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3、二回戦、第一試合。

「アルザギール・グラト・ピエンテ・マグノエリス様の戦奴、ユーリ。貴様の出番だ」


「はい」

 

 控え室に来た男の気配を感じて、一瞬で目が覚めたが、少しばかり眠ってしまっていたらしい。

 昨日、フォエニカル隊長とずっと訓練をしたせいだ。

 僕はすぐに椅子から立ち上がると、スラックスの皺を伸ばし、襟をただし、髪をしっかりと撫で付けて、身なりを整えてから闘技場へと向かった。


「……ふぅ」


 昨日の訓練は、いつもに増して激しかった。


「あたしから一本取ったら部屋に帰してやる」と言われて訓練を始めたが、結局、部屋に帰る事は出来なかった。

 隊長は強い。

 戦奴に成る事を選んだ僕に、闘い方を教えてくれたのは、他の誰でもないフォエニカル隊長だ。僕の闘い方は隊長から教わったものなので、隊長は師匠に当たる人になる。

 そんな隊長の、最初の教えはこれだ。


「闘いの掟その一。闘いに掟は無い。命のやり取りの最中に、卑怯なんていう言葉は出て来ない。もし出て来るのだとしたら、そいつは闘いをわかっていない甘ちゃんさ。だからな、ユーリ。何をしてもいいんだ。弱い部分を攻めろ。爪を剥げ、指を落とせ、眼を抉れ、耳を千切れ、鼻を捥げ、間接を極めたらすぐに折れ、剣で口を突け、罠を仕掛けろ、毒を浴びせろ、背後から刺せ、騙せ、欺け、ありとあらゆる隙を突け。そして、お前がやられて嫌だった事を、全部敵にやってやれ」


 ルールは無い。だから、何をしてもいい。だから、隊長は強い。単純な腕力による勝負ではなく、闘いそのものが上手いのだ。

 実際、この大会に出て予選で三回、本戦で一回、白耳長や黒耳長が飼っている戦奴と闘ったが、隊長より闘いに秀でた者はいなかった。

 まあ、ちゃんとした戦士として鍛え上げている隊長と、娯楽の為に造られた戦奴を比べるのは、隊長に失礼というものか。

 隊長とは違い、基本的に、戦奴には戦闘技術が無い。

 その理由は、技術を教える者がいない……からではなく、技術を理解する事が出来ないからだと思われる。

 大抵の戦奴は、人間の世界から攫って来た人間の女と、この世界の旧支配層だった獣や竜とを交配させて造られる。

 それで産まれてくるのが、獣と人間の特性を備えた、獣人という、新たな種だ。

 彼らは人間に匹敵する知能と、獣由来の高い身体能力や身体的特徴を合わせ持っている。

 これだけ聞くと、戦奴は強い種族に思える。

 事実として、彼らがその力を存分に発揮出来れば、黒耳長の武人や吸血鬼とも互角の以上の勝負が出来るだろう。

 けれど、彼らの飼い主は、わざわざそこまで手間暇かけたりしない。

 飼い主には戦奴をまともに育てる気なんて一切なく、自分の好みに合わせて改造し、調教するだけだ。

 拷問に匹敵する改造、過剰な薬物投与、常軌を逸した実験動物のような扱いを受ける彼らは、その人間に近い知能と、獣の如き鋭敏な感覚が災いし、早々に精神が壊れてしまう。

 中にはあまり改造を施さないタイプの、人間の肉体をベースにして、獣の耳や尻尾など、各所に獣の特性を残した愛玩用の奴隷も存在するが、彼らも結局は飼い主の行き過ぎた欲求により体と心を壊される。

 こうして、獣人という新たな種は、元の原始的な獣に戻ってしまうのである。

 そういうわけで、僕みたいに改造されたのに心を失っていない戦奴はとても珍しいそうだ。

 まあ、僕が心を失わなかったのは、アルザギール様のお陰であり、僕の精神が強靭だったという事ではないので、そこは勘違いされたくないところではあるが……。


「中に入れ、ユーリ」


「はい」


 ぼんやりと奴隷について考えていたが、思考を切り替えて闘技場に入った。

 すると眼の前に、既に得体のしれない生物がいた。

 人間の体をベースとして二本の脚で立っているが、顔はライオンに似た造形で、右腕は鳥の足に似た鉤爪、左腕にはイソギンチャクの如きぬめっとした触手が生えている。


「うっわぁ……」


 思わず声が出てしまった。

 改造には戦奴の飼い主と、改造を担当した魔女のセンスが反映されるというが、こんなにもキモい改造を施されたヤツは初めて見た。

 腰布を巻いているところから、申し訳程度の人間性が垣間見えるが、ライオン顏の口から涎が垂れているし、触手からは粘液が滴っている。

 ……キモ過ぎる。


「用意はいいか?」


 審判の男が声を上げた。

 僕は手袋を外してポケットにしまい、血の刀を造り、握った。

 獣は浅く腰を落とし前屈みになった。触手が地面につき、砂塗れになっている。

 審判は戦闘態勢に入ったのを見て取ると、今回はすぐに銅鑼を叩いた。


「始めっ!」


 重たい音が鳴り響くと同時に、僕と獣は地を蹴った。


「コアアアアアアッ!」


 咆哮と共に伸びて来た触手を、斬る。斬る、斬る、斬る、斬る。

 一振りで三本、計十五本。腕から生えていた触手を、瞬く間に半ばから斬り落とした。

 切断面から新たに触手が生えたり、地面に落ちた触手が動いたりくっつかないところを見ると、どうやら再生能力は無いらしい。


「カァァァッ!」


 獣は触手を失うと、今度は鉤爪を繰り出して来た。

 僕はその攻撃をギリギリまで引き付けてから躱して、手術跡と思われる縫われた箇所を斬りつけた。

 敵の弱い部分を狙うのはフェアじゃない。とか、騎士道に反する。とか、そんな事を思う真面目な者もいるだろうが、僕はそうは思わない。

 そんな部分がある方が悪いのだ。


「ギィィィィッ!?」


 血刀による斬撃は何の抵抗も無く手首に入り込み、鉤爪も地に落ちた。

 ずさんな改造だ。

 その上、手術跡が完全に癒着する前に大会に出すなんて、飼い主はこの戦奴の事を何とも思っていないに違いない。

 いくつかの生物を適当に繋ぎ合わせて造られたこいつは、本当に運良く偶々一回戦を突破出来たに違いない。

 こいつの強さは、一回戦のヤツと然程変わらない。

 各パーツの動きは全くと言っていい程に統制が取れておらず、てんでばらばらで隙だらけ。訓練を積んでいないのが見え見えの動作だ。

 フォエニカル隊長曰く、勝敗とは始まる前から既に決まっているもの。だそうだ。

 その闘いに向けて、どのような訓練をどれだけ積んで来たか。その差が勝敗を分ける。

 故に、必然的に相手よりも訓練を多く積んで来た者が勝つ。

 僕は、経験は浅いが、フォエニカル隊長の下で訓練をきっちり積んだ。この大会で勝ち残る為の準備をして来た。

 そんな僕とは打って変わって、この奇怪な生物からは、そういう訓練の成果や、準備の程を何一つとして感じない。

 動きは洗練されておらず、粗暴。

 触手と鉤爪、更には牙の使い方も本能レベルのものであり、予想を超えた動きは見られない。

 これは、ただ娯楽の一環として改造されただけの戦奴に過ぎない。

 こんなやつは、怖くない。


「ギェェェェッ!」


 痛みを感じていないのか、両腕を斬られて武器を失ったにも関わらず、獣人は牙の生え揃った口を開き、一歩も下がらずに踏み込んで来た。


「――はっ」


 ふと、アルザギール様から聞いた、この世界のかつての話しが思い出された。

 かつての魔界は、竜や獣などの巨大な生物達、通称、巨獣がヒエラルキーの頂点にいたらしい。が、ある日、そんな様子を見兼ねた吸血鬼が、力に屈していた黒耳長、白耳長と手を組み、彼らを奮いたたせ、巨獣に戦争を仕掛けた。

 この世界では、かつての大戦。と呼ばれている戦争だ。

 その戦争の結果、吸血鬼と黒耳長、白耳長達はこれに勝利し、指揮をとった吸血鬼は、この世界の新たなる支配者となり、白耳長と黒耳長はその庇護の下、勢力を拡大するに至った。

 アルザギール様は、そのような歴史を語ってくださった後に、こうおっしゃった。


「私たちが戦争に勝てた理由は、我々に知性があったからです。そして、皆が生きる明日を切り開く為に、という、強く、美しい意志があったからです」と。


 有り難いお言葉である。

 そう。アルザギール様の言う通り、僕達人型の種族には知性がある。

 ありとあらゆる可能性を探り、最も効果的な手段を導き出せる頭脳がある。

 そこに強い意志が加わり、導き出したそれを、実行出来たのなら……答えは言うまでもない。

 考え無しに暴れ回っていた巨獣は知性の暴力で蹂躙され、現在は奴隷代わりの人型種を造る為の部品の一部や、好きもののペットとして扱われている。

 このように、魔界の歴史からわかる事は、二つ。

 思考しない者は、思考する者には勝てない。

 自らの意志を持たない者は、強い意志を持つ者に勝てない。

 という事だ。


「ふっ!」


 僕は、開かれた、最後の武器である口に、刀を突き込んだ。

 刀はいとも簡単に獣の口内を貫き、首筋から刀身を現した。


「ギ……シィ……」


「……」


 刀で刺して血を吸い取っていたところ、獣人の手が僅かに動いたので、念には念を入れ、刺した刀を変形させ、刀身からいくつもの血の棘を伸ばし、脳や呼吸器官をズタズタに破壊した。


「ギィ……」


 手足を震わせ、ライオン顔の気味の悪い戦奴は絶命した。

 これが思考しない生き物の末路だ。

 本能的な動きは読みやすい。どこを狙っているのかが一目瞭然で、触手を斬り払うのも、鉤爪を避けるのも、攻撃の隙を突くのも、どれも容易かった。


「ふぅ……」


 今回もあっさりと勝利出来て安心した。……けど、正直に言うと、こんな気持ちの悪い生物の血液など吸収したくはない。ないのだが、血を吸い取らないと刀を抜いた際に血が吹き出して、服にかかってしまう。

 アルザギール様から頂いたこの服を汚す訳にはいかないで、僕は嫌々ながら全ての血液を吸収した。

 僕の体内に流れる血液は特別製で、どんな血とも混じり合い、自分のものとする事が出来る。

 改造によって手に入れたこの吸血鬼の能力は、今のところ、服を汚さずに敵を殺すという点ではかなり利便性の高い能力だと言える。


「……」


 僕は血の刀を体内に戻し、手袋を嵌めて客席に顔を向けた。

 視線の先にいるアルザギール様は口元を抑えてお笑いになっておられた。

 アルザギール様のお隣に座っているのは、昨日と同じく、バイロだ。やつも吸血鬼だが、見た目は、豚にしか見えない。

 豚は僕の勝利が気に入らないのか、不味い血を飲んだ時みたいな苦悶の表情を浮かべていたが、すぐに気を取り直し、アルザギール様に笑みを向けた。


「白耳長の商人が、様々な生物の良いところを集め、魔女ギリーの手を借りて画期的な改造を施して造った一品。と、聞いていたが……負けてしまったか。やはり生物だけではまだ弱いな……なあ、そこのお前。次は鎧を直接肌に埋め込んでみてはどうか? と、飼い主に言っておいてくれないか? それと魔女にもだ。自由民なあれがふらふらとどこかに行く前に、きっちり伝えておいてくれ」


「あら? 自分でお話しに行かないのですか?」


 近くにいた従者に声を荒げて指示を飛ばすバイロに、アルザギール様は疑問を向けた。


「あなたは、飼い主とお話しするのがお好きだと聞いていましたが?」


「私としても、この大会を盛り上げる為に、直々に意見交換を行いたいのは山々だがね……次はアギレウスの試合だからな。竜を取り扱うグロリアーサ家が、丹精込めて育て上げた最高傑作。あれは素晴らしい……。アルザギール、君も見ていくといい。あれの試合は良いぞ。気持ちの良い殺しが、大量の流血が見られる。あれの戦いっぷりを見ると、私はあの頃を思い出すよ。あの頃は良かった。好きなだけ暴れ、好きなだけ血を見る事が出来た……」


「今も、森に入れば巨獣はいますよ? 我々の友人であるルーレスは、そこで巨獣と戦い続けていますが……」


「あんな野蛮なやつと一緒にしないでくれ。私は文化人だぞ? アルザギール。もう自らの手を汚したりはしないさ」


「……血が見たい。というだけの理由で、このような催しを開いているあなたが、文化人なのですか?」


「そうとも。ここを造ったのは誰だ? 街を大きくしたのは? 白耳長や黒耳長の連中を巨獣から救い、このような平和齎し、文明を発展させたのは、誰だ? ……私だ。この私、バイロ・トレニ・アニ・フルニエッリだ」


「バイロ。あなたの功績は認めますが、この世界に平和を齎したのは、私たち、です。お間違いなきよう」


 興奮しているバイロとは対照的な、いつになく冷ややかな、アルザギール様のお声。

 遠くで聞いていても、背筋に寒気が走る。もしこのようなお声を近くで発せられたら、僕は凍えて死んでしまうのではないか? そう思ってしまうくらいだ。

 これには、流石のバイロも息を呑んだ。


「……すまない。そうだな。……我々、十二人の吸血鬼の力だ」


 謙虚にも、他の仲間の力添えを認めたが、しかし、それもほんの数秒だけだった。


「だからこそ、ここで見た事を、他の者たちに伝えておいてくれ。あいつら、一度か二度見ただけで、来なくなってしまった。……が、まあ、気持ちはわからんでもない。以前は戦奴の質が悪かった。だがな、今は違う! 今は以前より素晴らしい戦いを見る事が出来る! この戦いを見れば、あいつらもきっと、かつての大戦を思い出し、血を滾らせるはずだ!」


「……そうなるといいですね」


 垂れ流された講釈に続いたのは、呆れ果てたとしか言いようがない程の落胆を含んだ、アルザギール様のお声だった。

 アルザギール様のお言葉を聞いておきながら、結局は自分語りに終始するとは、驚きを通り越して感心してしまうが……アルザギール様の今のお気持ちは、痛いほどにわかってしまう。アルザギール様は、余程あの豚の隣にいるのがお嫌なのだろう。他の吸血鬼がここに来ないのも頷ける。僕も、あんな気品の無い豚は嫌いだ。とてもアルザギール様と同じ種族とは、吸血鬼とは、思えない。やつの吸血鬼らしいところ言えば、片手にいつも血の入ったグラスを持っている事ぐらいだ。それがなかったら、ただの太った男……いや、ただただ餌を貪っているだけの、醜い豚である。

 しかしながら、あぁ……アルザギール様、本当に、大変申し訳ないです。

 僕の我侭でこの大会に出させていただいているのに、観戦中に嫌な想いをさせてしまい。本当に申し訳ございません。

 謝罪しようと、僕はアルザギール様に向かって深々と頭を下げた。

 続けて他の観客に向かっても頭を下げた。この行動により拍手が増すのは前回で学習した。

 アルザギール様へ賞賛の言葉が次々と送られているこの空間の、なんと心地良い事か。僕の勝利が、アルザギール様への声となる。こんなに嬉しい事はない。

 アルザギール様、せめてこれで、心を癒してください。

 願いを込めて、頭を下げる。が、その時間は、とても短いものだった。


「ユーリ! 退場しろ! 次の試合が始まる!」


 審判の無粋な声と共に、閉じられていた通路の扉が開いた。

 係員がライオン顔の獣人の死体を片付け終えれば、次の試合が始まるのだ。

 前回の試合では、次の試合まで少し間があり、アルザギール様へ拍手が送られる時間も長かったのだが、今回は、続けて次の試合が行われるようだ。

 誠に不本意だが、もうこの場を去らなければならない。僕は渋々頭を上げて、柵が上げられている通路へと戻ろうとしたところ、通路の奥に赤い何かが見えた。

 次の試合の選手だろうか? 赤い肌の生物を見るのは初めてだ。

 通路に入ると、やはり見えていたものが選手だという事が確認出来たが、近くで見て、その選手が発する存在感に、思わず息を呑んだ。


「……」


 二メートル程の身の丈で、体の前面から腰の辺りまで、装飾は無いが厚い鎧を装着し、背丈と同じくらいの長さの巨大な諸刃の大剣を背負っている。

 戦奴という身分でありながら、手入れの行き届いた大剣と鎧を与えられている事に少々驚いたが、それ以上に眼を引いたのは、赤銅色の鱗だ。

 巨大な岩と見紛う程に、重厚な質量感のある鱗が、恐らくは、鎧の下以外の全身を覆っているのだろう。


「……」


 つい、立ち止まって選手を眺めていた。

 厳めしいが蜥蜴に似た顔に、太い四肢と指先の鋭い爪に、刺々しい尻尾。

 この特徴からすると、これは竜人に違いない。

 話しには聞いていたが、見るのは初めてだ。

 かつての大戦で、強く巨大な竜はほぼ全て殺され、現在残っているのは、体の小さい弱い竜だけだと聞いているのだが、この竜人には、そんな弱そうな雰囲気は一切無い。

 余程上等な竜を使って造ったのか、それとも、魔女の腕が良かったので、出来の良いものが造れただけなのか……。


「む?」


 不躾な視線を浴びせていた僕を、竜人はぎょろりとした眼で睨んだ。


「君がユーリか?」


 竜人は、鋭利に尖った牙が並ぶ口を開き、その巨大からは想像も出来ない落ち着きのある声を発した。


「……そうですが、あなたは?」


 喋れると思っていなかったので驚いたが、竜と人とを掛け合わせて造られたのだから、人語を解するのは当然と言えば当然か。

 さっきまでろくに喋れない敵と闘っていたせいで、こういう見た目の生物は喋れないものだとばかり思っていたけど、認識を改めよう。

 そのように認識を変えたところで、竜人は名乗った。


「我が名はアギレウス。ルドベキア・ハウザ・グロリアーサ様に仕える者だ」


「アギレウス……」


 ついさっき、アルザギール様と話していた豚が口にした名だ。それこそ昨日も、大会最強と名高いとか何とか言っていたような覚えが有る。


「へぇ……あなたが」


 僕はもう一度脚の先から頭まで、アギレウスの体を見回した。

 確かに……これは強そうだ。

 無駄の無い鍛え抜かれた筋肉に、硬質な鱗。そして何より、眼が違う。

 この竜人の眼は、隷属している者の眼ではない。

 奴隷にある卑屈さや絶望は全くないし、薬漬けにされたせいで濁ったり、精神を蝕まれて狂気に染まった眼でもない。

 強い意志の光が、黒い眼の中にある。

 こんな眼をしている戦奴を見たのは初めてだ。

 間違いなく、強い。……そう思ったのは僕だけでなく、相手も同じだったらしい。


「ほう……。ユーリ、君は強そうだな」


「……いえ」


 謙遜で彼の言葉を否定したのではない。

 僕は僕自身の強さがよくわかっていないのだ。

 様々な改造を施され、それなりに訓練を積んだとは言え、闘技場での僕のキャリアはまだ五戦。たった五回勝利した程度では、強いのかどうなのかわからない。実際、真剣勝負ではないとはいえ、訓練では隊長に負け越している。

 むしろ、単純な「強さ」という観点から見れば、僕なんかよりこの竜人の方が遥かに強そうに見える。


「……ふむ。来たか」


 と、その時、アギレウスが顔を上げて闘技場の方を向いた。

 相手の選手が闘技場内に入ったのを察知したからだ。向こう側の通路から、ハンマーを担いだ牛顔の大柄な獣人が入って来ているのが僕にも見えた。

 アギレウスは敵を視認すると、闘技場に向かって歩き出したが、去り際、思い出したように立ち止まり、彼は言った。


「ああ、そう言えば……ルドベキア様が、近々そちらに伺うと仰っていた。もし良ければ、そちらの主人に宜しく伝えておいてはくれまいか?」


「……はい。わかりました」


 ルドベキアって……誰だ? とは思ったものの、尋ねる時間はもう無かったので、僕はとりあえずその言葉を受け取った。


「よろしく頼む。では、決勝で会おう」


 アギレウスはそう言い残して、敵と対峙した。

 僕は彼の背中を見送って、その場を後にした。

 するとすぐに、銅鑼の音が鳴り響き、背後からは観衆のどよめきと、闘技場を割らんばかりの猛烈な拍手と、大量の血の匂いが漂って来た。

 どうやらアギレウスが一撃で敵の獣人を殺したようだ。

 きっと、あの大剣で、頭から股まで、ばっさりと真っ二つにしたのだろう。濃い血の匂いは大量出血の証拠だから、ある程度勝ち方の予想はつく。

 兎にも角にも、こうして、決勝戦の相手はアギレウスに決まったのだった。


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