4−6、会談の終わり。そしてロジェの選択
拍手の一つでも送るべきだろうか。
これが映画だったら、ここでエンディングの曲が流れそうな雰囲気だが……インカナもアルザギール様も微笑ましく二人を眺めておられるだけなので、僕もそれに倣った。
何はともあれ、めでたしめでたし、である。
インカナとトリフォリは仲が悪そうだったので内心どう思っているかはわからないが、目の前で仲間が二人も死ななかったのだからほっとしているはずだ。
アルザギール様も、二人から同意を得られたので、喜んでおられるのは間違いない。
もしアルザギール様がテンションの高い御方だったとしたら、喜びのあまりにここで飛んだり跳ねたりしただろうか?
良かった! 本当に良かった! なんて。
全身で歓喜を表現なさるアルザギール様のお姿……見た目相応に子供っぽいアルザギール様……そんなのはありもしない仮定であり、現実的ではなく、僕の想像の産物に過ぎないのだが……そういう場面を想像すると何だかとても幸せな気分になってきた……。
微笑ましい……。
アルザギール様がころころと表情を変える御方だったとすれば、今は泣いていただろうか? それとも笑っていただろうか?
……どちらもありそうだ。
感情表現が大げさなアルザギール様……。
……駄目だ。笑ってしまいそうになってきた。
僕は慌てて舌を噛み、文字通り笑いを噛み殺した。
気が抜けているな、と思った。
気が張っている自覚は無かったのだが、やはり僕もかなり緊張していたらしい。
まあ、インカナなんて出会い頭にいきなりアルザギール様を殺せなどと(芝居で殺す気など無かったわけだが)部下に命令したし、その後すぐにオドロアとトリフォリの吸血鬼二人との会談で、もしかしたら戦闘になるかもと警戒していたし……実際に戦闘になって、戦い自体は楽だったが、殺さないようにそこそこ気を使っていたから……一息ついて思い返してみれば、ここに来てからずっと気を張り詰めていたわけだ。
一段落して、気が抜けるのも当然か。
「インカナ。ユーリ。お疲れ様でした」
アルザギール様のその労いのお言葉は、僕らのここでの役目が終わった事を告げていた。
「僕は僕の務めを果たしただけです。アルザギール様こそ、お疲れなのではありませんか?」
一礼して、尋ねた。
何がどうなるかわからなかった。
一つ間違えれば、仲間が二人、もしかしたら三人死んでいたかもしれないのだ。
アルザギール様の繊細な神経は僕なんかよりも遥かに疲弊しておられるはず……。
だというのに、アルザギール様は謙虚にも首を左右に振られた。
「いえ、私は大した事はしていませんので。私よりも、インカナの方が……」
ちらりと視線をお向けになったアルザギール様。
それを受けて、大仰にインカナは肩を回した。
「あぁ〜いや本当になぁ……本当に疲れたぜ……どっかの馬鹿が気が狂って大暴れしたせいでなぁー疲れたわ〜。かつての大戦以来の疲労感だわぁ〜」
「……そこのあなた、どっかの馬鹿とは誰の事ですか? まさかこの私の事を言っているのですか?」
「自覚があるようで何よりだぜ。言っても無駄かもしれねぇが、一応言っとくぞ。もう二度とこんな面倒な痴話喧嘩すんじゃねぇぞてめぇ」
「痴話喧嘩では……っ!」
トリフォリとインカナの視線が絡み、火花が散った。が、それも僅かな間だった。
「……いいえ、迷惑をかけました。すみませんでした」
トリフォリが頭を垂れた。
インカナは目を見開いていた。激しく驚いているようだった。
「……おいおいおいおい。いきなり謝んなよ。逆にこえーよ」
「ではどうすれば?」
「そりゃあ……まあ……あれだよ」
「あれとは?」
「あれは……あれだ」
「あれとは何ですか? はっきり言いなさい」
「あー……もういい。とにかく謝んな。行動で示してくれりゃあ、それでいい」
「行動ですね。わかりました」
勝ち誇った顔をするトリフォリ。
くたびれた様子のインカナ。
どちらが優位にいるのかを毎回決めなければ納得しない関係らしい。
通りで仲が悪いわけである。
とはいえ、まあ、そんな事はどうでもいい。
これからの話しをしなければ。
そう思っていたところで、
「インカナ。そなたが我々に望む行動とは何だ?」
タイミング良く(恐らく切り出すタイミングを見計らっていたのだろう)オドロアが口を開いた。
「我々を生かしたのは、何か理由があるからなのだろう?」
「それについてはアルザギールに聞いてくれ」
インカナが親指を立ててアルザギール様を示した。
アルザギール様は、一歩前に出られた。
「オドロア。トリフォリ。そして、インカナ。この世界に生きる者達に、未だ大きな影響力を持つあなた方に、やって欲しい事があるのです」
「それは何だ?」
オドロアが尋ねた。
アルザギール様は、お応えになった。
「この世界に生きる者達に道を示すのです。私達が去り、世界が元に戻った際に戦乱が起こらぬよう、信頼出来る者に一先ず領地の統治権を与えるなど……その時が訪れるまでにやるべき事は多くありますが……最も重要なのは、残りの吸血鬼の説得です」
「説得か。残る二人の吸血鬼、ロジェとアルマを説き伏せ、同意を得る。という事だな?」
「はい」
この世界に生きる全ての吸血鬼から同意を得なければ、日の光は戻らない。
それを得ていなければ世界は元の姿に戻せないのだから、真っ先にそれを得るのは当然である。
問題は、それをどうやって行うか? だが。
「あの二人が簡単に同意するでしょうか? この場での騒動は全て私の誤った行いによるものですが……私を焚き付けたのは、元はと言えばロジェですから……」
「トリフォリ。あなたから見て、ロジェは同意するように見えましたか?」
「……どうでしょう。そのような話しはしていないので、何とも……ごめんなさい。アルザギール」
「なぁ、ちなみになんだけどよぉ、ロジェのやつはてめーに何て吹き込みやがったんだ?」
「オドロア様は変わってしまわれた。など、そのような、オドロア様の前では口に出し辛い話題ばかりでしたが……」
「そーいう戯言を簡単に受け入れたわけか、てめぇは」
「……簡単にではありませんけど……私としても、色々と思うところがあって……」
インカナの文句に反論せず、トリフォリは素直に受け止めて、
「そう言えば……あれは、今思えば……」
目を瞑り、過去に戻り、そこから言葉を拾ってきて、言った。
「絶対的な存在が、オドロア様のような者が、かつての大戦の時のように民を率いてくれたら、それに優る事は無い。君もそう思わないか? と言われました」
「あぁ? 何だそりゃあ?」
「私の心が未だ過去にあると知り、そう言ったのでしょうが……今にして思えば、他に何か含むところがあったように感じられます」
「絶対的な存在が……かつての大戦の時のように……」
アルザギール様が、指先を顎に伸ばした。
そして、コツン、と一回だけ。触れられた。
僕よりもアルザギール様とお付き合いが長い吸血鬼の面々は、それを見てアルザギール様が思考を巡らせている事を悟った。
「アルザギール。もしやロジェは」
「その可能性は高いと思われます」
「ならば、すぐにでも会わねばならない。会って、やつの真意を確かめなければ」
「そうですね」
オドロアとアルザギール様はお互いに顔を見合わせた。
二人の考えは一致した。という事なのか。
「何の話だよ? アルザギール」
インカナが疑問の声を上げた。
「ロジェがこれから起こすであろう行動について考えていました」
「なんだと? ロジェのやつ、何かやらかしそうなのか?」
「はい」
アルザギール様が頷かれた。
何かをやらかす……とは何だろうか?
オドロアとアルザギール様のご様子から見るに、それが危機を齎すものであるような気がするが……。
と、その時、扉が叩かれる大きな音がこの場に響いた。
ドン、ドン、ドン、ドン。と四回。
忙しないノックだ。
続けて、ノックの音に負けないくらいの大きな声も聞こえた。
「インカナ様ぁーっ! ご報告がありまーすっ! 急いでここから出てきてくださーいっ!」
声の主は、アインだった。
「インカナ様ぁーっ! 聞こえてますかーっ!」
「聞こえてる! すぐ行く!」
「お早くお願いしまーすっ!」
アイン……僕を前にして、自分の死を感じてもへらへらと笑って余裕を持っていた男だったが……今の声の様子からは若干の焦りが感じられた。
「早く出てこいって……一体何だってんだぁ?」
「街で何か問題でも起こったのではなくて?」
「問題ってもよぉ……このインカナ様が出張るほどの問題ってなんだ? そんなのが起きるとは思えねぇんだよなぁ……と言うか、そもそもうちで問題が起こるわけねーだろ。このインカナ様が治めてんだぞ? なめてんのかてめぇ?」
「汚い言葉を使わないでくださらない? 私とお喋りする暇があるのならば、お早く行ってあげた方がよろしいのでは?」
「ちっ……さっきまで泣いてやがったのはどこのどいつだ? 口の減らねぇやつだぜ」
「そ、それは……っ!」
「あーはいはい。ほら、行くぞてめーら」
顔を真赤にして弁明しようとするトリフォリを無視して、インカナは大股で歩き始めた。
少し遅れて、アルザギール様と僕もその後ろに続いた。
オドロアとトリフォリは更に後ろだ。互いに支え合っている二人の歩みは遅い。
二人ともあれだけ血を流したのだ。消耗は大きい。本当なら誰かから血を貰って回復するのだろうけれど、状況が状況だ。嫌味は口にしても、インカナを煩わせるような真似はしないという吸血鬼としての誇り高さなのだろう。
この世界の支配者。
頂点に君臨する生き物。
永遠に生きる強い存在。
そういう者に、早く来て欲しいと……。
何か……何となくだが、胸騒ぎがする。
漠然とした不安……嫌な予感とでも言うべき、根拠の無い黒い気配……。
「アイン! 報告ってのはなんだぁ?」
扉を乱暴に開け放ち、そこにいたアインにインカナが問い掛けた。
「インカナ様! 外! 外を見てくださいって! こっち側の!」
「あぁ?」
こっち側。
岩をくり抜いて造られた穴から見える、街とは反対の、僕らが通って来た草原の方を指差したアイン。
インカナは怪訝そうにそちらを向いて、そして——
「うおっ!? な、なんだ!?」
驚きの声を上げた。
遅れてやって来たオドロアとトリフォリも、外を見て、紅の瞳を大きく見開いた。
「これは……一体……」
外の光景から目を離し、オドロアを見るトリフォリ。
「そうか。こうきたか」
隣のオドロアは、なるほど。と頷き、アルザギール様を見やった。
「アルザギール。どうやらこれがロジェの選択のようだ」
「そのようですね」
アルザギール様も頷かれた。静かに。
重い雰囲気が場に降りた。
外にはどのような光景が広がっているのか?
それを目にする前に、感覚が拾い上げた。
無数の、数えきれない程の気配。息遣い。声。
大地の微弱な振動。
木と油が燃える匂い。煙の匂い。鉄の匂い。獣臭。
そして——血の匂い。
僕は外を見た。
まず目に入ったのは、いくつもの明かりだった。
赤々しく燃える無数の松明の明かり。
それを持つ者達。
黒耳長。白耳長。獣人。皆区別なく、全員が全員鎧を着込んでいる。武装している。
まさに、軍……。
戦をするつもりだ。こいつらは。
けれど、それだけではない。
松明を持たない者達は、槍を掲げている。
長い槍だ。
戦闘というより、示威行為に使う長さのもの。
そういうものだから、槍の先には——
「くそったれが……あいつら……なんてことを……なんてことをしやがった……っ!」
インカナが呻いた。
槍に貫かれ、こちらに見えやすいように突き上げられているのは、頭だった。
白耳長。黒耳長。獣人。こちらもまた、区別はなさそうだ……いや、一つだけ、別けられている。
最前列の真ん中にいる一人の兵士が持つ槍の先にあったのは、知っている顔だった。
あれは……ラエだ。
シンスカリを治めていた領主。ラエ・イリス・バトゥータ。
遠目だが、吸血鬼の視力なら見間違えるはずもない。
首を斬る過程で髪の毛を毟られたのだろう、頭皮が見えている。肉が見えている。顔には痣。切り傷。黒く変色した血がいたるところにこびり付いている。耳も片方無い。目は二つとも無い。拷問でも受けたのか? 見せしめにでもされたのか?
どのような意図があったかはわからないが、酷く痛めつけられている。
領主がこんな目に遭っているのだから、街にいた他の人々も同じような末路を辿ったのだろうか……その可能性は高い……。
無数の兵士が掲げる、無数の頭部。
「私、冒険者になりたいんです!」「この世界を見て周りたいんです!」
少し前に聞いた言葉が唐突に思い出された。
ステラ……。
見える範囲にステラの頭はない。元々奴隷の身分だったし、町娘みたいなものだから、価値はないとして掲げられていないのか……?
……いや、そうじゃない。
だとしたらルドベキアのものは前列の方にあるはず……なのに、見当たらない。
女性の頭が無い……ように見える。
数えきれない程だし、酷く損傷しているものもあるので、断言は出来ないが、女性の頭は掲げられていないようである。
男は殺した。
女は、殺さずに……。
「……」
その先を考えるのはやめた。
気付くと、僕は強く両手を握り込んでしまっていた。
爪が掌に食い込み、血が流れた。
「……」
どこまでも続いているように感じてしまう、頭の列……。
今まで嗅いだ事が無い数の、死の匂い。
その光景に、己の中から溢れそうに強大な感情を必死に抑え付け、僕は静かに血を滴らせた。




