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白雪の影とべにばらの森  作者: 扇谷 純
『永遠の不採用人材。』
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 気付けば、目覚ましが鳴っている。いつの間に眠ったのか。


 鼓膜を破りそうなほど巨大な鈴の音を奏でる小機械の頭を叩き、私は上体を起こした。頭が重い。身体が気怠い。視線の先には、姉の日記が見える……。


 深いため息を漏らした私はベッドから抜け出し、手早く朝の準備を済ませるとワイシャツに黒いスカートを履いた。多少顔が腫れているが、今日は面接ではないので問題はない。


 出がけに黒いジャケットを羽織り、黒い革鞄を肩に掛け、黒いヒールのパンプスを履く。見慣れたはずの黒ずくめは、今日に限ってはどこか死神のように不穏なものを連想させた。


 死というものが、現実の世界にちらりと顔を覗かせたせいだろうか。


 玄関に設置された全身鏡に映る自身の姿を眺めながら、私は背後に張り付いた暗い影の重さに思わずバランスを崩しそうになった。


「やぁ、こんにちは」


 声を掛けられて振り向くと、先日のイカロスさんが立っていた。最近は説明会でも顔見知りの者が増え始めている。彼もその一人だ。


「どうも」


「君は今日もゆったりとしたペースだね。その余裕が羨ましいよ」


 そう話す彼は、額の汗を拭いながら大量の資料を抱えている。なりふり構わずとは、こういった姿を言うのかもしれない。


「余裕なんてあるわけ――」と私は言いかけたが、寝不足で体力も少ないなか、無駄な言い訳に労力を費やすのは勿体ない。私はその場を受け流し、各社のブースを見て回った。


「あれ、おかしいな……」


 身体を引きずる思いで説明会に参加したものの、何に興味を持てば良いのか、どのブースに入れば良いのか、一歩先の自分の姿がまるで想像できなかった。頭を回転させようとするものの、何も詰まっていないはずの中身はすでにパンク状態となっている。


 とうとう足を止めた私は、行き交う人々の波に酔い、吐き気を覚えた。


 ひとまず目についた資料を握りしめた私は、急いで黒い渦の中から退散した。


 吐き気に耐えながら帰宅した私は、黒い服を脱ぎ捨てていつものようにシャワーを浴びた。午後からサポートセンターに行くつもりだったが、それが明日になろうと、明後日になろうと、やはり差はないように思えた。


 私はその後、外に出られなくなった。


 およそ一週間が経った。その間に逃した授業はどのみち一教科のみだが、この時期に就職活動を中断させるのは相当なリスクだった。周囲からさらに取り残されるのは明白で、大学の友人達からも何度か連絡があったものの、私は風邪を引いたと言い訳をして部屋に籠もり続けた。


 姉に付き添ってこちらに滞在することになった母からは時おり連絡が入り、就職活動は順調かと合言葉のように問われた。あの人が目覚めたという知らせは、未だ入ってこない。


 身体が毎日気怠かった。本当に風邪を引いてしまったのではないかと思った。これまで細心の注意を払い、体調を管理してきたが、それもすべて水の泡だ。


 私は部屋の隅に投げ捨てられた冊子を拾い上げた。会社説明会の日に持ち帰って以来そのまま放置していたが、さすがに目障りだ。唯一の戦利品とも言えるそれは、くしゃくしゃになっていた。机に置いて皺を伸ばすと、パステルカラーのデザインが妙に目に痛い。


「誰しも、目指すべきゴールがある」


 そんな見出しの冊子を重たい瞳でじっと眺めた後、私は中身も確認せずにくしゃくしゃの状態に戻した。


 視線の斜め上には、赤いノートがあった。ジャンから預かった姉の日記。私は部屋に籠り始めた日から、時おりノートの中身を盗み見ていた。慣れた手つきでぱらぱらとページを捲り、間に挟んだ写真を取り出した。


「……楽しそう」


 写真の二人は、一体何者なのか。どうしてこんなにも幸福そうな表情を浮かべていられるのだろうか。


 赤いノートには、とある名前が度々登場していた。


 川上さん。


 姉の恋人だろうか。そう言えば、姉に恋人がいるのかどうかも私は知らなかった。あんな状態で、それも一週間以上も連絡がつかなくなった姉のことを、恋人は心配しているのではないだろうか。


 ひょっとしたら、川上さんは姉の会社の同僚なのかもしれない。どんな人だろう。姉と親しい間柄の人に、姉の胸の内を知る人に、話を聞いてみたいと思った。


 私は玄関に立ち、全身鏡に映る自身の姿を眺めた。少しやつれたようにも思えるが、たった数日前の私の姿がどのようなものだったか、今ではよく思い出せない。


 私は久方ぶりの黒い衣装に身を包み、髪を整えた。血色がよく見えるように化粧を施し、鞄に赤いノートを入れて部屋を後にした。

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