城塞サイド2−5、哀しみと勝利と。
「いやはや……手も足も出らんかったわ……」
見上げた先には満月がある。
体は動かない。
流石の吸血鬼も首だけから一瞬で肉体を再生するような事は出来ない。
じわじわと血を伸ばす……この場合だと、ばらばらになった肉体をかき集めて繋げる方が再生が速い。
「何か言い残す事はあるか?」
見下ろして、オドロアが問い掛けた。
「儂は生きたかっただけじゃ」
「そうか。それは当然の願いだ」
「ロジェは支配者になろうと目論んでおったようじゃが……儂はただ生きたかっただけじゃ……滅びてしまった世界から、大魔女の手引きでこちらの世界に逃げてきたのも、その為じゃ……お前さんもそうじゃろう? オドロアよ」
「そうだな。あの時はまだ死にたくはなかった。世界が滅びた時、我々は生きていたのだから。やるべき事があるのだと思っていた。まさかそれが、別の世界を救う事であるとは思ってもいなかったが……」
「はは……儂もそうじゃ……大魔女に、グレンに誘われた時は驚いたものよ……」
「……」
「のう、お前さんが死を望むのは、もうやるべき事が無いと思うておるからか?」
「そうだ」
「ではこうしようではないか。ロジェ亡き今、儂が支配者となり圧政を行う。オドロア、お前さんはそんな儂と戦うのじゃ。民を率いて」
「わざわざ争いを生むとは……その行いに何の意味がある?」
「生き甲斐が欲しいのじゃろう? 与えてやろうと言うておるのよ」
「その為に無辜の民を弄ぶというのか?」
「生きる事は戦いじゃよ」
「しかし無為な争いを生む必要はない」
「無為ではない。生きる為に争うのじゃ。自らの力で自らを脅かす者を打倒し、生を掴み取るのじゃ。それがこの世界の正しい在り方よ。この世界はそうでなければならん」
「アルザギールはそれを変えるつもりだ」
「変わらんよ。どのような生き物も、その本質には闘争の心がある」
「そなたの考えは否定しない。しかし、それを変えようと努力する者もまた、私は否定しない」
「お前さんのそういうところは、昔から少しも変わっておらんなぁ……」
アルマは小さく笑い、溜息を溢した。
「それはそうと……まさかロジェ程の使い手が、血の扱いもろくに知らんであろう成り立ての吸血鬼にやられるとは……当てが外れたわい……」
「こちらにとっても、ユーリの勝利は嬉しい誤算だった」
「なんじゃ? お前さんも勝ち目なしと思っておったのか?」
「ユーリの腕前はこの眼で見たが、あの程度の実力でロジェを打倒し得るとは思えなかった。援護があったとしてもまず勝ち目はないと思っていた」
「じゃろうなぁ……ちなみにじゃが、お前さんは何故勝てたと思うね?」
「私の知っているロジェは誇り高いというよりも傲慢な性格だった。今もロジェがそうであるのならば、何らかの勝負に固執してしまったのか……あるいは……」
「何じゃ?」
「あるいは、単にユーリの方が運が良かったのか」
「運、か……それはつまり、この世界が儂らを見放したという事かのう?」
「そうかもしれないし、そうではないのかもしれない」
「どっちだと思うね? オドロア」
「私が決めるべきではない」
「お前さんらしい答えじゃなぁ……あぁ……それにしても、斬られたところが全くくっつかんのじゃが……お前さん、もしかしてなにかしとるのか?」
「切断面に私の血を流し込んだ。それがそなたの再生を阻害している」
「通りで傷が治らんわけじゃ……やれやれ、どうにかして反撃してやろうと思うておったんじゃが……」
「残念ながら、もはやそなたに勝ち目はない」
「そのようじゃなぁ……」
体は動かない。
血が流れる。
助けは来ない。
打てる手はない。
「二度と手出しをせんから、見逃してくれ……と言っても、駄目じゃよな?」
「決を取るか?」
「はは……そこに最後の望みを掛けてみてもいいが……やめておこう……どうせ、全員が儂の死を望むに決まっておるからのう……」
「そうか」
「あぁ……くそう……ここで死ぬのか、儂は……」
「そうだ」
「死を避ける為に戦って、結果早死にしたわけか……ははぁ……世の中、欲を出しすぎると上手くいかんもんじゃなぁ……」
腕があれば、腕を月へと向けて伸ばしていた。
届かぬものになんとかして手を伸ばそうと、そうして死んだのだと、少しでも格好を付けられたらと思って。
けれど、五体は切り離されている。
もはや何も掴めず、行くべきところは一つのみ。
「さらばじゃ、オドロア」
「さらばだ、アルマ。さらば」
アルマが崩れていく。
ぼろぼろと、乾いた砂のように。
少しずつ、形を失っていく。
口が、何かを噛みしめるように動いた。
声にならない言葉。
最後に残そうとしたのは、オドロアへの怨嗟の声か、勝利を称えるものか。
彼女はそれについて考えようとはしなかった。
何か言おうとした、その何かが何なのか。知る事が出来なかったのだから、知る必要はない。
確かなのは、アルマは死んだという事だけだ。
「立てるか、トリフォリ」
崩れ去ったアルマを見届けて、オドロアはトリフォリに刺さっていた杭を引き抜き、手を差し伸ばした。
「は、はい……」
手を掴み、傷を再生させながら、トリフォリが弱々しい足取りで立ち上がる。
「遅れてすまない。そなたをこのような目に遭わせてしまった自分を恥じる」
「オドロア様が恥じる必要などどこにもありません……こうやって、私を助けてくださった……それだけで充分です」
「そうか。そう言ってくれると私も嬉しい」
一人で立つのを許さず、オドロアはトリフォリの腰を抱き、自らの側へと引き寄せた。
これがせめてもの労いだと言うように。
「インカナはどうだ?」
「すげーいてーけどなんとか立てるぜ」
まだ棘は残り、再生は完全ではないものの、インカナはふらつきながら立ち上がった。
それは虚勢だった。
一人で立てないトリフォリへのあてつけ。
自分の方が強いという事の誇示。
そういうものだったのだが、トリフォリにそれを気にしている様子は無いので、インカナとしては少々苛ついた視線をオドロアへ向けるしかなかった。
「手を貸せず申し訳ない。だからというわけではないが、そこから下の様子を見てみるといい」
「あ? なんかあんのか?」
インカナは意味がわからず首を傾げた。
「見ればわかる」
「あぁ? んだよ……言っとくけど、こっちに来てるユーリを見て喜ぶのはアルザギールだけだぜ?」
下にいたのはロジェとその兵士達で、それは皆死んだ。
とすると、今ここに向かってきているのは、ユーリとミナレットぐらいだろう。
見えるものの予想を付いている。
そう、彼女は思っていたが……。
「あ、あれは……」
そこにいたのは、予想していたのと全く違う者達だった。
数千にも満たぬ騎馬。
大した武装もしてない様々な種族の兵士。
心なしか女の姿が多く見える。
先頭を走る一角の馬の手綱を握っているのは、ラエと共にシンスカリにいた白耳長の女——ルドベキア・ハウザ・グロリアーサであった。
「あれは——あれは! 街のやつらだ! シンスカリの! あいつら、何とか逃げ出して、他の街から仲間を集めて来たんだな! あぁ! 全く! そのまま逃げてりゃいいものを! こんなところに戻ってきやがって!」
恐らくラエが犠牲になって時間を稼ぎ、住民達を、非戦闘員を逃したのだろう。
その逃げた者達が別の村へと行き、助力を乞い、戦える者を集め、ここでの戦いに加勢しようとやって来たのだろう。
なんて馬鹿なことを。とインカナは思った。
同時に、誇らしい気持ちもあった。
力こそが絶対のこの世界で、他者の為に敗北必至の戦いに挑む者達がいる。
その動機が街を滅ぼされた復讐であれ何であれ、暴力が支配するこの世界で、それに屈せず大きな力に立ち向かえる者がいる事に、インカナは感動を覚えた。
涙を流したりはしない。
それは当然の事である。この世界が失っていた当然の事……。
「ははっ……ユーリのやつ、一人だと馬にも乗れねぇのか。格好が付かねぇやつだぜ」
ルドベキアの少し後ろ、人間らしき女——インカナは知らなかったが、ラエの下で働いていたステラという名の女の子——が走らせている馬に、ユーリが共に乗っている。
そして、彼が背負っているミナレット……しかし、ひと目見てわかってしまった。
「ミナレット……」
馬が揺れる度に力なく揺れる体。服を濡らす赤い染み。首の切り傷。剣を握っていない両手。閉じられた瞳。
死んでいる。
だが、ユーリがミナレットを背負っているというただそれだけで、インカナは悟った。
ロジェを討ち果たすのに、ミナレットが多大なる貢献をしたという事を。
「ちっ……美しくねぇぞ……勝手に死にやがって……」
敵を殺してから死にます。
ミナレットの最後の言葉が思い返される。
言葉通りと言えばその通りだ。
それを讃えたい気持ちは勿論ある。けれどそれ以上に、失ったという事実が重かった。
それでも——犠牲になった者について哀しむ前に、振り返り、告げた。
「アイン!」
「げほーげほーっ」
「あ、そうだった。てめぇはやられてたんだった。んじゃフォエニカル!」
「はいはい。戦いは終わったと皆に伝えてきます」
「よし! 早く行ってこい!」
「お任せください。代わりと言ってはなんですが、トランキノとアインを早く医者に見せてやってください。その二人結構重傷なんで」
「あたりめぇだろ。今連れて行こうとしてたところだぜ……だからほら。てめぇはさっさと行きやがれ」
「はい」
勝利の喜びの中に、大きな犠牲があったのだという事はインカナの様子で予想出来た。
誰が死んだのかという事も、何となくは察した。
しかし、敢えて何も問わずにインカナの意を汲み、フォエニカルは駆け出した。
インカナもフォエニカルに言われた通りすぐに二人の腰を掴み、脇に抱え上げた。
「手を煩わせてしまって、すまない……」
「あ、ありがとう……ございます……インカナ様……」
「むしろ礼を言うのはこっちだぜ。てめぇらのお蔭であたしらは勝てた。……少し揺れるけど、我慢しろよ」
柄にも無い事を口にした自覚はある。
それでも、言わずにはいられなかった。
感謝の言葉を。
「我々も行こう、トリフォリ」
「はい。オドロア様」
少し前の出来事とは逆の形で、オドロアがトリフォリを支え、歩いていく。
その二人を追い越して、二人を抱えるインカナが大股で進む。
戦いは終わった。
最後に、未だ黒い血が溜まる平原をちらりと見て、インカナはその場を後にした。




