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白雪の影とべにばらの森  作者: 扇谷 純
『永遠の不採用人材。』
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 ナルミハルタの話をすっかり聞き終わった後、私は川上という男を一目見たいと彼に申し出たが、どうやら出張に出ているらしく、今は会社にいないのだという。


 私は行き場のない感情を秘めたまま、静かに項垂れていた。


「今話したことは、あくまでも噂だからね。全てが真実ってわけでもないと思うから。でも、川上先輩は良くない噂が多い人なのは確かだよ。遠藤先輩が退職に追い込まれたのも、上からの圧力があったとみんな噂してるし」


「仕事に、……戻らなくていいんですか」


「え?」


「私なんかに構ってる時間、ないですよね。姉はいつも忙しそうにしてましたよ。それともあれですか。あなたも働き方改革で就業時間が短くなってるんですか」


「働き方、改革?」


 ナルミハルタは無垢な瞳で首を傾げ、「うちの会社が就業時間を短くするわけないよ」とあっさりした調子で答えた。「俺は夜勤明けで、今日はもう上がりだから」


「……そうですか」


 仕事が早く終わったなんて話、嘘だったんだ。本当はずっと前から会社をクビになって(表向きは自主退社になったらしいが)、姉は一人で苦しんでいた。


 私はふらふら立ち上がると、その場を後にした。ナルミハルタが何か声を掛けてきたような気もするが、それは丸っきり頭に入ってこなかった。


 気づけば、病院の最寄り駅で私は電車を降りていた。それはまた、姉の暮らす街でもある。以前に来た時よりも随分と街の雰囲気が変わっていた。商店街は昼間から人々で賑わい、たくさんの笑顔、たくさんの笑い声が響いていた。


 汗ばんだ身体には、院内の冷房が程よくて心地良かった。これがもし銀行なら心臓麻痺を起こしかねない温度差になっていただろう。受付で姉の名前を告げると、すぐに病室の部屋番号を教えてくれた。


 昼間にこの病院を訪れるのは初めてだったが、医者も看護師も、患者すらも、わりと元気そうじゃないか。明るい表情も数多く見られた。


 家族とはいえ、花束を買ってくるべきだったか。廊下を歩きながらようやくそう思った。このちょっとした気配りのなさが、今の私を作る全てのように思えた。そう考えると、悲しみを通り越してむしろ笑えてくる。


 ネームプレートに姉の名前が記載された部屋の前に立った私は、念のため扉をノックした。中には母がいたようで、「はーい」と気さくな声で応えた。私は扉を横に引き、中に入った。


 こじんまりとした個室だった。比較的に新しく、レースのカーテン越しに太陽光が差し込み、室内はやけに明るく感じられた。窓際の大きなベッドには姉が眠り、その傍らの椅子に母が座っている。


「あら、葉流。どうしたのよ」


「見ての通り、お見舞い」


「私には全く見舞いらしい気配が感じられないんだけどねぇ」とため息交じりに答える母は、目の下に隈が見られた。近頃は寝不足が続いているのかもしれない。それも私が見舞いに来なかったせいか。


 母の隣に立ち、私は姉の寝姿を眺めた。太陽光を吸収した姉の寝顔は、薄らと輝いて見える。透き通るような肌は、まるで眠り姫のように美しかった。


「お姉ちゃん、起きないね」


「昔から、一度寝ついたらなかなか起きない子だよ」


 呑気な声でそう言いながら姉を見つめる母の横顔は、ひどく悲しげだった。


「大丈夫?」と私が尋ねると、「何がよ?」と強気な声で応えた母は、起き抜けのように座ったまま上半身を伸ばした。


「こんな時こそ、気を強く持たなくっちゃね」


 そう言ってこちらに笑顔を向けたのも束の間、「それよりあんたは、就職活動をきちんとしなさい」と、母はぴしゃりと言い放った。


「うん。次は決まるかも」


「前にも似たようなこと言ってたじゃないの」と言い返した母は、姉の方へ向き直り、「全然顔見せないと思ったら、今度は突然来るんだから」


「見舞いにアポイントは必要ないでしょ」


「アポイント?」と口を開けた母は、「それよりも、下でジャンさんに会わなかった?」と尋ねた。「あの人ね、いつもこのくらいの時間に来て、時々新しい花に交換して帰るのよ。ほんとまめな人よねぇ。うちの娘には勿体ないわ」


 窓際の花瓶には、桃色の花が飾られていた。しっかり者の姉には少女趣味が過ぎるようにも思えたが、ひょっとするとジャンの好みかもしれない。


「ジャンさんは、お姉ちゃんの彼氏じゃないと思うけど」


「え、そうなの!?」


 母は大袈裟に驚いた反応を見せるとこちらを見上げ、「あんた、お姉ちゃんから彼氏の話とか聞いたりするの?」と言った。


「えっと……」


 答えに困った私は、赤いノートを鞄から取り出すと挟んでおいた例の写真を抜き取り、「ねぇ、この写真に見覚えある?」と話題を変えるために尋ねた。


 母は腕組みしながら目を細めてそれを覗き込むと、「あぁ」と声を漏らしながら、「あんたも懐かしいの持ってるわね」


「この写真知ってるの?」


「知ってるもなにも、それあんたとお姉ちゃんでしょ? あんたたちがこーんなちっちゃい時に、よく二人でそのワンピース着て出かけてたじゃないの」


 母は手のひらを下に向け、腰の辺りで水平に翳しながらそう言った。

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