表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
死者への供物  作者: エリアたんは俺の嫁
1/4

人形の影1

目を覚ました私の耳を、ぱちぱち。薪の弾ける音が刺激する。円を描くように大量の式符、中心には一人の女。篝火の照り返しが辺り一面を明るく照らしている。熱い。顔が焼けているようだ。

「さがっていなさい」

 それは私に向けて言っているのだろうか。大人の一人が警告とおぼしき言葉を発し、一拍置いて張り巡らされた呪符がが光を放つ。いや光の原因は呪符ではない。中心の女、その周りが発光している。蛍のように。

 ここは何処だろう。だって私はさっきまで・・

 いやそれよりも

「何が起こっているの?」

 隣の大人に問い掛ける。

「安心しなさい、直ぐにすべて終わる」

 男は私の方を向き笑いかける。違う。私は今の状況を知りたいのに。

 周りを見渡すと私達以外にも人がいる。皆同じ方向を見ている。何かに取憑かれているような異様な空気を感じた。恐らく話しかけても無駄だろう。

 一段と大きく炎が揺れ、火花を散らす。いつの間にか風が吹いている。

 突然辺りが白く染まった。強さを増した光が私たちを包むように広がっていく。これでは視界なんて無いに等しい。思わず膝をつき座り込んでしまう。冷たい地面と頬を撫でる風が私の心を蝕む。

 ・・怖い。夢ならば早く醒めてくれないものか。

 風で舞った式符が体に纏わり付いた。熱で萎れている。私も暑さで意識が飛んでしまいそうだ。

 光の奥から声が聞こえる。女の声だ。声のする方、目をこらしてみても、見えるのは白い光の線だけ---限界だ。熱さで目を開けていられない。

 全身が燃えるように、私を焚き付けるよう風が体をなめる。瞼が蠟みたいに垂れてくる。皮膚が溶けているようだが---すでに痛覚は無くなり何も感じない。

 一際強い発光。爛れた瞼の隙間から見えたのは光を放つ人型と--------。

 

 そして私は意識を失った。

:

:

:

:

:

 「きれい・・・」

私の側を浮かび鮮やかに色を変える光。知らぬうちに開いた口から言葉が漏れた。黄色から赤へ、赤から青へ。蛍のようにゆっくりと移動する()()に幼い私は夢中になっていた。好奇心を抑えられず、どうにかして触れようと光の一つに手を伸ばす。それは()()、と指の先を掠めたが動きを止めることはなかった。

 「まだ麻姫には触れないよ」

 男は両手で包むように光を掴んでみせ、苦笑いで言った。()()は彼の手の中で行き場を失ったように揺れ動くと、やがて消えてしまった。同じ事が出来ないのに不満を抱いた私が頬を膨らませて拗ねると、彼は困ったように隣に立つ女を見た。

 「あまりお父さんを困らせないで。私も怒りたくはないわ」

 母は微笑んでいたが、いつ般若のように変容するか。この人は怒ると父よりも怖いのだ。私の顔色はすぐに変わった。

 彼女の機嫌が変わらないうちに姿勢を正す。 

「麻姫に恩恵が訪れるかどうかは、お父さんにもまだ分からない。現実に世の中の半分以上の人は魔法を使うことができないんだ」

 「どうして? どうして皆が魔法を使うことが出来ないの?」

 「恩恵が訪れれば麻姫にも使えるよ。訪れるかどうかは誰にもわからないけどね」

 答えになっていない。私はやきもきした。

 「麻姫が信じていればきっと来るわ。お母さんは信じてる」

 そう言って母は私を抱きしめた。私を包む腕は羽のように柔らかく、どうしてか私を安心させる。父はそんな私たちを見て微笑んだ。

 「君は高等学校で魔法学を専攻していただろう? 発源の仕組みについても学ばなかったのかい?」顔に笑みを残したまま父は言う。

 「学校で習うのは歴史や魔法の使い方だけよ。第一、魔法の発源や起源については知ろうとすること自体が禁忌だわ。それに香奈子様にわからないことが私達にわかるわけないでしょう?」

 「それもそうだね」

 「でも不思議。陰陽道の起源については広く知られているのに魔法は別だなんておかしいと思わない? 魔法は陰陽道の何百年も前から存在しているのに」

 「僕も考えたことはあるよ。僕や君だけじゃない、口には出さないだけで皆違和感を感じたことがあるだろうね」

父と母が何を話しているのか私にはわからなかった。

 「ねえ、二人で何を話しているの? 私にも解るように話して」

 身を乗り出して聞く私を父は優しく押さえるように撫でた。

 「この話はこれでお終いにしよう。母さんもさっき言ってただろう?内緒の話なんだ。誰が聞いているかもわからない」

 父の言葉は優しかったが、内には強い意志が感じられた。ここで駄駄をこねて母を怒らせるのは得策ではないだろう。私は落胆した。またしても私の疑問は解消されないようだ。

 「そろそろ始まるわ、あなた」

 顔を上げると辺り一面に光が浮かんでいた。いつの間にか私たちの周りの光も増えている。

 母の声に応じ、父が腕を上げる。途端、糸に引かれたように光が空へと上っていった。

 「麻姫も目を閉じて」

 母は片目だけを開けて言った。父は既に目を閉じている。

 「いいかい、僕がいいと言うまで目を開けてはならないよ」

 私も急いで父の言う通りにする。

 突然に張り詰めた空気のせいか体が強ばり、上手く閉じることが出来なかった。

 

 どのくらい経っただろうか、いつまでも掛からない合図に待ちきれなくなった私は薄く瞼を開いた。少し前まで地表近くを浮かんでいた光は跡形もなく消え去っている。

 視線をあげて思わず息をのんだ。頭上を覆う光の塊は河のように太い線を空に写し、まるで虹のように絶え間なく変化していた色は輝く黄色に統一されていた。光の河は、大きな星のように形を変え私が今まで見た何よりも神秘的でありながら、どこか私を懐かしくさせる。もう目を閉じることなど、とうに忘れていた。

 足の裏がむず痒く、次に肋骨の辺りに寒さを感じた。そして首から耳へ。体を下から上に痺れるように走る感覚。

 そして空を彩る光の一つとなった私はあの河へと吸い込まれていく。

 そのまま身を任せていると、その私を傍から見ているもう一人の自分。

 少し進んで、あちらへふらふら・・。

 また少し進んで、こちらへふらふら。

 突如押し寄せる既視感。

 何だったか・・

 ・・・

 ・・・

 ・・・思い出した。

 いつか皆で川に浮かべた笹舟。決して真っ直ぐではない。時折船体を回転させながら、水の上を滑る。頼りなく失速したかと思えば再び加速する。たった一艘だけでも跳び回って船の跡を追いかけたものだ。皆一緒に。

 

 最期はあえなく解けて、暗い川の底へと沈んでしまったが。



 「昨日の空見た? すごかったよね!」

 「そうか? 俺はそれ程でもなかったな。」宏司がすかして言う。

 私達は夕暮れの川沿いを歩きながら話していた。天曹地府祭と呼ばれる昨日の夜の出来事で、私や仲間も頭がいっぱいだった。

 「嘘つき。あれを見て驚かないわけないでしょ」

 「そうよ、私なんて腰が抜けちゃった」隣を歩いていた佑季(ゆき)も言う。

 「あんなので驚いてたらやってられないぜ。美佳だってそう思うだろ?」

 「なんで美佳(みか)に聞くのよ。あんたはどうだったの」

 「だからなんともなかった、て言ってるじゃんか」

 宏司(ひろし)は美佳に催促するよう前を向いた。

 彼の数歩前を歩く少女は両足でステップを踏むように歩いている。長い髪が踊るように揺れてそれに指揮されているように、細い手足が一定のリズムで動いている。その後ろ姿はどこか楽しげだった。

 「僕も驚いたよ。あれほど多くの光を見たのは初めてだったからね。君も本当は・・・」

 そこまで言うとくすりと笑った。賢い彼女の言葉なら宏司も納得するだろう。

 「ほらね、美佳も私達と同じ考えみたい。あんたも認めたら?」

 「な、なんだよ・・嘘じゃないって・・・」

 力の無い彼の言葉に皆笑った。

 「結局皆も昨日の()()見ていたんだね。麻姫(まき)(すぐる)は見ていないと思っていたよ」

 「ぼ、ぼくは見てないよ」

 「そうだぞ、おまえらは見ないって言ってたじゃんか」

 「うるさいわね。そんなのどうだっていいでしょ」動揺を隠すように強く返す。

 昨日の下校途中の会話、夜が待ち遠しくてしかたがない、俺はなんと言われてもこの目で祭りを見たいんだ。と我慢できず騒ぐ宏司に、大人の言うことを聞け、と。

 今の今まで忘れていた。

 「もう喧嘩しないで。宏司は少し落ち着きなさいよ」

 「おれのせいかよ!」

 「そんなこと言ってないわ。でも二人はいつもそうじゃない、言い合ってばっかし」

 私だって好きで喧嘩しているわけでは無い。そんなふうに言われるのは心外だった。

 「それよりも昨日の夜の話を聞かせてよ。ぼくは本当にみてないんだよ」

 俊はこの中で一人、大人の言いつけを守ったようだ。

 「実際の所、俺の家からじゃあんまり見えなかったんだよな。他はどうだった?」

 「私も他の家に隠れてたから・・・開けた場所じゃないと全部は見えなかったんじゃないかしら」

 「たしか麻姫と美佳の家は高台にあったよね。周りには何も無いんじゃない?」

 俊の声を聞いた美佳が立ち止まって振り向いた。はためくスカートを片手で抑えるようにして

 「座ろうか」

そう言うと彼女は川辺の石に腰を下ろした。彼女に続いて座ろうと、下ろした尻の辺りが冷たい。急いで立ち上がってスカートの後ろを確認するが、服にはくっきりと染みの痕ができていた。小さくため息をついて腰を下ろす。で、どうだったんだよ、宏司が急かした。

 「私はよく見えたわ。家の周りに何もないし。まずね、光の粒が浮かんで空で集まったの。細い光の線がどんどん太くなっていって、そうね・・この吉野川くらい」

 「吉野川くらい?おいおい、軽く百メートルはあるぜ。見間違いじゃないのかよ」

 「私も信じられないわ。そんなに大きくは見えなかったけど」

 宏司は鼻で笑い、佑季は目を大きくする。そんな、吉野川と言ったのはただの例えのつもりだったのだが。 しかし二人同時に否定されると自分の記憶が怪しいように思えてくる。昨日は興奮して終始浮ついていた事も相俟(あいま)って正確に思い出すことができない。()()はそんなに大きく、広がっていただろうか。

 「麻姫の見間違いじゃないよ。僕もそう見えたから」

 よく通る声に思考を断ち切られる。横を見ると彼女は反対の川岸をぼんやり眺めていた。美佳が言うならそうだな、宏司は納得したように頷く。ついさっきまで噛み付いてきたくせに。

 もっと詳しく教えてよ、そう俊が聞くと彼女は幾度か瞬きしてこちらを向いた。

 「詳しくと言われてもね・・・人に説明するのは苦手なんだ」

 「なんだよ。もったいぶるなよな」

 よくそんなにころころと表情を変えられる。口をとがらせた宏司の声を遮るように佑季が「ねえ」と、

 「もしかして香奈子様に口止めされてるの?」彼女らしく気を回す。

 「まあそんなとこかな」

 美佳は少し疲れたように笑った。

 村の村長をしている香奈子の孫の美佳は私達が知らないことをよく知っていた。でもその中には簡単に話せないこともあるようで今のように言葉を濁すことも多くあった。

 「佑季の言っているとおり僕からは話せることは無いんだ。代わりに麻姫、君が話してくれないかな」

 皆の注目が私に集まる。私はできるだけ頭を整理しながら小さく息を吸い込んだ。

 「光が川みたいになったのは・・さっき話したよね。それが五本の線に分かれたかと思うと大きな星の形になったの。そう、中心は五角形になっていてぼんやり輝いていたわ。もう夢中になっちゃた。あんなの今まで見たことないもの。だんだん自分の体が浮いているような気がしてきて、最後は体が飛んでいるみたい、ううん、上手く言えないわ。とにかくすごかった!!」

 脳裏に昨日の情景が浮かびかける。

 「それからのことはあんまり覚えてないなあ。お父さんに小突かれて気が付いたら辺りは真っ暗。結局目を開けてたこともばれちゃって・・・やっぱしあんまり思い出したくない」

 「ああ・・・」

 宏司が何かを察したように顔をしかめた。初心学校の頃からよく家に遊びに来ていた彼は私の母の怖さをよく知っていた。揃って怒られたことは数え切れない。毎回、母から逃げるときは二人で力を合わせたものだ。付き合いの長さとそういうこともあって、宏司のことは他の仲間の一倍、信頼している。もっとも佑季に指摘されたとおり、普段は喧嘩ばかりしているが。

 「ちょっと待ってくれ。麻姫は五芒星を見たのかい?」美佳が声を上ずらせながら言った。

 いつも冷静な彼女が動揺するのは珍しいことだったので驚いた。私は何か、彼女を驚かせるようなことを言っただろうか。そもそもあの星が五芒星と呼ばれていることでさえ私は知らず、押し黙るしか無い。

 彼女は自分を(たしな)めるように小さく舌打ちすると まあいいか、と自分から話し始めた。

 「麻姫が見た大きな星は五芒星と呼ばれているんだ。昔から魔除けの為に使われてきた印で、お守りに刻んだりするのが一般的だけど、何かの象徴として描かれることも多い。例えば宗教や政治団体のね。五つの点を線で結ぶだけで効果があるから、細かい知識は要らない。そうだね・・ちょっとした()()()なんかにはもってこいなんだ。これは勝手な推測だけど、昨夜の星は祭りに魔除けの意味合いを込めたかったんじゃないのかな。魔法の使える大人なら自分の好きなように四大元素(エレメント)を操つることができるだろう?」

 だろう、と言われてもとっさに返すことが出来なかった。私は自分が知らない情報の連続に頭を整理する時間が必要で、それは他の三人も同じようだった。---もっとも美佳は私達の疑問に即座に答えることができたし、それは彼女の知識には私達が束になっても敵わないことの表れだった。

 「美佳が言うんだったらそうなのかもしれないけどよ、四大元素(エレメント)から光を作り出すだけならまだしも操るとなると話は別だろ。火の属性だけじゃできないよな」

 「最低でも火と風はいるでしょうね。風が無かったら動かないわ」

 「んーそうか・・・。ちょっとやってみる」

 宏司の前にぼんやりと光の球が現れた。私達の中で宏司、佑季、そして美佳は魔法を使うことができ、宏司と佑季は火・風の二属性、美佳は火・風・土の三属性を操った。魔法を使うことができる者は魔法士と呼ばれ、操れる属性が多いと重要な役職に就く事が多くそれぞれの属性、火は熱と力,風は動き、土は創造、水は命を司ると言われていた。

 「そのまま動かしてみて」

 佑季が言うと宏司は眉間に皺を寄せて集中したが光球が動くことはなかった。佑季は彼に指示を出しているが、魔法が使えない私に出来ることはなく見ているしかない。三十秒程すると光球は消えてなくなった。

 宏司はため息をついている。どうやら諦めたらしい。

 「やってみたけど俺じゃ無理だな。球に元素(エレメンツ)をあてると霧散するんだよ」

 「動かすイメージが作れてないんじゃないの? こう周りの空気を掴む感じじゃないかしら」

 「じゃあおまえがやってみろよ」

 佑季は体の前で手を動かしながら同じように魔法を行使していたが、光の球が動くことはなかった。魔法のことになると話に参加できず私は寂しかった。さっきから話していない俊も同じだろう。彼の方を伺うと私の気持ちを知ってか知らずか口を開いた。

 「二属性使う必要はないんじゃないかな。ぼくのお父さんは火属性しか操れないけど、昨日の夜は僕の隣で魔法を使ってたみたい。動かすのに風属性がいるなら空まで光を飛ばせないよ」

 ぼくはみてないからわからないけど。口に手を当てて言う。

 最後に予防線を張るのがいかにも俊らしい。魔法の話なんてつまらないのに。

「ああそれはね・・・」

 佑季は力が抜けたように手を()()()と垂らした。しばらくすると佑季の前に止まっていた光は私達の前をふらふらと漂い始めた。

 「意識して場所を固定してないと勝手にどっか行っちゃうんだよな。だから火属性だけでも動くことは動く」

 「思い通りにはならないけどね。自由に動かしたかったら風の属性が必要ってわけ」

 佑季がため息交じりに言った。再度美佳の方を伺ったが私とは反対側を向いている。彼女は普段から私達の前で魔法を使おうとしなかったので、この場で確かめることはもう出来なかった。目を離した隙に側を漂っていた光の球はいつの間にか消えていた。

 「でも二つ以上|の四大元素(エレメント)を操れる人なんて殆どいないような気がするけど」

 「それもそうね・・」

 まだ彼等の話は続きそうだったが、自分の参加できない話に私はそろそろ退屈の限界だった。

 「ねえ、もうこの話はやめない。さっきからつまらないわ」

 「ん、そうだな」

 宏司が言うと皆黙った。魔法士とそうでないもので差別が起きたりすることはなかったが、持つ者と持たざる者の間に溝が生じることは言うまでもない。このことは皆、暗黙の了解だった。

 「みんな、見てみなよ」

 美佳が向こう岸を指さして言った。彼女の指の先、川向こうでは黒い人影が網を引いている。川の中で()()()()と作業するそれは網の回収を終えると岸へと上がった。

 「あれ・・・式神だよな」

 宏司は半信半疑といった風だった。陰陽師が式神と呼ばれる人型を使うことは誰もが知っていたが、私達の中に見たことがある者はいないだろう。少なくとも私は見たことがない。

 「魚でもとっているのかしら。式神を見るのって私初めて」

 「ぼくもだよ。初心学校の頃から聞いたことはあったけど、後心学校でも詳しくは教えてもらえなかったんだ。なんだかそわそわしちゃうな」

「こんな身近な場所で見れるとは思ってなかったから私はちょっと嬉しい。知ってる? 式神には意思があって、術者が命令しなくても自由に動くんだって」

 初めて見るものに興味が湧くのは一緒だ。私も何か言おうと思ったが、その前に

 「でもあれだろ、あいつら陰陽師の寿命を食って動いてるんだぜ。ぞっとするね」

 馬鹿にしているのか。それとも虚勢を張っているのか。いずれにしてもその一言で開けた口を閉じてしまう。 今まで気にも止めなかった風の音と見えない糸に舌を縛られてしまったような、嫌な時間が私達の周りを流れた。

 式神が陰陽師の命を動力源としていることは、私達村人の間で有名な噂だった。後心学校を卒業したばかりの私達に真偽はわからなかった。しかし陰陽師を嫌っている者は多くいて、それは自分達の考えが正しいことを示しているのだろう。

 「そのことも教えてもらえるじゃないか。僕らは明日から初等学校なんだ、そう考えると心が弾まない?」

 美佳が立ち上がる。彼女の声は言葉通り跳ねるようで、明日からの日々への期待を帯びていた。彼女の言葉は空気を支配する。皆一様に笑い合った。

 「今日はもう帰ろうぜ」

 宏司も美佳に続いて立ち上がり走り出した。私達もそれに続く。

 明日から何を学べるのだろう。どんな未来が待つのだろう。足取りは軽く、沈みかけた太陽が私達の跡を暗く覆う。川の人型はいつの間にか消えていた。




幾重にも蛇のように連なる山々。その中を流れる数多の河川の一つ、吉野川の中流域に(しゅく)村は位置していた。広く見れば[かわた]と呼ばれる集落群の一つ。村自体はそれ程大きくもなく学校や議場に通う者は他の村へと出向く必要があったが夙村全体での自給自足体制が確立しており、けして贅沢ではないといえ、生活に困ることはなかった。しかし深刻な高齢化により自給自足の基盤となっている魔法を使える村人が年々少なくなっていた。それ故、魔法を使える者は子供でも駆り出されることが増えていた。

 

「結局同じメンバーになっちゃたね」

 机に腰掛けながら私は言った。

 「麻姫、嬉しそう」

 「出来れば他の奴らとも組んでみたかったけどな」

 そう言いながらも彼の顔はほころんでいる。まだ慣れない教室の片隅に私達はかたまっていた。

 「でも俊と美佳が同じ班でよかったわ。美佳は大丈夫でしょうけど、俊だけ一人にするのは不安」

 後心学校での入学式を終えた私達は教室で班決めを行っているところだ。班決めといっても村ごとに分かれるだけだったので、特に支障もなく進んでいた。仲のいい二人と一緒で私に不満はない。皆がバラバラになっていた時の事を思うと背中が冷えた。

 「みなさん班に分かれることは出来ましたか。まだのところは早く。終わり次第着席してください」

 教壇に立つ()()()()()の男が軽く手を鳴らして言った。音に多少驚きはしたが男の声に厳しさは感じられない。

 教室内に立っている者がいなくなると、終わりましたか、男は話し始めた。

 「まずは入学おめでとうございます。私は担任の蔵野。授業は魔法史を受け持ちますが、授業以外でも皆さんと関わることは多いでしょう。気になることがあれば何でも聞いて下さいね」

 男は話しを区切ると柔らかに笑った。どうやら悪い教師ではなさそうだ。安堵からか教室内はざわつき始めた。しばらくすると、パンッ、乾いた音が再び鳴った。

 「静かに。君たちは今日から初等学校生です。去年までの後心学校とは違い、本格的に魔法、他の一般科目の授業も始まります。新しい勉強は難しく戸惑うこともあるかもしれませんが、一番の違いは君たちの自主性が尊重される事でしょう。ここにいる人たちは皆十二歳から十三歳のはずですね。大人になるまであと二年と少ししかない君たちにとって、これからの三年間はとても大切な時間です。他の人に流されず、常に考えて行動することを私達教員は期待します」

 先程と打って変わった低い声で言った。


 「--て言われても変わった気がしないよな」

 「去年と人も校舎も一緒じゃあね。班を決めるって聞いたときは焦ったけどそれだけ」

 蔵野の話が終わった後は一斉に下校することになったので、暇を持て余した私達は昨日の河原に座り話していた。

 かわた群に存在する学校は三歳から十二歳が通う初心・後心学校、十二歳から十八歳が通う小・中等学校の四つに分かれていた。高等学校に関しては、かわた群内にはなく通うには都会に越していくしかなかった為、特に成績の優秀な者にしか通うことが出来なかった。それ以外の四校に関してはすべて同じ場所にあったが、課程毎に校舎は分かれていて、授業中に幼児が乱入してくるようなことはなかった。とはいえ学校の仕組み上、周りは見知った顔ばかりになってしまう。変わった気がしないと言う宏司の考えも最もだった。

 「ぼくは安心したよ。一人になっちゃうかと思った」俊は目を垂らして笑う。

 「私達を合わせても班は五つしかないのよ。そうそう一人になんてならないわ」

 「そうかもしれないけどさ、もしもの事を考えると心細いよ」

 「もう、俊は気が弱すぎるわ。男の子なんだからもっと堂々としなきゃだめよ」

 「え? いや佑季おまえ俊のこと心配----」

 「馬鹿」

 私は無神経な宏司の脇腹を小突く。おうっ、彼の口から声が漏れた。とにかく強引に話題を変えねば。

 「そ、そういえば班は村ごとに分かれたのよね。美佳は村の名前全部覚えてる?普段意識してないから私怪しいかも」

 無理があった。脈絡のない話題の切り替えに戸惑い、皆黙ってしまう。

 「麻姫・・おまえ・溝が・・」

 宏司は体を折ってうめいている。もう少し配慮が出来ないものか。佑季が小さくため息をついた。

 「別に忘れるような事でもないだろうに。夙・鉢屋・風魔・長吏。あとは少し距離があるけれど郷。初心学校の最初に教えてもらったじゃないか。ここには夙と鉢屋村に住んでる人しかいないけれど、風磨と長吏村は皆で行ったことがあるよ。ほら、去年の夏休みにさ」

私達は夏休みの課題を片付ける為に、図書館のある長吏村、田園・酪農地帯が広がる風磨村に出かけたことがあった。

 「思い出した。誰かが「最後の自由研究なんだからしっかりやろうぜ」なんて、らしくないこというから。風磨村に行ってから三日くらい鼻の調子がおかしかったんだからね」

 「そんなこと言って麻姫だって楽しんでたじゃない」

 風磨は農・酪農業によりかわた群全体の食料供給を担っていた。

 「ありゃあ臭かった・・」

 自分の鼻をつまむ宏司。飼われている何百頭もの牛や馬が村全体に独特の匂いを充満させていたせいで風磨に訪れた私達は鼻の曲がるような思いをした。

 それでも目の前に広がった風景、見渡す限り広がる緑と黄色の絨毯の前にはその程度些細なことだった。勿論そんな恥ずかしい事を口にする者は一人も居なかったし、少し頰を震わせるくらいだった。

 「風磨の景色もよかったけれど、僕は図書館の方が印象に残ってるな。見たことのない本が沢山有って・・

借りられないのが残念だったけど。今度の休みにでもまた行こうよ。皆でさ」

 「あ、それいいな。前の時は一部しか回れなかったし、ぼくも魔法史の本をもっと読みたかったんだ」

 本を読むのが好きな俊は乗り気なようだ。あんな息の詰まる場所、何が楽しいのだろう。

 「俺はごめんだね。図書館は必要に迫られて行く所なんだよ。自分から行くような場所じゃないね」

 「宏司は言わなくてもわかってるわ。麻姫はどうなの?」

 「私は・・・」

 どうしよう。私だってわざわざ休みの日に図書館まで行こうとは思わない。かといって宏司と同じに見られるのは癪だった。

 皆私のことを見ている。どうしよう。

 「見て!」

 突然佑季が叫んだ。驚いて彼女の視線の先を見ると昨日同様、川岸で作業する黒い人影があった。川に刺さった太い丸棒に向けて木槌のような物を何度も振り下ろしている。

 昨日見た式神とは腕や胴の太さが違うように見えたが、遠目にはよくわからなかった。少し経って宏司が何か言いたげにそわそわし始める。

 「どうしたの? 言いたいことがあるならいいなさいよ」

 「もっと近くに行こうぜ。いいだろ?ここからじゃよく見えねえよ」宏司は心なしか上目遣いになる。・・呆れた。

 「いいだろ?じゃないわよ。私達式神のこと何も知らないじゃない。なにかあったらどうするの」

 「私も麻姫の言うことに賛成。危ないわ」

 佑季の言葉に合わせて頷く。俊も小刻みに首を動かした。

 「なんだよ髭もじゃも、自分達で積極的に行動しろって言ってたじゃんか。今がその時だろ」

 ・・そういえばそんなようなことを言われた気がする。他人に流されるなとも言われた気がするが。

 「僕はもっと近くで見てみたいな」

 「美佳?」

 「僕だって少しは危ないと思う気持ちはあるよ。でも昨日、今日と向こう岸に現れたあいつ」美佳は全員に目配せする。「けれど次見られるのは何時になるのかわからないんだ。この機会を逃す手はないよ」

 「そういわれても・・・」

 普段あまり自分を出さない美佳が宏司の意見を強く後押しした事に、私は戸惑った。対岸の式神はまだ作業を続けている。

 そんなにあいつのことが気になるのか。どうするか自分の意見を決めかねていると佑季がやっぱり、と言った。

 「美佳がそんなに言うなら私は見に行っても。俊もそれでいいわよね?」

 「えっ」

 不意打ちに俊が声を裏返らせる。私も反射的に抗議しようとするが

 「よし賛成四人で決まりだな。行こうぜ」

 宏司が言うと美佳が踵を返した。宏司や麻姫も続く。

 今更一人、反対したところで無駄だろう。気は乗らないが仕方が無い。俊の方を見ると苦虫を噛み潰したような顔で立ち尽くしていた。

 



 「ねえ、もうちょとだけ詰めてくれない? 私の位置からじゃ全然見えない」

 「これ以上は詰めたら潰れちゃうわ」

  吉野川には[流れ橋]と呼ばれる木橋が東西にかけて架かっている。それを東から西へと渡ったすぐ側の小屋に私達は潜んでいた。流れ橋を普段から使う人はいなかったが私達が渡ると橋桁(はしげた)が大きく軋んで、ひやりとした。

 「そもそもなんで隠れてるのよ。せっかく橋を渡って西側まで来たのに見えなくちゃ意味ないじゃない」

 「うるさいな。そんなこと言うならおまえ外に出て見て来いよ。何かあっても俺は知らないからな」

 そう言って宏司は私を肘で押した。いちいち気に障る言い方をするやつだ。

 「・・・宏司、頭少し下げて」

 「はぁ?なんでそんなことしなきゃ・・あっちょっ」

 宏司の頭を押さえつけるようにして私は窓をのぞいたが、見えたのはゆったりと流れる川と土手に生い茂った雑草だけだった。式神はもういなくなってしまったのだろうか。

 「ほら、あそこだよ。流れ橋の下、手前から三本目」

 橋・・手前から三番目・・いた。

 橋脚(きょうきゃく)の影に隠れて見えにくいが水面を波立たせながらゆっくり歩いている。右手には木槌、そして左肩には何本かの丸棒を自分の肩に押さえつけるようにして担いでいた。どうやらまだ作業を続けるようだ。

 しばらくそのまま見ていたが、やっぱり、

 「昨日も思ったけど式神って一つ一つの動きに違和感がない? 滑らかに移動してるように見えるけどなんだか気持ち悪い」

 身体中の関節に油を挿そうとして量を間違えた。そんなふうに節々の挙動がおかしかった。

 「確かに滑らか、とは言い難いね。まるで骨が無いみたいだ」

 「でしょ?」

 「人間じゃないんだし骨なんて有るわけねーじゃん」宏司は頭の後ろで腕を組んで言った。

 でも手を振ったり、脚を出したりする動きは人間そのもので、私はそうは思わなかった。

 「ねえ、もう戻ろうよ。十分近くで見られたじゃない。長居して式神に気付かれたらどうするの」

 「またそんなこと言って・・」

 小屋の隅で俊が。彼は震えている。小屋に入ってからずっとうずくまっていた。少し過敏すぎやしないか、私は思った。

 このまま帰るわけないだろ、宏司はそう言って美佳に()()()()する。

 「何処行くの?」

 「外に出てあいつをからかってくるんだよ。おまえの言う通り隠れててもつまんないしな」

 宏司は立ち上がると屈伸運動で体をほぐしながら言った。美佳も同じように脚を曲げたり伸ばしたりしている。

 「式神に手を出すなんて危ないよ!」

 「軽い魔法で反応を見るだけさ。危なくなったらすぐに戻ってくるから、俊達はここで待っていればいいよ」

 宏司も僕も魔法師なんだから、そう自分に言い聞かせるように。俊の制止も聞かずに二人はドアを押し開けて出て行った。

 複数の属性を操れるとはいえ彼女等もまだ同じ子供だ。完全に魔法を扱う事が出来るとは思えない。残された私達は心配だった。

 「あれで安心するとでも思ってるのかしら。・・ねえやっぱり行きましょ。ここで何もせずに待ってるなんてできないわ」

 「私もそう思うけど」

 私自身佑季と同じ思いだったし、二人を追うことに異存はない。でも俊が一人になってしまう。一人この場に俊が残るとは思えなかった。私たちを引き止める姿が目に浮かぶ。

 「ううん、やめておく。いつも()()な宏司はともかく、美佳なら安心よ。それに私たちが出て行ったら俊が一人になっちゃうじゃない」

 「じゃあ私はここに残るわ。麻姫だけでも行ってあげて」

 佑季は用意していたように言って俊の側に座る。・・なるほど、そういうことか。ここは友人として気を回してやるべきだろう。ろくに掃除もされていない小屋の壁は彼女が背中をついただけで白い埃が舞った。

 「それなら大丈夫ね。帰ってくるまでの間、二人で話でもしていて」

 私は砂と埃をはらうと靴をはき直した。ずいぶん前から(かかと)が縒れてしまっていたが苦にはならない。むしろその方が、自分の足に合っている気さえした。

 「いってらしゃい」

 佑季の声を背中に受けてドアを閉める。寸前、俊が佑季に ありがとう、と言うのが聞こえた。



 そんなに長いこと小屋に居たつもりはなかったが、外に出ると眩しさからか目の奥をちくりとさせる痛みと、微かな風を感じる。二人とも何処に行ったのだろう。

 私を照らす太陽はいつの間にか西へと傾むきはじめている。風に流されて浮かび上がるスカートと(なび)く髪を押さえながら周りを見渡した。

「麻姫、こっちこっち」

 土手に生い茂る草むらの中から小さく声がする。河川敷一帯の草達は[セイタカアワダチソウ]と呼ばれ、大きい物では私の体が隠れてしまうほどの高さがあった。

 小屋の影から顔を出して斜面を見下ろしてみたものの、草むらの何処から声がするのかわからずに、しばし逡巡する。すると場所を知らせてくれたのだろう、草むらの一部がゆっくりと揺れた。ありがたい。

 揺れた位置をもう一度確認しから素早く近くの茂みに滑り込む。斜面は急で、靴で()()()を効かせなければずり落ちてしまいそうだった。慎重に少し下ってから手の指を土につけて這うように横移動する。二十秒ほどで二人の下までたどり着いた。

 「ほら」

 「ありがとう」

 目の前に伸ばされた手を掴み勢いよく宏司の横まで跳ねる。その場所はそこだけ刈り取られたかのように足下が茶色く、深く窪んでいる。腰を下ろして座り込むには申し分なかった。加えて、周りを囲んだ草の隙間から川がよく見えるのもここが絶好の位置であることを示していた。

 結局来たのかよ、宏司がため息をつくように言った。

 「うるさいわね、気が変わったのよ。」とりあえず何か言い返しておく。

 「でもやるじゃない。ここからなら川がよく見えるわ。」

 「そうだろ?」宏司は鼻の頭を掻きながら、にやりと笑う。「まあ見つけたのは偶然なんだけどな。俺たちはそこの上から滑り下りてきたんだ。」

 後を親指で指し示して言う。先を見ると不自然に草が折れて、倒れている場所がある。そこから降りてきたのだろう。

 「麻姫も来たなら見てみなよ。またやってる。」

 美佳が川の方を見ながら言った。さっきと同じ、式神が丸棒を抱えて作業している。

 川底に棒の先を押さえつけるようにして、そのまま左右に何回か動かしかたと思えば、何が気に入らなかったのか水から引き抜いて別の場所へばしゃん。勢いよく突き刺す。何度もやり直しているのをみると、上手く川底に刺さらないようだ。式神の向こうにはこれから使うであろう丸棒が水面に山積みにされている。水に浮いているわけじゃない。おそらく土台として何本かは水の中に沈めておいて、その上に今見えている棒を積んであるのだろう。

 「俺たちもそろそろ始めようぜ。どうする? 試しに火でもつけてみるか」

 宏司が口の端に皺を作り笑いながら片方の手の指を折るように曲げる。ポキポキと乾いた音が鳴った

 「それも面白そうだけど僕が小さい棒を一本、あいつの足の上に落としてみる。そっちのが確実だ。火をつけるのは難しいだろう」

 うーん、宏司は唸る。そんなものだろうか。

 「でも式神まで三十メートルはあるぜ。積まれてる棒までならもっとだ。届くか?」

 「やってみなきゃわからないけど多分出来るさ。もともと風属性の魔法は得意なんだ。父さんに褒められたこともあるんだよ」美佳は誇らしげに言った、

 美佳の父は存在する魔法師の中で唯一、四属性すべての魔法を使うことが出来た。四種類の元素を操る難しさもさることながら、特に水属性の魔法はかわた群全体でも彼以外に使うことが出来る者はおらず、憧れる魔法師も多かった。

 手持ち無沙汰になった宏司は不満げに(まなじり)に皺を作ったが、これ以上異を唱えることなく引き下がった。

 じゃあいくよ、狙いをつけるように(てのひら)を前に構え、美佳が言う。・・やはり今日の彼女はいつもとは違う気がする。いやに積極的だ。

 眉を寄せて集中する彼女に、ちょっとまって、と声をかけた。

 「どうしちゃったの? なんだか昨日までの美佳じゃないみたい。嫌とかそういうのじゃないのよ。いつもは美佳から話してくれることも少ないし、むしろ私は嬉しい。でもなんか・・・変」

 私の言葉に美佳は構えた手を下げ、困ったように笑った。何かごまかしている、そんな笑みだ。

 気になって口を開こうとしたところで、宏司の目が泳いでいることに気がつく。 

 「な、なんだよその目は俺が何かしたか?」

 「何かって。私はそれを知りたいんだけど」

  疑いの眼差しを向けると宏司は崩れるように尻もちをついた。ああ、もう。やけくそになったように言葉を吐くと口をとがらせた。

 「別に悪いことはしてねえよ。美佳を式神にちょっかいかけてみようぜ、て誘っただけだ」

 「それだけ?」嘘くさい、と思う。

 「そ、そそれだけ」

 どもりながら目をそらす。これで信じろという方が無理な話だろう。私はため息をついた。

 「あのねえ、私の話聞いてた? 美佳があんたの、何も考えずに自分がちょっと気になるからって周りの人まで・・.とにかくそんな誘いにのってくれるわけないじゃない。どうして今日に限ってあんたに協力してくれたのか知りたいの」

 一息でまくし立てる。

 「そりゃあ、後心学校で俺たちが美佳の係を替わる事がよくあったろ。その借りを返してくれって頼んで・・・」

 去年まで通っていた後心学校では図書、美化、生物などいくつかの委員会の中から最低でも一人一つは所属しなければいけなかった。しかし美佳は村の役などでいつも忙しくしていて、仲のよかった私達四人が彼女の分を肩代わりすることも多かった。でもそれは友達として当然のことだと、苦にはならなかったし気にしたこともない。それは皆同じだと思っていたが宏司は違ったのか。ずっと信じていたのに裏切られたような、もう頭に血が上ってきてどうしようもない。。

 「どうしてそんな人の弱みにつけ込むようなことができるの? 私たち友達じゃない! 友達が困ってたら助けてあげるのは当然でしょ!」思わず声を大きくする。

 「お落ち着けって麻姫。あれに気づ」

 「落ち着いていられるわけないでしょ! だいたいあんたはいつも・・」

 そこまで言ってはっとした。宏司が顔を引きつらせながら自分の口を押さえ、もう片方の手で川を指し示している。

 そうだ、私たちは隠れていたんだった。もう遅いとわかっていながらも両手で口を押さえ、草の隙間から()()を覗き見る。大声をあげたにも関わらず先の式神は悠然と木槌を振り続けていた。

 おかしい。いくら離れていても聞こえたはずだ。それくらいの大きさだった。

 「なんか俺たちに興味なさそうだな」

 「そのようだね」

 私も一気に緊張が解けた。美佳は立ち上がると目の前の草をかき分け始めて、あっそうだ、と

 「宏司はああいったけど、ここにいる理由の半分は僕も式神に興味があったからなんだ。麻姫もよく知ってるだろ?宏司はいつもあれだけど悪いやつじゃないよ」

 優しく微笑んだかと思うと美佳はかき分けた草を足で押さえ、踏むようにして茂みの奥へと消えていく。彼女の通った跡は草の茎が折れていて歩きやすい。一歩進む毎にシャクシャクと音を立てた。それでも何度か滑り落ちそうになりながらやっと下までたどり着き茂みを抜けると、川独特のなにか酸っぱいような匂いが鼻を巡った。吸い込んだ息が鼻から口ヘと抜けるのがよくわかる。

宏司がくせぇ、と足下の石を蹴飛ばした。長い間風雨にさらされてきた河原の石たちは、余す所なく丸みを帯びていた。 いや、多少は角のある物も混じっているようだ。例えば宏司が蹴飛ばした石とか。

 「んじゃ、美佳頼むよ」

 宏司はそう言うとやる気がなさそうに腰を下ろした。見ていてまた腹が立ってきたが、昨日佑季に言われたことを思いだしてどうにか抑える。私と宏司が喧嘩する時は大抵彼が原因だと思うのだが。

 さっきまでは、はるか遠くに見えた式神も今は目と鼻の先。また少しだけ不安になった。

 その時、突然式神がこちらを振り向いた気がして思わず声が漏れる。ひとの形をしているものの、どこか体の輪郭が曖昧なそれには顔がなかった。まるで

 「のっぺらぼうみたいだな」宏司が私の言葉を代弁する。

 両手を後について座る彼は平気なようだったが、私の背筋はぞわりとした感覚を覚えた。式神は私たちの方を見たわけではなかったらしく、そのまま方向転換して橋あるの方へ歩こうと足を上げた。

 瞬間、何かにぶたれたように式神が大きく揺れる。バランスを崩した式神が川へと倒れ込んだ。

 どうやら美佳が丸棒を三本ほど横腹にぶつけたらしい。式神と一緒に丸棒も川の中へと沈む。

 ばしゃん、大きな音を立てて水面が波打ち、川の中から潰れた呻き(うめ)声が上がった。 

呻き声?

思わず宏司と顔を見合わせる。違和感の正体を探る間もなく再び水のはねる音がした。見ると川の中から上体を起こした式神が今度こそこちらの方を向いている。宏司がのっぺらぼうと表した顔の下半分が裂けるように割れ上下に開いた。そして息を吸い込むように上半身を揺らすと、

 「*に*す**だ!」くぐもった声で大きく叫ぶ。

 「ひっ」私は後ずさり、宏司は立ち上がろうとしてこけた。言葉の部分部分しか聞き取ることができなかったが、声の震えや上下する肩の動きから式神の中に怒りの感情が渦巻いているのがわかった。

 絡みつく恐怖に手足の筋肉が凍る。動くことが出来ずに固まっていると、ばしゃばしゃ。乱暴に水を蹴りながらこちらの方へ向かってきた。一人美佳は表情を険しくしてこちらを一瞥(いちべつ)すると、

 「逃げるよ」

 「え?」

 女性にしては低い声をさらに低くして言った。普段と違う声が耳に入り込んだことで、むず痒さを感じ手足の硬直が多少溶ける。

 彼女はは素早く身を翻して私の横を通って元来た道、茂みに飛び込んだ。状況の整理がつかないまま、何も考えず後を追う。未だ細かく痙攣する腕が重かった。上体を振り子のように揺らしながら必死で美佳と同じ場所に駆け込み、滑り落ちないよう坂に生える草の根元を両手に掴む。先程降りてくる時も大変だったが登るのは更に厳しそうだ。

 踵を地面に突き立ててそれを軸に勢いをつける。それから手足を地面に引きつけるようにして逆の足を大きく踏み出す。同じ動作を繰り返し、少しずつ上りながら無駄に高い堤防を心の中で呪った。

 「待ってくれよ、俺あいつがなんて言ったのか聞こえなかったんだ。それにそんな、急いで逃げることないだろ!」

 戻ろうぜ、宏司が叫ぶ。そんな強ばった表情をして何を言うのか。

 「嫌よ、怖いじゃない!戻るならあんた一人で戻れば?」首だけ振り向いて言い返す。

 「なんで俺だけ!」

 「それに元はといえば宏司が言い出したことでしょ。私と美佳は巻き込まれていい迷惑よ!」

 「そんな言い方ないだろ! おまえらだっ・・うわっ」

 「宏司? ----きゃっ」

 目の前の宏司の姿が突然消えた---と思ったら左足を引っ張られてバランスを崩す。右足も滑らせてしまい必死で両手に力を込めた。セイタカアワダチソウの固い茎がぶちぶちと悲鳴を上げる。

 上体を起こして体制を立て直したと思ったのもつかの間、再び足を引かれ今度は左手を離してしまう。今にもちぎれてしまいそうな右手の草束(くさたばね)だけを頼りに、なんとか足の裏を地面に吸い付かせた。体を斜めに、左手でさっきから足を掴んでいる宏司の手首を掴む。

 宏司の腕ごと自分の脚に押さえつけてなんとかバランスをとった。

 「ちょっと! 落ちちゃうじゃない!」

自分で立ってよ、そう言おうとしてやめた。

眼下の宏司は泣きそうな顔をしてもがいている。何度も地面を掻いてはいるが自分では立ち上がれないようだ。転んだくらいで何を焦っているのだろう。。

 「足が・・引っ張られてっ」

 声が震えている。あまりの変わりように、怒こる気も失せた。

 「さっきから引っ張ってるのはあんたじゃない。はやく離してよ」いつまでもこのままでは困る。私の言葉を聞いた宏司は、きっ、と睨みつけてきた。

 「違う、俺の足だ! 左足!」

 唾を撒き散らして絶叫する。・・そう言われても私の位置では角度が悪くて彼の足までは見えない。はやくしてくれと、もう宏司は半分泣いていた。

 上半身だけ左右斜めに動かし、見える位置まで調整して・・見えた。確かに彼の足首になにか黒い物がついている。よく見ると、()()は横の茂みから伸びていて・・・

 「っ!!」

 ()()の正体に気づくや否や、私は彼の背中の辺りを掴んで引っ張り上げようと動く。が、服がずり上がっただけだった。当の本人は必死に左足を振っているが、彼の足から黒い手が外れることはない。三度(みたび)私たちを下へ引きずり込もうとする重さを感じて、

「「ひっ」」二人とも同時に声が漏れる。

 茂みが割れて、式神が姿を現した。濡れた顔や手に張り付いた土や草、顎から滴る水滴。更には歯ぎしりするように曲がった口と、目の辺りにできた皺が恐怖を煽る。口の動きに合わせてその皺が歪み、

「ヴォ***ォオ**!!」

 人間にはとても出せない声量、併せて空気を裂く重い波が鼓膜を揺らす。刺すような痛みを感じて、とっさに指を耳の中にいれかき回すようにした。耳の中をハエが飛び回っているようだ。不快感に涙が出そうになった。

 強く唇を引き結んで再び宏司の背中に手を伸ばす。その時、突如視界が回った。一瞬、群青色の空が太陽の光と共に映ったかと思うと次には、脳を揺らす鈍い痛みが後頭部を襲う。頭への衝撃で上歯に下歯が叩き付けられて、目の奥に稲妻のような光が走ると同時に視界が薄暗く染まった。首から上が普段の何倍も重く感じる。 間髪入れず背中に地面を擦る感覚を覚えたかと思うと、多少の浮遊感。浮いた左足から宏司の手が離れ、カコン。乾いた音が体の中で響いた。

 坂の途中で肩や足が引っかかり減速しながら、それでも結構な速度で転がり落ちる。

 ばさっ、音からしてまた茂みに突っ込んだのだろう。もう二、三回転してようやく止まると口の中に血の味が広がった。

 「うぁ・・」肺から空気が押し出された。

私のクッションになってくれた草木が背中の下で悲鳴を上げる。周りを緑に囲まれた場所に一人仰向けに倒れていると、揺れる葉や短毛の一本までが私を見ているような気がした。ゆったりと風にふかれるそれらは、私の時間を奪うようにゆらゆら、左右にたなびいた。

 何本かの葉の先が伸びて視界に残る黒い斑点の隙間から、一本一本、私の目の中に潜り込んでいく。そんなことはあり得ないとわかっていながらも、眼球の裏側を撫でられるような心地よいこの感覚。そのうち周りの空気に耳が溶けこむやさしい耳鳴りまでしてきて、このままずっと犯されていたくなった。

 力を抜いた体が地面に沈み込む。

 しばらく動きたくないな。私、さっきまで何をしてたんだっけ。

 「宏司! 大丈夫!?」遠くから美佳の声が聞こえた。何やら声を裏返らせている。

 また宏司が馬鹿をやったのだろうか。・・どうでもいい。

 考えることを止めて、自分の世界へと潜りそうになる。とぷり・・とぷりと・・

 寸前、ドォン!私を襲った衝撃で現実に引き戻される。すぐ横に落ちた太い丸棒は周りの土草、そして泥をはね散らして深い窪みを作った。

 わずかでもずれていたら・・指先が冷たく痙攣する。倒れている場合じゃない、すぐに二人を探さないと。

 口の端から垂れる血の混じった(つば)を拭おうと手を上げた途端、股の辺りに激痛が走った。あまりの痛さに声が出ない。足の付け根が火傷したように熱く、そこからじわじわと下腹部まで痛みが上ってくる。 目から涙が零れ視界が霞んだ。転がり落ちたときに切れた口の中にまで涙が垂れきて、鼻から噴き出してすすった鼻水までも口の中に戻ってくるわでもうめちゃくちゃだった。

 唇を噛んで、痛みを紛らわそうと体を折り曲げながら涙を拭う。あさっての方向に投げ出された私の左足は()()()と力なく横たわっていた。

 まるで自分の足ではないように、まさかちぎれてしまったのではないか。狼狽して目の焦点が合わなくなる。おそるおそる、おなかの下の辺りへ手を沿わせてみると、どうやら胴体には繋がっているらしい。安堵のため息を吐いた。

 落ち着いたのも束の間、私を強い風が吹き付ける。風呂桶の蓋を開けた時に感じるようなむわっとした熱気が押し寄せてきた。火傷する程の熱さではなかったが、それでもあついものはあつい。息苦しくなってきた。顔を背けて息を吸おうとしたが、湯気のようになった空気は口に入っても喉を通らない。そのくせ肺の中の僅かな酸素まで食いつくさんと押し寄せてくる。苦しい。

 今吸ったばかりの空気を吐き出すと「アアアァァ・・」なにか高い音が聞こえたような・・限界。

 息継ぎさえ、ままならない。結局数秒間息を止めることになった。

 「はっ、っはっ、はあ」

 風が止むやいなや体は酸素を求めて何度も胸が上下した。

 「いぎっ」息を吸うだけでも足の付け根、股間の辺りが軋みを上げ、喉の下まで痛みが走る。坂を登るなんてとてもできそうになかった。もう体はボロボロだ。

 思い返せば私は宏司と美佳に流されただけ。式神(あれ)に興味なんてなかったのに。入学式の為にと両親が新調してくれた服もそこら中が破けていた。

 「なんでこんな・・」拭ったばかりの目元がまた涙で潤んだ。もう家に帰りたい。

 「おい! おまえら何してる!」

 俯きかけたその時、野太い大人の声がした。よかった、大人が来てくれた。助けてもらおう。まるで誰かを責めるような口ぶりだったが今の私には気にならなかった。

 「ここです! 動けないの。早く来て!」声のした方へ張り上げる。

 「おい、他にもいるぞ」先程とは違う、でもまた男の声だ。どうやら一人ではないらしい。不思議なことに我慢できないほどだった足の痛みがいつの間にかやわらいでいた。

 ざざざっ、草むらを切る音がする。音が近づくにつれて鳥肌が立って顔がひりひりした。心臓の鼓動の早さで自分が興奮しているのがわかった。

 目の前の草むらが二つに割れて男の姿が現れる。見える体の大きさにびっくりした。もしかして私が動けなくなっているこの状況を察して、体の大きい人をよこしてくれたのだろうか。私を覆い隠してしまうようなその肩幅なら私を抱えるなんて造作もないだろう。緊張がほどけて頬が緩む。

 いつの間にか私に巣くっていた暗い考えは吹き飛んでいた。さっきまでの絶望は何処へとやら、頬が緩む。

 今なら何でも笑って受け入れられる気がした。早く皆の顔が見たい。・・そうだ、宏司の自分勝手な行動も今日に限っては水に流してやろう。ついでに、あの式神も最初から襲ってきた訳じゃあるまい、恨まずにおいてあげようか。

 勿論、先程から何か言いたげに私を睨みつけてくるこの男とて例外ではない。仕方ない、言いたいことがあるなら言えば良いのに。寛大な私から聞いてあげよう。

 「ありがとう。一人じゃ動けなかったからどうしようと思って。助かったわ。でもさっきから何そんな怖い顔してるの? 私を助けにきてくれたんでしょ? 早く宏司達の所まで行きたいんだけど」にこやかに笑って言う。

 男は無表情になって私の肩を掴んだ。痛い。

 「もうちょっとやさしく・・」怪我人をいたわらない行動に抗議しようとした矢先、

 ゴンッッ、

 顎の辺りに強い衝撃。腰の力が抜けて顔面から地面に突っ込む。頭があがらない。わけのわからないうちに、電気のスイッチを切ったかのように意識が急速に薄れていく。

 ああそうか、わたしはなぐらr








 

 

 とくん、とくん。私の中を流れる音は子守歌みたく、一定のリズムを刻む。体中を張り巡らす血管の一本一本が歌うように膨らんで・・縮んで、また膨らんで。水に浮かんでいる時みたいに体がぷかぷか。

暗い海を音の流れに任せて漂流する。なんだか懐かしい気持ちになった。

 「・・・姫・・麻・・」

 水底から波が押し上がってきた。水に浸かった耳に一直線、ぶつかってはじけ飛ぶ。「・麻姫・・麻・・」まただ。一際強い波に今度は体ごと持ち上げられて・・

 「麻姫!」

 「ふぉやっ」

 強く肩を揺さぶられて目が覚める。驚いて間抜けな悲鳴を上げてしまった。

 すぐ目の前に美佳の顔があった。仏像のように整った顔立ちは木仏師が良質な木曽檜(きそひのき)から掘り出したみたいだ。だとすれば渾身の作だろう。

 ぼーっと見とれていると明王像みたいに眉がつり上がった。不機嫌・・それとも怒っているの?計りかねたまま口を開く。

 「お、おはよ・・」単純な言葉しか出てこない。どうやら私の頭の中は夢から覚め切っていないようだ。

 黒い瞳に貫かれて、口の端が震えた。美佳はしばらくの間私を凝視していたが、

 「その様子なら大丈夫かな」

 やがてため息をつくと瞬きして視線を外した。別に怒ってはいないようだ。

 それがわかったからというわけではないが、今度は先程までとは違う、尻に感じる固い質感が気になってくる。冬場の教室の机みたいにひんやりしていた。手のひらを這わせてみると、何か出っ張りに引っかかって指先がささくれた。

 黒色とも白色とも取れるその中間、灰色をした床はコンクリートでできていて大小数多くの石が混ざっていて所々まきびしのように突き出ていた。

 「ここ、ここはどこ?」ずっと肩をつかんだままの手を外しながら聞く。頬の下の辺りが張ってどもってしまった。そういえば顎を殴られたんだっけ。

 「何処だと思う?」美佳は自嘲気味に笑った。

 周りを見渡してみたがどうにも薄暗くてよく見えない。息を吸うとほこりっぽくて数回咳き込んでしまう。

 口をおさえて・・網?目を凝らすと正面に何本もの交差する線が見えた。・・気がする。

 少なくともあの河原では無いだろう、そう思った。私を囲むように、ひらひらと舞うのは汚い埃ばかり。川に咲く花の()()と埃とでは大きな違いだ。

 しばし放心する。どのみち、まともに頭が働くとも思えなかった。美佳の他愛もない問いでさえ、私をからかって遊んでいるように思えてくる。

 「ずっと倒れてたのにそんなこと、わかるわけないじゃない、それにここ、どうしてこんなに空気が悪いの?」

 いらいらして一息でまくし立てた。肺にあった酸素が言葉と共にすべて吐き出された。

 苦しい、それに一旦落ち着こうと自制心みたいなものも相まって、胸を膨らまして大きく息を吸い込む。

 が、すぐにまた咳き込んだ。

 ただ呼吸することさえままならずに、咽せる私の背中をさすりながら落ち着いて聞いてよ、と美佳は言った。とても落ち着くことなんてできなかったが、とりあえず頷いておく。

 「ん・・確認なんだけど麻姫は何処まで覚えてる? 僕たちがあいつらに抱えられた麻姫を見たときには、もう意識は無いようだったから」

 心なしか私を見る目が心配そうだった。

 「どこまでって言われても・・倒れて動けずにいたら大男が私の前まで下りてきて。助けてくれるのかと思ったらいきなり殴られるしそれからは何も。あいつに殴られたところがまだ」

 愚痴るように喋り出したが、途中で目が覚めたときからずっと頭の隅に憑いていた違和感の正体に気がつく。五人でいたはずなのにここには美佳と私の二人しかいない。佑季達は何処だろう。

 「僕たちしかいないよ」私の視線を汲んで美佳が言った。

 皆何処へ--いや、いつの間にか話が脱線していた。

 ・・何の話してたっけ?

 三秒前のことさえすぐには思い出すことができない。でもここ三十秒余りで、寝起き(?)の頭に次々に放り込まれた情報の多さを思えば仕方が無くもあるだろう。自然に左斜め上の(くう)を見てしまう。

 「やっぱり殴られたんだね」--そうだ私が失神した話だった。たぶん。

 「やっぱり?」

 「頬の下、腫れてるよ」

 「えっ」手で抑えてみると布のざらりとした手触り。

 左頬に比べて右頬が膨らんでいる。女の子に手を上げるなんて最低だ。まあ、あいつに殴られる前からボロボロではあったが。

 改めて自分の体を確認すると股の辺りには包帯、頬についていた布はガーゼだった。あれほど痛かった足も気にならないくらいにはよくなっている。怪我の治療をしてくれたのは素直に有難かった。

怒るべきか感謝すべきか、なんともいえない表情をしていると、それを見た美佳がくすりと笑う。私もつられてしばし二人で笑い合った。心なしか空気がよくなった気がした。

 「麻姫は僕たちに何があったのか知らないようだから順を追って話していくね。昨日、式神から逃げる途中に麻姫が坂を落ちていった所の少し前からでいいかな」

 「わかった。」見ていたのか。

 「ん、あのとき式神が鬼の形相で向かってきたじゃない。麻姫達には逃げるように言ったけど佑季と俊をおいていく訳にはいかない。急いで小屋に走ったんだ。でも坂を登り切ってすぐに麻姫の怒る声が聞こえたから振り向いて。そしたら転がり落ちる麻姫と、」美佳はそこで言葉を切った。

 「それと?」何を渋る必要があるのか。美佳はあさっての方向に目を流しながら

 「宏司が空を飛ぶのが見えた」と口角を上げながら・・なんて?

 「誰が?」

 「だから、宏司が」

 「空を?」

 「飛んだの」

 「ほう」

 突然ぶっ飛んだことを言う。驚きを通り越して納得してしまった。あの馬鹿はとうとう鳥にでもなったのだろうか。 ありえなくもない。

 「さすがに飛んだってのは比喩なんだけど」言われなくてもそれはわかる。

 「要するに宏司が宙を舞いながら茂みの奥に消えていったんだ。舞うって言うにはあまりにも間抜けなだったけど。こう、ブーメランみたく横回転しながらね」

 話しながら美佳は小刻みに肩を震わせる。

 「ブーメラン・・」

 「見えなくなった後に、どさって大きな音がしてそれに続くよう、河川敷一帯に式神の奇声が響いたんだ。・・あの不快な声、麻姫にも聞こえなかった?」

 「うーん」正直転がり落ちた後のことはあまり覚えていなかった。しこたま頭を打ったのでそのせいかもしれない。

 「だめ、聞いてるのかもしれないけど思い出せないわ。続きをお願い」

 美佳が頷く。

 「結構な音がしたから放っておく訳にもいかなくてね。堤防の上からじゃ宏司がどの辺に落ちたのかよく見えなかったから、また来た道を戻って河原まで降りようかと」

 「?。なんで宏司を探すのに河原まで降りる必要があるの?」

 「坂を下りながら探すよりも、登りながら探した方が楽じゃないか」

 そんなものだろうか。首をかしげてくちをとがらす。

 「僕はそう思ったんだ。でも途中であいつ、式神と鉢合わせしてね」

 「えっ」

 「もう驚いて足を滑らせちゃってさ、そのまま激突。おなかの辺りに僕が抱きつくような格好になって、ぶつかったあいつ諸共(もろとも)、二人仲良く下まで一直線」

 目が回ったよ、どこか他人事のように美佳は言う。考えてみれば鉢合わせるのは当然だ。来た道を戻る、つまり私や宏司と同じ道を通ることになるのだから。

 「よく怪我しなかったね」

 美佳は顔や手に赤い火傷のような傷が見られるものの、大きな怪我はしていないようだ。

 「これ火傷?」気になって手を伸ばす。

 「後から話すからちょっと待ってくれ」美佳は嫌そうに体を引く。触るつもりはなかったんだけど。

 「僕の怪我が少ないのは、落ちた勢いそのまま、河原に叩き付けられずに済んだから。(そり)みたく上手い具合にあいつが下敷きになってくれてね。おかげさまでこの通り」

 美佳は両手を広げるようにして()()()()とさせる。

「でもあいつは仰向けになって頭から落ちたからね。首が潰れるような格好の上にそこに僕の体重も掛かって・・・」美佳は顔をしかめた。「ボキッと。」

 「ボキッと?」

 「うん、木の枝を折った時みたいな音がしてね。それきり動かなくなっちゃたんだ。両手を力なく河原の石の上に広げて」

 「動かなくなった、って・・それ死んじゃったの?」

 「その時はあんまりよく見なかったからわからないな。生きてたらあんなふうに首は曲がらないと思うけど」

 自分の首を押えながら言う。よく見なかった、って。人間ではないにしても人の形をした物が近くに倒れてたら気にならないか。

 物?者?・・どっちでもいいか。

 「近くにあいつがいると思うだけで私、背中が寒くなるわ。あいつ全身真っ黒で見た目から不気味なのよ」

 そろそろ記憶が鮮明になってきて、つい語調が荒くなった。手当のおかげでましになっているとはいえ、怪我をさせられたことに変わりはない。

 吐く息を熱くしていると「わかるよ」私をなだめるように美佳が言った。

 「とにかく、おかげで僕は河原に投げ出されるだけで済んだの。今言ったように、あいつが生きてるかどうかはわからなかった。確かめようとしたけどすぐ近くに宏司も倒れてたんだ」

 「宏司も?」

 「うん。そうとうひどい落ち方をしたんだろうね。かろうじて意識はあったけど、あんまり話せる状況じゃなかった」

 「そんな、宏司は大丈夫なの?」

 「・・たぶん」

 「たぶん・・」

 曖昧な答えにやきもきした。それに美佳がさっき笑っていた事を思い出して目を細める。そんな宏司を見てよく笑えたものだ。軽蔑とまではいかぬとも、美佳の冷たさを嫌に思った。

 そんな私を知ってか知らずか美佳は(はた)から見れば心配そうに言葉を続けた。

 「力なく倒れた宏司を前にして僕は何もできなかったよ。血は出ていないようだったけど、打撲や骨折の応急処置の方法なんて知らないし。呻く宏司に大丈夫だ、って声をかけることぐらいしか」美佳は唇を噛む。 学校ではせいぜい止血の方法くらいしか習った記憶がない。医学の知識なんて私達は持ってい無いも同然で、美佳も同じだった。

 「しばらくしたら大人達が来て、後は任せっきり。そんなに心配することないよ。受け答えもしっかりしてたみたいだし」

 美佳は眦を下げる。私にではなく自分自身に、彼は大丈夫だ、と。無力さに悔やむ自分に刷り込むように。

 先程の宏司をちゃかした言い回し、笑い方。そうでもしなければ、彼女は後悔で潰れそうだったのではないか。本当のところは美佳にしかわからない。でも一時の心の揺れで相手を悪く思う、単純な自分が恥ずかしくなって視線を落とした。

 「ここまで何か聞きたいことはある?」

 ないならこのまま続けるけど。美佳が言った。

 今のところ聞きたいことは特に・・いや、一つあった。

 私を溶かそうと言わんばかりに吹き付けた熱風。あれは何だったのだろう。たき火に薪をくべようと近づいた時、火の温度が面になって押し寄せてくるような。

 「式神に投げられて身動きが取れなかったとき、私の所に突然熱い風が吹いてきたの。あれはなに?」

 「ああ、あれは宏司が火をつけたんだよ。あいつ、式神に」

 「宏司が?」

 私は目を剥く。式神に火をつけたというのもさることながら、宏司が魔法を使えたことが驚きだった。

 魔法を使う為には自分のしたいことを正確にイメージすることが必要であって、それに併せて四大元素(エレメント)の操作も欠かせない。美佳から聞いた宏司の状況ではとても使えるようには思えなかった。

 勿論私に魔法は使えないのだから、これはあくまで想像に過ぎないのだが。

 「いきなりの事ではじめ僕も気がつかなくてね」

 美佳が言うには自分の手に負えない宏司をどうしたものかと、少し目を離した隙の出来事だったらしい。わずかに感じる炎の熱さに気がついたときには、既に式神の体は炎に包まれて火だるまのようになっていた。

 橙色の揺蕩(ようとう)の中で手足をばたつかせ、寸前、断末魔をあげてこと切れたという。

 「わからないって言ったけど生きてたのかもね」

 そんな淡々と言われても。私達人間からしたらぎこちないとはいえ、二足で歩き両手を駆使する式神。その生死の如何に多少思うところがないわけでもなかった。美佳は気にしていないようだが。

 「宏司が魔法を使ったなんて思いもしなかったけど反射的にと言うか、風を起こして火を消そうと思ったんだよ。だけど火の属性、つまりは力の加減を誤ってイメージしたよりも強い風が起きちゃったんだ。そのせいで風に運ばれた火の熱さが麻姫のいた所まで伝わったのかもしれないね」

 「なるほど。」私なら動揺してしまって咄嗟に行動できないだろう。

 「結局消えなくて川の水をかけたんだけどね」美佳はおどけたように言うが、私は舌を巻くばかりだ。

 でもどうして宏司は魔法を?しばし思巡する。

 美佳が話した通りならば、彼は動くことさえままならない、若しくはできないはずだ。当然魔法の行使に意識を集中することも難しいだろう。それでもなお体の無理を推して魔法を使った理由とは・・美佳が目を離した隙に、とはそんなに長い時間とも思えないから目を覚ました彼に謀る時間なんてないわけで・・

 ・・・宏司の考えることなんてわからん。

 思考を巡らすだけ無駄だと割り切った。他に何か気になったことは・・

 いけない。話が長くなって忘れそうになっていたが、ここは何処かを未だに聞いていなかった。

 「それで、今いるここは? そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」顔を()()と近づける。

 「そうだったね」ちらりと歯を見せて苦笑い。

 「大人達が宏司の手当をしながら言ったんだ、おまえ達も一緒に来てもらうって。歯向かうことの出来る状況とは思えなくて従ったんだ」

 「いきなり?」来てもらう、とは強引な。

 「声を低くしてね。おとなしくついていくと、あいらの軽トラックと麻姫を肩に担いだ大男が待っていたんだ」

 「肩に担ぐって・・」ひどい話だ。口をへの字に曲げる。

 「そのまま軽トラに乗ったの?」

 かわた群の辺りでは車を見かける事さえ少なく、軽トラックを見たのも数えるほどしかなかった。

 いつか聞いた話によると都会では一家に一台と言われるほど車の所有率が高いらしい。本当だろうか。

 「うん。麻姫と宏司と同じ荷台に乗せられてここまで連れてこられた。佑季と俊のことは言わなかったから、二人は一緒じゃないけど」

 ふう、と彼女は息をつく。佑季と俊以外、するとここには私達三人しかいないのか。

 自分のいる場所さえはっきりとはわからず、仲間も欠けている。でも不安にはならなかっい。いつもの五人の中で一番に頼りになる美佳がこの場にいるだけで、悪い事にはならないように思えた。

 「ここは麻姫の知ってる場所じゃない。宏司もね」

 「わかってる」

 いやわからないのか。

 「檻の外目を凝らしてごらん」

 言われたとおり目を細めてみる。私が網だと思った正面の細い線は、所々錆が浮いた赤銅色の鉄の檻だった。

 「左の端、よく見て」

 ・・?格子の向こう、確かに左の方になにか・・

 「つっ!!!」悲鳴にならない声が漏れた。

 暗闇に完全に眼が慣れてはおらず、未だ視界は黒一色のキャンパス。その一箇所だけを塗りつぶしたのかこちらを凝視する(顔は見えないが)式神の線がはっきりとわかった。

 「あれ・・式神じゃない」

 「そう。僕たちを見張ってるみたいだ」

 できるだけ声を小さくして話す私に合わせたのか美佳も声を落とす。

 いつからかずっと私達を見ていた(監視?)式神は大きく体を揺らして向きを変えると、猫背に曲げた背中をむけて視界の外へと消えていった。

 「あれは僕たちがここに入れられたときからずっといたよ。何をしてくるわけでもないけど」

 少しも気がつかなかった。目と鼻の先なのに。

 「落ち着いて聞いてよ」美佳はまた注意を促した。

 「式神はあいつだけじゃない.十・・十五・・とにかくたくさんだ。ここにくるまで何体も見たよ。当然その術者もね」

 「術者って・・」

 具体的なそれの正体、彼女の答えを上目遣いに待つ。

 本当は聞き返す必要なんて無い。私だけじゃなくて美佳も宏司も、皆知っている。

 昨日も河原でくだらなく、小馬鹿にして話したじゃないか。まさか自分達が関わる事になろうとは想像もせずに。

 ああ・・自分の命と引き換えに、たとえ人の形をしていても、一人・・()()()か。そこにあるべき魂のない、からっぽの人形・・・

 この場に宏司がいたらどんな反応をするだろう。

 佑季なら?俊は・・卒倒するかな。

 私だって決して冷静ではいられなかった。

 左胸に取り付けられた水車が、狂いはじめる。

 私を、國枝麻希を人たらしめている--その--

 噛み合わなくなった歯車が空回りして、赤黒い水路が溢れるほどに水を供給する。

 流れ込んだ水の行き着く先、私の中心。

 せわしなく鼓動を続ける()。一面を覆う赤みのさした生体膜は、中で暴れる機械仕掛けをなだめる。どくん、どくん。張った表面に黒い水路がうかぶのも厭わずに核を抱きしめる。

 幾重にも張り巡らされた赤黒い水路の何処かから。私の魂が零れだしてしまいそうだ。

 狂った--ずれた歯車を嵌めなおす--右手でそっと左胸を包んだのと同時、ひゅっ、小さく呼吸する音。

 「ここは郷村--人ならざるものに魂を宿しこの世の森羅万象を読み解く陰陽師の村だよ」

 美佳は一息で言うと()()()。舌の先を私に見せて

 「まあ僕もよく知らないけど」

 最後にそう付け加えた。


 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ