2−2、会談開始直前
恐らく、特別応接室はこの城塞の中段辺りにあるのだろう。
窓の外にある街の景色がさっきよりも少し下がっているように見えたので、そう推察した。正確な位置はわからない。
通路の最奥にそれはあった。
が、しかし、それはまるで壁だった。
いやまるで、ではなく、壁だった。
長方形に切り出した、煉瓦みたいな石をいくつも重ねて造った壁。そうとしか見えない。
二つの蝶番が付いており、それだけが扉っぽさを演出している。
「ここが特別応接室だ」
「ここが……? あの……インカナ様、これは壁ですよね?」
見たまま、インカナに尋ねた。
「よくわかったな。これは壁だ」
インカナは肯定した。
やはり、壁だった。
「先に何かあるようには感じないのですが……」
何も感じない。
気配が無い。
何かがあるようには思えない。
「だな。このインカナ様にも何も感じ取れん」
「は?」
こちらを馬鹿にしているのか。それともこいつの頭がおかしくなってしまったのか。二つの可能性について真剣に考えていたところで、インカナはニヤリと自慢気に笑った。
「でもよぉ、ちゃあんとあるんだよなぁ。この先に」
インカナは蝶番を両手に一つずつ持つと、思い切りそれを引いた。
壁を造っている石が抜ける。
僕は当然そう思った。
壊して通り道を作るつもりか? と。
しかし……そうはならなかった。
重い、硬質な物体と硬質な物体とが擦れ合う音がして、ゆっくりと、壁が動いていく。両側に。少しずつ。隙間から白い光が漏れ出し、僕たちの足元を照らした。
そして扉が開ききり、先にある光景を目にして、僕は言葉を失った。
アルザギール様でさえも、息を呑まれておられた。
「インカナ……ここは、まさか……」
「そのまさかだぜ。アルザギール」
一瞬前まで、そこには何も感じなかった。
確かに、何も無かった。
けれども、一瞬後の今、そこはあった。
少し前に見た場所だった。
どこまでも続くかのような起伏のある光の道。
見上げれば無数の輝き。
それ以外は闇。
「ここは大魔女の世界の、その一角だ」
そうだ。大魔女がいたところだ。
幻覚などではない。ひんやりとした、厳粛ともいえる空気の感覚でわかる。
ここはあの場所だ。
以前との違いは、頭上に大魔女がいない事と、道の先にテーブルがある事だ。
道と同じく白いテーブル。
所謂、円卓だ。大きい。
簡素な椅子が四つ。それぞれが対になるように、間隔を空けて置かれている。
アルザギール様、インカナ、オドロア、トリフォリの為の席だ。
「バルヴェニアに頼んでな、魔法で用意させた。外からの声とかは聞こえるようにして貰ってるが、吸血鬼しか入れねぇところだ。話し合いをするにはいい場所だろう?」
「魔法でわざわざこのような場を……。あなたに感謝します。インカナ」
「なーに。いいさ。気にすんな。何かあった時はこっちの方が都合がいいと思っただけよ。城の中で吸血鬼に暴れられたらたまらねぇからなぁ」
何かあった時……。
暴れる……。
そういう事も起こり得るのか?
会談の結果、交渉は決裂。同意は得られず、オドロアとトリフォリが襲いかかってくる……戦闘が発生する可能性があるのか?
だから、僕を同席させるのか?
それで、僕の戦力を確認する為に、吸血鬼同士の戦闘に付いてこられるかどうかを確認する為に、あんな芝居をしたのか?
「そう気を張るなよ、ユーリ。もしかしたらって話しだ」
戦闘に備えて気を張り詰めたのを感じ取ったのだろうが、インカナは軽い調子だ。
「しかし、戦いになる可能性はあるのですよね?」
僕は尋ねた。
「無いとは言い切れねぇなぁ」
これは、ある。という事と受け取ろう。
「そりゃあ何事もねぇのが一番で、そうなる事を望んではいる。ただの話し合いで終われば最高だ。……けどよぉ、こればっかりはやってみねぇとわからねぇんだよなぁ。なあ、アルザギール」
「ええ。そうですね」
アルザギール様は頷いて、そして、ゆるりと歩を進められた。
光の道へと入られた。
僕はその後に続いた。
インカナは僕を追い越してアルザギール様の隣に並んだ。
「先程インカナが言いましたが、私達がこれからするお願いは、この世界の為に死んでください。というものです。しかし、死ねと言われて、はい。わかりました。などと素直に死ぬ者はそういないでしょう」
僕はどうだろうか。
アルザギール様に死ねと言われれば、死ぬ……かもしれない。
僕はアルザギール様のものなのだから。
けれど、そのお願いを聞くとなるとアルザギール様をそれ以上お守りする事が出来ない事になってしまう。それを僕が受け入れられるのか? という疑問はある。
アルザギール様は僕の命よりも大切な存在である。
僕が死ぬ事でアルザギール様が生かされるのであれば、僕は喜んで死ぬ。だけど、ただの戯れでそのような事を申し付けられたら……大変申し訳無いが拒む恐れはある。言い訳するようで申し訳ないが、これは僕の心がアルザギール様から離れているからという訳では勿論無い。僕の心は常に変わらずアルザギール様と共にある。だからこそ、内容次第で拒否をする意志が僕にはある。
無論、アルザギール様が戯れでそのような事をおっしゃるとは露程も思ってもいない。
アルザギール様はそのようなつまらない真似をする御方ではない。
とすると、この問いそれ自体が意味を持たないものとなる。
つまるところ、考えるだけ無駄。というやつだ。
「死を受け入れるには、理由が必要です。大きな理由が」
「てめぇにとって、その理由が世界ってか?」
「はい」
「大きな理由だ。とてつもなく。やっぱり大したもんだよ、てめぇは」
「何を言うのですか。私に同意してくれたのですから、あなたもそうなのでしょう? インカナ」
「残念ながらてめぇほどたいそれた理由じゃあねーよ。世界とかどーでもいい。このインカナ様にとって、最も大切なもんは自分さ」
「けれど、あなたは死を選びました」
「自分が大切だからこそ、さ」
光の道を進んだ先で、インカナは円卓の傍に寄ると、奥の方にある椅子の背もたれを乱暴に引いて、そこにどかりと腰を下ろした。
「これ以上生きても自分の為にも周りの為にもなんねぇ。今が頂点だ。だから、ここらで潔く退場するわけだ」
自分の為と言いつつも、周りの為とも言う。
口では違うと否定するものの、やはりインカナもアルザギール様と同様に世界の事を考えているという事なのだろう。
シンスカリの立ち上げに尽力したらしいし、ここベルロゼッタの住民の世話もしているようだから、一見粗暴だが実は面倒見の良いタイプ。実直さで他者を引っ張っていく感じ。所謂姉御肌的な人物なのだろう。
「この世界の為に吸血鬼の御方々が身を引かれるのであれば、残った我々にはこの世界をより良くしていく義務がある。私はその為に尽力する所存である」
インカナが理由を述べた後に、ラエの言葉が思い出された。
厳しい顔をしていた。あれは覚悟を決めた者の顔だった。
止めるべきか否か迷い。止めなかった。後悔と、未来への不安。だけども最後に、希望。
何もかもを飲み込み、腹の底に落としたら、ああいう顔になるのかもしれない。
僕はそういう顔をしているだろうか?
たぶん、違う。
ただ暗い顔をしているだけだ。きっと。
これでは駄目だな、と自分でも思う。
「後悔はしないように」
こんなありきたりな一言が僕の胸に深々と突き刺さっている。
僕が後悔するとしたら、それは僕の力が及ばず、アルザギール様の願いを叶えられなかった時である。
そのような時は訪れない。
後悔など無い。しない。する予定は無い。
僕は強く自分に言い聞かせた。
こうしなければ、心の揺れを抑えられない……情けない事だが。
「それにやりたい放題やって調子に乗りまくってると、誰かさんに殺されちまう。そうなるのはいやだからなぁ」
「笑えませんよ。その冗談は」
アルザギール様はニヤニヤと笑っているインカナに冷たく応えて、彼女の左隣にある席へと向かった。
僕は早歩きで先回りして、音も無く椅子を引き、アルザギール様が腰を下ろすタイミングを見計らって、丁度いい位置にするりと椅子を戻した。我ながら完璧な対応だったと内心では自画自賛である。
「何にせよ、オドロアとトリフォリに理由があるのならば、この話し合いは何事もなく終わります。ルーレスの時のように」
あっさりと同意したルーレスの姿が思い浮かぶ。
僕の中に眠っていた吸血鬼の力を叩き起こしてくれた最強の戦士……限りなく不死に近いが故に、自らに永遠の戦いを課していた吸血鬼……今頃どうしているだろうか? 相変わらず、巨獣を狩っているのだろうか?
そんなに時は経っていないのに、少しばかり、懐かしい。
別に、また会いたいとかそういう友情的な感情は無いが、ルーレスとの戦いは楽しかった。心が昂っていた。
自身の全力を吐き出したのは、気持ちが良かった。
森で衣服は汚れたし、頭はぶっ飛ばされたが、強くなれたし、巨獣を殺しまくって活躍したシーンが印象に残っているからか、思い出が美化されていて懐かしいなどと感じてしまっているのだろう。
そんな風に、こちらの世界で出来た僅かばかりの思い出に浸っていた、その時、
「来たようですね」
アルザギール様が僕にしか聞こえないくらいの静謐なお声で呟かれたのと同時に、扉が開いた。
そして、二人の女性が入ってきた。
何者なのか? などとわざわざ確認するまでもない。魔法で作られた扉を開き、ここに入る事が出来たという事は、吸血鬼であるのは間違いないからだ。
オドロア・ジン・シキミ・ミトラレスと、トリフォリ・クロバ・フォウ・シャムシャジーク。
その二人の登場だった。




