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2−3、小さな声と気の抜けた短い金属音。

 思いの外緩やかな攻防だった。

 ミナレットが両手に一本ずつ、アネモネの遺品である片手剣を持ち、風に揺れる花びらの如く舞っている。

 とても戦いの動きには見えない。

 何か、神というか……大いなるものにでも捧げる為の、ある種の儀式めいた動き。

 わかりやすい美ではない。

 命の輝きとでもいうだろうか。

 美しい所作から激しく逸脱しているが故に、原初の祈りを想起させる動作。

 状況を忘れて、見入ってしまう。

 ロジェが振るう疾風の剣の、その風圧に乗っているかのような、紙一重での回避。

 その狭間で繰り出す、二刀の内の一刀を用いた、ゆるりとした一閃。

 驚く程の疾さは無い。

 けれど、防御も回避も出来ない。

 意識の隙間を縫って繰り出されるその一撃を受けられた者はいない——今目の前で戦闘を繰り広げている、ロジェを除いて。

 かつて僕の心臓を容易く貫き、首を裂き、数多の命を葬ってきたそれを、何度繰り返してもロジェには届かない。

 僕と同じく、剣が届く範囲に入った途端に弾かれている。

 しかしそれすらも舞の一部であるように見える。

 かぁぁぁん。という軽い金属音が響く。

 かぁぁぁん……かぁぁぁん。かぁぁぁん……。

 一定ではない。

 恐らく、その瞬間はミナレットにとっては必殺であると確信した瞬間なのだろう。

 そのはずなのに——かぁぁぁん——届かない。

 無慈悲な金属音は攻撃が失敗した証。

 だけども、それをミナレットが気にしている様子は無い。

 

 ああ、防がれてしまいましたか。では次はこうしましょう。その次はこうしましょう。ああしましょう。色々と試してみましょう……。

 

 当たれば絶命必至のロジェの剣撃が鼻先を掠めているというのに、そんな風に呑気に考えていると思える。

 攻撃の手数はロジェの方が圧倒的に上回っている。

 攻撃の前の予備動作として、あるいは威圧として、二度三度剣が振るわれる。

 風を斬る。

 ミナレットが一撃を繰り出す。

 阻まれる。

 次のターンはロジェで、十を軽く越える斬撃が彼女を襲う。

 身体能力の差は歴然だ。

 基本的なものが全て、あまりにも違いすぎる。

 そもそも吸血鬼というこの世界で最強の生物と真正面から近接戦闘を行うという事自体が、馬鹿げている行為である。

 こんな事は誰もしない。

 格上とやるには策を弄するものだ。

 だというのに、ミナレットは馬鹿げた行いを続けている。

 生と死の狭間を瞬きの刹那に幾度となく行き来している。

 仮にこれが見世物だとして、前もって「私がそこをこう攻撃するから、君はこうやって躱しなさい」などとそのような打ち合わせをしていたとしても、これ程の芸当を行う事は出来ないだろう。

 吸血鬼であるロジェはともかく、ただの白耳長であるミナレットは種族としての限界を超越した動きをしている。

 片や世界を救った怪物。

 片や殺しに於いて天賦の才を持つ凶人。

 どちらも尋常ではない。

 かぁぁぁん……。

 金属音の残響が響く。

 重なって聞こえていたそれが最初に発生したものから順に消えていく。

 その音が全てどこかへと遠ざかっていった後に、大きく後退したミナレットの発する呼吸音が続いた。


「ふぅー……」


 落ち着いて、一息を入れた。

 あれだけの攻防でも目立った疲れは見られない。

 ロジェもまた、変わらない。


「君はミナレット・ルル・ルピナシスだね。インカナが最も信頼を置いている戦士と聞いていたが……なるほど。噂以上の腕前だ。私とここまで斬り結べた者は君で二人目だ。まさか白耳長族の中にこれ程に腕が立つ者がいたとは……正直に言って、驚きを禁じ得ないよ」


「お褒め頂きまして光栄です。ロジェ様」


「いやいや。思ったままを述べただけだよ。それに私達は殺し合いをしているのだから、そこまで畏まらずとも構わない。楽にしてくれ」


「そうしても良いのですが、ロジェ様は吸血鬼ですので……つい、このような喋り方をしてしまいます」


「そうか。ではそのままで結構だよ。自然体でいい。それで私に接しておくれ。今みたいに」


 今みたいに……。

 今の戦いみたいに。


「私が思うに、その強さは才能によるものだね。鍛錬によって身に付けたというものではなさそうだ。動きがまるで読めない。型がない。本能に由来するものだ。だが、獣でもない。見えているね、君には。敵を殺す方法が。命を奪う最適な剣筋が。素晴らしいよ……かつての大戦の時に君がいたならば、多大なる戦果を挙げていただろうね」


「はい。私もそう思います」


 自信に満ちているわけではない。自らを大きく見せているわけでもない。ミナレットは感情を動かさず、ただ淡々と事実を述べている。


「ミナレット君。君は戦いが……いや、殺しが好きだね?」


「好きというよりも、私は、殺さずにはいられないのです」


 唐突な質問。それに素直に応えるミナレット。

 このやり取りの意図を掴む前に、ロジェは本題を口にした。


「では、私に仕える気はないかい?」


「仕えるとはどういう事でしょうか?」


「君の前の主はインカナで、今の主はアルザギールだったね?」


「はい。インカナ様のところからの出向という形でアルザギール様にお仕えしております」


「そうか。ならばその二人を裏切って私に付くといい」


「アルザギール様とインカナ様を?」


 ミナレットの表情は動かない。口だけが厳かに吸血鬼の名を紡いだ。


「裏切るのさ。悪い話では無いと思うがね。強い方に付くのは恥ずかしい事ではないよ。自然の摂理だ。当たり前の事だよ。それに、私に従ってくれるのであれば、君が満足いくまで殺しをさせてあげよう」


「満足いくまでとは……殺させてくれるのですか? 何もかもを?」


「ああ、君の殺したい何もかも殺させてあげよう。私の為に働いてくれたら、という条件はあるが」


「つまり、殺しをした褒美に、殺しをさせてくれる。ということでしょうか?」


「そうだね」


「それは、それは……素敵な申し出ですね……」


 ミナレットは視線を手元に落とした。

 両手に持つ双剣の、その重さを確認するように、ゆらゆらと無造作にゆらめかせている。

 よく見ると、刀身がボロボロになっていた。

 無数の刃毀れが確認出来る。

 吸血鬼が自らの血で作り出した剣を幾度も受けているのだ。むしろ刃毀れで済んでいるのが不思議なくらいだ。ミナレットが上手く力を受け流していなければとっくに刀身は折れていたに違いない

 だが、あれでは——いや、あれでもミナレットならば戦えるはず……とはいえ……ただダメージを与えるだけでは……少しばかりの血を流させるだけでは、殺し切るには時間が掛かってしまう。

 最短で確実に殺すには、やはり、血を流し尽くさなければ、吸い尽くさなければならない。

 やるのは、僕でなければならない。

 問題は、この状況からどうやってやればいいのか。という事だが……。

 考えていると、不意に彼女がちらりと、僕を見た。

 僕のコンディションを確認する視線だった。

 これからの攻撃に僕が合わせられるかどうか。それを見定めている。

 裏切る気がない事など僕にはとうの昔からわかっている。ミナレットは損得で殺しをするタイプではない。殺すのが好きだから殺すのだ。

 だから、彼女が時間を稼いでくれている事はわかっている。わかっているが、しかし……僕は——まだ、動けない。

 まだ再生は始まらない。異物の除去が終わっていない。思いの外量が多い。まさかあの一撃だけでこんなにも大量の血を入れられていたとは……油断していた。逆に血を吸われなかっただけ良しとしよう。

 よくよく思えば、あれは即死コースに最も近かった。

 攻撃を入れられて、そのまま血を吸われていたら終わりだった。

 でも、勧誘をしたかったからかそうはならなかった。

 僕は生きている。

 生きているなら、チャンスはある。

 ならば——いける。

 こんな状態でも、やりようはある。

 五体満足でなくとも——再生していなくとも構わない。

 悠長に棘を取り除いている時間は無い。

 半身を自ら斬り落として飛び掛かる。

 それでいく。

 ミナレットの攻撃に自分の攻撃を重ねて、この血の刀による一撃を入れる。

 吸血鬼は血を失えば死ぬのだから、血を吸い尽くせば勝てるのだ。

 格上相手であってもチャンスはある。

 勝てる。

 自分に言い聞かせる。

 そして、僕は小さく頷き、応えた。

 それを見て、ミナレットが徐に口を開いた。


「ロジェ様は、何もかも殺していいとおっしゃいましたよね?」


「ああ、言ったよ」


「では、まずはあなた様を殺させて頂けませんか?」


 予想もしていなかったであろう問い。

 しかしロジェは少し眉を顰めたくらいで、冷静に応えた。


「私を? 何故だい?」


「殺したいからです。吸血鬼を」


「アルザギールでは駄目かな?」


「私が殺したいのは、未だこの刃を届かせる事の出来ないロジェ様です。私は、死なないという事が許せないのです。命があるのに死なないというのは卑怯です。私は嫌いです。大嫌いです。死なない殿方が」


「はは……全くこれは酷く嫌われたものだ……君のような強者を仲間に出来たら嬉しかったのだが……どうやら本気で相手をした事が裏目に出てしまったようだね」


 やれやれだ。と言わんばかりにロジェは剣を持たぬ方の手で髪を掻き上げて、夜空を見上げた。

 まるで今の自分の境遇に酔っているかのようなポーズに苛ついたが、これは隙ではない。今はまだ攻める時では無い。


「つまるところ、君は私と戦うという事だね? ミナレット君」


「はい。殺します」


「信愛でも忠義でも無く、殺したいから殺す、か……それもまた一つの在り方だな。わかった。君が私を殺すというのならば、私は君を殺そう。全力で」


「これまでは全力ではなかったような口ぶりですね」


「すまない。戦士に対して失礼だったね。言い換えよう。……これまで以上に、全力を挙げて君を殺す」


 ロジェが剣を振った。

 二度、三度。

 僕には見えているが、ミナレットには視認出来ない速度だろう。

 裂かれた空気が震えている。

 産毛が逆立つ。

 寒気が肌を刺す。

 流血のイメージ……。

 それは誰の血だろうか。

 ミナレットの死を連想してしまうが、血は誰にでも平等に流れている。

 僕も今まさに流している最中だ。

 棘はまだ体内に無数にあり、再生を阻害している。

 流血は抑えているが、棘を押し出す為に流す血はどうしようもない。

 これまでの戦闘でかなりの量の血を蓄えていなかったら危なかったところだ。

 まだ、余裕はある。

 それでも、死に近付いていくのは確かだ。

 この場の全ての生ある者が死を内包している。

 死……。

 それを思い出してしまう程に強烈な殺気。

 今からお前を殺し尽くすというサイン。

 少し離れたところにいる僕がそれを感じるくらいなのだ。

 相対しているミナレットにはどれだけのプレッシャーが伸し掛かっているのか想像も出来ない。

 彼女はそれを顔に出さないので、実際のところを受けているのか流しているのか判断がつかないが、闘争の空気は感じ取っている。間違いなく。

 ロジェは本気で来る。


「後々の事を考えれば、これは取っておきたかったのだが……君を確実に殺すにはこれくらい必要だろうね」


 ロジェが剣を天に掲げた。

 何だ?

 何をするつもりだ?


「ユーリ君。君を勧誘しておいて悪いのだがね、流れ弾は上手く防いでくれたまえよ」


「——?」


 流れ弾?

 どういう——ぼきゅ——意味だ?

 ロジェの発言の真意を汲み取ろうとしていた最中に聞こえた、聞き慣れない妙な音。

 同時に、ミナレットが僅かに身を捩った。

 何かを避けた?

 何を——それはすぐに視認出来た。槍だ。ついさっき見た。ロジェが僕に向けて投擲した槍。それが飛んできて、僕のすぐ隣を通り過ぎていった。

 それも——ぼきゅ。ぼきゅ。ぼきゅ——一本だけじゃない。

 いくつも。

 発射地点を探す。

 周囲に眼を凝らす。

 ——見えた。


「うっ!?」


 槍は、そこら辺に立っている、ロジェが率いてきた兵士の肉体から——腹や胸の辺りから——撃ち出されている。

 武器や糧にすると言っていたが、まさか固定砲台にするとは。

 あらかじめ食べ物か何かに血を混ぜておいて、兵士の体内に自らの血を混ぜていたのだろう。ロジェにとっては兵士などただの血の袋だ。非情だが、合理的だ。吸血鬼として。

 そして間違いない。以前あの太った白耳長の男を殺したのはロジェだ——そんなこの場に於いてはどうでもいい事に確信を持った、直後。


「——っ」


 ミナレットが息を呑むところが見えた。

 それから、舞った。


「ぐぅっ!」

 

 動けない僕は飛んできたそれを避ける事が出来ない。右手の刀で弾く。ロジェ本人の投擲ではないからか、速度の割には手応えが軽い。けれど衝撃で裂けている傷口から血が吹き出し、思わず呻いていた。

 本当に情けない限りだ。

 だが嘆いている暇はない。

 ミナレットが躱した分がこちらに来る。

 それを弾き飛ばす。

 自らの半身を斬ってミナレットの助勢をする暇など無かった。

 防御をしなければ。

 飛んでくるそれを、一つ、二つ、三つ、四つ——そこまで防いだところで、


「あ——」


 小さな声と、

 かん。という気の抜けた短い金属音がして、


「強かったよ、君は。これまで剣を交えたどの相手よりも」


 ロジェが静かに呟き。

 ミナレットの首から、鮮血が迸った。


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