愚痴すらもふんわり
朝8時過ぎに総務課の備品保管庫に現れたラキエルは、昨晩申請しておいた物資を受け取りに来た事を告げた。
備品保管庫の面々は、申請に問題が無い事を確認し、新しいデバイスやいくつかの文房具を渡す。
それから食堂に寄り、嗜好品のブースから焼き菓子をいくつかピックアップし、足早に立ち去ろうとした。
この時間帯は丁度、出勤前に朝食をとる人々で混雑している。
普段、滅多に食堂に寄り付かないラキエルに、周囲の人間の注目が集まる。
「あの人、何? なんで仮面?」
「子供が迷い込んだのかな、まだ小さい。」
「知らないの? ラボ所属の博士で、特別入隊した人。めちゃめちゃ優秀なんだって」
「え、研究課の!? じゃあすごく頭が良いんだね、知らなかった」
悪意は無いのだろう、珍しい物を見て話に花を咲かせる事もある。だが良い気分はしない。
「あ!ラキエル博士ー!おはようございます!」
明るく気持ちの良い声が通る。ジェレミーだった。
エミリとゴーシュ、タイラーも一緒だ。
軽く手を降ると、来てくれないんですかー、とばかりに大振りな手招きをされるので、仕方なく4人が居る席に近づく。
「おはよ」
「おはようございます、珍しいですね。博士がこんな時間に食堂に来るなんて。」
「うん。今日は用があって、たまたま」
「用って、さっきピックしてた焼き菓子?」
「まさか焼き菓子が主食で、それ以外食べないから夕飯に手を付けなかったとか…?」
「違うだろ、お前に夕飯とられたから腹いせに焼き菓子食べんだよ」
またゴーシュとタイラーのコントが始まってしまった。
(知らない人間に噂話されても良い気分はしないのに、この4人には何言われても嫌な気しないのはなんでなんだろ)
これまで他人にほとんど興味を示さず、人間関係の構築に関する実技を怠ってきたラキエルは、冷静に自分の感情を考察するとともに、これまで実技をサボってきた事を、少し後悔した。
(知ってる人間を増やせば…誰に何を言われても、嫌な気持ちにはならないのかもな)
事実、ジェレミーに呼ばれてこの席に来てからも、周りの知らない人間たちがラキエルについてなにか言うのを感じてはいたが、あまり気にならない。
1人で立っていたときとは、明らかな心情の変化だった。
1人でなく、周囲に知り合いが居てくれるというのは、心強いものなのだ。
「もう行く。ごゆっくり」
「はい、また後で。ラキエル博士。」
ハンナが居るであろう部屋についたのは9時前だったが、思ったよりも遅くなってしまった。
「ハンナさん、いる?」
「はい、おはようございます、ラキエル博士。」
「おはよう。お願いがあるんだけど…珈琲を淹れてもらえないかと思って。都合が悪ければ遠慮するけど」
「ふふ、大丈夫ですよ。すぐに淹れますね。」
そう言ってハンナは芳ばしい香りをさせて、すぐに1杯分の珈琲を淹れてくれた。
「お待たせしました、どうぞ。」
「ありがとう、頂きます」
「ラキエル博士からのご注文なんて、初めてですね。いつでも淹れますから、おっしゃって下さいね。」
淹れてもらった珈琲を飲みながら、ラキエルは少し考えて答えた。
「昨晩、あのあと食堂で珈琲を貰ったけど。その…無性にハンナさんの淹れてくれた珈琲が飲みたくなって。もし良ければ、今度淹れ方を教えて欲しい」
「食堂の珈琲より美味しく淹れられる自信はありますよ、でもそんな風に言葉にして褒めてもらえて嬉しいわ。私で良ければ、いつでもお教えしますよ。それにしても、まさかラキエル博士から淹れ方を聞かれるとは思っていませんでした。フリージア少佐は、そんな事聞きませんからね。やっぱりハンナの淹れた珈琲が最高だわー、って言って、飲んでくれるだけです。」
さすがハンナ。フリージアに対する愚痴でさえも、非常にマイルドでふんわりしている。
「フリージアらしいね」
「ええ、私もそう思います。」
「おはよう、ハンナ!あら、ラキエルも居るなんて思わなかったわ。」
「おはようございます、ハンナ先生。ラキエル博士も、こちらにいらしたのですね。」
ちょうど9時直前にフリージアとエミリが現われた。ハンナが見計らったように、また新たに淹れ直した珈琲を2人に渡す。
「わー、良い香り。頂きます……え、すごく美味しい…」
「そうでしょう? はぁ…やっぱりハンナの淹れた珈琲が最高だわ!」
2人が来る直前の会話を思い出し、ラキエルとハンナは顔を見合わせて笑うのだった。




