トーストと目玉焼きとレタス
翌日、目を覚まし、起き上がって台所に向かうと、東雲さんは既に朝食の準備を始めていた。
「おはよう」
私に気付いた東雲さんは手を止めずに言う。
「朝ご飯、すぐできるよ」
「すみません、何もできなくて」
「いいって。三並君は昨日、遅くまで働いてたんだし」
「いえ……というより、お金とか払わないと」
東雲さんは一瞬だけ手を止めた。そして、私の方を見てくすりと笑う。
「そんなの気にしないでいいよ」
「でも……」
「それとも、何か別のものを請求されると思った?」
「いえ……そうじゃありませんけど」
「心配しなくても大丈夫だよ」
東雲さんは再び作業に戻る。
「三並君はもう少しゆっくりしてればいいよ」
私は言われた通り、テーブルについて待つことにした。程なくしてトーストの焼ける匂いが漂ってくる。やがて、コーヒーの入ったマグカップとサラダボウルを持った東雲さんが現れた。
「簡単なもので悪いんだけど」
言いながら、東雲さんは私の前に皿を置いた。トーストと目玉焼き、それにレタスだけのシンプルなものだったが、私にとっては充分すぎるくらいだった。
「いただきます」
私が手を合わせると、東雲さんは自分の分の食事を持ってきて、向かい側に座った。
「うん、おいしい」
一口食べてからそう告げると、東雲さんは嬉しそうに笑みを浮かべた。それから、自分の食事をする合間に、時折、思い出したように「おいしそう」と言ってくれるのが、何だかくすぐったい。
「東雲さんはいつもこんなものを食べてるんですか?」
「んー、まあ、大体ね」
「自炊ですか」
「ほとんどね」
「料理上手ですね」
正直な感想を述べると、東雲さんは困ったような顔をした。
「私なんかまだまだだよ。お母さんの方がもっとずっと上手だし」
「そうなんですか? 全然想像つかないですけど」
「うん、今度、機会があれば紹介するよ」
「それは是非お願いしたいです。東雲さんのお母様ならさぞかし綺麗な方なんでしょうね」
私がそう言った途端、東雲さんの表情が曇る。
「どうかしました?」
「う、ううん」
東雲さんは首を横に振ったが、明らかに様子がおかしい。私は思わず笑ってしまった。
「冗談ですよ」
「分かってたよ」
東雲さんは唇を尖らせるようにして言った。食事を終えてから、私は東雲さんに訊いてみた。
「あの男、また来ると思いますか?」
東雲さんはソファに座ってテレビを見ながら答えてくれた。
「来ないと思う」
「どうしてですか?」
「多分、もうここには戻ってこられないだろうから」
昨夜と同じ言葉を口にしてから、東雲さんは少しの間、考え込む様子を見せた。
「あの人はきっと、ここに戻ってくるつもりはないんだろうなって思う」
「そうなんですか」
「うん」
東雲さんの口調は確信に満ちているようだった。
「三並君も、早く帰った方がいいかも」
「え?」
「だって、もし戻ってきたら、怖いでしょ?」
私は東雲さんの言葉を頭の中で反駁する。東雲さんは、私が襲われることを危惧してくれているということだ。その気持ちは素直にありがたいと思うけれど、やはり、私は東雲さんを置いて逃げるわけにはいかない。
「俺も、東雲さんが戻るまではここを動きませんよ」
私が言うと、東雲さんは驚いたように目を見開いてこちらを見た。
「でも、危ないし」
「だからって、東雲さん一人残していく方が心配ですよ」
「私は大丈夫。慣れてるし」
「そういう問題じゃないでしょ」
「……ごめんなさい」
東雲さんは俯き加減になって謝った。昨日から、このやり取りを何度か繰り返していた。
「とにかく、私は帰りませんよ」
「……分かった」
そして沈黙が訪れる。
やがて、東雲さんは意を決したように顔を上げた。
「ねえ、三並君はさ、私のこと、どう思ってるの?」
「どうって……」
突然の問いに戸惑っていると、東雲さんは不安げな表情を浮かべて私を見る。
「やっぱり嫌い?」
そんなことはない。確かに最初は苦手意識があったかもしれないけれど、今はそんなこともないし、何より、東雲さんのことを嫌だと思う理由がない。私は慌てて否定した。
「そんなことはありませんよ」
「じゃあ、好き?」
「……」
それは、もちろん好きだ。でも、それを面と向かって言うのは何だか気恥ずかしくて、口籠ってしまう。しかし、黙っていては東雲さんは納得してくれないだろうと思い直し、正直に伝えることにした。
「好きです」
東雲さんは私の返事を聞くなり立ち上がった。そして、キッチンの方へ行ってしまう。何かまずいことを言ってしまっただろうかと私は慌てる。東雲さんは、マグカップを持ってすぐに戻ってきて、私に差し出した。コーヒーだった。
「ありがとうございます」
私は礼を言いながらそれを受け取った。東雲さんは再びソファに腰を下ろすと、私の隣りにぴったりとくっついて座った。
「あの、近いですけど」
私が指摘すると、東雲さんは「うん」と答えたものの離れようとはしない。
「私ね、今までずっと一人でいることが好きだったんだ」
ぽつりと呟く東雲さんの横顔を私は見つめた。長い前髪が邪魔をして、よく見えない。
「だから、分からないことがたくさんあって」
「はい」
「こういう時、どういう風にしたらいいのか、分からなくて」
言い訳するように早口で言う東雲さんの声を聞き逃さないようにしながら、私は彼女の肩を抱いた。
「こうすれば、大丈夫です」
東雲さんは何も言わず、ただこくりと小さくうなずくだけだった。それからしばらく私達は無言のまま、寄り添っていた。




