この世で一番美しいもの
「東雲さん」
夕食の後片付けを終え、ソファに座ってテレビを見ている時、私はふと思い立って尋ねてみた。
「何?」
隣に腰掛けた東雲さんは、膝の上で頬杖を突いて私を見る。
「俺のこと好きですか」
東雲さんは目を丸くした。
「いきなりどうしたの」
「いや、なんとなく」
「好きだよ」
あっさりと答えられて、私は照れてしまう。
「どの辺が好き?」
「全部かな」
「具体的に教えてくださいよ」
東雲さんはくすりと笑って、私を見た。
「そうだなあ……。まず、優しいところ」
「他には?」
「あとは……頼りがいがあるところ」
「東雲さんより年下ですよ」
「でも、私のこと守ってくれるでしょ」
「それはまぁ、男ですから」
「頼れる人だよ、三並君は」
「そうっすか」
「そうだよ」
東雲さんは微笑んだまま、視線を正面に戻す。画面の中では芸人たちが大騒ぎしていて、私はその騒々しさに眉をひそめた。
「……あのさ」
東雲さんの声は小声だったので、テレビの音に隠れて聞き逃してしまう。
「ん?」
訊き返すと、東雲さんはもう一度口を開いた。
「私ね、最近よく考えるんだけど」
「何を?」
「もし、私が小説を書いたら、読んでくれる?」
唐突に言われて、私は言葉を失った。東雲さんはこちらを向かず、じっとテレビに目を向けたままだった。
「読むよ」
ようやくそう答えた時には、既に東雲さんは立ち上がっていて、台所へと歩いていく。
「ありがとう」
背中越しの言葉を残し、東雲さんは台所へ消えた。
最後に東雲さんの小説を読んだのは、あれは確か、去年のクリスマスのことだった。『この世で一番美しいもの』という短編小説を、東雲さんはプレゼントしてくれた。その時に読んだ感想としては、正直に言うとあまり良いものではなかった。
主人公の少女が、自分の想い人と結ばれない悲恋の物語だ。東雲さんはハッピーエンドが好きで、そういう物語を好んで書くことが多いのだが、この作品だけは違った。その物語は、結局、主人公が思いを寄せていた相手は別の女性と結ばれることで幕を閉じる。そして主人公は、相手の女性の幸せを願って身を退くことになる。しかし、主人公には他に好きな人ができて、結果的に二人は恋人同士になる。
つまり、この物語の結末だけを見れば、誰もが幸せな結末を迎えたように見える。けれど、果たして本当にそうなのだろうか。東雲さんが書いたのだから、きっと彼女はその辺りのバランスを考えた上で、こういうラストにしたのだろうとは思う。それでも私は、この結末には納得できなかった。
東雲さんがこの話を書き始めた頃、まだ東雲さんと付き合う前だった私は、この結末は東雲さんにとってバッドエンドではないかと思ったものだ。東雲さんはハッピーエンド至上主義だし、この話はまさにそんな感じの内容だったからだ。東雲さんは、本当にこれでいいのだろうか。そう思った私は、彼女にこう尋ねた。
「東雲さんはこの結末で満足なの?」
「うん。私は、これが一番正しいと思うから。だから、これで良かったんだよ」
その時の彼女の表情は今でも覚えている。寂しげで、それでいて強い意志を感じさせるような、そんな顔だった。
それからしばらく経って、私達は付き合い始めて、そして今に至る。あの時のことを思い出せば、今の東雲さんの態度にも合点が行く。私が東雲さんの書いた小説を読むと言ったのは、単に彼女の気持ちを確かめたかっただけなのだと分かって、少し情けなくなった。
夕食を終えて、いつものように東雲さんが洗い物をしてくれている間に、私はコーヒーを入れることにした。キッチンのカウンターの向こうでは、東雲さんが鼻歌を歌いながら食器を洗っている。私はマグカップを二つ用意して、インスタントの粉を入れていく。そうしながら、ぼんやりと考えた。
東雲さんは、一体どんな気持ちで私の告白を受け入れてくれたんだろう。そもそも、東雲さんは私のどこに惹かれたのか。私が今までに出会った人間の中で、東雲さんが一番変わっているように思える。初めて会った時は、ただ大人しいだけの女の子かと思っていた。それが今では、小説を書いてみたり、互いの家に泊まって行ったりするような子になっている。
東雲さんが私のどこに魅力を感じたのかは分からない。ただ一つ言えることがあるとすれば、それは私達がお互いに一目惚れしたというわけじゃないということだろう。東雲さんにとっても、私の存在がそうであればいいのだけど。




