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或る御者の旅  作者: 駱駝視砂漠
第一章
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第十九話 今は亡き誰かの記憶〜完全な人間

 森の中に魔女が一人。ただ佇んでいるだけだった。誰もいない空間を孤独に楽しんでいた。そんな異様の中、天才の人間が二人。魔術研究所を追放され、居場所がないようでとんでもなく才能を感じたものだからつい結界の中に入れてしまった。だからと言って二人は魔女を迫害することはなかったし、何なら尊敬のまなざしで見てくれる。

 知ったのは二人が死んでからであった。


 神に認められて完全な人間へ昇華したという話を聞いたのは。


 * * * 


「チェルノーバ、本当に大丈夫なの? 最後の信頼回復するチャンスだって言ってたでしょう?」

「いいよ。こうして二人で禁忌を研究している時点でもう手遅れだろうし、というか嫡男だからって後を継がないといけないのは面倒だし」



 チェルノーバ、と女性に言われた男はとても優秀だった。世界を動かすほどの力を持つ、チェルノーバ侯爵家の嫡男であり、通っていた学園もコネなしで首席で卒業。後の世に伝わる魔術の体系をたったの一人で整えたいわゆる天才である。それ故か、爵位を継ぐというのにも色恋沙汰も最早研究以外のほとんど興味ないような変人であると次第に他の人達からは見られるようになった。

 学校の教授からの斡旋で研究所に勤めるようになったがあまりに意味不明――というか先を行きすぎている研究を行いすぎたせいで破門されてしまったのである。正直追放でも何でもどうでも魔術を研究できればそれで良かったが、錬金術を研究しているアナスタシアとずっと遠くのヒュライゾの森まで逃げてきた。


「ごめんなさい、こんなところまで迷い込んでしまって。日陰だと私は生活しやすいけどね」


 アナスタシアは神に叡智を与えられたと錯覚してしまうほどに頭が切れていた。チェルノーバほどの成果は挙げていないものの、十代ですでに錬金術研究の第一人者だったらしい。

 それだけに飽き足らず錬金術に関するものなら何でも手を付け、その全てで革新的な発表を行っているのだから彼とは一風違った一極集中型の天才だった。だが相当貧弱で、そしてどうしようもないくらいに方向音痴だった。

 絶対的な才能がこの二人にはあった。この二人が共同研究を始めてしまえば錬金術が解明されるのも時間の問題であると言われたくらい。各国の研究者から畏怖されているほどである。二十代のなりたてほやほや研究者が世界中で怖がられているのもとても滑稽な話だったが二人は黙々と研究を進める。


「あら、錬金術の研究は進んでいるのかしら?」

「あっエステルさんっ!! 今は金に絞って練成する方法を探していてもう少しってところですよ。ね、チェルノーバ」


 彼はコクコクと頷く。アナスタシアはもちろんのこと、本人であるチェルノーバですらも気がついていないようだが彼はアナスタシアのことが好きらしい。彼女がいる時といない時ではあり得ないほどに態度が変わっていたのである。しかし大貴族と平民だ。もし付き合えたとしても親の了承を得ることは出来ないだろうから結婚までは出来ないのだろう。


【燃える魔女】エステル=ヴァレンシュタインは二人のことを応援するつもりだ。少しだけ楽しみなのである。

 チェルノーバの整えてくれた魔術体系を使ってエステルは火炎魔術を研究していた。もちろん、二人の会話を聞きながら。

 もはや付き合った方が良いのではないかと思えてしまうような発言が唐突に飛び出したりしているのを見るに研究所の時から仲が良かったらしい。


「お二人さんはなぜ研究所を出されたのかしら?」

 魔女に聞かれた二人は顔を見合わせる。そして快く教えてくれた。

「私が他の人の地位が危ぶまれるからだそうで彼が研究者にも分からないような研究をしていたかららしいです」


 ちなみにアナスタシアも彼の論文を見たようだがこれを研究して何になるのかというものがほとんどだったようだ。例えば人間の負の感情によって世界を壊すことができるのかを新しく小さな惑星を作って試すなど頭がおかしいことを行っていたようである。

 アナスタシアも錬金術の研究資料だけ研究所に残してそこを離れたようだ。その研究資料は既に解明されているものだから大して損にはならないのだが。

 若すぎる女性科学者に先を越されたことが許せなかったのだろう。なんとも大人気ない。チェルノーバが彼女の作った魔術式を見てもさっぱりだったそうな。


「そういえば貴方の弟子さんはどうしたの。かなり悲しんでいたんじゃない?」

「かもしれないね。けど彼なら一人でやっていける程の才能と実力は持っていると思うよ」

「なんで分かるのかしら」

「……僕だからね」


 そんな雑談をしながら。それでもペンの動きを止めずに集中して錬金術をチェルノーバが整備させた魔術式に当てはめるという作業を行なっているとアナスタシアが突然大声を出した。

「ねえこれはどう!?」

 そう言って彼女が魔術式を二人に見せる。試しにチェルノーバは詠唱をして本当に金が錬成されているのかを確認する。


 彼は驚きのあまり考えるのをやめてしまった。そう、目の前にあったのは粉末状になった金。目測だと百グラムほどである。


 まさか成功するとは思ってもいなかったアナスタシアも森に来てから二人を毎日のように見ていたエステルも驚愕。それだけが周囲の空気を覆っていた。見たことのある普通の金とは違って燐光の如く光り始め、ついには三人の周りを金色に輝く木々が囲んだ。


 綺麗だと思うと同時に、魔術研究者二人は実験が成功したのだと実感する。非金属から黄金を作ることが出来た。ならばあとはそれを人間に置き換えて実験を進めればいいだけである。

 幸せだった。誰にも解けなかったものを自分たちの手によって白日の下に晒していくというのは。


 ヒュライゾの森を去ることにした。ここだと最悪全ての地域を黄金にしてしまうかもしれないからである。

「エステルさん、研究するのに何か良い場所はありませんか? 人があまりいない場所が好ましいんですけど……」

「そうね、世界樹のある森がいいんじゃないかしら? かなり遠いけど場所は見れば一瞬だから」

 曰くヒュライゾの森のあるバグラド帝国からほぼ真反対の位置に存在するという。だが世界樹自体は一目見ただけですぐに分かるそうなのでアナスタシアに案内さえさせなければ割と早く到着することが出来るだろう。


 世界樹は魔力が沢山あり、きっと大丈夫だとエステルが言っていたので多分黄金に変わることはないだろう……多分。

 エステルに手を振り返して、天才たちは神が存在するとされる【世界樹の森】へ行くことにした。


 * * * 


 どうやら二人が知らないだけでその森はかなり有名な場所らしく、どこにあるかを三十人ほどに尋ねたがその全員がすらすらとそこまで行く方法を教えてくれた。

 世界樹の魔力は人間では足元にすら届かず、魔力が霧となって発現しているので迷いの森として知られているようだった。月歩き、たまには走り回ったことによってたったの数か月で迷いの森の境界線まで来た。


 チェルノーバはため息を吐く。それと同時にじとっとした目でアナスタシアを見る。

「大丈夫かな……ナースチャに案内を任せちゃって」

「それくらい平気だよ!! だって方向音痴に任せた方が案外到着するかもしれないしチェルノーバは難しく考えちゃうでしょ?」


 一理はある。本当にたった一つの道理だけだが。この手の場所は考えない方が得策であり実際、チェルノーバはどうにかして辿り着こうと思考してしまうので到着できないことが多い。が、

「なんかなぁー。不安でしかないというか安心感がないというか」

 ひどい、とアナスタシアはいじけたように頬を膨らませる。少々年不相応だが可愛い。

「チェルノーバ、顔赤いよ? 大丈夫?」

 いつの間にか頬を赤らめていたらしく、彼は恥ずかしく感じたようでさらに顔を真っ赤にする。


 この数カ月の間でチェルノーバはアナスタシアのことを幸せにしたいと心から願っていた。つまりは彼女のことが好きだと。そう自覚するのに時間はかからなかった。だが彼女に自分に対しての恋心など存在しないのだろう。何しろ一緒に研究しているだけの『同僚』なのだから――。

 最近厚意にしてもらっている新聞記者から新しい記事を受け取る。世界の大富豪集特集らしく、チェルノーバにとって見覚えのある人も何人かいた。もちろん仲良くはないが。


 その記事の中でチェルノーバ侯爵の跡取りが三男に決まった。嫡男は領地の経営に参加しない為絶縁するとも書かれていた。それを眺めている本人は安堵している。アナスタシアは普段そんな顔をしないと知っているのでどうしたのかと特集冊子を一緒に見る。


「へぇー。絶縁ってことは侯爵家の人じゃなくなるって事でしょ? ……なんて呼べばいいのかな」

「えっと、ファーストネームのフレデリックで良いよ。あるいは愛称とか?」

 適当な言葉で返事をしているがもう何も考えられていない。アナスタシアが近い。近すぎるのだ。もう意識してしまったら研究にも集中できなくなるほどに。

 彼女が指さしているところが丁度フレデリックの指先に触れる。そこでいよいよ反応してしまい彼はアナスタシアの手を払う。

「ごめん、ちょっと近すぎて緊張してしまった」

 最初は首を傾げていたが彼の視線が向いている場所に目を向けると手が触れあっていることに気が付き、彼女も顔を紅潮させる。


「わっ、私もごめん流石に急すぎたよね」

 アナスタシアは咄嗟に手を雑誌から離す。すると支える手がなくなった訳なのでそれは何のためらいもなく床に落下する。それを拾おうとして二人は屈み、再び手が触れた。絶妙に気が合っているのか合っていないのか分からない行動で二人はため息を吐く。


((好きなのに言えない……))


 フレデリックもアナスタシアも。どちらも互いのことを愛しているのである。アナスタシアは研究所を出て気が付いた。彼と一緒に生涯を遂げたいのだと。

 だが二人は別々の理由で隙の二文字を伝えることが出来ない。少々憂いながら、再びため息を吐いた。


「そうだ。お前さんって結構似ているよな。今回縁を切られた嫡男に似てるよな」

「そうですか? まあ本人なので当然ちゃ当然ですが」

 その言葉で記者が目を丸くしているが気にしない。

 そろそろ森に行かないと研究が進行しないだろう。フレデリックはアナスタシアの手を引いて森まで彼が案内した。


 記者はあくどい笑みを浮かべる。彼らが大して思いつめたような表情をしていなかったからである。錬金術が成功していないならあんなに幸せそうな表情をしていないだろう。そして手についていた金粉。記者が見たことのある物とは大きく違う。

 成功したのだと悟り、新聞社の本部に手記を送る。

『チェルノーバ家嫡男とアナスタシアによって錬金術が成功されたし。各国にある研究所に報告すべき』

 鳩にそれを括りつけ、大きく飛ばした。全ては大スクープのため、そしてより良い利益を得るため。

「ははっ、良い記事が書けそうだ!」


 * * * 


 二人はなんだかんだ言って半月ほどで世界樹の元に辿り着き、そこを拠点として実験や研究を進めていた。

「ナースチャは魔女になりたい?」

「急にどうしたのよ、フレデリック」

 彼女もそうは尋ねたものの、なぜ急に彼が質問したのかは何と無く分かっていた。

 最近、二人以外の声が脳に響いてくるのである。普通の人間として生きたい――というか魔女になったら錬金術に適応できるような体ではなくなるので二人で断ろうと今ここで決める。


「神様ーー!! どうか私たちを魔女にするのはおやめ下さーーい!!」


 あるのはただの沈黙。それが拒否なのか肯定なのかはたまた何も聞いていない証拠なのかは神様本人にしかわからない。

 大きな声で言い終えてスッキリしたアナスタシアは世界樹の下に座って魔術式の開発を続けた。


 集中力が切れたのかチラチラとフレデリックのことを覗いてくる。

「ねえ、ずっと思ってたんだけどそれって錬金術に必要なの?」

 アナスタシアが少しだけ青ざめながら指を差したのは男女の人体解剖図だった。それだけではなくメモとして紙の白い部分が見えないほどびっしりと書かれている。まるで実物のように上手く写生されていて見ているだけで身の毛がよだつほどだ。


「不快だったらごめん。今すぐ燃やすよ」

「いやそこまではしなくても。理由とどこで描いたのだけは教えて」

 彼曰く魔術式だけでは人間の体に錬金術を慣れさせることは出来ないと考えているようで人間が持っている栄養などなど全てを考慮して魔術式を組み立てないといけなかった。また、安置所に姿を隠せる魔術で侵入してそこで描いたものらしい。

 軽く血が引けた。それでも話が興味深かったのかするすると筆が進みアナスタシアが紙を見ると、とっくに書き終えてしまっていた。


「終わった? じゃあ僕が詠唱するから」

 協力して、最初に作った燐光のように仄かに輝く金粉で魔法陣を描く。

 詠唱が行われた。それはフレデリックを持ってしても一時間かかるほどのとんでもない長さだった。二人は佳境を迎えたところで固く手を握る。

「神よ、我らに人間としての完全を、与えよ」

 最後の詠唱はもちろん全ての息遣いも瞬きも風向きも何もかも。全てが彼らの研究の集大成であり完全への第一歩だった。


 十秒。この間に今までの歴史全てが二人の頭に注ぎ込まれた。途中発狂しそうになったが、そこは根性で乗り越えて。神の誘惑もただ意思だけを強くして。二人が目を開くとそこは普通の景色だった。が、体がふんわりと軽くなった気がする。まるで罪の全てを清めきった後のように。天才にとってはこれが成功であることは容易に想像できるだろう。

「成功……したね」

 心臓が止まってしまうほど嬉しかったが言葉を出せずにいた。


 こうして、後の世で『完全な人間』と言われるようになった者達が、世界樹の下でたった今、誕生した。

どうでしたでしょうか? これにて第一章は終了となります。とりあえず十万字を超えられて嬉しいです。

誤字脱字がありましたらご報告下さい。

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