口笛のおはなし③
センはぼんやりと夕日を見上げている。
ここは駅前広場。先日、ストリートライブを行った場所。今日のセンは楽器を広げることなく、噴水の縁に腰掛けていた。
ギターは持って来ているが、隣に立て掛けたケースの中。今日は演奏を目的としていない。
人を待っているのだ。約束はしていないし、必ず来るという確証もない。だが、きっと彼女は通りがかるはずだ。センは信じて待っていた。
「あ、いた」
目の前を通り過ぎようとする女性を見て、センは声を洩らした。
黒い髪、黒い翼。ほんのりと香るフルーツの匂い。
「あ、この前の」
女性もセンに気付いたようである。横切る直前、ちらりとセンを見た目が丸くなる。そして、センを気にしたのだろう。彼の元へと近づいた。
センが立ち上がる。頭頂の冠羽が震える。元来、オカメインコ族は臆病な質なのだ。自分から女性に声をかけるというのは勇気のいることで、鼓動が早まるのを感じていた。
それでも、彼女に声をかけないと気が済まなかった。鼓動を鎮めるべく深呼吸をした。
そしてセンは口を開く。
「ありがとう」
女性はきょとんとしていた。首を傾げている。何に対する礼か、わからなかったようだ。
センはへらりと笑って言葉を続ける。
「君に言われた言葉で気付いたんだ。僕は中途半端だって。自分らしさが出せてないんだって」
女性はようやく合点がいったようである。「あのときのことね」と呟いた。先日の無表情からは想像できない程の華やかなソプラノボイスで笑う。
「あなたの声、すごく綺麗だからさ。だから二番煎じなんて勿体ないなって思っただけよ」
高麗笛のような、高くて伸びやかな笑い声。柔らかな声はセンの耳を、頭を揺さぶる。
なんて綺麗な声だろうか。思わずため息が洩れた。
「ん? どうしたの?」
女性は問う。センがあまりに惚けた顔をしていたために、不審感を抱いたのだろう。
センは慌てて首を振った。
「あ、いや、なんでもないんだ」
初対面の女性の声に惚れるだなんて気持ち悪がられるだろうと。そんなことを思って、センは笑って誤魔化した。
女性は、センの挙動の不審さを差程気にしていなかったようだ。それよりも、センの後ろにあるギターケースを気にしている。ちらちらとケースを見て、センを上目で見つめると、こう強請った。
「ねぇ。君のギター、弾いてみたいな」
センは驚いた。ギターを弾いてみたいだなんて。
楽器の素人に自身の楽器を触らせるのは、気持ちの良いものではない。どんな扱いをされるかわからないからだ。
しかし、この時は不思議と、嫌だとは思わなかった。
「うん、いいよ」
センは二つ返事で許可をした。
センはギターケースを開ける。そこにはいつも通り、手入れが行き渡ったギターが入っていた。新品と同じくらいに綺麗な状態で、弦はピンと張られている。
まずはチューニング。音を鳴らし、聞いて、ペグを巻く。音に歪みが、ないことを確認して、センは女性に笑いかけた。
「こっちに」
センは噴水の縁に腰掛けて、隣を左手で叩いた。
女性はセンに近付いて、彼の左隣に腰掛ける。
センは先生になった気でいる。女性にギターを抱えさせると、ピックを差し出しながら、知識人ぶって説明を始めた。
「はい。これがピック。これで弦を」
しかし女性は、ピックを受け取るや否や、ギターを弾き始めた。
彼女は、素人ではなかったのだ。
奏でているのは、CUROの代名詞と言われる「Fly」という曲。ポップで爽やかなその曲は、センが真似てしまった曲であった。
アコースティックギター特有の、丸みがある柔らかな音は、空気を震わせ辺りに響く。メロディラインに少しのアレンジがあるが、本家に負けず劣らず素晴らしい音色であった。
先輩風を吹かしていたはずのセンは、演奏の素晴らしさに驚いて、口をポカンと開けていた。
「うん、やっぱり」
演奏が終わると、女性は満足気に微笑んだ。
「この子、よく手入れされてるね。すごくいい音してる」
慈しむかのように、ギターを撫でる黒い翼。彼女はギターを愛しているのだろう。
ふと、センは気付いた。
黒い翼。
女性。
腕の良いギタリスト。
もしや、とんでもない人と出会ってしまったのではないか。センは思い、喉を鳴らした。
彼女の綺麗な指運び、そして可憐なソプラノボイス。既視感があったのだ。
「まさか、君は……CURO?」
女性はニヤリと笑う。
「そうだったら、どうする?」
センは口をパクパクさせる。言葉が出てこない。あまりの緊張で、口の中が乾いてしまう。
女性はギターをセンに差し出す。
センは考えることもできず、黙って受け取った。
「頑張りたまえ、未来のミュージシャン!」
そうして女性は、CUROは、雑踏の中へと消えて行ったのだった。
――――――
『口笛のおはなし』おしまい