1−3、合格だっつっただろ
「どういうつもりですか?」
状況が飲み込めず、思わず口を開いていた。
対するインカナは、変わらずあっけらかんとした口調で言った。
「あ? 合格だっつっただろ? 聞こえなかったか? てめぇを試したんだよ」
「試した、とは?」
「使いもんになるかどうか、見ておきたかっただけだ」
「その為に……そんな事の為に、あのような命令を?」
「何か問題あんのか? なぁ、アルザギール。今みてーなのはよくあったことだろ? なぁ?」
「ええ、そうですね。よくありました。インカナ、あなたは笑えない冗談が好きでしたね」
「はっはっはっ! 笑えーねとは言ってくれるじゃねぇか。けどよ、まあ、このインカナ様が笑えればそれでじゅーぶんってとこはあるわな」
「そうでしょうね。あなたは変わりませんね……ですが」
「あぁ? 何だ?」
「そのような冗談が通用しない者も、いるのですよ?」
冷たい声を、アルザギール様が発された。
空気が凍る。という表現があるが、まさしくその通りであった。
アルザギール様からすれば、戯れ程度の意味合いしか持っていないような、軽い調子ではあったが、インカナを除いて、その場にいた誰もが息を呑んだ。
僕もだ。
お傍にいる僕でさえも、背筋に寒気が奔った。
そして同時に、高揚していた。
「へぇー……それがてめぇのユーリだってか?」
「ええ」
そう。アルザギール様のお言葉が指す者が、僕であるとわかっていたからである。
おお……まさかアルザギール様のお口から僕の話題が出る事になろうとは……。
感動である。このような場でなければ、笑みを浮かべていた。
「随分と買い被ってるじゃねぇか。しかし、まぁ、そう思うのも当然か。そいつは強ぇ。そいつは吸血鬼を殺せるやつだ。間違いねぇ。このインカナ様だって軽く殺せるくらいの力がある。だから——迷うな」
インカナの紅の視線が、こちらを見ていた。
「……?」
迷うな?
僕に対しての言葉か?
意味がわからず、僕は首を捻るところであった。
こいつを、いや、こいつらを殺すのに、僕は一片の迷いも抱いていない。
迷いなど、僕の心の中には……
「てめぇ、おい、ユーリ。忘れんなよ。もう二度と忘れるんじゃねぇぞ。それがてめぇの本心だ」
「……?」
本心、だって?
どれが?
これか?
言われるまでもない。
アルザギール様に仇なす者を始末する……それが僕の本心だ……いや、違うか。本心。もっと深いところ……アルザギール様に仇なす者を始末するのは何故なのか? 理由は何だ?
答えは、アルザギール様の為、である。
アルザギール様の敵を排除するのも(アルザギール様は死を望んでいるというのに?)
アルザギール様をお守りするのも(アルザギール様はこの世からいなくなる事を目的としているのに?)
アルザギール様の為だ(アルザギール様の全ての行動は自らの終わりに向けての行進だというのに?)
アルザギール様のお願いを叶える為だ(アルザギール様のお願いは、この世界を元に戻し、永きに渡る生を終わらせる事であるというのに?)
「これから死にいくアルザギールを、てめぇは守った。それが答えだ。そうだろ?」
インカナが言った。
それが答え……。
僕の全てはアルザギール様の為にある(そうだ)。
それを心に決めている(そうだ)。
僕はアルザギール様のものなのだ(そうだ)。
ものは何も考えない(違う。考えている)。
ただ主の命に従うだけだ(違う。そうであったら良かったのに)。
「てめぇはやれるやつだ。もうそういう風になっちまってる。そういう風になっちまってるから、そうするしかねぇ」
「……どういう意味ですか?」
「てめぇには力があって、答えはもう出てる。そういうことだ」
「……」
「だから、迷う必要なんてねぇんだ。無駄なことを考えるのはやめろ。今みたいにしとけ。てめぇはそれでいい。そうじゃないといけねぇ」
「……」
「このインカナ様が直々に助言をしてやったわけだが、こんな言葉一つでてめぇの考えが変わるとは思ってねぇよ。今のを見りゃあわかる。てめぇのアルザギールへの想いは相当なもんだ。簡単に決められねぇよなぁ……ただなぁ、ちゃんとわかっとけ。アルザギールの望みはそれで、てめぇの答えはもう出てるってことを」
再び問いたかった。
どういう意味ですか?
それとは何ですか?
答えとは何ですか?
しかし、問う事に意味が無いという事を、僕は理解していた。
残念ながら、僕は冷静だった。
混乱などしていなかった。
わかっていない振りをしているだけだった。
僕はアルザギール様の方を見やった。
アルザギール様は真っ直ぐな視線をインカナに向けておられた。
何か言葉を発しそうな……。
どこか遠くを見ているような……。
微笑みそうな……。
複雑な感情が入り混じっている。今にも様々な表情が、感情が、そのお美しいお顔に浮かび上がって来そうになっている。
感情的になられないのは何故なのか?
僕から問う事など出来るはずもないが、それでこそのアルザギール様である。
アルザギール様はお美しい。
何をしておられても。
どのようにしておられても。
僕はそんなアルザギール様を、愛おしいと思う。
お守りしなければと思う。
この御方の為に全てを捧げなければと思う。
僕の全ては、アルザギール様のものなのだから。
だから……
「ま〜、とにかくだ。全然駄目そうだったんで一時はどうなるかと思ったが……これならこいつを同席させても良さそうだな」
「ええ。お願いします」
どうなるかと思った。とはこちらの台詞なのですが? などと文句の一つでも言ってやりたいところだったが、アルザギール様が何もおっしゃらなかったので、僕もそれを口にするのはやめた。
ついでに、同席とは何ですか? と問いたいところだったが、そんな事を言う暇など無かった。
事の終わりを見計らったかのように、鎧姿の黒耳長の兵士が一人、バタバタと勢いよく駆けてきているのがインカナの背後に見えた。
兵士は息を切らせながらもインカナの前で跪いた。そして、すぐに呼吸を整えて、口を開いた。
「アルザギール様との御会談中に失礼致します! インカナ様! ご報告致します! オドロア・ジン・シキミ・ミトラレス様と、トリフォリ・クロバ・フォウ・シャムシャジーク様の両名が、只今ご到着致しました!」
「お〜。そうかそうか。やっと来たかあいつら。わかった。報告ご苦労さん。オドロアは大丈夫だと思うが、トリフォリは結構めんどくせーやつだからな。丁重に持て成して、特別応接室の前までお連れして差し上げろ。こっちもそこに行くからよぉ」
「はっ! 承知致しました! 特別応接室までお連れ致します!」
男は「ご命令しかと胸に刻みました!」とでも言わんばかりの勢いで自らの左の胸を強く叩くと、来た時よりも速い駆け足で去っていった。
「来ましたか」
兵士の背中を見送って、アルザギール様が小鳥のさえずりの如く小さくお呟きになった。
「来たぜ」
インカナがニヤリと、とても愉快そうな笑みを浮かべた。
「それじゃああいつらに一つお願いしてみるとしますかねぇ。どうか私達と一緒に死んでください〜。ってな」
フザけた口調だった。
けれども、愛想笑いを浮かべる者は誰一人としていなかった。
下手くそな拍手も無かった。
皆、理解しているのだ。
これから行われる吸血鬼同士の話し合い。その結果に、この世界を長い間支配してきた吸血鬼の死がある。という事に。
理解していない者などいない。
僕だって……。
「アルザギール様……」
アルザギール様の名を、不用意にも呼んでしまった己をまず恥じた。
何故今アルザギール様のお名前をお呼びしてしまったのだろうか。
何の意味も無いというのに。
不安だったのか? だとしたら、僕は馬鹿だ。
そんな程度の低い理由でアルザギール様の名を呼ぶなど許されるはずがない。
馬鹿め。
ふざけやがって。
頭がおかしいぞ。
自分を罵倒する。
それをしながら、理由を探す。
何故?
頭痛がした。
鋭くはない。鈍い痛みがある。
考えるな。頭はそう言っている。
考えるな……。
ものは考えない。
ものはものだ。
しかし、果たして、考えない事は正しい事なのかどうか……。
頭が痛い。
それがどうした?
アルザギール様の前で痛む頭を抑えたりはしない。
主のお傍にいる時に、そのような自身の不調を訴える行為をしてはいけない。
誰から教わったわけでもない。僕の美学だ。……どうでもいい美学ではあるが。
「行きましょう。ユーリ」
心を揺らしている僕の隣から、アルザギール様は一歩、踏み出された。
アルザギール様の歩みには一切の迷いが無い。
進むべき道は決まっている。
付いてこられないなら置いていく。そういう感情があるように見える歩き方であった。
「畏まりました」
僕は慌てずゆっくりと。
アルザギール様に仕える者として相応しくあろうと、一歩分間を開けて、その凛としたお背中に追従した。
「さて、どうなるかねぇ」
インカナはそんな僕とアルザギール様を——あるいは僕だけだろうか——を見て、何かを考えているように髪を数度乱暴に掻き上げて、それから大股でアルザギール様と僕を追い抜いて、移動を開始した。
向かう先は、特別応接室。
そこで行われる吸血鬼同士の会談で、この世界の行く末が決まる。




