人形の影2
スムーズに筆が進まず、毎週投稿する人などは違うんだと思い知らされる日々。Twitterを見ていると毎日のように投稿している人もいて尊敬してしまいます。
内容ですが、
今回は、前回と文章の書き方を変えてみました。まだ二回目の投稿なのではっきりとは決めかねています。そのうち書きやすいほうに統一する予定です。
郷村。かわた群にある五つの村。その中のひとつ。
村について私が知っている事といえば(皆似たようなものだとは思うが)、他の四つの村が隣接しているのに対して、郷村だけは少しばかり離れている。それくらいだった。
というのも、子供だけであまり遠くまで行ってはいけない。と十二’十三の子供を持つ親としては当然の躾、それを律義に守り続けた故に私たちは一人として村に足を踏み入れるのはおろか、近くまで来たことさえなかったのである。
それでも、(勝手な想像だが)奇妙な術や式神を操る「陰陽師」が村人の大半であると子供たちは、なんとなく耳に挟んだことがあって、誰かが噂するのを聞いた人がまた噂して。それをまた・・
うわさがうわさを呼んで式神は術者の魂を食っているだの、村に近づくと子供は陰陽師にさらわれるだの尾ひれがついた。結果、
「郷村は、いやそこに住む村人は恐ろしい。危険だ」
・・と。
かくして、私たちの中に悪い印象ばかりが形成されたのであった。
一連の出来事と今の状況を聞かされてからはこれといって話すこともなく。美佳は埃も気にせずに腕を枕にして寝ころんで、私は部屋のの中央辺りにお尻の痛くない場所を見つけそこに胡坐をかいて座っていた。
しかし、明かりと云えるものが無いことに加え、なかの人間を決して逃さぬとばかりに四方を囲む灰色の壁と錆びた赤褐色の檻。まぎれもない、この空間は罪人を捉う牢獄であった。
程なくして宏司は陰陽師だろうと思われる男に、この獄舎へと連れられてきた。
鉄格子の前に立って宏司の首根っこを掴んだまま、男はごそごそと手元でやっている。二十秒ほどだろうか、檻の一部がぎいと内側に開いた。長いこと使われていなかったのか、爪で引っ掻いたような音がして顔をしかめた。
やがてそれは完全に開ききった。それでも横幅は一メートルくらいで高さは男の背丈の半分もない。中の広さと同じくして入り口も小さなものだった。
男に顎で指めされて、宏司はおそるおそるといったふうに上半身を折り、頭部を下げてゆく。
ゆっくりと慎重に、四角に開いた口を体の半分くらいはくぐっただろうか。「うわっ」彼は声と共につんのめった。
ほんの一瞬、世界が遅くなる。宏司は驚きの表情を顔に張り付かせたまま両手を横に大きく広げ、抱きとめてくれと言わんばかりに私に向かって倒れこんでくる。
覆いかぶさるように彼の影が私に・・
それで・・
当然よけた。
右に傾くようにした私の横を宏司が通り過ぎていく。
あてが外れた彼は緩衝材も何もなく顔面から床に突っ込んで、「ぐう」と動かなくなってしまった。横目で伺って、ちょっとかわいそうかとも思ったが、宏司ならまあ、と。
男は宏司がこけるのを冷たい目で見ていたが、
「ふん」
鼻を鳴らすと開けた時と同じ嫌な音を響かせながら入り口を閉めまた、がちゃがちゃ・・がちゃん。
最後に一度、重く鉄格子に蹴りを入れると、荒い足音を鳴らして暗闇の奥へと消えていった。
「・・・」
はた、と思い立って格子に飛びつきしゃがむ。棒の間に顔をねじ込むようにして男の行ったほうに視線を凝らしてみたが、ある程度暗闇に目が慣れてきた今でもやはり、見えるのは辺りを塗りつぶす黒色だけであった。
もとより、それほど期待もしていなかったので落胆することもなく、なんとなく口の端で虚空に笑いかける。
「っほ」
膝に手をついて立ち上がると、またしゃがんで、何回かの屈伸運動。やっぱり足の痛みはよくなっていた。ちくりともしない。
軽くすきっぷするみたいに調子よく床を踏むと、じゃりじゃりと音がする。くつとコンクリートの間で砂が擦れているようだ。それだけ。でも私には踊り手を導く楽器のようで気分がよくなってきた。
しばらく一人その場で踊った。寝ころんだまま美佳が興味なさそうに私を眺めている。
浮かれているな、とそう思った。
首元を冷やす乾いた空気。三人を捉らう無機質な鉄の檻。この空間ごと消し去ってしまいそうな漆黒。
そして何よりも表には出てこない、私の内側に溜まった墨色、心の雫。
ふとした瞬間押しつぶされてしまいそうだけれど裏腹に、じっとしていられないくらい私の精神は昂っていた。
特に意味もなく、透明な蜘蛛の糸が垂れ下がった低い天井に掌をかざす。
・・残念なことに、ここは地下深くかそれとも何か建物の中なのか。昏い箱、外の景色を見ることはできないし、肌で感じることもできないけれど---
初めて訪れる場所、しかも三人、子供たちだけで。
今までは影を潜めていた、いや無意識のうちに自重していた子供ながらの冒険心が、もう我慢できないとばかりに顔を覗かせる。
ああ、外界への路をふさぐ細身の、赤褐色をした番人たちがいなければ。今はまだ、想像で描いた下書きでしかない、白黒の世界を彩ることができるのに。
どうにかならないものか---
横目で鉄の開き戸を見る。蝶番のついている方とは逆側、小さく穴の開いた掛け金にはいかにも頑丈そうな金色の南京錠がつけられていた。とても壊したり、外したりすることはできなさそうだった。
どうにかなりそうにもなくて、やきもきしていると、いつの間にか宏司が起き上がっていて一息ついていた。美佳の話を聞いて心配に思っていたが、怠そうに両足を放り出して後ろに手をつくその仕草は私の知っている、いつものふてぶてしい宏司と変わりなかった。
実を云うと彼に大事無いことは暗がりの中で微かに見えた表情ですぐにわかっていたし、今更確認するまでもなかったのだが。
突然気分が浮足立ってきたのも、とりあえずは皆無事であることがわかったからなのだろう。と、四十五度身体をひねって背中の筋を伸ばしはじめた彼をみて納得する。そうしているうち、私の視線に気が付いたようで「なんだよ。」目の動きだけでこちらの方を見た。
「べつに。なんともなさそうだなーって。怪我してるのかと思ってた」
「はあ、突然なに? ・・てかなんともなくはねえよ。ほら・・」
云ってぎこちなく上半身の服を脱いだ。私から見て左側、肩から右の脇にかけて何重にも肌色の包帯が巻かれていた。ズボンの端からも短く、同じ帯が腰まで伸びている。
「とりあえず右肩のこれは脱臼。骨折は奇跡的にないらしいけど、打撲が多かったみたいで氷でそこらじゅうを冷やされた」
小さく身体縮めて、さする。女の子みたいな動きだった。
「そのわりには元気そうだね」美佳が体を起こす。
「一通り手当はしてくれたからな。しっかし驚いたぜ。気が付いたら、肩の張った強面の人に担がれててよ。家・・診療所か?ああ、運ばれた部屋の壁に見たことないおふだが何枚も張ってあった」
「おふだが?」
「おう、墨で表面に書いてあって、ぺらぺらのアレ」宏司は空をつまんで手首を振った。おそらく筆を示しているのだろう。
「身体中が痛くって気にならなかったけどな、その時は。氷をビニールに入れたのを何個も、全身くまなくのせられてしばらく、やっと動けるくらい」
話しながらも絶え間なく両腕をさすり続づけている。よほどビニール越しの氷は冷たかったらしい。
ふふっ、とおかしそうに美佳が笑った。
そんなことよりも、気になることがひとつ。
「ま、何ともなくてよかったわ。それで・・」
と。宏司がわざとらしく両目を見開いて私の方を向いている。おまえ、俺のことを気にかけてくれていたのか。とでも言いたげに。
・・・本当にいつも通りで安心した。気に障るようで、少しうれしい。
出鼻をくじかれた形ではあるが、「んっ」、唾を飲み込んで仕切りなおす。
「ぁ---診療所ってのは・・うん---宏司は診療所で手当てを受けてから、ここにいるのよね?」
「そうだな」
「じゃあ村の様子とかこの場所は村のどの辺にあるのだとか、知ってるんじゃない? 私ずっと気絶していて。大体の粗は美佳から聞いたけど詳しくはわからないのよ」
期待を持ちつつ云うと宏司は、あれ?、美佳の方に目を向けた。私もつられて彼女をみやる。すると美佳は、ああ、そういえばと眉を動かして、
「ごめん。話すの忘れてた」
あんまり悪いとは思っていなさそうに、手刀を切って言った。
「え、さっきので全部じゃないの?美佳も私と一緒に来たのよね?」
反射的に疑問を投げかける。だって私は何も覚えていないもの。彼女は顎に手をあてると、視線を落として少し考えた。すぐに、
「---僕は君らと違って余裕があったから。殴られてもいなければ打撲したわけでもない、軽トラの荷台の上で寝ている二人を尻目に、一人だけ万全の状態だったんだよ? かといって揺られている間あいつらと、大人たちとにらめっこ、なんてのもあれだし。景色を見るくらいしかすることがなかったんだ。ずっと山道を走ってたから面白くもなかったけど。それでもまあ、村・・郷村に着くまでの道のり。村の人たちの感じ。それから・・」
「この場所のことも」宏司が横から口を挟んだ。
「---この場所ののこともおそらくはだけれども、予想がつくね。見た目からはっきりしていたし」美佳は云う。
はっきりしていた、とは。私にとっては、どうにも曖昧な説明だ。
正直、知ってたなら早く教えてほしい、と思わないでもなかったがべつに今更変わることもないので言わないでおく。
「もう、どっちでもいいから」
話してよ、目を伏せて多少の非難をこめて軽く口気を強めた。
二人は顔を見合わせると、幾度かお互いに視線で譲り合ってから、
「じゃあ俺が」どうやら宏司に決まったようだ。
「何から聞きたい?」
今日二度目の質問。それはもちろん、訊きたいことは・・
・・全部だ。二人の知っていることすべて。
ならば私の方から個々にあげつらう必要はないだろう。
「--全部。宏司と美佳の知ってること。私だけのけものだなんて嫌だわ。--教えて。私にも」
彼の語りに任せることにした。
「そう言われるとな。うん」
まさか一から十まで話すことになるとは思っていなかったようで、彼は戸惑った。が、助け舟を出そうとした美佳を待つことなく、よし、と口を切った。
「--まあ村の様子からでいいだろ。やっぱ目に付くのはさっきも話したおふだ、だな。そこら中に貼ってあった。理由は知らん。・・・山奥だからか、虫は多いけど・・当然か。でもわりに、ああ山奥のって意味だけど、牛舎,豚舎・・鶏もいたか。風磨村みたいな、畜産をやってるみたいだ。---知ってるか? 家畜じゃなくて家禽、って云うらしいぜ、鶏を飼う場合。教えてもらったんだ、一緒に来てたろ? ほら、俺を蹴飛ばしたやつ。親切に教えてくれた辺り悪いやつじゃあないのかもな」
ここまで云って彼は一呼吸、置いた。
かわた群では(ここでは郷村を含まない)風磨村が主として牛や豚の畜産、稲作、その他多岐にわたる農業を行い、群全体の食料供給を担っていた。食べるものに困らないとの点では、ほぼ自給自足体制が確立していると云えた。が、どうしても手に入らないもの、例えば医療品などだが、そういうものは定期的に外から調達する必要があるのでやはり完全な自給自足とはいかなかった。
して、郷村はどうなのかというと、これは今の今まで。郷村の話をすると大人たちはいい顔をせず、別段興味が湧かないのも相まって少なくとも私には、ぼんやりとしたイメエジさえ浮かばなかった。
いやしかし、村で牛や豚を育てているなら、たぶん野菜や米も作っているのだろうとそれくらいは宏司の話から推察することができた。
「じゃあ風磨村と似たような感じなのね」
「---それはちょっと違うな。風磨村はぽつぽつ畑や牛舎の近くとかに、家が建ってたはず・・」
「そうだったね」これは美佳だ。
「でも牛舎や田んぼの近くに小さな小屋がある以外、およそ人の住んでるような家が見当たらないんだよ。さっき診療所って言ったけど実際、あれは公民館かな? その一室だったんだ。簡素なもんだった。一つしかないベッドに家庭用の救急箱。あれじゃ保健室だな」
「待ってよ。それじゃあ村の人たちはどこに住んでいるの? 家がなければどうにもならないじゃない」
「わかんねえよ。俺はさっきのともうひとり男、それに手当してくれた女の人の三人。他に会った人はいない。・・うん、三人だけだ。」
宏司は自分に問いかけ、確認するようにして反復する。もう一人の男というのは河原にいた・・なるほど。美佳の方を横目で見やるが特に反応はない。彼女も宏司と同じなのだろう。
「--わかった、この話はいいわ。続きをお願い」
「おう。保健室みたいな場所で一晩過ごしてから、またさっきの・・もう奴でいいよな。奴が朝飯を持って迎えに来たんだ。それを食べたらついてこい、って」
飯は美味くはなかったな、もう御免だとばかりに宏司は胃の辺りをさすった。反対に私のお腹はぐう、と不満の音を鳴らす。そういえば昨日から飲まず食わずだ。お腹が減ったし何よりのどが渇いた。
一旦、意識してしまうと口の中が喉の奥まで干上がったみたいに苦しい。なけなしの唾を絞り出して、溜めて飲み込むと少しましになった。
「連れられるがままに、また民家のみえない路をゆっくり歩いて十分くらい。村はずれに木立があるんだ。といってもすぐ奥には森が広がってるから、木立よりかは森の入り口、って言った方がいいのかもな。木々の一部が通れるようになっているとか、そんなこともなくて、奴が乾いた枝を手で折りながら開いた路を二人で進んだんだ。・・枝漕ぎをしながら、しばらくすると人の手で切り開かれたであろう、空から明るく太陽が差し込むくらいには広い空き地にでて、そこには・・」
「そこには?」
「・・・」
私が訊くと、宏司は考え込んでしまった。
「ねえ、」
「・・・」
眉間に皺を寄せたまま彼は動かない。あれほど饒舌に喋っていたのにどうしたのだろう。
「ね・・」「あれは、」
もう一度催促しようとした私を横から美佳が遮った。
「あれは檻だよ。・・いやこれは、かな。罪人を閉じ込め、昏い闇の中幽閉するための。犯した罪を懺悔させる、ある意味では宗教的な」
彼女の視線は私ではなくて、取り巻く、朧朧たる虚空の一端にあった。目じりがとろりと垂れ下がっていて、赤い唇が分かれ半開きになっている口。憧れ、恍惚、礼賛、いかようにも取ることできるその表情は美しいようでしかし、魂を抜きとられてしまっているのではと訝しむ心は蝕んで怖くもあった。
呆けているようにも見える美佳に代わって、また宏司が話し始める。
「そうだな、美佳の云う通り”檻”があったんだ。それ以外何もない場所の中心に。地面から生えてきたみたいなまさに苔色をした。這いつくばった苔で覆われた岩をくりぬいて鉄の棒をはめ込んだ、自然と人工の折衷案。・・て感じかな」
片言に云う。先程、見た目はっきりしている、と述べた美佳とは違い彼の目にはそうは映らなかったようだ。
一転して、要領をえない彼らに私はひとり、困惑するしかなかった。なんとなく想像はしてみるものの、かたちが定まらず波立ってうねる。縁取る黒い線が延びては縮んで、縮むかと思えばぐにゃり、捻じれて。絶え間ないうねりは二人の云う”檻”をこの目で確かめてみないことには収まりそうになかった。
「ふん・・じゃあ私たちは捕まえられてるのね。その、”檻”のなかに。逃げられないように」
「そうなるな」心なしか表情を陰らせ宏司は頷いた。
--後悔。なにか後ろめたいことがあるのではないかとそう思った。
というのも身元もわからぬ子供に暴行を加えたうえ連れ去って暗闇の中、閉じ込める。・・・檻と分かった以上監禁か。なんの理由もなしにそんなことはしないだろう。
だが私に思い当たる節はない。すれば、目の前の二人のどちらかに、若しくは両方に心当たりがあるのか、あるいは。
そう考えるのはごく自然な流れだった。
私の訝しむ心の内を見抜いたのか宏司は鼻を膨らませ少しばかり声を上ずらせる。
「なんだよ。言っとくが俺は何もしてないぞ」
「まだ何も言ってないわよ」
「ふん。おおかた、また俺がやらかしただのなんだのって責めるつもりだったんだろ。---何年一緒にいると思ってんだ。大体ならわかるんだからな、お前の考えてることくらい」
言葉とは裏腹にその表情は、してやったり、ときめていた。
なお、図星だった私は黙り込むしかない。自然と口角が上がる。
「でもその様子じゃ麻姫に心当たりはなさそうだな。俺は麻姫か美佳のどっちかが、こうなるまでの原因を作ったと思ってたんだけど違うのか?」
「そう、私も同じこと思ってた。宏司か美佳じゃないかって」食いつくみたいにして云う。
「でも宏司は違うのよね。じゃあ・・」
おのずと視線は残された一人に集まった。が、
「僕でもないね」美佳は興味なさそうに手の爪を弄っている。
彼女でもないとするとそれは・・はたして。私と宏司は困ってしまった。
見かねたわけではないだろうが手元はそのままに、睨むよう宏司を見据えて彼女は云う。
「宏司。君は心当たりがあるだろう」
「俺が?」糾弾するみたいな彼女の口ぶりに虚を突かれて彼は大きく目を開いた。
宏司が、しらを切っているようには見えない。でも結局は彼自身のことで私には--
・・宏司が火をつけたんだよ・・に・・
いきなりの・・僕も・・・
--わからないって言ったけど生きてたのかもね---
「・・わかった。さっきの話ね。式神に火をつけたっていう」
「そう」硬い美佳の表情は変わらない。
「麻姫には云ったよね。式神が--生きていたらって」
「うん?」もちろん覚えてはいるが。
「今関係あるの? それ」
私は訊く。いつの間にか宏司は両腕を組んで何か考えるように、下を向いていた。「じゃあ、」美佳はゆっくりとまばたきをひとつ。
「もう一度云うよ--生きていたら、だ」
一音毎かみしめながら。強く発せられた彼女の言葉は狭い部屋の中、昏く淀んでいる空気を震わせた。
こめかみを指でつまむように抑え、前の記憶をたどる。
「生きていたら」その、聞いた記憶はあっても前後の会話まで思い出すことは・・できそうにもなかった。たしか宏司が魔法で火をつけたとか・・んん、美佳が斜面を転がり落ちた話だった気もしてきた。いや昨日の夕方、河原で・・
・・うん。やっぱり覚えてないや。
「--ごめん、わかんない。いろんなことがありすぎて、いったいどれだか。宏司が火をつけたこと? それとも美佳が」
「どうでもいいよそんなこと。」
にべもない。彼女の声からは確かな苛立ちが感じ取れ、私は言葉につまった。
嫌な沈黙がながれた。宏司は下を向いたまま口を開く気配はない。張り詰め息苦しい空気の中、私は何を言えばいいのかわからなかった。
だんだんと、怒ったような彼女の態度にこちらまで。私が眉を顰めようとしたのと同時、「僕が--」美佳が口を切った。
「僕が云った--あいつは生きていたら、っていうのはね僕は。式神は陰陽師の操り人形なんかじゃあなくって、それ自身がおのれの魂を持つ一個体であって、つまりは人間と同じなんじゃないか--と。そう思うんだ」
「人間と同じ? いや式神は陰陽師の術で・・」
--はて。
式神は陰陽師の術によって創られる-召喚される--呼び出される--
・・・
知らない。噂を耳に挟んだくらいで式神、ひいては陰陽師のことも。実際のところは。・・となるとこれはもう、言う事すべて想像の域を出ないのではないか。いや、でも・・。
考えれば考えるほどに頭の中がぐちゃぐちゃに、脳をかき回されてひとつにまとまらない。
「--続きを」私は熱いため息をついた。
「ああ。もし僕の考えが正しいのなら、僕たちは監禁されるにたる、十分な理由がある。それは」
「俺が火をつけたらしいな。そのことだろ」宏司が顔をあげて、美佳をねめつける。
「--そう。生きているのかどうか、いやこれはそのせいで死んでしまったのかどうなのかって云った方がいいね。だけれどもあの時、僕には判断がつかなかった。もちろん、噂のとうり式神は陰陽師の術で、炎に包まれたくらいでは何ともないのかもしれない」
言葉を切る彼女の目の奥が妖しく光った。
「でも、もしもだよ。もしも正しいのは僕の考えで、なおかつ、あのまま式神が死んでしまっていたら?陰陽師にとって式神も人間も変わらない。そんな認識だったら? --もっといってしまえば、僕たちが知らないだけで、実は式神は人間なのかもしれない」
「ちょっと--」まって。と言おうとしたが美佳はとまらない。
「全身から黒煙をあげて河原に倒れ伏す式神。近くには僕と宏司しかいない。・・・どうだろう? その光景を見た陰陽師たちはこう思うんじゃないかな。ああ、二人のどちらかに殺されたんだ、と」
「まさか」さすがにそれは
「あり得ない話だと思う? でも現に僕たちはここに監禁されている。まるで罪を犯したみたいにね」
地の底からせりあがってくるような暗澹たる彼女の声。それは部屋の彼方此方で反響して視界を染める漆黒の闇がいっそう深くなった気がした。
「考えすぎだろ。それにさっきから、”もしも”って前置きしておきながら自分はまるで確信してるような口ぶりじゃねえか。美佳の想像・・妄想のしすぎだ」
ねめつける宏司の目は細く狭められ、組んだままの右腕を左の指でせわしなく叩いている。
「そうかもね」
口許に笑みを浮かべ、美佳は肩をすくめた。
罪を犯したみたいにね・・未だその言葉私はの中で反響することを止めず、変容した鈍く色の無い棘が幾度となく、乱れた心に突き刺さった。
式神は私たちと同じ人間なのかもしれない。にわかには信じ難い意見ではあったがしかし、彼女に彼女でない他の何が乗り移ってしまったような、悪夢の中知らぬ間に憑かれてしまったモノに覚めてもなお、惑わされているような。計り知れぬ底なしの狂気に憑りつかれた彼女の言葉を無みすることはできず、かといって、そうですか、と受け入れてしまえばそれは自身の心を侵食させ、己を狂わせることに他ならなかった。
「・・・」
ついさっきまで軽い冒険気分でいたというのに。彼女の冷静なのかそれとも狂ってしまっているのか。いずれにしても決して良いとは言えない現在を再認識した今、私は押し黙る事しかできずに瞑目するしかなかった。そうしている間にも心に刺さった棘はじわじわと、少しずつ溶け出してその精神を色の無い傀儡へと染めようとしていた。
意識しないように努めるもやはり、完全にとはいかず。
ぱんっ、乾いた音が鼓膜を揺らした。
「やめようぜ一旦。なにも俺たちにとって悪い話することもないだろ」
「ぁっ」
「そうだね。僕から始めておいてなんだけど、もうやめにしようか」
両手を合わせた格好のまま宏司が云って、すっかりいつの間にか変わらない美佳も続いた。彼女らの切り替えの早さに、拍子抜けというか肩透かしというか。
「どっちでもいいから気分が明るくなるようなこと、話してよ。誰かのせいで、鬱になりそう」
「おまえ、それ結構なむちゃぶりじゃないか・・?」
「突然言われてもね」
「じゃあ宏司でいいわ。決定」
「なんで俺が!?」
なんてことない短いやり取りであったが、張り詰めた場を和ますには十分で意識しないうちに張っていた肩の力が抜けた。
「そうだな・・」ネタを決めかねているらしい宏司を横目にちらり、美佳の方を窺うとやはりもう憑いたモノは離れたようで安堵する。
そのうち、ネタは固まったようで、「こほん」、咳ばらいをひとつ、宏司は身振り手振りを添えながら話し始めた。
「これは俺が、後心学校の時の話なんだが、ク「よろしいですか」ラスの中に--」
突如割り込んできた、私たち三人の誰でもないとわかる声。まさに肩透かしをくらったように、彼は前につんのめり、私も座ったまま跳ねてしまうほど驚いた。声のしたほうを見やる。とはいっても暗くてよくわからない。
「--こちらです。よろしいですか」
再度投じられた声。目頭に力を込めて眉を寄せると
ぱっ
何かが光っ・・
「「まぶしっ」」思わず声が出た。
「す、すみません」
上ずった言葉の後、すぐに光は消えた。でも瞼の裏には瞬間、オレンジ色が紙に垂らした水彩絵具みたいに滲んで、視界が橙に染まった。
「いったいなんだよ・・」宏司がぼやいた。私も同じ気持ちだった。
未だ姿の見えない何者かは
「ん、んん」
咳払い?をひとつ。
きっ、と鋭く私たちを見据える・・気配を感じた。そして
「稗田美佳様、國枝麻姫様、大門宏司様。---の三名でよろしいですね。私は---。あなた方の世話役みたいなものです。これ以後は私の指示に従っていただきます」
と---
どこか無理をしているような芝居がかった声で、後方にはやはり式神を立たせながら云うのだった。