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2−6、呆気ない幕引き。

「吸血鬼は最強の力を持つけれど、だからこそ痛みには弱いものだ。致命傷でも立ちどころに再生する。だが、再生しない傷を与え続けられるとどうなるのか? 身を内側から抉られる痛み。骨を削られる不快感……それは、例え歴戦の吸血鬼といえど耐えられるものではない」


 意図していない箇所からの痛み。

 熱を持つ肉。

 自らの体液が自らの体を汚す。

 血……。


「吸血鬼を殺すのは難しい。血を全て無くさなければならないからね。剣で斬るにしても、血を吸うにしても、実力の近い者が相手だと手間が掛かる。だからこそ、考えたのだよ。どうすれば楽に殺せるのか? という事について。悩んだが、この問いに対する答えは実に簡単なものだった」


 ガギギ。

 ギギ。

 嫌な音がした。

 骨の髄に伝わる音。

 脳に直接響く音。

 衝撃。


「与えればいいのだ。吸うのではなく、吸わせればいいのだ。互角の実力を持つ者と戦う際に役に立つのはこういう考え方だよ。如何に戦わないかという事だね。わざと斬られるという点では、奇しくも君が考えた戦法と近いよ。違うのは、与えるという事だけだ」


 膝が折れる。

 ざくりと軽い手応えがして、どこかから生えている棘が体のどこかに刺さった。

 ダメージが増えた。

 血の流れが増えた。

 右腕が上がらない。

 左なら……ああ、そうだった。左半身は自分で斬り捨てたのだった。

 動けない。

 この体のどこに動かせる部分があるのか。

 負傷箇所が多過ぎて把握出来ない。


「スオウもこのようにして倒したのだよ。……まあ、流石にスオウにはわざとではなく、実力で負けて斬られてしまったがね。しかし彼は優しかったから、私の血を死なない程度に吸って無力化を図ったようだけれど……私はその時に自らの血を自らの意志で送り込み、今の君のようにしたわけだ。さしものスオウも、これには為す術無しだった。再生も攻撃も出来ず、勝利を確信してから一転。私に敗れる事になったのだよ」


 ロジェは己に酔ったように語っている。

 それが耳に入るが、体の中からする音がうるさくて、よく理解出来ない。

 ギギ。

 ガギギ。ギギ。

 ジュク。

 グチュリ。

 ギィ。

 グチ。


「う……げ……」


「無理に動かない方が良い。動くと血の刃が体の中を傷つけてしまうからね。痛いのは嫌だろう? 苦しみが早く遠ざかってくれれば良いのにと思わないかな? もしそう思っているのならば、そのまま動かずにいる事だ。そうすれば楽に死ねる。そうするべきだと私は思うよ」


「あ、が……」


「君はよく頑張った。アルザギールの為にその身の全てを捧げて、この私と戦った。一歩及ばなかったものの、健闘はした。だから、安心したまえ。この戦いは歴史に残そう。私の戦績を彩る為に、後に語り継がれる物語の一説に加える事を約束しよう」


「が……は……」


 血が流れていく。

 大量の血が。


「素晴らしい戦いだった。が、ここまでだ。劇的な演出が出来なくてすまないが、そろそろ幕引きと……うん?」


「あ、ぐ……げ、え……」


 無数の刃が体を裂く。

 千切れた内臓が混ざり合う。

 血溜まりが広がる。


「何だ……? この感覚……これは……何のつもりだ?」


「あ、あ……」


 ああ、アルザギール様。本当に申し訳ありません。

 あなた様のご命令を迅速に遂行するつもりだったのですが、このような事になってしまっています。

 正直に申し上げます。

 僕はロジェには勝てません。

 文字通り、歯が立ちません。逆に刃を立てられています。……なんて、こんな冗談はアルザギール様の前で言う事はありませんね。

 はは。

 つまらない事を考えてしまうくらい、どうしようもありません。

 僕は負けています。圧倒的に。

 どのような方法を取っても、ロジェに敵いません。

 故に、こうするしかありません。


「何故だ? 何故君は私の血を吸い続けているのだ? 私の血は君には吸収出来ない。血を吸うという事は自らを傷つける行為に他ならない……それなのに……余程早く死にたいのか? それとも、まさか、その逆だとでも言うのか?」


「ぐ、げ、げ……」


 口の端から大量の血が溢れ落ちた。

 笑おうとしたのだが、声も出ず、笑みも上手く作れなかった。

 何故笑おうとしたのかだって?

 お前の言う通りだ。

 逆だ。

 お前が送り込む血を抵抗せずに、むしろ素早く受け入れているのは、早く死にたいからじゃない。

 お前を殺す為だ。

 僕はお前に勝てないが、負けるつもりもない。


「肯定か。まさか本当に私の血を吸い尽くすつもりだとは……恐るべき精神力だが、その体ではもはや無理だ」


「げほっ」


 更なる刃が身を斬り裂いた。

 どこに視線を向けても体から飛び出している赤いものが目に入る。


「諦めたまえ。この痛みを耐える事など、誰にも——?」


 ロジェが眉を顰めた。

 それもそうだろう。

 こいつは、ここまで徹底的に痛めつければ抵抗など出来なくなると考えているのだ。

 それなのに、僕が未だに血を吸う事を止めないのを疑問に思っている。


「何故だ? 君は痛みを感じないのか? ……いや、そんな事はありえない。痛みを感じない者などいない。現に君の体は悲鳴を上げている。震えている。呼吸も荒い。もう立つことすらままならない。限界だ。君はもう限界を迎えている」


 限界であるという事を認めさせようとでもしているのか、諭すように、ロジェが言った。

 僕は言ってやりたかった。

 この程度は僕にとって痛みなどではない、と。

 そんな感覚は吸血鬼になった時に置いてきた。と格好良く言ってやりたかった。だが、生憎ともう限界で、首を少し縦に動かす事も出来なかった。

 本当に、もう……限界だ。

 だけど、しかし、それでも……諦めはしない。


「相討ちを覚悟しているのか……」


 そうだ。

 お前を殺して死ぬのならば、それでいい。

 アルザギール様の道を開く事が出来れば、僕は満足だ。

 お前が死ぬまで、お前の血を受け入れ続ける。

 お前が僕への血の供給を拒否すれば、僕は終わりだ……けど、そんな事はしないはずだ。

 少し剣を交えただけだが、お前の事はわかった。

 お前はお喋りが好きで自慢が好きだ。

 僕のような遥か格下相手に逃げるような真似はしない……僕はそう思っている。そう信じている。

 さあ、だから、最後まで付き合って貰うぞ。


「そうか。わかった。ならば死ぬまで足掻くといい」


 ほら。思ったとおりだ。

 有り難いよ。

 僕は元々そのつもりだ。

 覚悟をしている。

 未だ燃える闘志でロジェを睨むと、空いていた左手を掲げているところが見えた。

 直後、


「——!」


 衝撃。

 そして右目の視界が消えた。


「あ……?」


 なんだ?

 何が起こった?

 眼が。右目が。見えない。

 更に衝撃。

 二度、三度……もはや体の感覚は殆ど無い。

 数えるだけ無駄か。

 体が揺れる。


「今君に刺さっているそれは、元は私の血だ。吸収する事は出来ず、君にはこれを防ぐ力すらない」


 そうか。

 槍か。

 ミナレットを殺したあれか。


「一方で、私はそれを己のものと出来る。今飛んで来ているこれを自らの体で受ければ、服は破れるが、血を補充出来る。回復する事が出来るのだよ。私の言っている事がその頭で理解できているかな?」

 しているとも。

 たぶん、それで、何だか目の前が暗くなってきているのだろう。

 おぼろげになってきた。

 全てが。


「わかりやすく言ってあげよう。君は血を失い続ける。私は血を得る事が出来る。つまり、君だけがここで死ぬという事だ」


 死ぬ……?

 僕が……?

 それを意識した途端、アルザギール様の微笑みが思い浮かんだ。

 何故だろう?

 他にもお美しいアルザギール様のお姿が脳裏を過っていく。

 アルザギール様……。

 アルザギール様……。

 アルザギール様……。

 どこを見てもアルザギール様がいる……。

 これは走馬灯というものだろうか?

 見るのは初めてだ。

 拷問じみた改造を施された時でもこんな映像は見なかった。でも、ああ、そうか。あの時はアルザギール様にお会いする前だった。凡庸な人生を生きていた僕に思い返す程の美しい思い出が無かったのは当然か。僕の人生はアルザギール様にお会いして色を得たのだ。アルザギール様……アルザギール様……アルザギール様……。


「称賛を送ろう。君の死を覚悟した行動に。だから、誇りを持って死ぬといい」


 ロジェの冷たい笑みが欠けた視界に入った。

 最後に見るのがこいつの顔なのは嫌だな。と思った。

 そう思ったからか、美しいものを目にした。

 鮮やかな赤を撒き散らしながら、銀閃がいくつもの弧を描く。

 かぁぁん。

 かぁぁん。

 かぁぁん。

 視界が半分になっているからか、それは焼き付くように僕を魅了した。

 ロジェもそれを見ようとしているのか、背後に視線をやった。


「なに——!?」


 驚愕の色が浮かんだ。

 同時に振るわれる、左手の一閃。

 しかしそれはついさっきまでとはまるで異なり精彩を欠いていた。

 ただ剣を横に振っただけ。

 背後から躍り出てきたものを横にどけようとするだけの動作。

 あるいは、僕がロジェの、恐らくは利き手である右手を封じていたからなのかもしれない。

 または単に、体勢的に咄嗟に動けなかっただけなのかもしれない。

 もしかすると、飛んできた血の槍を受け止める為に、謎の防御手段を解いていた可能性もある。

 考えれば考えるだけ理由は挙げられる。何かが違っていたのは間違いない。

 けれどもその時僕が見たのは、結果だけだった。

 ロジェの左手が手首から落ちた。

 首が半ばまで裂けた。

 折れて短くなった刀身の断面が背中から出ていた。

 心臓を貫いていた。


「——」


 喉が裂けていたから、ロジェには声を上げる暇など無かった。

 その瞬間、僕は何も考えずに血を吸っていた。

 チャンスだ。とか、今だ。とか考えるよりも早く、本能で吸血していた。

 流れ込むままだった血を、更に引き込む。

 堰を切って押し寄せてくる新鮮な血液。

 今度こそ、それは僕の血と成っていく。

 吸血の勢いが増す。

 ダメージで集中力が途切れたのか。ミナレットの剣という異物が体内に侵入した事で再生出来なくなったからか。異物の排出か僕への攻撃かで迷ったからか。

 吸血鬼に詳しくないのでわからないが、恨めしそうな、怒りや憎しみ、焦りなど、様々な負の感情が籠もった眼を、ロジェがこちらに向けていた。


「ま、待て——」


 口がパクパクと、酸素を求める魚みたいに動いている。

 戦いの終わりを飾ったのは、断末魔の叫びではなかった。

 懇願だった。

 乾いていく。

 ロジェが、崩れていく。


「あ——」


 呆気ない幕引きだった。

 劇的なものなど何も無かった。

 砂の城が崩れるように、あっさりと。

 ちょっとした攻防のバランスが崩れただけで強敵は瓦解した。

 そしてその姿が消え去った後に、人が倒れ込む重々しい音がした。


「ミナレット……さん……」


 絞り出した声を掛けても、ピクリとも動かない。

 首と体に攻撃を受けながらも彼女は即死を免れていた……虫の息ながら、本当に死ぬその時まで、ギリギリまで、チャンスを窺っていたのだ……。

 どこかのタイミングで残った命を燃やし尽くそうとしていた。

 それを、僕が吸血するタイミングと重ねたのだ。


「ミナレットさん……」


 一瞬の煌めきの後の静けさ。

 言葉もなく、行動だけ。

 生から死へと脚を踏み入れた直後の斬撃。

 凄絶だった。

 ミナレットとは友と呼べる間柄ではない。けれど、暖かいものが一筋頬を伝った。

 僕は泣いていた。

 ミナレットの死を悼んでのものなのか、それともアルザギール様の敵を屠れたという安堵なのか……。

 後者の割合が多いように思う。

 本当に、奇跡的だった。

 幸運なくして打倒出来ない、遥か格上の相手だった。

 ロジェが僕を仲間にしようとしていなかったら。見くびっていなかったら。剣の勝負に固執していたら。飛び道具に頼らず、最後まで僕と血の綱引きで争っていたら。ミナレットがいなかったら……。

 どれか一つでも欠けていたら、僕は負けていた。死んでいた。

 奇跡だ。

 勝つ事が出来たのは。

 でも、これで安心だ。

 終わった。

 アルザギール様をお守りする事が出来た——哀しみを感じながらも、命令を果たせた達成感に浸っていた、まさにその時、


「——!」

 

 巨大な殺気。

 闘争の空気を感じ、僕は反射的に城壁を仰ぎ見た。

 最上部で、誰かが戦っている。

 戦闘が起こっている。

 戦いは、まだ終わっていなかった。


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