4−5、賛成多数
幕は引かれた。
もう、殺意も無い。
「お前……いえ、ユーリ」
「はい。何でしょうか?」
「お前が勘違いしないように言っておきます。お前が私を止めたのではありません。私自らが戦う事をやめたのです」
いきなり、トリフォリは僕を指さしてそう言った。
「え?」
「いいですか? 私はお前に敗北したのではありません」
「はぁ?」
「真の吸血鬼ではないお前に説得されたのでもありません。お前の忠誠心に感化されたのでもありません。ましてや、お前と私が同じなわけもありません」
「……」
「言うなれば、憐憫ですね。死に向かう主を止められない、お前への哀れみで、私の戦う気力は萎えてしまいました」
「……」
「付け加えるなら……その時に、思い出したのです。かつて抱いていた、オドロア様への想いを。それが、永い時の中で自らを見失っていた私に冷静さを取り戻させ、槍を捨てさせたのです。もう一度言っておきますが、あなたに力が及ばなかったから戦いをやめたのではないのですよ」
「……そうですか」
「一応、感謝をしておきましょう。冷静さを取り戻すまで、私を押し止めていたお前の奮闘に」
「……」
「何を呆けているのですか? お褒めいただきまして、ありがとうございます。と言いなさい」
「……お褒めいただきまして、ありがとうございます。トリフォリ様」
「どういたしまして」
「……」
何というブライドの高さだろうか。負けを認めないだけでなく、自分の力で何もかもを終わらせたとするとは。あまりにも強引な理由付けに僕は驚愕した。ついでに呆れた。インカナと仲が悪いわけである。同族嫌悪というやつだこれは。そうに違いない。
「さて……私は疲れました」
「そうですか」
「そうですか。ではありません。何を呆けているのですか? 疲れたと言ったでしょう? 一人では歩けません。肩を貸しなさい。そして、私をオドロア様の下まで連れて行きなさい」
「えぇ……?」
「私がこんなに疲れたのは誰のせいですか? 全く、必要以上に私を斬り刻むとは……これはお前が加減というものを知らなかったせいなのですよ?」
「……」
十分加減したのですが……殺さなかったわけですし……そういう文句を寸前で飲み込んだ。
僕が理性的だったというのもあるが、口は悪いが、今のトリフォリが高圧的でなかったからでもある。
最初に会った時程の圧は感じなかった。
言葉以上に、物凄く疲れているというのもあるだろうが、精神的な緊張が解けているのが大きいのだろう。
「わかりました。では……失礼します。行きますよ、トリフォリ様」
トリフォリの右手を取り、首に回して僕の右の肩に置いた。それから腰に腕を回した。華奢な体躯だった。長い髪の毛が鬱陶しいな。と思った。なので、早く歩く事にした。
僕はツカツカと進む。
半ば引きずられるようにトリフォリが足を速める。
「こ、こらっ! ユーリ! お前は歩くのが速過ぎます! 歩幅をきちんと私に合わせなさい!」
「別にいいですけど……オドロア様の下に一刻も早く駆け付けた方がいいのではないのですか?」
「そ、それはそうですね……確かに……そうですとも……」
トリフォリは困った顔をしながらも、僕に速度を合わせた。
調子に乗っていたこいつの狼狽する顔が見られて少し満足したが、少し悪い事をしたような気がしないでもない……いや、やっぱり清々した。僕に落ち度はない。全部こいつが悪いのだから。
しかし。
ついさっきまで認めていなかった僕を認め(名前を呼んでくれただけなので本当に認めているのかどうかはわからない。肩を借りたかったら僕の機嫌を取ろうとしただけなのかもしれないけど)文句を言いつつも足を止めない。トリフォリは心の底からオドロアを慕っているのだ。行動からそれがわかる。
二人の間に何があったかなんて知らないし、どうでもいい。
けれど、二人は一緒にいるべきなのだ。と僕は思う。
きっと、アルザギール様もそう思っている。だからアルザギール様は僕にトリフォリを止めるよう命令なされた。
勿論、深慮遠謀なアルザギール様の事であるのだから、他にも何か大きな理由があってトリフォリを殺さなかったのだろうけれど。
「あ、そう言えば」
「どうしました?」
アルザギール様の事を想い、思い出した。
「トリフォリ様。アルザギール様に馬鹿。と言ったのを訂正してください」
「は?」
「は? ではありません。訂正してください」
それが戦いの切っ掛けだった。
トリフォリは暫し困ったような顔をしていたが、自身の過失を認めて速やかに謝罪してくれた。
「わかりました。訂正します。アルザギールを口汚く罵ってしまったのは、私の不徳の致すところでした。申し訳ありませんでした」
やや渋々という様子は見受けられたが、きちんと訂正されたので僕としては満足である。
そうやって僕なりに落とし前を付けさせているうちに(早歩きだったのもあって)すぐにオドロアの下に僕らは着いた。
オドロアは床に仰向けで倒れている。
右隣には片膝を着いた姿勢のインカナがいる。右の掌から血を伸ばし、オドロアの胸に空いている穴に入れ、固め、蓋をしている。
酷く歪な光景だった。
人間の姿をした者の胸の真ん中に、鉱石の如き黒い塊が埋められている。
「こっちから血を与えようとしても拒んでやがるからよぉ……一応こうやって止血的なことはしてみちゃいるが……やっぱりこいつは血を止めやがらねぇし傷も治しやがらねぇ」
これじゃあどうしようもねぇ、とインカナはため息混じりに吐き捨てた。
確かに、穴は塞いでいるが、完全に血を止めているわけではない。ほんの少しずつだが漏れ出ている。溢れ出ていっている。強引に血を流している。ここで死ぬ事が自分の役目だと言わんばかりの様子だ。
トリフォリの瞳が痛みを受けたように歪んだ。
僕はオドロアから視線を外し、左隣におられるアルザギール様に目をやった。インカナとは違い立っておられるアルザギール様は、僕達が近づくと、
「トリフォリを止めてくださって、ありがとうございました、ユーリ」
と、お褒めの言葉を僕に送ってくだされた。
「お褒め頂き、光栄の極みです。アルザギール様」
トリフォリに肩を貸している事すらも忘れ、僕は折り目正しく一礼した。僕の動きに引っ張られて頭を下げる形になってしまったトリフォリが「おいっ!」と苛立った声を上げたが、僕は気にしなかった。
アルザギール様はそんなトリフォリを見て小さく微笑まれると、
「どうぞ、トリフォリ」
と、短くおっしゃられ、その場から離れられた。
「ユーリ、私をオドロア様のお傍に下ろしなさい」
「はい」
トリフォリに言われるまま、僕は膝を折って屈み、オドロアの傍にトリフォリを座らせた。
「お前のお蔭で、私は過ちを犯さずに済みました」
抱いていた腰から手を離す間際、トリフォリは感謝とも取れる言葉を口にした。
僕は敢えて何も言わず、静かに下がり、アルザギール様のお隣にお並びさせて頂いた。
僕なんかがアルザギール様のお隣にお並びするのは不味いことではないか……少し後ろにいた方がいいのではないか……と思わないでもなかったが、何かあった時に備えてこの位置取りがいいと判断したまでである。
トリフォリは情緒不安定なやつなのだし、再び激昂しないとも限らない。何が起こるかわからない。
警戒を解かないでいるが故の合理的判断である。
アルザギール様も何をおっしゃられないので、これでいいとしよう。
「オドロア様……」
「トリフォリか」
トリフォリの声に、オドロアが薄く目を開いた。視線の先は星の空。トリフォリを見てはいない。
虚ろだ。
しかし、死は近くもなく遠くもない。
まだ致死量の出血ではない。
まだ死に至る程ではない。
まだ間に合う。猶予はある。……肉体的には。
死に向かっているのは、肉体ではなく精神の方だ。
心が死の方へ寄っている。
ここで終わる事を望んでいる。
インカナは黙っている。アルザギール様も何をおっしゃられない。けれどこれは諦めではない。トリフォリに委ねているのである。
ここに至っては、もはや僕に出来る事は何も無い。
どうなるのか、見守るだけである。
「私は死を望んでいる。そなたも私の死を望んでいる」
「それは……」
「アルザギールとインカナは止めようとしている。二対二だ。本来なら、もう一度採決するところだが、そなたに刺された。私はこれを運命だと思った」
「……」
「この傷。痛み。流血。私はここで死ぬべきだと思った。それで……」
オドロアの口の端がほんの少しだけ上がった。
笑っているのだろうか?
自虐的に。
「しかし、そなたは」
オドロアの瞳だけが僅かに横に動いた。
トリフォリを見ている。
「今は、どう思っている?」
淀み無く喋っているが、声色は弱々しい。
そこに、トリフォリは自身の心のままの想いを被せた。
「生きて欲しいと思っています」
「何故だ?」
「理由なんてありません。理屈ではないのです。あなた様への、この想いは」
地に横たわっているオドロアの手を、トリフォリが優しく握った。
「先程は、申し訳ありませんでした。あなた様を、偽者だなどと罵倒してしまい……あまつさえ、そのお体に槍を突き立ててしまい……本当に、申し訳ありませんでした。謝って済む事とは思いません……ですが……」
「いい。構わない。そなたの言う通り、私はもうかつての私ではないのだから」
「いいえ。……いいえ。オドロア様、あなた様は変わってなどいません。私もまた、変わっていません。変わったのは、この世界の方です」
「世界……」
「もうこの世界から危機は去りました。我々が戦う必要もなくなりました。……アルザギールの言った通り、我々は去るべきなのです」
「ならば……」
「いいえ、オドロア様。今は死すべき時ではありません」
去ろう。恐らくそう言おうとしていたオドロアを遮り、トリフォリはオドロアを抱き起こした。
「今はまだ、死なないでください。身勝手な願いですが、その時が訪れるまで、生きてください。……私と共に」
オドロアの背中は血で濡れている。その血で自らの手が汚れるのも構わず、トリフォリはオドロアを抱きしめた。
「かつての大戦で、民を率いて前線で戦ったあなた様のお姿を、私は今でも夢に見ます」
肩口に顔を埋めるトリフォリ。
「勇敢でした。優美でした。この世の言葉では言い表せない程に。あなた様は強く、そして美しかった。つい、夢を見た後に筆を執り、絵に描き起こしてしまうくらいに」
オドロアの耳元で、独白のように紡がれる気持ち。
「私は、そんなあなた様に憧れているのです。今も尚。……いいえ、今の方が、かつてより、一層激しく」
静かに、淡々と。
「だからこそ、私はあなた様を刺してしまったのです。あなた様は私の理想。その理想であるあなた様が、このような事を、死にたいなどと言うはずがない、と」
耐え難き痛みを堪えるように。
「私はまだあなた様に導いて欲しかったのです。かつて民を勝利へと導いたように、私を幸せへと導いて欲しかったのです。ただそれだけを願い、ただそれだけの為に、私は生きていたのです。あなた様の後に続いて戦場を駆けたあの頃から……かつての大戦の時から……いいえ、こちらの世界に来る前から、今まで、ずっと……」
僕なんかでは想像も出来ない遠い遠い過去を、噛み締めるように。
「私は、あなた様に憧れを抱いているのです」
再び、トリフォリは言った。
涙を流しながら。
さっきの僕みたいに、情けない姿を晒しながら。
「だから、私はあなた様と共に生きたいのです。あなた様の隣に居たいのです」
憧れているが故に殺そうとし、憧れているが故に共に生きて欲しいと願う。
それは何と身勝手な想いだろうか。
一方的な押しつけだ。
しかし、それを批判する事は僕には出来ない。
なぜなら僕もまた、アルザギール様に対してそれに近い想いを抱いているからだ。
アルザギール様の願いを叶えたいと思う一方で、アルザギール様に生きていて欲しいと願っている。
この気持ちに折り合いを付ける事など出来ない。
恐らく僕は最後のその瞬間まで己に問い続ける。
もっと何か他の方法があるのではないか?
世界を元に戻して、アルザギール様が生き続けたいと思うよう説得して……僕とアルザギール様とが永遠に生き続ける……そんな、終わり無き幸せが続き続ける日々があるのではないか? と。
それを考えずにはいられない。
その時が訪れ、日の光を浴びて消滅する寸前に、僕は後悔するかもしれない。
あの時ああしていれば。
あの時こうしていたら。
益体もない事を考えて、悔やんでも悔やみきれずに死んでいくのかもしれない。
それでも……。
それでも、僕はアルザギール様の願いを叶える。
僕が僕であるが故に、僕は僕の務めを果たす。
そこに迷いは無い。
矛盾を抱えて生きていく。
苦しみながら生きていく。
それでいい。
矛盾している事が悪いとは、僕は思わない。
この苦しみこそが、アルザギール様への想いそのものなのだから。
だから。
日の光が世界に戻るその時、僕は……後悔するけど、後悔しない。
「死なないでください。オドロア様」
懇願するでもなく、命令するでもなく、トリフォリは共に居たいと願う。
背中から肩に回された左手。その指先には赤黒い色が付いている。流れ出た血だ。それを再び体の中へと押し込むように、トリフォリがオドロアの体を——右手を背中に、そこにある穴を塞ぐようにして——両腕で強く抱き締めた。
「生きてください。オドロア様」
「生きてください、か」
トリフォリの想いを、オドロアが口にした。
「三対一になってしまった」
オドロアの瞳が動く。
インカナとアルザギール様をちらりと見た。
最後に、トリフォリも。
「そうです。賛成多数ですよ」
その瞳を真っ直ぐに見詰めて、トリフォリは頷いた。
「賛成多数か……」
諦めたように。
あるいは、覚悟を決めたように。
オドロアは呟き、
「私の生を望む者が多いのであれば……私は、生きなければならない」
それが自らに課した規律。とでも言うように、地に手を付き、自らの力で上体を支えた。
「オドロア様……」
トリフォリが顔を上げた。オドロアの顔を見て、そして胸元に目をやった。
そこにはもう、血の塊は無かった。
穴は塞がっていた。
「生きよう。その時が訪れるまで」
オドロアが立ち上がった。
寸前まで死に体だったとは思えない程に滑らかな挙動だった。
傍にいたトリフォリは驚きからか共に立ち上がれなかったが、そんな彼女に、オドロアは手を差し伸べた。
「そなたは私に憧れていると言ったが、私もそなたを尊敬している」
「え……?」
トリフォリは、虚を突かれて静止した。
「元の世界でも、かつての大戦でも、そなたに何度助けられた事か。強く美しいのは、私では無い。そなたの方だ。トリフォリ」
「オドロア様……」
「共に生きてくれるか? 最後まで」
「……はい」
差し出された手を掴み、トリフォリも立ち上がった。恥ずかしがっているのか、緊張しているのか、何にしても、頬が赤く染まっているように見えるのは気のせいじゃない。
見つめ合い、二人は支え合った。




