってるんだけど」
「ゴンドラと言うらしいね。この川特有の移動手段だとか」
もちろん舟で移動すること自体が大分珍しい部類ではあるが。ゴンドラは遥か遠くまで移動していった。馬車のような速さで水の都を横断してゆく。あれは観光用のものらしく雑誌で見てみると乗るための料金が恐ろしいほど高かった。
ユーリがこぢんまりとした店を発見した。裏路地の更に目立たないところに小さな扉だけがあったので本当に店があるのかどうかは分からなかったが、申し訳程度に『魔導書禁忌本古文書有り〼』と書かれた看板があったので舟を括りつけて中に入った。
中は魔女の住処かと勘違いしてしまうくらい暗くてなのに不気味なランプが連なっている。全く光がともる気配がなかったので自分のランプで辺りを照らした。
洋灯と洋灯の間にそれぞれ扉があり、少しだけ開けて覗くとびっしりと空間が本で埋まっていた。その場で本を読めるように、中心に机があるだけだった。
「いらっしゃい。お客様とは珍しいものですわねぇ」
光もつけず店の奥から女性がのこのこと歩いてきた。あの人が絶対に店主だということは見ただけで分かった。当然のことだが彼女と二人しか店の中にはいなかった。ユーリは後ずさりをする。女性には不気味なオーラが纏わりついていてこれ以上近づいてはいけないという謎の恐怖感があった。
「何を求めにこの場所まで来たんでしょうか?」
女性は尋ねる。フレッドは油断せずに答えた。
「ここには沢山の種類の書物が置かれていると看板に書いていたので。入っても宜しかったでしょうか」
久しぶりに人間と関わったようで嬉々とした表情を浮かべながら彼女は頷く。そして歓迎してくれたのか彼女は指を鳴らす。すると、今まで光が宿る気配もなかったランプたちが続々と輝きだした。フレッドとユーリが驚いていると女性はルチアと名乗りこう述べる。
「ようこそ知と根源の古本屋へ」
どうやら新書や最近の話題の書物は一切おいていないらしく、世界的にもかなり古いと分類されるような本ばかりを所蔵しているようだ。フレッドがよく訪れる本屋も古い魔術書や歴史書がなかったので困っていたところだった。しかもこの古本屋にしか置いていないような書き下ろし本やそんなのどこで手に入れたんだと突っ込みたくなるような有名本の原本までもが適当に置かれている。彼女――ルチアは古くからこの地・ルインレットで古本屋を経営している一家の末裔らしく、歴代の人達とも比べて圧倒的とまで言えるような『解読』の天性の才能と古文書を発見できるような能力を所持していた。彼女のその力が衰えないのは日々見つけられるように意識しているからであろう。
「向かって右側は古代神話戦争の詳細が、左側の部屋には哲学関連の本が置いてありますわ」
ユーリとフレッドは相談した。フレッドも一人で観たかったが、ユーリを見張らないといけなかった。彼はそんなことをする人ではない、ということは分かっていたが監視までもが依頼書には記載されていたのだ。
「あなた方はここにくるのは初めてで?」
「はい。この都に来て一番に訪れた場所がここなんですが……どこかお薦めの場所はありますか」
「私に聞いても何も役に立てませんわよ。何しろ二百年くらいは幽閉されていますから」
雰囲気が変わった。生ぬるい空気は凍えるような寒さの冷気に変化し、フレッド達も襲われないように構える。そしてフレッドが口を開いた。
「貴女は魔女なんですか?」
ルチアは大事そうに胸の前で持っていた本を落とす。タイトルは『神と信仰の歴史について』というものだった。かなり綺麗な装飾だったのにそれを急いで拾おうともしない。それよりも口を開くことの方が重要なのだと判断したのであろう。ルチアが静かに言った。
「ええ。と言っても魔女に昇華したのはニ百五十年くらい前だけど」
彼女曰く、魔女の中にもコミュニティーなるものが存在するらしく、一度だけ外に出たときに会話した魔女は皆等しく千五百歳以上だったようだ。今生きているのなら二千歳くらいだろうか。フレッドは優しい口調で話す彼女を見てもなお襲ってこないかを警戒していたが一日に十冊本を読めば彼女は魔女として生きることが出来るので人間の生き血や肉体、悪魔と交わることが無くても支障はないらしい。というか、それらを使って生き延びている魔女の方が少数であった。
「世界に魔女は百人くらいいる。これだけ増やしてしまったからもう魔女は現れないでしょうね」
ルチアは『神と信仰の歴史について』を拾い、埃を落とすように優しくなでる。
「ではなぜルチアさんは軟禁されているのでしょうか」
「まずは私は五十年生きても姿かたちがまったく変わらなかった。恐らく二十代か三十代前半で魔女になっていたんでしょうね。それを忌み子だと考えた私の父親がここの管理を私に任せるとともにここに私を軟禁した」
もう末裔はいないのだと。子供はルチアしか生まれなかった。そしてルチアも子供を産んでいない為彼女がいなくなればこの古本屋は終わってしまうという。まあ後継者を見つけられればその人を指名するらしいがこんな膨大なものをずっと管理し続けられる人間なんてそうそう現われることはないだろう。
「本などはどうするんですか? もし新しく発掘されたりしたら」
「そうねぇ……他の魔女にとって来てもらっているわ。別に私は外に出なくても良いから」
まさに『知の守護者』そのままであった。
「何か買っていくかしら?」
「興味があれば。まあ僕もたくさん買わないように自制はしていますから」
* * *
大敗であった。フレッドの持っているカバンに入っているのは数多の歴史書。興味のない事象ならともかく、自分の好きなものの誘惑に勝てるわけなどなかった。フレッドはそんなつもりではなかったが代金を支払って本を受け取ったときに気づいてしまったのだ。またやってしまったと。
そんな彼は海よりも深いため息を吐きながら舟を漕いでいた。あの後、色々な人に聞いてみたところ、甘味が食べられる名所があるらしい。フレッドは甘味がとても大好きだった。ユーリもどちらかというと甘党らしいので心を躍らせながら有名な場所へ向かった。
「ユーリ君は魔術は好き?」
「フレッドほどではないけどたまに図書館で借りて魔術書を読んでいたよ」
そう言ってユーリはフレッドから紙とペンを借り、世界的のあまり知られていない暗号をスラスラと書き進めた。
フレッドはそれがどういう解法の暗号なのかを知らなかったが櫂を漕ぎながら一分ほど考える。結論が出た。
そしてカフェに到着したので廊下を歩きながら答えることにした。
「魔術を応用した死体蘇生術……これを理論化させるためには倫理を捨てないといけない。燃やされてしまう恐れがある故に暗号でこれを残す。まずは……」
ちょっと待ってと静止する声があった。キョトンとした表情でフレッドは隣を見る。しかし、ユーリはいない。そう後ろにいたのだ。心なしか顔は青ざめている。
「どうしたの?」
「何で解読されていないところまで分かってるんだよ」
どうやら、世界で解読が進められているのは『理論化させるには』というところまでなようだ。フレッドが暗号の解読方法を説明するとそれと全く同じものがユーリの知っている方法だった。この暗号は神架教の父・聖霊・子をモチーフにしたもので、神霊言語と聖霊語そして人類共通語を使った、紛れもない天才が作った暗号である。そもそもの話、神霊言語や聖霊語自体が暗号のようになっているから解くのに時間がかかっているらしい。
「天才って本当にいるんだな……」
「確かに。ここまでの美しい暗号を生み出せるのは才能だよね」
ユーリは口をぽっかりと開けて完全に呆れていた。何故そんな顔をしているのか予想できなかったのでフレッドはまだ首を傾げている。
席に着き、頼んだものが来るまで暗号を解読しながら時間を潰していた。
頭を使った後の甘いものというのは最高に美味しく、しかも味自体もとても良かったから上がった口角はずっと下がらないままだった。雑談などをしながら食べた。他の人達が見ていた気がしないでもないがそんな視線は無視しよう。料金は思ったよりも安く、銀貨三枚で足りた。
二人は、舟に乗って雑誌を眺める。
「次はどうする? まだまだ有名な場所はあるっぽいけど」
「そうだねー。次は……」
二人はまだ二軒しか訪れていない。それもそうだろう、時刻はまだ十二時すら回っていないのだから。残り半日くらいをじっくりと回ればいいだろう。




