プロローグ1−3、ステラの美しい夢
街はとても綺麗だった。
奴隷を扱っている商館などはなく、差別などもないようで(少なくとも見た限りの表向きには)様々な種族の者が適材適所に割り振られ様々な仕事をしていた。
例えば体の大きな獣人は荷物運びだとか、元々は戦奴で戦闘用の訓練を受けている風な獣人は肉の解体だとか。
そんな獣人たちと気さくに会話する白耳長の御婦人や、新しい包丁を研いでやったぞと自慢気に言う黒耳長の職人の姿も目にした。
その光景に、獣人はよく馴染んでいた。
歪な嗜好品ではなく、この街を形作るピースの一つとして、彼らの存在はきっちりとそこに収まっていた。
「彼ら獣人も元は私みたいな奴隷だったんですけど、ラエ様にお買い上げ頂き、この街で自由を与えられたんです」
歩きながら、ステラが説明してくれた。
「ラエ様はこの世界から奴隷制度を無くすおつもりです。『巨獣を使って自分達の自由に出来る者を生み出すなど、そんな自分達の都合を優先させた行いは許せない』って。でも、それを全ての街で行うのはまだ難しいようです。……けど、だからと言って何もしないわけにはいかない。そう強く想い、インカナ様のお力をお借りしてこの街を作り上げ、今は領主として皆の為に働いているんです」
世界そのものを変える事は出来なくとも、一つの街ならば変える事は出来る。という事か。
言葉にするのは簡単だ。しかし、吸血鬼の助力があったとはいえ、本当にそんな事をやってのけるとは、素直に驚いた。
「さっきアルザギール様やラエ様と一緒にいらしたルドベキア様もその考えに賛同している御方の一人でして。元々は竜人の戦奴を造るのを生業にしていたそうなんですけど、今は身内を説得して竜人の生産をやめさせ、竜人だけじゃなくてその他の獣人達に、戦い以外のちゃんとした仕事を斡旋したりしています。自分がやってきたことを反省して正しい行動をしている姿は尊敬しています」
これもまた素直に驚いた。
ルドベキアはそんな事をやっていたのか。だからこんなところにいたのか。
納得した。
どうでもいいけれど。
「ラエ様はいつも言っています。『いつか我々は偉大なる方々の庇護の下から去り、自らの足で歩き出さなければならない。その日がいつ訪れてもいいようしなければならないのだ』って」
恐らく、ラエは知らされていたのだろう。この世界を元の姿に戻すというアルザギール様の崇高な計画について。
この街は、次の世界の基盤となるように作られたのだ。
この街を作るのに協力したというインカナ……。
かつての大戦の時は、アルザギール様と共に後方支援をしていたと聞いている。
二人は……いや、アルザギール様は……ずっと前から準備をしていたのだ……。
この世界から消える為の、準備を……。
ずきり、と、頭が傷んだ。
今度は右だった。
さっきは左だったから、バランスを取る為だろうか?
わからない。
でも、ステラに心配を掛けまいと思い(頭痛程度で気を遣われるのは申し訳ない。こんなに楽しそうに街の案内をしてくれているのだから)、頭を抑えるのは我慢した。
この僕がついそんな風に気を遣ってしまうくらいに、ステラはとてもいい人だった。
「あそこのお店のお菓子がですね、とっても甘くて美味しいんです。でも今日はもう売り切れかな。誰もいませんから。あったらユーリさんにも食べさせてあげたかったのになぁ。本当に人気で、他の街からわざわざ買いに来たりもするんですよ? あの有名なルピナシウスのお茶にもピッタリ! らしいです。ルピナシウスのお茶は高くて手が出せないので、私は合わせた事はありませんけど」とか。
「あのお店の料理は値段の割にボリュームが多くておすすめです。いつも色んな種族の方々が来て賑わってます。すごく活気があって楽しいですよ。この前なんか急に宴会みたいなのが始まっちゃってもう大変でした。獣人や竜人ってあんな見た目なのにすごいお酒に弱いんでびっくりして笑っちゃいました」とか。
「あそこは服屋ですね。あぁ〜いつかはああいう服買いたいなぁ〜。でもすっごく高いから当分は無理かなぁ……純粋な人間だと力仕事とかさせて貰えないんですよねぇ。そういうの獣人のみなさんがやってくれますから。お陰様で私は簡単なお仕事ばかりさせられます。楽なのはいいですけど、色んな経験積みたいので複雑な気分です。でも安全安心なのでそこにはとても感謝しています」とか。
目についたものについて片っ端から説明と感想とを入り混ぜて紹介をしてくれた。
ついでに、昔の話しもしてくれた。
「実は私、ここに来る前は奴隷を扱う店で商品として売られてたんです。巨獣と交尾させられて、獣人の子供を産ませる用っていう一番か二番目に酷いやつで……。毎日毎日同室の女の子が減っていって……隣の部屋からは聞いてられないくらいの叫び声とかもして……眠れなくて……泣いちゃったり……吐いちゃったり……それで、痩せてて母体としてはイマイチと思われてたのかなぁ……私が最後になって……ああ、とうとう私もやられちゃって、一匹生んだらおかしくなっちゃうんだろうなぁ……とか思ってたんですけど、そんな時に私を買ってくれたのが、ラエ様だったんです」
涙ながらの彼女の話しは、しかしながら正直なところ、この世界ではよくある事であり、彼女はむしろ幸運なケースだったので、僕は「そうですか」などと適当に相槌を打っただけだった。
ここで「大変な目に遭いましたね」とか「怖い思いをしたんですね」とか言える男がモテるのだろう。残念ながら僕は違う。
僕はもっと酷い目に遭った。そして、彼女よりももっと、比べものにならないくらいの幸運に恵まれ、アルザギール様と出会う事が出来た。
そんな理由で反応が薄くなってしまったのだが、彼女は僕の反応を、暗い話題でどうしていいのかわからなくて困っている。と取ったようで「つまらない話しをしてしまって、すみません」と謝った。
僕は「いえいえ」と適当に返事をした。
それで、この話しは終わりだった。
それから街の色々なところを見て回って、最後に「ここが一番街が綺麗に見える場所なんです!」と展望台のようなところに案内してくれた。
闇に包まれた世界だ。街は暗い。お世辞にも景色が良いとは言えない。
けれど、ポツポツと点在している蝋燭の明かりが、ここに生きている人たちの営みを感じさせた。
「どうですか? 綺麗でしょう?」
「……そうですね」
本心を隠し、お世辞を口にした。
彼女は綺麗な歯を見せてニコリと笑った。
そして、言った。
「私、冒険者になるつもりなんです」
「冒険者……? 何ですか? それは?」
「冒険する人です! この世界を見て周りたいんです!」
「それは……」
今のご時世ではやめておいた方がいいと思いますが……などと当たり前な事を言うより先に、彼女は口を開いた。
「もちろん、いつか皆が自由に生きられる時が来たらの話しですよ」
そんな時が来るのか? とは問わない。
来るのだ。
アルザギール様のご活躍により。
必ずそのような時代が訪れる。
だが、その時……アルザギール様は……。
「その時が来たら、私は冒険するんです。折角違う世界に来て、生きてるんだから、この街にいるだけじゃもったいない! 元いた世界では見られないものを見て、体験出来ないことを体験して、この世界を隅々まで楽しんでやる! って思ってます」
「……そうですか」
また、曖昧に頷いた。
彼女は笑っていた。
「そうして冒険の果てに、みんなにこう言ってやるつもりです」
「何と言ってやるのですか?」
「この世界は、聞いてた以上に美しかったぞ! みんなも冒険しようぜ! って」
「世界は……美しい……」
美しい、世界……。
美しい世界を、作る……。
アルザギール様も、そうおっしゃりたいのだろうか?
この世界は、こんなにも美しいのです。と、声高に、世界中の皆にそう伝えたいのだろうか……?
その為に、ご自分の身を捨ててまで……。
「まだ見たことないので何とも言えませんけど、きっといっぱいありますよ。綺麗なところは」
「……そうですね」
僕は頷いた。
揺れる気持ちはそのままにして、とりあえず、ステラの為に首を縦に振り、肯定の意を示した。
「なれますよ。ステラさんなら、きっと……凄い冒険者になれます」
「ありがとうございます! がんばります!」
彼女は拳を握ってガッツポーズを作り、僕に向けて突き出した。
未来を信じて疑わない彼女の真剣な瞳と、清らかな笑顔が、僕には眩しかった。




