1−1、ワンサイドゲーム1
不思議なものだなぁ。と思う。
ついこの前まで僕は普通の高校生だった。
語るべき過去など無いに等しい、どこにでもいる、平凡なそれだった。ーーだったのに、しかし今はこうして迫り来る無数の敵を斬り殺している。
一切の躊躇は無い。
例えば元の世界でアクション映画を観ている時なんか、よく思ったものだ。
今のアクションシーンの中で、流れ玉で死んだ一般人にも家族はいるはずだ。可哀想に。彼の家族は一体どうなるのだろう? 主人公はヒロインを助けてハッピーエンドを迎えるのだろうが、さっき車を盗まれた人や、爆発に巻き込まれてふっ飛ばされて重傷を負った市民達はハッピーエンドを迎えられるのだろうか? 彼らはどうなるのだろうか? 主役意外の人生は幸せな結末を迎えられるのだろうか?
そういう事を考えてしまっていた。
それでも、それは頭の片隅で考えるだけであり、言葉にして同意を求めたり、同情を欲したりはしなかったような覚えがある。
一緒に映画を観た友人には「凄く派手なアクション映画だったね」などと当たり障りのない感想を言った気がする。
友人は何と言ったっけ。
「そうだね」だったか。
顔も名前を思い出せない。黒塗りの人型が相槌を一つ打った。
まあ、どうでもいい事だから、記憶があまり残っていないのだろう。
こちらの世界に来て、吸血鬼にされてからというもの、以前の記憶は曖昧だ。
普通だった頃の自分……。
あまりよく思い出せない。
平和な記憶なのに。
普通に生きていたからこそ、人並みの幸福を享受していたのに。
……あるいは、それでなのか。
人間だった頃の事なんてどうでもいいから、今こうして、簡単に敵を殺せているのか。
一振りすれば首が飛び、流血が真っ赤に咲く。
胴が別れ、臓物が糞の如く体外へと排出される。
人の形をしている敵が次々と肉塊へと化していく。
罪悪感は無い。
相手を傷つける事にも。死に至らしめる事にも。
何の罪の意識も沸かない。
僕の倫理観はこちらの世界に即したものとなっている。
最初にあんな経験を——とても痛い思いをしたからだろう。
暴力には暴力を返すしかない。
そういう思考が僕の根幹に植え付けられた。
そして、この世界ではそれが正常だ。
だから、僕は暴力を振るう敵を暴力で以って斬り殺す。
斬って、地に落ちたそれを、思い切り蹴り飛ばす。
吸血鬼として他の生物を圧倒する程に高い身体能力を獲得した僕の蹴りの威力は結構なものだ。
鎧込みの死体の重量はそこそこなので、まさしく一個の弾丸となって飛んでいき、死体は死体を増やす。
車に跳ねられたみたいに敵兵が浅く宙を舞う。
スペースが空く。
するとそこに敵が雪崩込んでくる。
蹴る暇が無くとも、肉塊は無くなる。
死したそれを踏みつけて、敵が迫ってくるから。
狂気に染まっている者だらけだ。
無残な死を目にしても動揺せず、前に誰かいるにも関わらず躊躇なく剣や槍を突きこんでくる。
街を一つ滅ぼして戦意が最高潮の状態なのもあるだろうが、やはり中々鍛え抜かれている。
血の海と化しつつあるこの場で、戦意を失わずに向かって来るとは。
最初こそ僕の登場に驚いていたものの、一度戦いとなるとこれだ。
大したものだ。と感心した。
無謀だな。と呆れた。
偶にいる、明らかに怯えている者の方がまだまともな判断力がある。この状況を客観的に捉えているだけ無闇に突っ込んで来る者より幾分かマシだ。
まあ、恐怖によってろくに動けず簡単に斬られてしまうので、結局のところは何も変わらないが。
きっと、後ろから押されているのだろう。
後からやって来ているやつらは、自分の前で何が起こっているかなど見てもいないのだ。
一秒先の未来で怒りが振り抜かれ、死が襲い掛かってくる事を知らないのだ。
それで、進軍を続けている。
前からも後ろからも。
右からも左からも。
敵が来る。
全く……そろそろ気付いたらどうなんだ?
何故お前達は進めるのか?
前のやつがいなくなったから進めるのだ。
たぶん、最後尾のやつなんかは、もう城塞に侵入したとでも思っているのではないだろうか。
こんなにもスムーズに進めていると、何事も無く侵攻出来ていると考えるのが自然だ……が、そう考えているとしたら、やれやれである。
ほら、足元を見てみろ。
もうそこにあるじゃないか。
流れた血が。
死が。
斬る。
斬る。
斬る。
蹴る。
斬る。
蹴る。
蹴る。
さっきまで生きていたやつが砕け散り、肉片がそこらに飛び散る。
凄惨な光景だが、あまりの呆気なさに笑いそうになる。
そう言えば、以前の僕はホラー映画が苦手だったような覚えがある。
幽霊が怖かったし、グロテスクなものも苦手だった。
来るぞ来るぞ……そんな演出のすぐ直後、血が飛び散るシーンを想定して眼前に手を翳し、指の隙間から画面を眺めていた。
一瞬後に間違いなく起こるスプラッターを観たくないのか、観たいのか。
我ながら中途半端な好奇心を持っていたものだ。
けれどそれが今やこれだ。
僕がそのスプラッターを演出している。
気持ち悪さは感じていない。
今だったら、欠伸しながらホラー映画を観られるな。なんて、こちらの世界にホラー映画は無いし、そもそも映画自体無いし、元の世界に戻るつもりも無いので、無意味な思考だ。
こんな事を考えるのは、余裕があるからだ。
首を刎ねた。
どうでもいい事を考えている。
残った胴体を前蹴りでふっ飛ばした。
集中すると周囲の音が聞こえなくなる人もいるというが、僕はそうではないようだ。
胴体はボウリングの玉。ピンみたいに飛ばされるのは周囲の兵士達。
見えている。
背後を片付けよう。後ろには門がある。守らなければ。敵を排除しなければ。
聞こえている。
苦痛の叫びが響いている。蹴り出した死体にぶつかったやつらだ。運が悪い。即死しなかったとは。
背後から迫ってきた白耳長を縦に真っ二つに両断。
二つになった死体が地に落ちると同時に、踏み込んで、その後ろにいた獣人の腹を思い切り蹴った。
獣人は何人もの兵士を巻き込みながら門の方へと飛んでいき、城である壁に激突し、血反吐を吐き散らして息絶えた。内臓破裂だ。
同じ手順で、もう一発。
鎧を着込んだやつを蹴っ飛ばす。
再び幾人もの敵を巻き込んで壁に衝突。死亡。
ついでに刀を一直線に伸ばし、蹴ったやつに当たらなかったやつらをまとめて串刺しにするのにも成功した。
飛んできたそれを避けようとして一方向に寄ってしまったのが仇となったわけだ。
「よし」
背後にいた敵はこれで全て倒した。
血と肉片が壁に付着してしまったので、後でインカナから文句を言われるかもしれないが、ここを守る為に最適な行動を取ったまでだ。仕方のない事として我慢して貰うしかない。
言い訳を適当に考えて、一先ずはこれで良し。と判断して、一人、二人、斬って——そこでようやく、僕は一旦手を休めた。
自らの意志ではなく、斬るべき敵が周囲からいなくなっていた。
「……?」
不意のインターバル。
気付くと、前方の敵が血の海に触れないところまで後退していた。
ここまで来て退却……というわけでは勿論無いようだ。
「重装竜人兵! 前へ出ろっ!」
部隊長なのか何なのか。
位の高そうな如何にも偉そうなやつの号令。
その後に、重厚な鎧を纏った、巨躯を誇る竜人達が横並びに列を為して前に出てきた。
そして、こちらへ向かって前進を始めた。
「へぇ……」
少し、以前の事を思い出した。
こちらの世界で最初の激闘を演じた時の記憶が蘇った。
僕がアルザギール様に助けられて戦奴になった時……バイロの運営する闘技場で、竜人の戦奴と繰り広げた戦い……。
今、そこにいるそいつらは赤ではなく、全員黒い。
あの時と同じくらいの巨体。
違うのは、皆一様に鉄のような色合いの黒い鱗をしているという事か。
竜人達は全員が巨大な諸刃の剣を腰の鞘から抜き放ち、正面に構えている。
大量生産……一種類の竜から生み出されたのだろうか? 人型の種族は人間を利用して作ると聞いた事がある。一匹の竜に何人もの女をあてがって……そうして作り出したのだろうか?
だとしたらこいつらは皆、兄弟みたいなもの——もしかしたら姉妹——なのかもしれない。
何にしても、訓練を受け、装備を整えた竜人というのは強力だ。数もかなりいる。草原の端から端までだ。これだけの数の強敵とどのように戦うべきか……少し前の僕ならやや焦りながら色々と思考を巡らせていただろう。
しかし、今の僕は特に何も考えない。
「試してみるか」
威圧感を与える為かわざとゆっくり、一歩一歩大地を踏み締めてじりじりと距離を縮めてくる竜人達。
それを前にして、僕は両手に握る刀の先端を、足元に広がる血の海の中に浸した。
血を吸わせる為ではない。
「……」
集中する。
自らを広げていくイメージ。
血を隅々まで行き渡らせていくイメージ。
支配する。
「……」
吸血鬼は自らの血液を操る能力を持つ。
それで武器を形作る。
僕は刀。ルーレスは鎧。トリフォリは槍。インカナは鞭のような、液体を伸ばしただけのもの……。
目にしたのはそれだけではない。
名前は忘れたが、アルザギール様の命を狙って刺客を放った阿呆を殺したやつの力……白耳長の太った男の腹から生えてきた棘……。
誰だか知らないが、それを行った吸血鬼は遠隔で能力を使っていた。
恐らく、前もって酒に混ぜるとかして、何らかの方法で自身の血液を男の中に入れておき、それを任意のタイミングであのような形に変化させたのだと思われる。
肉体から離れても尚あれだけの事が出来るとは。
トリフォリの槍も肉体を離れても原型を保っていた。
能力を極めればあんな事が出来る。
僕は、まだそこまで至っていない。
そういう事が出来たら、これからやる事はもう少しくらい楽になるのにな。と思った。
そういう事が出来ないから、こうするしかない。
「……」
血に決まった形は無い。何でもいい。
結局のところ、自分にとって使いやすいという以外の意味など無い。
いつの間にか、刀は一本となり、その柄に当たる部分を両手で握っていた。
自らにとって最適化した結果だ。
「ふ——っ!」
両腕に力を込める。
それを、持ち上げる。
ずるり、と。
治りかけの傷口に張られた薄い膜を破くようにして、広大な血の海の中から、長大な刀身が姿を現した。
「——!」
竜人達が足を止め、息を呑む音が聞こえた。
当然だ。
眼の前にいきなり、とてつもなくデカい何かが出現したのだから。
何か……彼らはそれをそう言い表すしか無い。
辛うじて、船の舳先とかそういうものに例えられない事も無いが、それにしては厚みに欠けるので、やはり例えるのは無理だ。
僕にとってこれは剣だが、あまりにも巨大過ぎるので、彼らには剣として認識出来まい。
だが、それはそれとして、棒立ちなのは如何なものか。
これが何かはわからずとも、戦場に現れたのだから武器として認識しても良さそうなものだが……まあいい。放心している間に決めさせて貰う。
「よい——しょ、っと!」
巨大なそれを、水平にして。
引いて。
一歩、踏み込んで。
力任せに、横薙ぎに一閃。
イマイチ締まらない掛け声だったな。と思わないでも無かったが、身に付いていた、重いものを扱う際の馴染みのある言葉が口から出た。
記憶は朧気なのに、習慣として体に残っているものは自然と出てくるんだなぁ。などと感心した。
そんな場違いな事を考えている間に、並んでいた竜人達の下半身から、上半身がどかどかと鈍い音と立てて地面に落下した。
「こんなところかな」
これだけの大きさの武器を作ったのは初めてだったので心配だったが、存外上手くいった。
かつての大戦で吸血鬼が猛威を振るったわけだ。
殺せば殺す程。
敵の血を流せば流す程。
こんな風に自由自在に武器を作れるようになるのだから。
攻撃力と応用力が普通の生き物の比ではない。
かつての大戦というのは、吸血鬼達にとってはそこまで大変な戦いでは無かったのかもしれない。そう思ってしまうくらいだ。
振り抜いたそれが形を失い、僕の体の中に吸収されていく頃には、前方に更に広い血溜まりが出来上がっていた。




