第二十話 追葬
「フレッドー、前の報告書は書き終わったのか?」
「もちろんだよ……いやもちろんではないけど今回はきちんと終わったよ。徹夜せずにね」
レオンハルトとフレッドは休憩中、円卓で雑談に花を咲かせていた。セレンの依頼が終わってからおよそ半年が経過した。彼女の無事卒業できたようで家族らしき人と写真を撮っている姿、そして現在の彼女の上司であるオーガストと一緒に写真を撮っているものも送られてきた。
何とも楽しそうなものである。あの後も結構な依頼を引き受け続けて今に至っている訳だがほとんど休めていない。まあ、それでもフレッドは旅をしたいのだが。今日分の机仕事が終わればやっと二日中休みになるであろう二人はさっさと仕事を終わらせて休もうとしていたのだ。
「そうだ。暇だから何か話してくれないか? 一日くらいあったら話せるようなやつ」
「経験の多さだったらレオンハルトの方があるんじゃないの? ほら僕よりも五年くらい長く仕事をしているんでしょ」
「いや俺の顧客は貴族しかいないから。やばい奴とかはよくフレッドに回されるだろ?」
そうですね……としばらく考え、フレッドは一つの結論を出した。その前にどう対処すればいいか悩んでいるような表情で彼はレオンハルトに尋ねる。話を聞くだけで一日は溶けてしまうが本当にそれでいいのか、と。
「良い。その代わり明日は一緒にデザート作ってくれ」
彼のつくったものは何でも美味しい。フレッドも食事を作ったりしているが、彼ほど上手に料理できる気がしない。恐らくあれは天性のものだ。
レオンハルトのつくった料理を食べられると聞いて少しだけ嬉しくなりながら。今から話すことを思い出して悲しげな表情へと変化させる。急にどうしたのかとレオンハルトは唐突に気になり、抑揚のあるフレッドの声に引き込まれる。
決して大きな声ではなかったが確実に人を魅力する何かがあった。
「今から語るのは五年前の追想です。この客は既に亡くなっていますが彼に対する侮辱などは控えてほしいです」
* * *
フレッドのもとに依頼書が届いた。御者になって五年の彼は既に一等御者として名を馳せていた。何しろ貴族でなくても依頼できるのだからこれ以上平民にとっていい条件の御者もいないだろう。
色々な人を場所に乗せていてかなり経験を身に付けたという自覚はあったのだが。そんな彼でも流石にこの依頼だけは目を疑ってしまった。
長々と書かれているが端的に表すと『傷害犯・ユーリ=メンゲルベルクの護送』だった。依頼人は国際裁判所でプリヴェクト帝国まで彼を安全に送ることが出来れば依頼達成のようだった。言っては何だが、たった一人の護送に金をかけすぎではないだろうか。
確かにプリヴェクト帝国には極悪犯の入る地下牢、通称『地獄』と呼ばれる場所があるが、そこに入れられるような罪状でもない。あそこに入るには最低でも貴族を十人殺さないといけなかったはずである。何かあるとは勘づいていたがとにかく彼を迎えに行かなければいけない。
「さて、リャーゼン皇国の牢獄まで向かいましょうか……」
正直刺し殺されても構わなかったためさらっと引き受けた。組合の人は組合長も含めて目を疑っていたがフレッドの考えることなんて理解できる人はいないに等しいため誰も咎めるようなことはしなかった。
「御者、ここまでご苦労だ。こいつがユーリ=メンゲルベルクだ。少しくらいなら傷つけてもいいが殺しはするなよ」
灰色の服を着せられた男は完全に生気を失っている。もういつ死んでもおかしくないような風貌だった。透き通った橙色の瞳は光を失っている。薄い水色の髪が綺麗だが煤を被っていた。ふらふらとしていて、目を離したら倒れそうだった。
「えっと、フレッド=ヴェレスフォードです。要望などがあれば教えて下さい」
「……旅がしたい」
フレッドは看守の方を見る。少しだけ同情しているのかフレッドに耳うって一年でプリヴェクト帝国に辿り着くのならばどこに寄っても良いと言ってくれた。彼はユーリに向けて言う。
「分かりました。もし寄りたい場所が出来れば教えて下さい」
フレッドはがユーリを支えながら彼を馬車に乗せる。それが確認できると看守はすぐに地下牢の監視に戻っていった。馬に指令して動き始める。最初はゆっくりだったが、徐々に加速していった。
ある程度馬が自分の意思で動いてくれているのでフレッドはそれを暴走しないように見張っているだけとなった。プリヴェクト帝国はリャーゼン皇国と間反対に位置するのでおよそ三ヶ月ほどで到着してしまう。だが他国を見て回って残りの九ヶ月を埋めるというのも良いだろう。
そう考えていると馬車の中からコンコンという音が聞こえた。フレッドの馬車は揺れないことで有名なので恐らくはユーリが鳴らしているのだろう。つまり彼から何か言いたいことがあるということだ。馬車の壁に頭をぶつけないようにゆっくりと止まり、扉を開ける。
「どうかしましたか?」
「――ここで宿泊しませんか」
突然言ったことなのでどうしたのかと尋ねるとユーリは太陽の方を指を差す。もう完全に日は沈んでいた。馬車自体の乗り心地は悪くないだろうが寝るとなると絶対に背中が痛くなるというのは火を見るより明らかだったのでテーリア共和国にある比較的安めなホテルで宿泊することにした。
依頼書を見たところだと宿泊料金などの経費も依頼者側が出してくれるようだった。随分と金を出してくれるな、と思っているとユーリが教えてくれた。どうやら彼の拘束には五賢人の一人が関わっているらしい。道理であの看守に憐憫の眼差しを向けられていた訳だ。
五賢人に逆らえば命はないとも言われている。『地獄』に収監されるだけで済んだのは最早奇跡とも言えるだろう。
従業員も囚人だということを知っているらしく態度こそ悪かったものの、部屋はとても綺麗だったのでまだましかもしれない。
「うーん……囚人ならば監視という役割も行わないといけないのですが僕も寝たいですし……」
一応資金を抑えるためというのと脱走しないように監視しないといけないという理由から部屋は一つしか借りていないが結界を張るにしてもホテル側に迷惑がかかる気しかしなかったので中々に考え物であった。
アイディアをユーリから捻出してもらったが、問題点が多すぎた。一応、扉を開けた瞬間に電撃が飛ぶように仕込んでおいたがホテルの方に少し迷惑になるかもしれない。そのことを彼に忠告すると不健康そうな笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。自分は脱走する意思がないから」
そうしてユーリは、彼が捕まった理由を淡々と語り始めた。
* * *
ユーリは告白された。求愛というよりも押しつけのようなものに近かったが、しょうがない。告白をした側が五賢人の一人であるカトーネ公爵の娘だったのだから。曰く彼女の一目惚れだっとという。
最初は断ろうとしていたが、どうやら本気で好きになったようでしょうがなくらしい。
しかし数か月顔を合わせないうちに他国の有力な侯爵家の男性に惚れたようだ。
ユーリはそんなことで刺したり恨んだりするような人ではないし、というか好きでも何でもなかった――もしかしたら気づかないうちに好きになっていたかもしれないが――から振ってくれればそれでよかったはずなのだが……
「男性の方が何故か逆上して殺しにかかってたので返り討ちにしただけなんだけど」
貴族だからって剣術などを備えている訳でもなく普通に刺せてしまったらしい。
しかもそこで運が味方しなかったと感じたのは、ユーリが刺してしまった男は次の五賢人候補の一角と言われるほどの富豪でそこの次男坊だったのである。
現五賢人と富豪の圧力に国際裁判所が勝てる訳もなくこうして手錠をかけられている訳だ、と話してくれた。
世間的には重症だと言われていたが謝罪しに男の今いるカトーネ公爵の屋敷に訪れるととてつもなく元気で仲睦まじく笑っていたのだ。
「相当ショックだったよ。まさか起きたら地下牢にいるなんて」
「ですよね。犯罪を助長する訳ではないですが傷害ごときで重罪にする皇国も世界も狂っていますよ……」
いざホテルに泊まって寝ようとはしてみるが、フレッドはユーリを見張らないといけないという緊張感がまだあった為、なかなか寝付けないでいたのだ。それは彼の方も同じだったらしく、じっとフレッドの方を見ていた。
「少しだけ話します?」
「というか、よく犯罪者と話してくれるね。権力か本当に軽蔑しているのか分からないけど誰も話してくれなかったんだ」
少しだけ、笑った。今ここにいるのは二人だけだ。軽蔑ならともかく。そういうことを気にする人がいない場で権力について考えても何も意味がないだろう。フレッドは沢山話した。ほんの少しかもしれないが、ユーリは雰囲気がフレッドと似ていた。だからするすると伝えるべきことが出てきて話しやすかったのである。
「これからどうします? ここに留まるか別の国に行くか」
ユーリは熟考した後、テーリア共和国に留まるということにした。色々な国を回るため、一カ国三日で移動していくことに決めたのである。基本的に旅先で安眠できることが少ないフレッドと、昼夜逆転しているユーリの行動が奇跡的にかみ合って夜に行動して昼に他国へ移動することとなった。
「えっと、今日はどこに行きたいとかはありますか? 一応観光名所を全て記したものはここにありますが」
「いいよ。僕は模索して探しに行きたい派だから」
シャワーは浴びたようだが服はまだ灰色のままである。着替えなくて良いのかを聞くとぶかぶかの物の方が着心地がいいので囚人服の方が良いようだ。変な人である。
早速、二人のもとに老婆が寄ってきた。
「あなた、貴族って奴に危害を加えて捕まったんだって?」
「どうして知っているんですか」
老人は『世界新聞社』と書かれた看板の建物を指差す。あそこはただの支部だがそれでも他を圧倒できるほど大きい。その新聞社は二百年ほど前から存在する会社で世界で一番古く格式の高い新聞をモットーとしているようだ。学術的なものだけではなく一般市民も楽しめるような記事も別で置いてある。随分前に経営できるような状況ではなく一度だけ倒産したようだがそれを発見した御曹司が新しく新聞社を設立した、それがここの生い立ちらしい。
「五賢人にまつわる話はあそこでなくともどこでも取り上げるよ。しかも五賢人令嬢の浮気相手だったなんて大スクープ」
侯爵の方が逆上して刺し殺そうとしたということも書かれていて、貴族向けの新聞にはユーリのことが悪く書かれていて学術的な方はなぜ浮気をしてしまうのかを心理学的に考察しており、庶民向けのものには公爵令嬢のことが面白おかしく、たまに皮肉も交えながら書かれていた。
不愉快そうな顔をしてフレッドはそれぞれを棚に戻す。
「いわゆる八方美人ってやつですね」
「僕もそう思うけどある側面だけ見ていない分良いと思いますよ」
他の新聞社は貴族に良い気持ちをしてもらうための記事を執筆していることが多い。また、大衆新聞社は民衆に寄り添い過ぎているのだ。
そういう面で見れば良いのかもしれないが、何よりも高すぎる。
「それは置いておいて、大変だねぇ貴族のいる社会ってのは」
ここは共和国だ。市民であれば全員が主権を所持し、全員が政治を執り行うことのできる立場なのである。貴族という二文字が付け入る隙がない平等な国だった。
必ずしも貴族のような政治のプロが執り行う訳ではないので時期によってはかなり荒れるようだが。それでも身分差別が少ないというのはそれだけでありがたい。
「あーあ。僕もこんなところに住みたかったなあ」
「収監が終われば来れば良いさ。国民はいつでも待っているよ」
老婆と別れてしばらく歩いていると少女が頼りない杖を持って魔術と奇術を行っていた。詠唱をしながら別の魔弾を放つ。まさに天才の所業だ。
フレッドは金貨を四枚、彼女の隣に置いてあった缶に入れた。音が聞こえた少女は詠唱を止めて二人の方を覗く。くすんだ色の瞳を持つ彼女はそれでも分かるくらい嬉しそうだ。
「良いんですかっ? こんなにもらってしまって」
「ええ。素晴らしいと思ったのでこれからも頑張って下さい」
弾んだ表情で奇術を最後まで披露してもらった後、感謝の意を込めて辞儀をする。今までこんな対応をされたことがなかったという少女は笑顔で二人を見送ってくれた。
昼は美味しそうな肉を食べた。少々ユーリが拒んでいるような顔を見せたが食べないと栄養というものはつかなく、今後の旅に支障が出てしまう恐れもあるので割と強引に食べさせた。最初は不満そうだったがその手は動き続けているままである。そして次々に肉を口の中に運ぶ。最終的には満面の笑みに変わっていた。




