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プロローグ、怒りの形。

 岩肌を蹴る。

 硬質な感触を革靴の踵越しに、足の裏に、ほんの僅かにだけ感じる。

  

 とん。

 ととん。

 

 リズミカルに。

 水面を跳ねるように。

 空気を裂いていく。

 強い風。

 それを受けても、体は後ろへと押されず、ひたすらに前に進む。

 当然だ。

 僕は落ちているのだから。

 引力による自由落下。

 その最中。

 無数の松明の火が下界に広がっている。

 無数の死者の頭も。

 そして敵も。

 近付いてくる。

 近付いていく。

 吸血鬼としての超人的な感覚のお蔭で、とても長い時に感じてしまうが、実際にはここまでの経過時間は数秒だろう。

 そして更に数秒後、僕は地に堕ちる。

 いや、降りる。と言い換えよう。

 堕ちるという言葉遣いにしてしまうと、そこにはさも僕の意志が介在していないように受け取られてしまう。

 そうではない。

 僕は自らの意志で、力で、向かう先へと自分自身を導く事が出来る。

 

 とん。

 とん。

 

 つま先を使って、微調整完了。

 角度よし。

 速度よし。

 減速はしない。

 する気はない。

 なぜなら、丁度いいクッションがそこら中にあるからだ。

 よし、決めた。

 

 とん!

 

 踏み込んで、飛んだ。

 大きくではない。

 ほんの少しだけ。

 あまり大きく飛んでしまうと、城塞の門から離れすぎてしまう。そうなってしまうと後々面倒だ。

 宙空。


「——」


 自由とはこういうものなのだろうか?

 僕は今、空を飛んでいる。

 実際には滑空に近いが、そこはご愛嬌。

 地に足の着いていない状態。

 ここには開放感がある。

 何もかもから解き放たれているような錯覚。

 僕は縛られてなどいない。アルザギール様の下で自由を満喫している。だというのに、こんな風に感じるなんて。

 ただ、高いところから飛び降りているというだけなのに。

 気持ちが良いな。と思った。

 強烈と言うべき風を心地良いと感じる。

 スカイダイビングやバンジージャンプを好んでやる人の気持がようやくわかった。

 空から安全に落ちるというのは、思っていたよりも気持ちがいい。

 だから、僕のいた世界では人は空を目指したのだろう。

 この感覚を幾度も味わいたいが為に、自力で空に飛び出したかったのだろう。

 飛ぶという事は、特別な事なのだなぁ。

 呑気に、そう思った。

 そういう思いが彼方へと過ぎ去って行った時と、僕が手頃なクッションを踏み潰したのは、ほぼ同時だった。


 ばじゃん!


 という間の抜けた音がした。

 とても高いところから凄い勢いで降ってきたそこそこ重いものに人体が衝突した際に出た音だった。


「なん——!?」


 赤い血が舞った。それをまともに浴びた近くの黒耳長の男は、驚きの声と共に尻餅をついた。


「おご——!?」


 肉の塊が飛び散った。とんでもない勢いで飛んできたそれにぶち当たった事で、狼顔の獣人は派手に地面に転がった。


「ふう」


 僕の靴は地面にめり込んだ。

 着地の衝撃が僕の肉体と周囲を駆け抜ける。

 やはり人間大の生き物一人程度では完全に勢いを殺しきれなかったか……。

 肉体的には問題ないと思っていたが……問題発生だ。アルザギール様から頂いた靴が土で汚れてしまった……。

 ああ、アルザギール様……ご命令を賜り、意気揚々と飛び出しておきながら、早々にこのような事になってしまい、申し訳ない限りです。

 僕は心の中で深くアルザギール様に深く謝罪した。

 視線を落とす。

 靴は土だけでなく、血で汚れてしまっている。だが、それについては問題無い。

 僕は両掌から血の刀を伸ばして、それを無造作に振った。

 ひゅん、ひゅん、と二回。

 眼の前にいた者がいきなり弾け飛んだところを目にしたのに、何が起こったのか理解出来ず、呆然としていた者達は、状況把握能力と危機感の低さ故に即死した。

 膝をついていた兵士の首が落ちた。

 手近なところにいた獣人の上半身と下半身は離れ離れになった。

 ついでにその側にいたやつらも、胴から下とお別れした。

 吹き出す赤い液体。

 噴水の如き勢いは一瞬だけで、すぐにそれは地に溢れ、満ちていく。

 命の色をしたそれを、大地は吸い取らない。

 赤色が溜まり、広がっていく。

 まるで、汚れた者の血などいらない。と大地が拒否しているかのようだ。

 だったら、僕が代わりに頂戴しよう。

 刀の先端を、物言わぬ死体となった者から流れ出る命の残滓に浸す。

 

 じゅるり。

 じゅるり。


 粘っこい音を立てて、血を吸い上げていく。

 食事中に音を立てるのはいけない事だと、元いた世界ではよく言われたものだが、このような場合は効果的だ。

 彼らは見ている。

 仲間の体から出てきたものが、僕の中へと入っていくところを。

 刀の一部へと成っていくところを。

 ただただ見ている。

 彼らは。


「う——」


 呻き声。


「お——」


 恐れの声。

 その二つが兵士達の口からやっと出てきた。

 随分とのんびりしているものだな。と僕は思った。

 お陰様でゆっくりと血液の補充が出来たわけだけど、敵を前にした兵士として行動がそれでいいのか? と言ってやりたい。

 お前らはここに来るまでに多くの命を奪ってきたのだろう?

 戦闘の素人というわけではないのだろう?

 それなのに、何だ?

 その、僕を見て怖がっている顔は。

 それで兵士のつもりか?

 自分達は殺されないとでも思っていたのか?

 そういう言葉をぶつけてやりたい。

 けれどもわざわざこいつらと話すのも嫌なので、代わりに一言、


「これは怒りです」


 告げた。


「ここにいる者達、一人一人に、例外なく死を齎すもの。それがアルザギール様の怒りです」


 二本の刀を構える。

 これが怒りの形だ。

 アルザギール様の抱いた、強烈な、寒気を感じる程に熱い、殺意。

 それを今から叩きつける。


「これより、誅伐を執行します」


 僕は宣言した。

 それからようやく、自らを奮い立たせる為か、獣人が雄叫びを上げた。

 それに呼応し、黒耳長、白耳長の兵士達も、叫んだ。


「敵だ!」


「敵だ!」


「戦いだ!」


「殺せ!」


「ここにいるぞ!」


「戦いの時だ!」


「敵を殺せ!」


「殺せ!


「敵はここだ!」


「殺せ!」


 彼らは叫んだ。

 叫び、叫び……自我を痺れさせ、狂気に身を落とし、そこまでしてやっと得た結論がこれだ。

 戦いだ。敵を殺せ。

 しかし、そのようなシンプルな結論に行き着いた彼らには大変申し訳無いが、これから起こる事は戦いになどならない。

 殺し合いですらない。

 これから僕が行うのは、一方的な殺戮だ。

 僕が殺すだけだ、お前達を。

 お前達に反撃のチャンスなど無い。

 お前達はこれから、お前達が殺してきた者達と同じ末路を辿るのだ。

 圧倒的な強者の純粋な暴力に組み伏せられ、何も出来ずに無残に死ぬがいい。

 意味のわからない雄叫びを発して走り寄ってくる無数の敵に対して、僕は血の刀を横薙ぎに振るった。

 たった今殺した者の血を吸い、長さも鋭さもいつも以上に増している。

 一太刀で四人も斬れた。

 高い身体能力を誇る鍛えた肉体も、磨き上げられた鋼の鎧も、この血の刀の前では意味など持たない。

 いくつもの生が呆気なく真っ二つになり、命が軽々と宙を舞った。そして死があっさりと地に落ちた。

 だが次の瞬間には、もう次の命がこちらに向かって来ている。

 恐れを知らない……。そう言えば聞こえはいいが、実際は状況を理解出来ていない間抜けである。

 再び刀を振るう。

 二度、三度、四度……。

 虐殺の始まりは、このような単純作業からだった。


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