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白雪の影とべにばらの森  作者: 扇谷 純
『こんなのは、嘘だ……。』
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 帰宅した私はいつものようにシャワーを浴び、寛いで過ごしていた。エアコンの冷気に包まれた六畳ほどの空間でまったりと素麺を食べ、本を読み(もちろん今日は就活関連などではなく、趣味の方である)、ありふれた時間、ありきたりな夜だった。


「少しだけなら、行っても良かったかも」


 そんなことを独りごち、私はベッドに寝転んでテレビ番組を眺めていた。ご当地の観光スポットをタレントが巡る企画だったが、その時の自身の意識はどこへやっていたのか、正直よく覚えていない。


 そんな中、私の携帯電話は突然夜の遠吠えをする狼のようにけたたましく音を立て始めた。


「……知らない番号」


 非通知や未登録の番号は、出来ることなら出たくない。知り合いは電話帳に登録済みだし、大抵は間違い電話か悪い知らせの二択だからである。


 就職活動中という身分のため、企業から掛かってくることは時々あった。ほとんどは書面やメールで通知を済ます所ばかりだが、稀に不合格の連絡をわざわざ電話で寄越すサディスティックな企業が存在する。


 耳元に直接響く、抑揚のない声色。普段と異なる連絡手段で一度持ち上げられた期待値からの悲報は、私の心にひときわ大きな傷を与えた。蜘蛛の糸が切れた瞬間は、これを百倍ほど濃縮させたものだろうか。


『いちいち気にしてたら、就活なんてやってらんないよ』


 一社目に落ちた晩、姉からは電話でそんなお言葉を頂いた。


 その時の私は、特に落ち込んではいなかった。今回は縁がなかっただけで、いずれは良い相手に巡り合えると信じて疑わなかった。


 それが今では、誰とも繋がれる予感がしない。企業が揃って結託し、私を一人取り残そうと画策しているように思えた。


 たとえ鈍感な人間でも、繰り返し自己否定を受ければ当然ながら心が摩耗していく。平常心を保ち、次のステップを頭に描きつつ、前向きな姿勢で一日をやり過ごす。姉はその気構えを前もって伝えたかったのだろう。


 生活リズムと体調だけは崩さないよう注意を払い、私はここ半年ほどを過ごしてきた。心の疲弊は、命取りになる。


 ――さて。


 私は深く息を吸い込み、電話を耳に当てた。


「もしもし」


「…………」


 無言。これはもしや、間違い電話の方だったか。


「もしもし?」


 私はもう一度、ややはっきりとした口調で繰り返した。しばらくして受話器の向こうから、「あぁ……。失礼。とても、声が似ていたものですから」と紳士的な低い声が響いた。


 男性は受話器から少し離れたところで一度咳払いし、「遠藤葉流さんでしょうか?」と問いかけた。


「はい。そうですが」


 やはり企業か。それにしても、遅い時間に連絡を寄こすものだ。


「あぁ……。良かった、繋がって」


 確かにそろそろ床に就こうかと思ってはいたが、それほど肩を撫でおろすような案件だろうか。落選の連絡ならば明日でも明後日でも、大した違いはないだろうに。


「あの、どちら様でしょうか?」


 初めに会社名を名乗らないとは、とんだポンコツ担当者だ! こんな会社に受からなくて正解だったと、今から言い訳を考えておこう。これで私は、また前を向ける。


「失礼、申し遅れました! 私は雪希……、いえ。遠藤雪希さんの友人で、ジャンと申します」


「あぁ、そうですか」


 拍子抜けした声でそう答えると、私は一呼吸置き、「……ジャン?」と言って眉間に皺を寄せた。


「はい。ジャンと申します」


 恐ろしく流暢な日本語だった。ニックネームか、はたまた日系の外国籍か。


 私は気を取り直し、「姉のお友達ですか?」と尋ねた。すると彼は「はい。そうです!」と勢いよく答えた後、「……実はですね、今夜は久々に彼女に呼び出されて食事をする約束になっていたのですが、先ほど自宅を訪ねますと――」


「あぁ、居なかったですか」


 あの人はよく思いつきで行動するところがある。おおかた一人で酒の買い足しにでも出掛けたのだろうが、下手をすると一人でふらっとどこかの店に入って飲み始めているという可能性も考えられる。


「私から連絡してみましょうか」


 今までにも、こういうことがなかった訳ではない。私は姉の友人と姉を繋ぐ中継役のような役割を果たしていた時期がある。あの人は何故だか私が連絡をすると高確率で電話に出るため、それをGPSのように利用して友人は彼女と落ち合うことが度々あった。


 またか、という気持ちで冷静に対応する私に比べ、相手はどこか慌てた様子で、「いいえ、そうではないんです! 彼女は在宅しておりました、ですが……」


 ジャンという名の男はそこで一瞬言い淀み、「自宅で、……倒れていたんです」と言った。


「…………」


 倒れていた。なるほど、酔いつぶれていたということか。それほど強くもないのに、あんな時間から飲んでいたから。


 そう思って私が口を開きかけると、ジャンは静かな口調で、「私が救急車を呼び、先ほど救急病院に搬送されたところです」と言った。


「救急車??」


 それほど、大ごとにする必要があるだろうか。


「双葉川付近にある藤丘病院です。今から来て頂くことは可能でしょうか?」


「私がですか?」


「はい」


 私は目覚まし時計に目を遣り、しばらく考えた。明日は午前中に企業説明会、午後にはサポートセンターに寄って近況の活動報告と新規の募集案件を確認しなければならない。


「彼女の両親は地方に実家を構えていると以前に聞かされましたので、今お願いできるのは葉流さんだけなんです!」


「両親……」


 はて、この人は親まで呼ぶつもりだったのか。そんなことをしたら起きた時に姉が恥をかくだけだろうに。ここは内内で収めておくのが最良な選択だ。


「えっと、何て名前の病院でしたか?」


 仕方がない。夕方の件もあることだし、ここは私が出向くことにしよう。


「来てくれますか! 病院は双葉川付近の――」

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