天使になった1
「あ! やっぱり言っておくね! わたし天使になったの!」
「……は?」
一緒に弁当を食って、まったりとしていたら、チャイムが昼休みの終わりを告げる。次は体育だったと思い出し、着替えのため慌てて立ち去ろうとした俺に彼女の結花が言った。
また妙なことを言い出した……。しどろもどろに「また帰りにな!」とだけ告げて、俺は更衣室へ向かい、ジャージに着替えてグラウンドへ走る。
「はぁー」
友達の武が腹筋する俺の足を押さえながら「どうした? ため息ついて」と聞いてきた。
「結花が、さ」
「……結花ちゃんが?」
なぜか緊張で強張った顔の武がゴクリと生唾を飲み込んだ音が聞こえた。
「天使になったって」
「……結花ちゃんが……天使に……?」
「そう。どう思う? まーた始まったよ」
はぁーと長めのため息を吐きながら、武を見ると、なんともかわいそうなものを見る目で俺を見つめていた。なんなら、目尻に涙が見えている。酷いもんだ。
「そんな、かわいそうなものを見る目で見んなよ。結花はちょっと変わってるけど、かわいいし、優しいし、一緒にいて楽しいんだ」
「……あぁ、知ってるよ。お前のその惚気何年聞き続けてると思ってるんだ」
「そんなに言ってたか?」
「うん。わりと、いつも」
そんなに惚気ていたつもりはないけど、なんかバツが悪くて、サボってた腹筋に戻る。
「……それで、結花ちゃんはなんで天使になったんだ?」
探るような、酷く心配したような表情で武が俺を見た。
「……愛のために」
「うん? 聞こえなかった」
「だから! 愛のために! って言うんだ」
また、惚気だと揶揄われるとそっぽ向きながら腹筋を続けた。武の返事がないことを不信に思ってチラリと見ると、またもやかわいそうなものを見る目をした武の顔。
「……そっか」
畜生! 失礼なやつめ!
***
結花とは中学からの付き合いだ。中3の時に来た転校生だ。華奢な身体に、病弱そうな白い肌。いつも濡れた黒く大きな瞳。
俺も初めて見たときは思ったさ。天使じゃねぇかって。だけど、中学生だった俺はすぐに悟ることになる。こいつ、見た目と性格のギャップ、エグくね? と。
誰だって、仲良くなりたいと思うだろう可憐な、少し触れただけで折れてしまいそうな少女。休み時間は本を読んで静かに過ごすだろう見た目に反して、すぐに友達ができて、友達と豪快に笑い合う。
自転車通学禁止の学校のほど近い工場の跡地に、自転車を止めて、しれっとそこから徒歩通学するような子。なんなら、規則違反の自転車通学をしているにも関わらず、遅刻していた。午後から登校する日もあったくらいだ。
……不良かと思った。
写生大会で校外に出たときは、近くのファーストフード店でハンバーガーを買ってきて食べていた。先生に怒られても、「ちょっとなんで怒られてるのか分からない」みたいな、キョトンとした顔で首を傾げて。
「……学校じゃないから、いいですよね?」
いやいやいやいや。なんで! そうなる! 遠目に見ていても突っ込みどころ満載だった……。
隣の席になって、よく話すようになると作り話をした。正確にはおもしろおかしく事実を少しねじ曲げたり、膨らましたり、だ。
当初抱いた大人しい印象は瞬く間に崩壊していったけど、ただただ一緒にいて楽しかった。非常識で変わった女の子。
だけど、人が笑っていることが嬉しい。そんな印象に変わっていった。
好きになるのに時間はかからなかった。
卒業式のあと、LIMEで結花を公園に呼び出した。寒そうにコートを着た腕を擦りながら俺を見つけた結花は、いたずらを企んでいる子供のような顔で笑った。
「なに? 告白?」
「……」
揶揄うようなその物言いに思わず絶句する。
……いや、思ってても口にださないだろ。この状況で呼び出されて気付くのは分かるけれども!
「昨日さ、LIMEの返事、わたしめっちゃ早かったでしょ?」
「あぁ」
どんな言葉で想いを伝えようか必死に考えていた。だけど、いい言葉は何も浮かばない。けれど、高校に入って、今よりもっと多くの男が結花を知ることになる。そんなぽっと出の野郎どもに持って行かれるのを指を咥えて見てることなんて、できるわけがない。
そんな、今を逃すわけにはいかないと焦りとも独占欲ともいえる感情で。なりふり構っていられるかと恥もプライドも捨てて、とにかく明日。明日、結花にこの気持ちを伝えるんだ、と。
自分の動悸に吐きそうになりながら送ったメッセージだった。返信が来るまでの間、いや、明日の告白が終わるまでこんなハラハラした気持ちで過ごすのか、俺は。と思っていたのだ。
だけど、返信は秒で返ってきた。
『明日、卒業式のあと公園に来てくれない?』
『おけー』
あまりの軽い返信にちょっと気が抜けたのだった。
「好き! 付き合って!」
「……え?」
ちょっと何が起きたか分からない。
「好き! 付き合って!」?。え? 俺の声じゃなかったよな。え? え?
……混乱が止まらない。
「ねぇ、陽太! 陽太は告白じゃなかったの? わたしの勘違い?」
「いや! 違う! 俺も……好きだから付き合ってくれって……。そう……言うつもりで……」
「良かったー! もう、早く言ってよー。 わたし、このドキドキに耐えれなくて先に言っちゃったじゃん!」
そう言いながら、ヘロヘロと崩れるようにしゃがみ込む。
結花の目の前に俺もしゃがみ視線を合わせた。
「ごめん、ヘタレで」
いつもの潤んだ瞳に睨みをきかせ、頬を膨らませて「ホントだよ」と、はにかんだ笑顔で言った。
***
「……で、天使っていうのは……」
今度はどんな話を膨らませて天使に辿り着いたのか。本屋の中にあるカフェでコーヒーを飲みながら俺は口火を切った。
チーズケーキを食べようと大きく開いた口に、ケーキを入れようとするところだった結花は俺をチラリと見るだけで、そのまま口に入れる。コホンと一つ咳払いをして、真面目な顔で俺をじっと見据えた。
……そんな真面目な話でもするかのような……。
「そのままの意味だよ。天使になったの」
「……なんで?」
「なんでって。……なりたかったから……?」
「……なんのために?」
俺の質問に首を傾げて斜め左上に視線を上げた。結花が考え事をするときの癖だ。
さて、どうでるのか。
少し後、結花は俺へと視線を戻しにっこりと笑った。
「愛のために、かな」
「……は? なんで愛のために天使になる必要が?」
「んー、じゃあ、天使になったからこそ、愛のためにできることがある、とか?」
とか? とか言っちゃってるし。きっと設定がいい加減なんだろう。
「いつまで?」
「11月10日!」
「そこはすぐ言えんのかよ!」
「うん! 」
よく分からないが。結花は11月10日まで天使らしい。
「じゃあ、10日以降は天使じゃなくなんの?」
「うーん、難しい質問だな。人がどう思うかによる……とか?」
「とか? ってなんだよ」
「だって、人によってものの見方は違うでしょ? 天使だと思う人もいるかもしれない」
「……意味が分からない」
「大丈夫。そのうち分かるよ。あと一週間もすれば10日じゃん」
「……天使になんかならなくていいから、ずっと俺の傍にいろよ!」
俺はいったい何を口走ってるんだ。こんなだから、武に惚気だなんだの言われるうえ、かわいそうなものを見る目で見られるんだ。
思わず大きな声を出してしまった自分を恥じつつ、キョロキョロと視線を彷徨わす。
結花越しにある大きな窓に、足を組んだ自分が映る。もうすっかり、夜だ。
「結花送ってくよ」
「どこに?」
「結花ん家に決まってるだろ?」
「……そっか。うん。分かった、おねがい」
立ったところで、周りの他の客の視線に気付いた。なぜか、注目されている。結花がかわいいから? いや、声が大きすぎたからだろう。
恥ずかしいことを大声で叫んで逃げるように店を出ようとする俺。「仕方のない人」とでも言いたげな瞳で結花が俺を見ていることには気付かなかった。