幕間・いつかの記憶。届かない声の記憶。
「ユ……リ、リ……聞こ……て……か?」
耳元でアルザギールの声がした。
僕は視線だけを動かして彼女の紅い瞳を見て、ゆっくりと一度瞬きをした。聞こえていると合図を送ったつもりだが、実際のところは殆ど聞こえていない。
頭の中で鳴っている音がうるさ過ぎるからだ。
ギギギとか、ガガガガガとか、硬質な音が響いている。
これは、粉々にされた僕の骨が再生する音だ。
この日、魔女はずっと僕の骨を折り続けた。
今にして思えば、魔女が連れて来た、獰猛な獣の顔と屈強な人間の胴体が合わさったヤツが、僕が初めて見た獣人だった。
魔女は獣人に、僕を破壊するよう命令した。
「そうそう。良いよ、獣人君。その調子だ。どんどん骨を折ってね。けど、もっと本気で、それこそ殺す気でやってくれていいよ。内臓が損傷しても構わない。肉を抉ってもいい。頭を潰しても大丈夫。輸血さえちゃんとしてとけば、これは死なないからね」
魔女の命を受け、獣人は僕の体を拳で叩いたり、爪を突き立てたりした。
「――」
次から次へと与えられる痛みに、声を上げる事もままならなかった。
腹を抉られ、肋骨をへし折られ、鎖骨を折られた。腕や足なんて、僕が吸血鬼じゃなかったら二度と真面に機能しないだろうと思えるくらいに、徹底的に破壊された。加速度的に、僕の体の骨の数は増えていった。
折れて砕けた骨が皮膚を突き破って飛び出し、出血で体が赤く染まっていく。
そうしてそのまま数十分。様々な破壊の音がする中に、不意に、ガギギギ、という硬質な音が混じり始めた。
「おっ……再生が始まったみたいだね。……良いね。凄く良いよ。この前よりも再生速度がずっと速くなっている。良い傾向だ」
魔女は僕の変化にめざとく気付き、ノートにメモを取り始めた。
「吸血鬼は再生する度に肉体の強度が増すんだけど、本物でなくとも、こんなに勢いがいいとはね……いやはや、凄いもんだね、吸血鬼って。……それにしても、血を提供してくれて、こんなにも珍しくて素敵な人体実験もさせてくれるなんて……感動だなぁ。腕によりをかけて、お返ししないとなぁ」
魔女はガスマスクの奥から、嬉しそうな声を発した。しかし当然ながら、礼を言われても僕は少しも嬉しくなんてなかった。
「さてさて、一先ず今日のところはこのまま肉体を破壊し続けて、再生させ続けるとして……後は血液量を増やして、攻撃力と防御力を向上させれば……いや、まずは爪や歯かな? 血液を武器に使えるとは言っても、強靭な肉体は絶対に必要なのだし……」
魔女は一人で呟き、忙しなくノートに何か書き込み、それから暫くして、僕を壊し疲れた獣人を休ませる為か、二人で部屋から出て行った。
アルザギールが部屋に入って来たのは、それから少ししてからだったと思う。
「ユー……き……か……?」
彼女が何を言っているのか、わからなかった。
僕の体は内側から発せられる音に苛まれていた。
ガギギギ。ギギ。ギギグ。ギーギーと、体中の骨という骨が悲鳴を上げていた。
骨振動によって、脳に直接響く音だ。
頭蓋骨が揺れていると言うか、全身が揺れていると言うか……とにかく外の音が聞こえないぐらいに酷い音が鳴っている。
アルザギールは僕の様子を観察して、会話が出来ないと悟ると、残念そうに部屋から出て行った。
「……!」
僕は慌てて手を動かして叫ぼうとしたが、それは叶わなかった。
僕の腕はまだ砕けていてグズグズで殆ど動かす事が出来ず、その上、頭に鳴り響く音のせいで、声が出ているかどうかも定かではなかった。
何か、何か伝える方法は無いのか? と必死で考えていたが、騒音で思考はまとまらず、そうしているうちにドアが閉まり、光が消え、何も見えなくなった。
アルザギールは行ってしまった。
僕の前から、去ってしまった。
途端に、凄まじいまでの孤独感が襲い掛かってきた。
この部屋には、僕一人だけしかいない。
一人……。
一人は……嫌だ。
一人は、嫌だ。
こんな痛みを抱えたまま、一人になるなんて、絶対に嫌だ。
誰かに傍にいて欲しい。
傍にいて、慰めて欲しい。
温もりを感じていたい。
嫌だ。
一人でいたくない。
「……!」
僕は声にならない叫び声を上げた。
待ってくれ。
戻って来てくれ。
傍にいてくれ。
僕の傍に……。
アルザギール。
アルザギール。
アルザギール……。
僕の叫びは誰にも届かず、代わりに、ガギギ、ギギ、と、骨が再生する音だけが、虚しく体の中で響いていた。