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3−1、オドロアとトリフォリ

 二人のうち、先頭が歩いているのがオドロアだとアルザギール様に紹介して頂いた。

 オドロア・ジン・シキミ・ミトラレス。

 かつての大戦時、自らが先陣に立ち、民衆を率いて戦局を回天せしめた英雄。大戦を勝利へと導いた女傑。

 アルザギール様からそのような説明を受けた覚えがある。

 話しに聞いた限りでは、熱い女性の姿を想像していた。

 英雄足り得るものが持つ熱さ。

 人々を魅了し、焚き付け、戦地へと赴かせる……一言で表現すればカリスマとでも言うべきものを持っている女性。

 そんな人物像を思い浮かべていた。

 しかし、実際にオドロアを目にした僕の第一印象は、冷めている。だった。

 冷たい瞳をしていた。

 薄く、見開かれている。

 紅の瞳——紅は情熱を感じさせる色のはずなのに——は、温度が無いかのように見える。

 何を考えているのか、わからない。思考が読めない。会話が通じない強硬派なのか、それとも事なかれの穏健派なのか……。

 けれども、ミナレットとは違う。あいつみたいに、無なのではない。

 オドロアは自身の内にある感情を自力で止めているように感じられた。

 自身から熱を発するのを止めている……?

 肌の露出が少ない黒のロングドレスと、艷やかな長い黒髪はまるで戒めのようだ……本当は、このような落ち着いた格好をする女性では無いのではないか?

 せいどうかで言えば、オドロアは本来、動なのではないか?

 月の光で煌めく銀の鎧を着込み、血で形作られた大剣を掲げ、鬨の声を上げ戦の先陣を切る様子が不意に脳裏を過った。

 ……何だろうか?

 今のイメージは、どこから来たのか?

 誰かの記憶……僕に注ぎ込まれた吸血鬼の記憶なのだろうか?

 あるいは、第六感というか、共感覚とかいうやつだろうか? 強化された吸血鬼としての能力が、オドロアの本質を感じ取り、それをあんなイメージに変換したのか?


「久しいな。アルザギール。インカナ」


 考える僕を現実に戻した、冷めきった声。

 抑揚がなく、機械じみている。

 生きているのに、死んでいるような。


「お久しぶりですね。オドロア」


「よう。久しぶり。しっかし、なんだ? 前会った時よりもやる気のねぇー顔してるじゃねーか。オドロア、てめぇ大丈夫か?」


「問題は無い」


 大丈夫か? ここ最近何度も耳にした言葉。

 それにオドロアは僕と同じように応えて、それから視線をこちらに向けた。アルザギール様を……いや、違う。僕だ。僕を見ている。


「ユーリ」


「はい」


 名を呼ばれた。反射的に返事をしてしまっていた。

 有無を言わさぬ口調ではなかった。

 なのに、応えなければ。と口が動いていた。


「お初目お目にかかる。私はオドロア・ジン・シキミ・ミトラレスだ」


「あ……はい。初めまして。ユーリと申します。アルザギール様にお仕えしております」


「そうか」


 僅かに顎を引いた。

 僕に対する反応はそれだけだった。

 オドロアはインカナの右隣にある椅子を引き、とても静かに腰を下ろした。

 音がしなかった。

 そう言えば、こちらに近づいてくる際も足音がしなかった気がする。

 無駄の無い動作だ。

 必要最低限の動き、とでも言えばいいのか。

 ただ、この動きだけでは力量の全てはわからない。

 吸血鬼なので強い……のだろうが、それはどの程度なのか。

 流石にルーレス以上という事は無いと思われるが……。

 まあ、どれだけの力を持っていたとしても、距離はそれなりに開いているし、僕はアルザギール様の背後に控えている。この位置関係ならば不意打ちには十分に対応出来る……はずだ。


「……」


 オドロアは視線をテーブルに落としている。

 一日の会話は終わった。そんな風に、口を閉じている。

 波一つ立っていない海。というよりは、凍てつき流れの止まった川の印象を受ける。

 威圧感はない。

 静かでいる事で相手に圧力を掛ける者とは違う。

 黙っている。

 何もしない。という事をしている。

 何故……?

 わからない。今は、まだ。

 一方で、アルザギール様の左隣に近付いてきたのは、そういうオドロアとは対象的な者だった。


「御機嫌よう。皆さん」

 

 高圧的な口調だった。

 挨拶だが、相手の名前を呼ばなかった事からこちらを見下しているのは明らかだ。

 釣り上がった目。異様に——並の神経の持ち主だったら自分が何か悪い事をしたのではないかと、ありもしない失敗を探してしまうくらいに——鋭くこちらを見据えている視線からも、それが窺える。

 オドロアと同じく黒いドレスを身に纏っているが、露出度は多い。二の腕は剥き出しで胸元は開いている。この調子だと背中もぱっくり開いていそうだ。

 トリフォリ・クロバ・フォウ・シャムシャジーク。

 こいつは自分に自信があるのだ。それも、かなり大きな自信が。


「御機嫌よう。トリフォリ」


 一目見ただけでそのような性格だと思われるトリフォリをまっすぐ見据えて、アルザギール様は同じ言葉をお返しなさった。


「うぃーっす」


 インカナは、視線を逸して明後日の方向を見ながらの適当な返事だった。あからさまに失礼な接し方である。

 が、しかし、トリフォリにインカナの態度を気にした様子は無い。

 お互いに挨拶はしたものの、それ以上はどうでもいいとばかりに無視し合っている。努めて意識しないようにしている。

 間違いない。こいつらは仲が悪い。

 険悪な空気はまだ無いが、それも今だけだ。すぐに面倒な事になる。その面倒がどの程度かはわからないが、僕としては口喧嘩くらいでやめて欲しいところである。それ以上になって、アルザギール様に飛び火したら、その時は……。


「御機嫌よう。ユーリ」


 最悪に厄介な未来予想をしていると、挨拶された。

 さっき皆に挨拶にしたのに、僕には個別にするのか? と疑問に思わないでも無かったが、深く考える前に僕はオドロアの時と同じく、


「初めまして——」


 と、言ったところで、


「御機嫌よう」


 再び、挨拶を被された。

 圧のある口調だった。

 御機嫌ようとこちらが言ったのだから、あなたも御機嫌ようと返しなさい。それが礼儀でしょう? あなたは礼儀を知らないのですか? とでも言っているかのようだった。……いや、恐らく、そう言っている。これは。

 ……応えなければどうなるのか?

 少し迷い、僕は視線をアルザギール様に送った。

 アルザギール様はこちらの方を振り返ってくださり、小さく頷かれた。

 どうやら応えた方が良いようである。


「……御機嫌よう。トリフォリ様」


「ふん……主の許しがなければ挨拶も満足に出来ないのですか? 忠義に厚いと言えば聞こえは良いですが、我々と同じ吸血鬼であるという誇りが欠けているのではなくて?」


「……?」


 え? という疑問の声をぎりぎりで飲み込んだ。けれど、疑問符自体は既に浮かべてしまっていた。僕の顔に出ているそれを目ざとく拾ったトリフォリは、大仰なため息を吐き出した。


「はぁ……ここにいる事からお前が吸血鬼である事は間違いないようですが、所詮は造られた紛い物でしかないのですね。そもそもこの場に席が用意されていない事からも、お前が真の吸血鬼ではない事は明らか。やはりお前はこの場に同席するに相応しい者ではないようです。即刻立ち去りなさい。ここはお前のような紛い物が居ていい場所ではありません」


「……?」


 とても失礼な事を言われているのはわかる。

 だが怒りの感情は沸いてこない。

 それよりも、僕は困惑していた。

 何だこいつ?

 何を言っているんだ? と素直に困っていた。

 トリフォリの言っている事の意味がわからず、僕は再びアルザギール様の方を向いた。

 このような場面ではどう振る舞えばいいのか、アルザギール様に教えていただきたかった。のだけれど、これがいけなかった。

 トリフォリは僕を見て、これ見よがしに大きく舌打ちをした。


「返事はどうしました? まさかお前は主の許しが無ければ返事すらも出来ないというのですか? ならばアルザギール、これに『はい』とだけ言わせなさい」


「何故ですか?」

 

 すぐさま、アルザギール様は疑問のお声を発された。


「これは我々のような真の吸血鬼では無いのでしょう? 真の吸血鬼でないのであれば、この場に居るべき存在ではない。それが理由です」


「私はユーリも吸血鬼の一人であると思っています。故に、この場に同席させているのです。インカナも納得しています」


「おう。納得してるぜ」


 インカナが声と手を上げた。

 トリフォリが、キッと音がしそうな程に刺々しく敵意丸出しでインカナを睨みつけた。


「誰があなたの発言を許可しました? 私はアルザギールと話しているのです。あなたは黙ってそこで置物にでもなっていなさい。インカナ」


「あ? おい? 何だ? 今黙れって言ったか? 置物ってなんだ? 確かにこのインカナ様は部屋に置いておきたいくらいに美しいけどよぉ。ふざけたこと言いやがるんじゃねぇぞ。このインカナ様に命令か? 何様だてめぇ?」


 インカナが円卓に手を付いて、浅く腰を浮かした。

 まさしく喧嘩腰である。


「相も変わらずうるさいですね、あなたは」


 トリフォリが、ゆっくりと右手を上げ、掌をインカナの方へと翳した。

 お静かに。というジェスチャーではない。

 攻撃態勢に入っている。

 殺気は無い。だがちりちりと肌を刺す強烈な敵意がトリフォリの全身から溢れ出している。


「やんのか? てめぇ」


「勘違いしないでくださる? あなたがそれを望んでいるのでしょう?」


「喧嘩売ってんだろ?」


「押し売りしているのはあなたでしょう?」


「なーに言ってやがんだ。てめぇが先に売ってきたんだろーが」


「どちらが先かなどと、不毛な話しはやめにしませんこと?」


 棘のある言葉をぶつけ合う二人。

 言葉と同時に放たれる敵意の波も二人の間でぶつかり合い、場の空気を震わせている。

 何か切っ掛けがあれば、即座に争いが起きる。

 文字通りの一触即発。

 そういう空気だ、これは。

 吸血鬼だけで会談をするというのは英断であったな。と改めて思う。

 争いになった時に周囲への被害を考えないでいいし、それにもしこの場に普通の白耳長とか黒耳長の従者がいたら、場の雰囲気に耐えられず極度のストレスで胃に穴が空いて倒れていただろう。

 肉体的には吸血鬼であり同等の力を持つ僕は、最悪争い事になってもなんとかなるだろうと考えているので平気でいられるが……さて。ここはどう振る舞うべきだろうか?

 元はと言えば僕がこの場にいるのを認めるか認めないかの会話が発端だ。

 ここで争いが起きた場合、アルザギール様をお守りするのが第一であるのは間違いない。それは絶対である。何事においてもまずはアルザギール様である。が、第二に、インカナに加勢するべきだろうか?

 インカナの事はさっき会ったばかりでよく知らないが、アルザギール様の目的に同意してくれているし、口が悪いとはいえ、慇懃無礼なトリフォリよりは遥かにマシな性格をしている。

 恐らくアルザギール様も「インカナと協調してトリフォリを倒しなさい」と僕にお命じになってくださるはず。

 そういう予想は出来るが……出来るからといって僕の一存で動くわけにはいかない。

 アルザギール様のご命令を待つ。

 とはいえ、この状況だとアルザギール様が僕に命令を下そうとしてお口をお開きになる事でさえ、争いを誘発する引き金になり得るかもしれない。

 緊張のピーク。臨界点。張り詰めた糸が千切れる瞬間がいつ訪れるかは、わからない。

 面倒な事になったな——と、思っていた、その時、


「やめよ」


 オドロアの冷たい声が、闘争開始寸前の空気を瞬時に凍りつかせた。




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