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4、お茶会。決勝戦三日前。

「ようこそ私の屋敷へ。歓迎しますよ、ルドベキア」


「快く迎えてくださり、感謝いたします。アルザギール様」


 アルザギール様とルドベキアの会話は、そんな風に、当たり障りがなく、それでいてどことなく他人行儀な雰囲気を感じさせる挨拶から始まった。

 ルドベキア・ハーゴ・オウザ・グロリアーサ。

 白い肌に、白銀の髪、灰色に近い銀色の瞳。そして、髪の隙間から覗く、尖った耳。

 竜人、アギレウスの主人である彼女は、商人の階級に所属する白耳長、グロリアーサ家の長女だそうだ。

 年齢は、二十代くらいだろうか。

 筋肉は付いていないが、スレンダーな、そして、女性らしい部分は発達している体つきと、落ち着いた雰囲気から、それくらいだと思える。

 ルドベキアは優雅な動作でティーカップを手に取り、中のお茶を、これもまた優雅に啜った。金持ちの商人の娘として、洗練された教育を施されている事が一目で分かる動作だ。高価そうな赤いドレスを、まあまあきちんと着こなしている事からも、日頃の生活レベルの高さが伺える。


「素敵なお庭ですね」


 ルドベキアはティーカップを置くと、庭園を見回した。


「喜んで貰えて何よりです」


 アルザギール様もカップを置きになさり、一緒に、色とりどりの、薄い明かりに照らされた闇でこそ映える花々が咲いている庭園に視線を向け、微笑んだ。

 二人がお話ししておられるこの場所は、アルザギール様のお屋敷の一角にあるテラスである。アルザギール様の持つ至高の美的感覚が存分に発揮なされた、芸術的な庭園を一望出来る場所だ。

 庭師の手入れが行き届いているので、いつ見てもアルザギール様の如く素晴らしいお美しさを誇っている。

 そんな場所で、二人はテーブルを挟んで向かい合って椅子に座っており、それぞれ背後には、僕とアギレウスが立っている。


「この庭園のお花は、アルザギール様がお選びになったのですか?」


「ええ。私が選び、配置も私が決めました」


「まあ! 私はてっきり芸術家の仕事かと思っていましたわ。素晴らしい感性をお持ちになっていますのね」


「ふふ、そんなに褒めてくださるなんて、どうもありがとうございます。ルドベキア」


 二人は口元に手を当てて小さく笑みを作り、笑い合った。

 優雅なお茶会。

 表面上はそのように見えるが……実のところは、そうではない。

 アルザギール様は素直にも心の底からお笑いになっておられるが、このルドベキアという女は、顔に笑顔を浮かべてはいるが、眼が笑っていない。

 アルザギール様がお造りになったこの庭園を見て、作った笑いしか浮かべられないとは、心が貧困と言うか、性根が腐っているとしか思えない。こういう心根が腐敗しているやつは得てして、大抵腹の底に何か目論みを抱えているものだ。

 本来ならばこのような席に同席する事を許されない、戦奴の僕とアギレウスがルドベキアたっての願いでここに立たされているのも、何らかの目論みの一環なのは間違いない。

 ルドベキアとアギレウス……何を企んでいるのかは知らないが、油断のならないやつらだ。


「……」


 僕は、少し離れたところに立って周囲を警戒しているフォエニカル隊長に視線を送った。

 隊長は僕の視線に気付くと、ニカッと笑った。「そう気負いなさんな」とでも言っているように見えるが……やはり僕としては気が気ではない。

 戦奴を同席させている狙いとは……想定される中で最悪のケースは、不意を突いてのアルザギール様の抹殺、だろうか?

 支配者である吸血鬼のアルザギール様を殺す事で、ルドベキアにどのようなメリットが発生するのかわからないが、戦奴を同席させているのだから、戦闘という最悪の事態に備えておく必要がある。


「……」


 警戒心を高めて、アギレウスを観察してみる。

 今目の前にいるアギレウスは、大剣を所持していない。だが、竜人の身体能力は獣人を凌駕していると聞く。

 事実、フォエニカル隊長の話しによれば、アギレウスは今大会で全ての敵を大剣の一振りで両断しているそうだ。

 あの見るからに重量のありそうな大剣を振り回す膂力と、獣人に避ける間も与えずに一撃で斬り殺すという、巨体に見合わぬ瞬発力を兼ね備えているのだから、高い実力の持ち主である事は疑いようが無い。

 改めて、この距離でアギレウスを見てみると、その話しが嘘では無い事がわかる。

 無駄無く発達した筋肉。着込んでいる鎧。知性を感じさせる眼光。

 戦奴なのに、明確な意志と目的を持ち、その目的を達成する為に訓練を積んでいるように見える。いや、そうとしか見えない。

 アギレウスは僕と同じように、何かを手に入れる為に、大会で優勝しようとしている……ような気がする。

 仮に僕のこの勘が当たっているのだとしたら、戦闘を警戒していたが、その可能性は低いのか?

 ……まあ、それでも、警戒を解く気はないが。


「それで、お話しとは何ですか? ルドベキア」


 僕なりに今回の話し合いについて考えを巡らしていたところ、アルザギール様はルドベキアに訪問の目的についてお尋ねした。

 対してルドベキアは、もう一度お茶を飲み、話しをするのを勿体ぶっているかのような態度を見せ、ゆっくりとカップを置いた。そして、これもまたゆっくりと口を開いた。


「お話しと言うのはですね。この大会についてのお話です」


「大会について、ですか?」


「そうです。単刀直入に言わせていただきますが、三日後に迫った大会の決勝戦ですけれど、どうかそれを棄権してはいただけないでしょうか?」


 まるで、明日ちょっとお茶でも飲みに行きませんか? というぐらいの気軽さで、ルドベキアは予想外の台詞を口にした。


「棄権? それは……どうしてですか?」


 アルザギール様は困惑し、僅かに口籠ったが、すぐに思考を立て直して理由を問い質された。

 僕はその理知的なご様子に感服しながらも、棄権などと口にしてアルザギール様のお心を弄ぶとは、ルドベキアは許し難い、と思った。

 しかし、ルドベキアの次の言葉は更に許せないものだった。


「実は私は、この大会でアギレウスを勝利させ、戦闘用も含めた、全ての奴隷の解放を……言うなれば、奴隷制度の撤廃を訴えるつもりなのです」


「それはどういう事ですか? 僕達のような戦奴は必要無いと言う事ですか?」


 彼女の言葉を聞いた次の瞬間には、思わず口を開いてしまっていた。

 ルドベキアとアギレウスだけでなく、アルザギール様もこちらを振り向き、全員の視線がこちらに集まった。

 ……しまった。と思ったが、もう遅い。つい感情的になってしまった。


「申し訳有りません」


 主人より先に発言してしまった非を詫びる為に、僕はその場に跪き頭を垂れた。


「アルザギール様の戦奴、ユーリ。あなたの活躍ぶりは知っています。そして、あなたの言いたい事は尤もな事です。今の発言について、私は気にしていないので、どうか頭を上げてください」


「……」


「ユーリ、ルドベキアもこう言っている事ですし、頭を上げなさい」


「……はい。大変失礼致しました」


 アルザギール様に促され、非常に申し訳ない気持ちになりながらも立ち上がり、再度深く頭を下げてアルザギール様のお心の広さに感謝の意を示した。

 ルドベキアはそれを自分への謝罪だと勘違いしたようで、気を良くしてニコリと笑い、話しを続けた。


「アルザギール様は、疑問を抱いた事はありませんか? あなた方や、私たちが生み出してしまった、獣人や竜人などの新しい生命が、何故こんなにも残酷な目に遭わなければならないのか、と」


「……」


 その沈黙は肯定なのか、それとも否定なのか。

 僕にはわかりようもないが、アルザギール様はただまっすぐにルドベキアの視線を受け止めておられる。


「アルザギール様と、吸血鬼の方々のお力添えにより、かつての大戦で勝利を納めた私たちは、これまで虐げられてきた鬱憤を晴らす為に、そして、娯楽の為に、あの巨獣共を用いて様々な種を造り出し、奴隷として、奉仕させてきました……しかし、私は思ったのです。造られたとは言え、彼ら奴隷は単なる道具では無い、と」


「……」


「彼らには、彼らの意志があります。それは、私達と同じ、自由を求める意志です」


「……」


「私は、彼らのその自由意志を尊重しています」


「……」


「人間や巨獣、それに獣人達は、家畜以下の存在だと言われ続けていますが……私のアギレウスをご覧になってください。彼には我が家に仕える武人達と同じ教育を受けさせています。その結果、彼も正規の武人と遜色無い実力と教養を持つ存在と成りました。つまり、しっかりとした教育を受ければ、彼らもまた、私達と何ら変わらない、文化的な存在に成れるという事なのです」


 ルドベキアのその説明で、何故アギレウスがきちんと手入れされた鎧や剣を持っていたのか合点がいった。

 なんてことはない。つまりは、質の良い調教をした、というだけの話しである。


「私はアギレウスを勝利させ、彼に武人としての身分を与えます。そして、それを皮切りに、奴隷達に身分を与えるよう、他の商人たちや、吸血鬼の方々にも、訴え掛けるつもりです」


 乾いた口を潤す為か、ルドベキアはお茶を口に含んだ。


「そうですか」


 相槌を打ったアルザギール様も、それにつられてかお茶をお飲みになった。

 僅かな間、沈黙が場に降りた。

 ルドベキアは曇りの無い瞳でアルザギール様を見据えている。

 僕は改造された瞳で、彼女の呼吸音、脈拍、発汗、顔面の筋肉の動きを観察したが、変化の無い様子からして、嘘は吐いていなかった。

 彼女は冗談ではなく、本当に奴隷制度を撤廃するつもりでいる。

 変な事を考える女だ。

 正義感からの行動なのか?

 それとも、自分の先祖がやって来た事に対する自責の念なのか?

 理由を知りたいところだが、僕のような一介の戦奴にこの場で発言する権利は無い。それに、アルザギール様のお話しを邪魔するわけにはいかないので、喋りたくは無い。

 ああ……今更ながらだが、さっきは本当に出過ぎた真似をしてしまった。激しい後悔の波が押し寄せて来た。僕はなんて間の抜けた発言をしてしまったのだろうか。突然の事に弱いと言うか、アルザギール様が絡んでいると、自分を制御出来なくなってしまう。

 やれやれ、だ。もう二度とこんな失態を晒さぬよう、次から気を付けなければ。

 僕は静かに深呼吸して、心を落ち着けた。

 丁度その時、ルドベキアがおもむろに口を開いた。


「アルザギール様。あなた様にも、奴隷について何か思うところがあるのでしたら、ここはどうか、全ての奴隷たちの為に、決勝戦を棄権してはいただけないでしょうか?」


「……」


 アルザギール様は、顎の先に右手の人差し指をお当てなさり、お悩みになっておられる。。

 悩んでおられるところ申し訳ないが、相変わらずとても可愛らしい仕草だ。ここが人間の世界だったら、何十枚も写真を撮って保存しておきたいところである。

 トン、トン、トン、トン、とアルザギール様は数度、顎を叩いた。

 何をお考えになっておられるのか。

 出来る事ならばもう少し悩んでいて欲しい。

 不遜ながらもそう思った。

 そう思った矢先に、アルザギール様がくるりとこちらに顔をお向けになられたので、僕は、まさか心を読まれていたのか? 叱責されるなのでないか? と不安になったのだが、


「出来れば、その話しは、ユーリにしてあげてくれませんか?」


 アルザギール様はこちらに微笑みかけ、それからまたルドベキアに向き直った。


「元々、この大会に出たい。と言ったのはユーリなのです。ですから、棄権するかどうか決めるのは、ユーリの判断に委ねたいと、私は思っています」


「アルザギール様……」


 何と有り難いお言葉だろうか。

 こんな僕に決定権を与えてくれるとは、まさに主人の鏡である。


「そうですか……それでは、ユーリ。あなたに問います。どうかこの先の魔界社会の為を思って、決勝戦を棄権してくれませんか?」


 ルドベキアは、アルザギール様とお話ししていた時と同じく、礼儀正しく僕にお願いした。

 全ての奴隷を解放したいというその思想に嘘偽りは無いようで、誠意を以て僕と接してくれている。

 とは言え、この場合は僕がアルザギール様の代弁者というような立ち位置なので、それを踏まえて礼儀正しくしているだけかもしれないが……。


「そうですね……」


 さっきまでルドベキアは何かと奴隷の解放やら、教育がなんやらとだらだらと喋っていたが、そんな事は僕には全く関係無い。

 と言うか、そんなものは人それぞれではないか。

 僕だって、お前のところの戦奴と同じように、アルザギール様のお陰で良い暮らしをさせていただいているのだ。

 それなのに解放する、だと?

 自分よがりの正義を掲げた行動なんて、迷惑千万極まりない。

 故に、僕の答えは、決まっている。


「誠に申し訳有りませんが、棄権はしません。あなたと同じように、僕にも、どうしても叶えたい願いがありますので」


「叶えたい願い? ……差し支えなければ、それを教えてはくださいませんか? 用意出来る物ならばこちらで用意させていただきます。それで、どうか……」


「申し訳ありませんが、僕の願いを叶える事は、あなたには出来ません」


 僕の願いは、僕が叶えなければならない。そうでなければ、ならない。

 故に、丁寧な申し出を、ばっさりと斬って捨てた。

 それでも、ルドベキアは諦めない。


「……アギレウスが優勝すれば、そう遠くない将来に、あなたも正式な身分を得る事が出来るのですよ? 戦奴などという、闘う為だけの身分から解放されたくはないのですか?」


「現状に不満はありません。この戦奴という身分こそ、僕が最も能力を発揮出来る適切な身分だと考えています」


「そうですか……いえ、しかし……それでも……それでも、あなたには……あなたのような戦奴には、他の選択肢も与えられるべきだと、私は言っているのです」


「選択肢など必要有りません。僕は自分の意志で、この戦奴という生き方を選んだのです」


「……」


 ルドベキアは怒っているような、困っているような、形容し難い複雑な感情に揺さぶられている目つきになり、その目をアルザギール様に向けた。

 これでいいのですか? いいはずがないでしょう? あなた様からも自分の奴隷に何か一言ってあげてください。と視線で訴えているように見える。

 だが、そこは流石アルザギール様であった。

 アルザギール様は、その視線をやんわりと受け止め、小さな肩を上品にすくめてみせた。


「私は自分の戦奴の意志を尊重しています。ですから、ユーリに棄権を強要するなど、出来るはずもありません」


「そう……ですか……」


 ルドベキアは口惜しそうな顔つきをしたが、それもほんの一瞬だけで、一つ溜め息を吐くと共にすぐさま余裕のある表情に戻った。


「私が……私が棄権を勧めたのは、奴隷解放という、目的の為というのが大きいのですが……少なからず、あなた様の戦奴を心配しての意見でもありました。……アルザギール様、あなた様の戦奴であるユーリは、他のつまらない者たちの玩具とは違い、非常によく造られています。正直、彼のような知性を持つ者を殺すのは、私としては避けたいところなのですが……」


 致し方ありませんね。と、ルドベキアは言った。

 どうやら、棄権しないのであれば僕を殺して優勝するつもりらしい。

 けれども、僕の事を信じてくれているアルザギール様は、その言葉に全く動揺を見せず、あっさりと頷いた。


「それが出来るのであれば、どうぞそうしてください」


 それは、自信に満ち満ちたお言葉であった。

 僕の勝利を信じて、疑いなど一切抱いていない、心からのお言葉であった。


「……そうさせていただきます。……もう知っているとは思いますが、アギレウスは、かつての大戦で猛威を奮ったという、赤い竜の血を引くものを使い、母体となる人間の女も若く健康な者を厳選して、最高の素材を集めて造った戦奴です。健康管理、質の高い訓練、一級品の装備などを用いています。……アギレウスは、私の商会が……いえ、私が、私の夢を叶える為に造り上げた、最高の戦奴です」


 一方のルドベキアは、聞いてもいないのに唐突にアギレウスの凄さを語った。

 内容を要約すると、アギレウスは凄く強いのだから、あなたの戦奴に勝ち目はありません。棄権するならば今のうちです。と言っていた。

 だが残念ながら、僕にその手の脅しは効かない。

 ここで闘いをやめるのは、アルザギール様のお美しいお顔に泥を塗る行為に等しい。いや、アルザギール様の美貌ならば、例え泥を塗りたくられてもそのお美しさをお保ちになるのだろうけれど……とにかく、大会での勝敗には僕の命だけでなく、主人の名誉も掛かっているのだ。

 僕が棄権したら、きっとアルザギール様は社交界の陰で「あいつの戦奴、自分の命大事さに棄権したんだぜ」などと後ろ指を差されるはめになってしまうに違いない。

 そんな事は絶対にさせない。

 僕のアルザギール様への想いは、決して、折れない。


「吸血鬼としての特性を持ち、訓練を積んだあなたでも、私のアギレウスが相手では勝ち目は薄いと思われます。……それでも、闘いますか?」


「はい」


 僕は一切の躊躇なく、迷いもなく、即答した。


「……そうですか、残念です」


 ルドベキアは本当に残念そうな、哀しそうな表情になり、溜め息を吐いた。


「……」


 これは演技だ、と、直感でわかった。

 普通の男なら、この今にも泣き出しそうな表情に騙されるのかもしれないが、僕はアルザギール様にお仕えさせていただいている戦奴だ。アルザギール様以外の者に心動かされたりはしない。

 ルドベキアも僕に泣き落としは効果がないと判断したのか、早々に涙を拭う振りをして立ち上がった。


「決勝戦は三日後です。もし考えが変わったのならば、私に知らせてください」


 僕は頷かなかった。

 立場が上の者に対して失礼な行為だとは思うが、考えが変わる事などないからだ。

 ルドベキアから視線を外すと、一瞬、アギレウスと目が合ったが、彼は、当然だろうな。とでも言っているかのような、悟った目つきだった。

 同じ戦奴だからか、彼は僕の自由意志を尊重してくれているのだろうか?


「それでは、お話しは終わりましたので、失礼させていただきます。アルザギール様」


「ええ。またお会いしましょう、ルドベキア」


 そうして、ルドベキアとアギレウスはテラスから去っていった。

 アルザギール様は二人が帰った後もテラスに残り、花を愛で、メイドに上質な血液の注がれたグラスを持ってこさせ、それを口にお含みなった。

 そして、言った。


「素敵な方々でしたね。彼女も、彼女の戦奴も、この世界を憂いている事がよくわかりました」


「……はい」


 ルドベキア達を認めるのは癪だが、アルザギール様の言う通りである。

 世界を憂いているという点では、二人は確かにそうだった。


「それにしても、何故、他の者も、今の彼らのようにならないのでしょうか? この世界に生きる者は、殆どが皆、かつての大戦の勝利に、未だに浮かれ騒ぎ、支配に満足し、ただただ己の享楽の為に生きるばかり……この世界の為になるような……この醜い世界を変えるような、そんな目的を、何故、皆は持たないのでしょうか……」


「アルザギール様……」


 寂し気な瞳をグラスに向けられた、アルザギール様。

 この世に存在する、有象無象の者達を憂うそのお姿は、あまりにも悲しそうであり、僕は白い手袋に皺が寄るのも厭わず、強く拳を握りしめていた。

 誰に問いかけるわけでもなく、独り言のように吐き出された、疑問。

 その答えは、僕の欲するものでもある。

 僕は、アルザギール様の悲しみを癒したい。

 あの時、助けて貰ったお礼として、アルザギール様の力になりたい。


「……」


 その為には、この大会で優勝する必要がある。

 故に、今はまだ、言えない。

 絵空事では、駄目なのだ。

 現実にしなければならないのだ。

 勝者の願いが叶えられるというのならば……。

 僕が、願うのは……。


「……」


 グラスを、その中で揺れる血を見詰める、アルザギール様の物憂げなご様子を伺いながら、僕はその時が訪れるのを夢想していた。


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