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城塞サイド1−1、援護と見張りの二人

 弓を構える。

 肩に掛けた矢籠から矢を取る。

 番える。

 放つ。

 ここまでの動作が瞬きを一つする間に三度は行われる。


「いや〜すごいですねぇ。ぼく全然見えないんですけど、今の全部当たってるんですよね?」


「当然だ」


 快活に喋るアイン・ナナ・ルイン。

 それに、エリエア・トランキノが短く応えた。

 口を開く前に一射。口を開いているうちに一射。口を閉じる時に更に一射。

 不意の落下を防止する為の、腰の高さ程度しかない壁。

 その壁の手前で、構え、三度続けて放たれた矢は、吹き晒す風を受けているはずなのに真っ直ぐと、音も無く眼下に広がる敵の群れの中へと吸い込まれていく。


「狙ってるのは部隊長とかですかぁ?」


「そうだ」


「あー、やっぱり。そうだと思ったんですよねぇ〜」


「何故そうだとわかる? 見えないと言ったのは嘘か?」


「見えないのはほんとですよ。ここから敵の動きを見て何となくそう思ったんです」


「ほう。動きで、か。中々良い観察眼をしているな、貴様」


「獣人のトランキノさん程じゃないです。それなりですよ」


 彼らのいる位置は、高い。

 自然が作り出した洞窟を利用した、天然の要塞の最上階。屋上である。

 眼下で繰り広げられているのは、ロジェが率いてきた大軍とユーリとの戦闘——否、戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的なもの、虐殺だった。


「トランキノさんもすごいですけど、ユーリさんもすごいですよねぇ。特にさっきのとかすごかったなぁ。百体くらいかなぁ? あれだけいた竜人を巨大な剣でずばっ! っと一息に斬っちゃたんですから。流石は吸血鬼だなぁ。ほら、あれ見てくださいよ。敵が背中を見せて逃げていってますよ。そりゃあ逃げますよねぇ」


「口よりも手を動かせ。貴様も射ろ」


「え〜? 弓はトランキノさんに任せてるんですけど……と言うか、これだけの竜人とか獣人をロジェ様はどこから集めてきたんだろう? インカナ様たちを始末する為に……この時の為に、前もって準備してたんでしょうか?」


「知らん。黙って射ろ」


 言いつつ、一射。

 巨獣由来の高い身体能力を誇る獣人は、勿論視力も優れている。

 トランキノの瞳には自身の放った矢を瞳に受けて倒れる敵の兵士の姿が見えている。

 苦悶する事も驚愕する事もなく、戦いに向けて闘志を漲らせた顔のまま絶命する兵士。

 心の弱い者、覚悟の無い者は、死する敵の顔を見る事を嫌う。

 目の良い彼らには鮮明に見えてしまうのだが、自らの一撃で命が散る様は見ていられないのだという。

 しかし勿論、トランキノそのような者ではない。

 彼女には覚悟がある。

 殺し、生きる覚悟が。


「これ射る必要ありますか? ユーリさんに援護なんていらなさそうですけど?」


「部隊長などを打ち漏らしては後々面倒になる。だから自分の手で仕留めている」


「えー? 何ですかそれ? ユーリさんを信用してないんですか?」


「あいつの力は信頼している。だからこうやって要所のみを射抜いている」


「ふーん。そういうもんですかぁ。仲間想いですねぇ」


「当然だ。狩りには連携が重要だからな」


「そんなもんですかぁ」


「貴様も手伝え。ユーリではなく自分を援護しろ」


「ぼくはトランキノさんより弓が上手ではないんですけど」


「かなりの腕前だとインカナ様から聞いている。射ろ」


「あーあー……まったく、インカナ様は……そうやって褒めてくれるんだから……」


 項垂れ、ため息を吐き終えると、アインも弓を構えて、見定め、一射を敵の群れへと向けて放った。


「ほう。やるな。この距離から命中させられるとは」


「インカナ様からお褒めに預かるくらいの腕前がありますからねぇ」


「確かに良い腕をしている。しかし自分程ではない」


「だからそれはそうですって。ぼくは獣人でもないし狩人でもないですから」


 トランキノの発言は嫌味でも自慢でもなく、事実を述べているに過ぎない。アインも言葉の空気感からそれを感じ取っているので、のんびりと受け応えしつつ、続けて矢を放つ。

 狙うのは馬に乗っている兵士だ。

 高い場所から見下ろしているのは隊を指揮する者に違いないとして、そのような者から優先的に狙っている。

 即死でなくとも、致命傷を与えられればそれでいい。

 そういう気概で放つ弓により、指揮者が倒れる。

 結果、雑兵は右往左往し、ユーリに追われ、斬られていく。


「このまま楽に終わってくれたら嬉しいんですけどね」


「吸血鬼であるロジェ様がいる。楽に終わる事はない」


「ですよねぇ……それにしても、何でロジェ様はこんな大勢率いてここを襲いに来たんでしょうか? こっちにはインカナ様を筆頭に多くの吸血鬼がいます。こんな普通の兵士だけで殺せるわけないのに……と言うか、吸血鬼にとっては兵士とか逆に餌でしかないのに……」


「自らの餌とする為だろうな」

 

 言いつつ、トランキノはその餌を一息に三人射殺した。


「あ〜。なるほど。インカナ様たちとの戦いで血を失った時とかに、自分の連れてきたやつらを殺して血を吸って回復するってわけですかぁ。ひどいこと考えるなぁ」


 自らもまた殺しという酷い事をしているという自覚はアインにはある。が、深くは考えない。敵を殺すのは当たり前の事だからだ。


「あくまで緊急時の策だろう。実際は経験を積ませる為だと自分は思う」


「経験?」


「こいつらは一つ前の街で残虐な殺戮を行った。あれは殺しに慣れさせる為だ。無抵抗な相手を殺す事に罪悪感を抱かぬようにする為だ」


「……何でそんなことさせるんですか?」


「ここで大きな戦いを経験させ、アルザギール様達を屠った後、武力によってこの世界を支配するつもりなのだろう」


「なるほどなぁ。確かにそうですね。殺しの経験があるのとないのとじゃあ結構違いますからねぇ……でも、そうやって殺しをしたそいつらみんな、今凄い勢いで死んでいってますけどね」


「ああ。やはり吸血鬼は凄まじい」


 それはまるで一本の木が成長していく様のようだった。

 一人の敵を貫いたユーリの血の刀は、そこを起点として伸びていき、次から次へと敵を貫いていく。

 まさしく、血を栄養にして育つ樹木。

 戦いと呼ぶにはあまりにも一方的過ぎる虐殺。

 しかしそのような光景を眼にして、命が無残に散る様を嘆く者はここにはいない。


「語り継がれた話で聞いただけだったが……これだけの力があれば、かつての大戦の勝利は吸血鬼のおかげというのにも頷ける。血を武器とする力は、このような乱戦でこそ真の力が発揮されるからな」


「ですね。それこそインカナ様が『このインカナ様は一人で千を越える巨獣を倒したぜ!』なんて自慢してましたけど……本当にそんなことが出来そうですよ。これなら」


 数の不利で押されていた戦局を簡単に覆す、圧倒的な暴力の奔流。


「もうぼくたちに出来ることはありませんね。インカナ様はミナレットさんに、ユーリさんを手伝えって命令して送り出してましたけど、これ手伝うことあるのかなぁ」


「……」


 トランキノは応えなかった。

 視線は目まぐるしく戦場を駆けている。

 どこが弱所で、どこが要所か。

 視覚情報及び、様々な気配が構築する空気の感じを見ている。

 静かに。

 そして、彼女は見付けた。


「……いた」


 吸血鬼、ロジェ・ヘリオト・ヘリオ・ガレリオ。

 その姿を捉えた

 どこから現れたのか。いつの間にか逃げ惑う兵士の中にロジェが立っていた。

 彼は右手を伸ばし、手近にいた一人の兵士の肩を掴んだ。

 当然、トランキノは何か激励の言葉を掛けるものだと思っていた。

 逃げるな。戦え。そういう在り来りな台詞。けれども戦場で主から掛けられてこれ程嬉しい言葉はあるまい。兵士を鼓舞するのも主の役目である。

 トランキノはそう考えていた。だが、それが間違いであるとすぐに知った。


「何だ?」


 兵士の肩から赤い何かが出てきた。

 直後、兵士は倒れた。血を抜き取られ死んだのだ。

 死体に興味はない。

 即座に視線をロジェが握る物に移す。

 それは槍だった。

 とても簡素で無骨な、即席の血の槍。

 ロジェがそれを肩に担ぐようにして構えた。

武器を手にして、投擲の姿勢。

という事は、それを用いて攻撃を行うという事に他ならない。

この状況で、ロジェが狙うのは——


「避けろ! ユーリッ!」


 思わず、トランキノは叫んでいた。

 距離的に聞こえるはずはない。実際それは聞こえなかった。だが、ユーリは辛くも回避し、頬の肉を浅く裂かれただけで済んだ。

 ユーリの無事を見届けるより前に、足元に伝わってきた振動。

 小さいが、しかし城塞が揺れたのは確かだ。


「ただの槍一本でこれ程か……!」


「うっわぁ〜。流石は吸血鬼ですねぇ。これやっぱりロジェ様一人で城攻めした方が良かったんじゃないかなぁ」


 トランキノも無言で同意する。

 結局のところ戦いとは力の大きさで何もかもが決まる。

 数を揃えるのは力そのものを増やすという点で意味はあるが、一人でそれを凌ぐ力を持っていれば数に頼る必要など無い。

 吸血鬼は最強だ。

 全てを圧倒する力を誇っている。

 兵を率いて来たのは経験を積ませる為。あるいは餌にする為だとトランキノは予想したが、ここまでの力を持つ者に果たしてそんな事が必要なのか? と疑問を抱かずにはいられない。

 他に何か別の目的があるのではないか?

 疑念が過った。

 その時、無数の苦痛に満ちた叫び声が、血に塗れた大地から彼らのいる遥か高みまで昇ってきた。


「何だ? 兵士の動きが止まった……いや、止めたのか?」


「これ……どういうことですか?」


「わからん」


 一体何が起こったのか。

 見てわかるのは、何かが起こり兵士達がその場に釘付けにされたという事だけ。


「ロジェ様が足下から血を伸ばして、地面から突き上げたんでしょうか? けどそれだと一人一人の足を狙うのはいくら吸血鬼といっても難しいか……あらかじめ血を仕込んでいたって考えた方がいいかもしれませんね。食べ物に混ぜるとかして、体に入れておけば、後は状況を見て硬化させるだけで済むわけですから……でも、何で味方を……?」


 吸血鬼は血を操る。

 故にこの不気味な惨状も血を使って生み出したと考えるのが妥当。

 問題は、何故? という部分について。


「血を留めた。そう考えるべきだな」


「ですかねぇ。ロジェ様にとってあの人たちは血の袋ってことかぁ」


 元から戦果など特に期待していなかった。という事だ。

 兵を育てる為に殺しをさせたと考えていたトランキノは思わず笑いそうになった。自分の考えは全くの的外れであった事に気付いたからだ。

 兵として戦い、敵を殺せばそれで良し。そうでないなら自分で使う。餌として、武器として。

 ロジェにとって自分以外の生き物はそういう便利な道具程度のものなのだ。

 吸血鬼と自分達は常識が異なる。

 それを再認識して、ロジェに向かって走るユーリを見て、彼女は弓を構えた。


「兵などどうでもいい。ロジェ様だ。やつを仕留めればこの戦はこちらの勝ちだ」


 彼女自身、一本の矢で仕留められるとは露程も考えていない。

 だが、当たらない。とも考えていない。

 この距離ならば自分の矢は必ず命中する。その確信がある。

 こちらは風下。匂いも気配も無い。風切り音が少しはするだろうが、それは戦闘の音でかき消される。聞こえないに等しい。

 つまりは、当たる。


「——」


 撃つべき時は、ユーリとロジェが剣を交えている瞬間。

 ユーリが剣を振るう。

 ロジェがそれを捌く。

 その最中に、


「ふっ」


 一射。

 極限の集中の下で放たれた矢は、強い風を難なく乗りこなし、闇を裂いて進む。

 狙いは左の眼。

 吸血鬼は不死身に近いが、矢が刺さったままならば眼は再生しない。

 片方の視界を奪う。

 視界を奪って死角を作る。

 死角を作ればユーリの剣撃が入る機会が出来る。

 剣撃が入れば勝機が生まれる。

 自分の矢はあくまで援護。

 けれど勝利に繋がる決定打。

 これで勝負が決まると確信しての一射は、しかし、


「なにっ!?」


 目前で、剣に阻まれた。


「どうしました? 防がれたんですか?」


「馬鹿な。ありえない」


 獣人よりも視力の劣る白耳長のアインの問いを否定して、今の一射の結果を再確認するようにトランキノは眼を凝らした。

 僅かな殺気も籠めていない一射だった。

 間違いなく当たるはずだった。

 それが弾かれた。

 こちらに気が向いている様子は無かった。

 矢が飛来する方向を見てすらいなかった。

 永い時を生きる吸血鬼は戦闘の経験値が桁外れに高い。感じ取れるはずの無い攻撃を無意識に感じ取り撃ち落としたのか? 戦いを極めた者が到達する領域に達しているという事なのか?


「ここはユーリさんに任せるしかないみたいですね」


「そうだな。だが、やつには何かある。それを確かめる必要がある」


 この距離から出来る事は限られている。

 そうであっても、確かめずにはいられない。

 何故防がれたのか?

 今のは一体どういう事なのか?

 狩人としての誇りがそれを突き止めようとして、矢を番え、再び攻撃を試みようとした——まさにその時、だった。


「——っ!?」


 トランキノの右の掌を、何か、深い赤色をしたものが、貫いた。


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