口笛のおはなし②
アルバイトの休憩時間。センは休憩室でまかないのサンドイッチを食べながら、スマートフォンで動画を見ていた。
『さあ、飛び立とう。
ここから始めよう。
未来はまだ決まっちゃいないから』
動画投稿サイト「Tootube」から、女性の歌声が聞こえてくる。センが最近夢中になっている女性歌手、CUROの動画である。
彼女の顔は画面外にあり、映っているのは首から下。見せているのはギターと指使い。両手を覆う羽は、艶やかな黒色。近年の流行にそぐわないスタイルの動画投稿であるが、その再生数は百万という数字を超えている。
センはその動画を真剣に聴いていた。映像ではなく、歌詞とギターの音に集中しているのだ。
やがて曲が終わり、センはイヤホンを外す。そして、天井を仰いで乾いた笑いを洩らした。
「同じじゃん」
先日、駅前の広場で歌ったオリジナルソング。正しくは、オリジナルだと思っていた歌。確かにCUROの歌によく似ていた。
いや、ほぼ同じと言っても過言ではないだろう。
言葉の言い回し。コード進行。そして歌い方まで。
センは、CUROの歌が好きすぎるあまり、無意識に似せてしまったようだった。
「きつ……」
先日、女性から言われた一言が頭を過ぎる。
『二番煎じを目指すくらいなら、いっそCUROの曲歌った方がいいよ』
その通りだとセンは思った。
これでは、センの曲ではない。CUROのパクリに過ぎない。
「おーい。セン、こうたーい」
休憩室に、一人の男性が入ってきた。
黄色の頭頂、毛先は黄緑。腕には黄緑の鮮やかな羽が生えている。
セキセイインコ族のソラ。彼はセンのバイト仲間であった。
ソラはセンのスマートフォンを覗き込む。画面に映るCUROの姿を見て、やや呆れたようにセンへ言葉をかけた。
「好きだなー」
「まあ、うん」
「これ、初期の曲?」
「そう。『Fly』ってタイトル」
ソラは「ふうん」と気のない返事をしてから、自分のロッカーを開けて荷物を探った。
「そういや、昨日お前がストリートライブ? だっけ? してたの見たぞ」
「え、マジ?」
センの冠羽がピンと立つ。知り合いに見られるのは流石に恥ずかしくて、顔を赤くし言い訳を探す。
「あれ、CUROの曲か? ほんと好きだよな」
センの冠羽が途端に萎む。ゆっくりとした動作で後頭部にぴったりと折り畳まれ、セン本人は目を伏せた。
ソラは歌謡曲に詳しくない。CUROについても差程知らず、『サビなら知ってる』程度の知識である。
そんな彼が、センの曲をCUROの曲ではないかと訊ねている。センの悩みへの、強烈な決定打であった。
「あ、そろそろホール行けよ。混んでるぞ」
ソラが言う。
センは、休憩室の扉を開けて外を見た。ソラの言う通り、客が押し寄せ混みあっている。
センは腰にエプロンをつけて、紐を背中に回し結ぶ。縦結びになってしまったが、セン本人は気付かない。
「お疲れ様でーす」
「お疲れ様ー」
ソラと形式的な挨拶を交わし、センは休憩室を出る。そこは、大繁盛している喫茶店であった。
ここは、喫茶エトピリカ。駅前通りの国道に面したカフェである。
内装は明るく、北欧を思わせるような洒落た空間。壁には可愛らしい野鳥の写真が、何枚も飾られている。
立地は良く、客足も多い。休日は尚更だ。
センが厨房に入るや否や、ピンポーンという電子音が厨房に響いた。チャイムの受信機を見ると、六番の表示が赤く点灯している。窓際の席だ。
厨房では既に二人の鳥子が料理を作っている。センは迷うことなく窓際の席に向かう。
「お決まりでしょうか?」
センは訊ねた。
窓際の席に座っていたのは、男女の若いカップルであった。人間である彼らは、昼食のために喫茶店に入ったらしい。
カップルはメニューをセンに見せながら、思い思いに注文する。
「和風ハンバーグプレートが一点、オムライスのデミグラスソースが一点、以上でよろしいでしょうか?」
センは、客の注文を聞き漏らさないよう確認する。
注文の間違いはないようで、人間のカップルから指摘されることはなかった。しかし、代わりにこのような質問をされた。
「ここ、コーヒーってないんですか?」
センは、何度聞いたかわからない質問にウンザリした。表情にも言葉にも、それは出さなかったが。
「すみません。ここは鳥子の店長が経営しているので、コーヒーは置いていないんですよ」
「カフェなのに?」
「すみません。ですが、こちらのフルーツジュースなんてオススメですよ。青森産のリンゴを使った、果汁100%のジュースでして……」
「あ、なら大丈夫です。食事だけで」
「かしこまりました」
センは事務的に客との会話を終わらせるが、少しだけ傷付いていた。
喫茶エトピリカでは、コーヒーを売っていない。
喫茶エトピリカの店長は鳥子である。鳥子の体にとってカフェインは毒であり、よってコーヒーを飲むことができない。そのため喫茶エトピリカでは、コーヒーではなくフルーツジュースを看板メニューにしているのだ。
だが、カフェと言えばコーヒーという固定概念のせいで、人間の客からはコーヒーを望まれることが多い。先程のような会話は、飽きるほど繰り返してきた。
センは早足にテーブルから離れ、厨房で料理する鳥子二人に声をかける。
「和風ハン、デミオム、六番テーブルです」
「了解」
灰色の髪をした鳥子の男性が返事をすると、センは伝票をボードに貼り付ける。
間髪入れず、イチゴとミルクが混ざったフラッペと、濃度が高いリンゴジュースがカウンターに置かれる。赤いショートヘアをした鳥子の女性が、センをちらりと見て言った。
「一番テーブル、イチゴフラッペとリンゴジュース」
「了解です」
持っていけということだろう。センは木製のトレーにドリンクを乗せ、一番テーブルへと向かう。座っていたのは人間と鳥子の女子二人組だった。
「お待たせしました。イチゴフラッペのお客様」
人間の女の子が控えめに手を上げる。彼女の前にフラッペを置くと、彼女は目を輝かせた。
赤と白のマーブルは可愛らしく、香りは甘い。フラッペの上には、真っ白なホイップクリームがくるりと巻かれ、鳥の形をしたアイシングクッキーが乗っている。
チェーン店でも似たようなものは飲めるが、喫茶エトピリカで使用するイチゴは、糖度が高く、香りも強い。
「うわあ、美味しそう……」
女の子の口から、自然と言葉が漏れ出た。おそらく、彼女自身、言葉を洩らしたことに気付いていないだろう。漂うイチゴの香りに笑みをこぼし、丸い頬を紅潮させている。
「リンゴジュースのお客様」
形式上尋ねるが、返事を聞くより先に鳥子の女子の前にリンゴジュースを置く。彼女の顔は何度か見たことがある。喫茶エトピリカのリピーターであった。
「ごゆっくり、お寛ぎください」
センは会釈をし、踵を返す。すると、後ろから少女達の会話とカメラのシャッター音が聞こえてきた。
「インコスタにあげよ! 絶対映える!」
「あまーい! おいしー!」
喫茶エトピリカの看板商品を褒められて、悪い気はしない。油断したら緩んでしまいそうな顔を引き締め、センは厨房へと戻っていく。
注文がようやく途切れた。センはふうっと息をつく。
「セン君、これできたら持って行って」
「クーも。ほら、サボってないで」
ただし、配膳は暫く忙しなく続きそうだ。センは、先輩であるウロコインコ族のクーと共に、出来上がる料理を次々と配膳していく。
客足が落ち着いた頃には、時計が午後二時を指していた。
「ありがとうございました!」
会計を終えた客が、一組、また一組と店を出て行く。
ここは喫茶店であるため、スイーツを目当てとした客もおり、来店が途切れることはない。しかし、昼時と比べると、混み具合は雲泥の差だ。
「落ち着きましたね、店長」
センは、鳥子の男性、灰色の髪をしたヨウム族の店長に声をかける。店長はようやく料理の手を止めて、疲れからため息を吐き出した。
「いやあ、いつにも増して、お客さん多かったね。クーの宣伝が上手いせいだ」
「えへへ。それほどでもあるよー」
クーはニコニコと笑いながら、頭を前後にゆらゆら揺らす。
「その癖、バカっぽく見えるからやめた方がいいよ」
ショートヘアのコザクラインコ族の女性、チイが冷たく言い放つ。その言葉は、クーの心に深々と突き刺さる。
「ひ、酷い……」
「だって本当のことだし」
「何でチイさん、そんなに冷たいの?」
「は? いつも通りだけど」
コザクラインコ族は、パートナー以外には冷たいか、もしくは攻撃的な性格が多い。その例に漏れず、チイもまた、やや冷淡な性格をしている。
子犬のように人懐っこいウロコインコ族のクーとは、相容れない性格であった。
二人の喧嘩のようにも聞こえる会話を他所に、センは店長に話を切り出した。
「店長、エトピリカにはコーヒー置かないんですか?」
店長はセンを見下ろし尋ねた。
「また言われたかい?」
「はい。俺がバイトに来て、もう何十回目かわかりません」
「あはは。すまないね、セン君」
店長は曖昧に笑い、謝罪する。
「人間はコーヒー好きな人が多いんだから、置いたらいいじゃないですか」
センは言った。
客が望む物を提供することが、店にできる最大限の持て成しだと思ったからだ。喫茶エトピリカに来る客の半数は人間で、人間の多くはコーヒーを求めている。ならば、提供すれば良いのではないだろうか。
「駄目だよ、それは」
店長はきっぱりと断った。
「何でですか?」
センは尋ねる。
店長は真剣な顔でセンを見詰める。
「私がコーヒーを飲めないからだ」
「え? それが理由?」
センは面食らった。たったそれだけの理由なのかと。
だが、店長には彼なりの拘りがある。店長は、真摯な態度で語り始めた。
「コーヒーを飲めない私が、見よう見まねでコーヒーを淹れたところで、他所の店より劣ったものができるだろう。果たしてそれは、エトピリカの看板として、お客さんに提供できるものだろうか?」
柔らかな物言いであったが、そこには強い信念を感じられる。
「鳥子が、見よう見まねでコーヒーを淹れたところで、それは他所の店の二番煎じにしかならない。エトピリカのオリジナルにはならない。
だから、私はフルーツジュースに力を入れているんだ。今年のイチゴフラッペ、良い出来だと思わないか?」
センは、今日来た女性客を思い出す。
イチゴフラッペを前にして、目を輝かせていた人間の女の子。彼女は、イチゴフラッペの味に期待していた。
何故そのような期待をしたのか。それは店長が、イチゴフラッペの味だけではなく、香りや彩りに拘って作ったからである。だからこそ、彼女の目には魅力的に映ったのだ。
「私はフルーツが好きだからね。夢みたいに美味しいフルーツジュースを、エトピリカの看板にしたいんだ」
あまりに真面目に語ったためか、店長は恥ずかしそうに頬を染めた。センから顔を逸らし、店内を眺める。
店長の言葉は、センの心に伸し掛る。そして同時に、先日のストリートライブを思い出した。
今になって、女性の煽り言葉に込められた意図がわかり、凝りが解けていく。
センなりの拘りを持つべきだと、あの時そう言われたのだ。
「二番煎じじゃない、俺なりの拘り、か……」
センは呟く。自分が何を歌うべきか、そのヒントを掴めたような気がした。
「どうかした?」
その呟きに店長が反応する。
「あ、いや、なんでもないです」
センはパタパタと翼を振って、笑って誤魔化した。