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プロローグ1−1、シンスカリと名付けられた街で

 問い。アルザギール様をお救いするには、僕は一体どうすればいいのか? 

 答え。わからない。

 問い。アルザギール様をお助けするには、僕はどう行動するべきなのか?

 答え。わからない。

 問い。アルザギール様に永遠に生きて貰う為には、僕は何をするべきなのか?

 答え。わからない。

 何度自らに問いかけても。

 何度自らで答えても。

 何もわからない。

 わからない。

 答えが出ない。

 思考が緩慢だ。

 ゆるやかに腐っていっているような感覚。

 閉じられた部屋で死を待つだけの、寝たきりの病人みたいな、酷く暗く一欠片の救いも無い、どうしようもない絶望的なイメージが思い浮かぶ。

 嫌なイメージだ。

 ただの想像に過ぎないとはいえ、不吉だ。

 絶望……望みが絶たれている。そこに希望は無い。

 いや、しかし、僕はその存在しない希望を探し出さなければならないのだ。

 藁の中に落ちた針を見つけ出そうとしているのに等しいだろうが……希望を見つけ出し、死を望むアルザギール様のお考えをどうにかして真逆の方へと向けなければならないのだ。

 だが、どうやって……?

 考えても、考えても、妙案は浮かばない。

 頭がどうかなりそうだ。

 熱でもあるのだろうか。

 ぼんやりとする。

 ぐじゅり、と、頭の中で音がした。


「あが」


 変な声が出た。

 ああ……くそ。

 考え過ぎていたせいだ。

 頭を使い過ぎた。

 これは、壊れた音だ。

 オーバーヒートしたみたいに、頭の中で何かが弾けてしまった。

 おかしくなってしまったんだ……。


「あ……わ、悪い。大丈夫か? ユーリ?」


 上から、フォエニカル隊長の声が降ってきた……。

 おかしいな。隊長と僕の背丈は、そんなに変わらないはずなのに……。

 上からなんて……。


「その……何というか、言い訳するつもりじゃあないんだけどな、今のお前の実力なら簡単に躱せると思ってたわけだ」


「……?」


 何の話しだ?

 困惑した。

 目の前には地面がある。

 膝を付いていた。

 手も付いていた。

 四つん這いの姿勢だ。

 通りで上から声がしたわけだ。

 しかし、何でこんな姿勢に……?

 慌てて、視線を動かす。

 右が動いた。

 左は暗い。黒い。

 右半分の視界で捉えたのは、隊長の持つ細身の刺突剣の刀身。

 地面に向いている剣先からは血が垂れ、染みを作っている。今しがた流れたばかりの真新しい血だ。

 僅かだが、肉片も付いている。

 これは……これは、僕の血だ。僕の肉だ。僕の脳みその一部だ。


「おい、ユーリ?」


「……はい。はい。大丈夫です」


 ……そうだ。

 そうだった。

 僕は隊長と剣を交えていたのだ。

 訓練だ。

 いや、隊長は「気分転換でもしようぜ」とか言っていたっけ……。

「体を動かして気を紛らわせ」とか「何もしないから考えてしまうんだ」とかなんとか。

 何にしても、軽い手合わせ……の、はずだった。

 本気の勝負ではない。命を懸けての決闘とかじゃない。

 体を動かすのを目的とした遊びみたいなもの……。

 普段通りだったら、こんな怪我などしない。するはずがない。

 そういうものだった。


「……」


 地に着いていた左手を持ち上げる。手を軽く降って土を払い、左眼に押し当てた。

 ぎちぎちと、再生の音がする。

 状況から察するに、隊長の刺突剣が僕の左眼に入った。それで左眼が潰れた。ついでにそこから脳も抉られた。

 頭の中で変な音がしたわけだ。

 考え過ぎたせいでは無かった……いや、考え過ぎていたせいか。戦闘では無いとはいえ、剣撃が繰り出される最中に全く別の事に思考の殆どを割いていた。それにより、防げるはずの攻撃を防げなかった。躱せるはずのそれを躱せなかった。


「ユーリ」


「何ですか? フォエニカル隊長」


「大丈夫か?」


「はい。傷はもう大丈夫です」


 左眼から手を離した。

 左側の視界が戻った。

 ぼやけていない。見え難くもない。

 完全に再生した。

 ダメージの痕跡は無い。

 掌に付着している少量の血液が、何かがあった事を匂わせるくらいだ。


「傷がすぐ治るのは知ってる。お前は吸血鬼だ。だからな、そういうことじゃなくてだな……ユーリ。お前、本当に大丈夫か?」


「……」


 どういう意味ですか? などとは問わなかった。

 質問の意図は理解している。


「わたしは反対したんだ。今のお前を連れて来ることに」


「……」


「ルーレス様に鍛えて貰って、腕は上がったんだろうけど……はっきり言って、今のお前は全然使いものにならない」


「……」


「でもなぁ、アルザギール様がどうしてもっておっしゃるからなぁ……」


「……」


 アルザギール様が……。

 こんな……僕を……。

 アルザギール様……。


「この街で一休みしたら出発だ。すぐにラーセイタ様の居城に着く。そしたらそこで吸血鬼の御方々の会談が始まる。それが終わったら……」


「終わったら、何ですか?」


「そう遠くないうちに、この世界に光が戻るんだろうな。今回の会談が終われば、アルザギール様が会われるべき吸血鬼の御方は残り二人になるからな」


 隊長は言った。淡々と。この世界に光が戻るという事の意味を理解していないかの如く。

 ……だが勿論、隊長は理解している。きっと誰よりも前からそれを知っていた。

 だからきっと、今こうして平常心でいられるのだろう。


「それまでに……とは言わないが、早く覚悟を決めておけ」


「覚悟とは……何の為の覚悟ですか?」


「そんなもんは自分で考えろ」


 隊長が首を捻って後方を向いた。

 訓練場の外周……その更に先……石造りの白い建物と建物とを繋ぐ吹き抜けの廊下を、アルザギール様が優雅に歩いておられた。

 アルザギール様……。

 アルザギール様がお通りになられるその部分だけが、この世界から切り離されているようだった。

 アルザギール様の歩みによって、世界が構築されていく……まさに創生である。歩くという日常的な動作ですら、アルザギール様が行う事によって別次元のものへと変質する。

 僕達とは存在の次元が異なっておられる。

 アルザギール様の存在感はこの世のものではない。

 そうとしか思えない。

 ……アルザギール様のそのような圧倒的な存在感によって気付くのが遅れたが、アルザギール様の傍には、白耳長の壮年の大柄な男と、小柄な女がいた。

 男の方の名前は、ラエ。

 ラエ・イリス・バトゥータ。と言っていた。

 インカナの居城へと向かう移動の途中、休憩と物資の補給などを兼ねていくつかの街に立ち寄った。

 この街——シンスカリと名付けられた街——も、その一つだ。

 何でもこの街の立ち上げにはインカナがかなり貢献したらしく、住民の吸血鬼への信頼度の高さはとても大きなものだった。

 それでか、この街を治めている、所謂領主的な立場にいる者であるラエは、僕達を手厚く饗してくれている。

 アルザギール様と、その共回りの者達一同。まるで大名行列みたいな数の一団を簡単に(実際には全く簡単では無いはずなのに)受け入れてくれるのだから、懐の広さと言うか、権力の大きさというか、何にしても大きな力を持っている事はわかった。

 だけどもラエは、その力に全く酔っていない、いかめしい見た目からしてわかる通りの非常に真面目な男だった。

 この街に到着した際に、アルザギール様と共にラエの屋敷に招かれ、そこで自己紹介をされたが、元々は人間で戦奴であった僕の身の上を知りつつも、他の者達と区別なく接してくれた。

 僕が元人間だからという理由で、血ではなく、何か人間の口に合う食べ物を持ってこさせようとしていたくらいだった(勿論、僕に血以外は必要無いので丁重にお断りした)。

 少しだけだが、話しもした。

 この世界を良くしていかなければ。と彼は語っていた。


「この世界の為に吸血鬼の御方々が身を引かれるのであれば、残った我々にはこの世界をより良くしていく義務がある。私はその為に尽力する所存である」とかなんとか。


 他の街の領主達も、アルザギール様の目的については既に聞いており、吸血鬼の御方々がいなくなった後は、この世界の為にこれからも頑張っていく。というような事を熱弁していたものだが、ラエはその中で一際熱意が激しく、熱過ぎるくらいに多弁に語っていた。

 真剣だった。

 こんな人物がいればアルザギール様がいなくなった後も安心だな……なんて、そう思った方がいいのだろうけれど、こんな人物の存在こそが、アルザギール様がいなくなる未来を決定付けているような気がして、僕の気分は重かった。

 ラエはそんな僕を見て、死への恐怖に憂鬱になっているとでも思ったらしい。

 僕に「恐ろしく思うのは間違いではない。しかし恐怖で足を止めてはいけない。後悔だけはしないように、やれる事はやっておきなさい」と言っていた。

 僕は何と答えただろうか。「はい」と言ったのか「お気遣いなく」とか失礼な事を口走ってしまったのか……曖昧だ。

 たぶんその時から、思考は光の差さない闇の中に沈んでいたのだろう。

 申し訳なく思う。

 もう一度話す時があれば、その時はちゃんと話しを聞いて、応えようと思った。

 

 そんなラエの隣にいる白耳長の女は……あれは知っているやつだった。

 以前会った事がある。

 それに、さっきこの訓練場に来る途中で、すれ違いざまに声を掛けられた。


「愛する者を失う気持ちはわかりましたか?」と。たった一言、それだけ。


 僕は何と返しただろうか? 覚えていない。返事をしなかったような気がする。会話は発生していないい。 

 まず、誰だろう? と思った。それから何となく覚えがあるような気がしたので、記憶の糸を辿って、そいつの背が遠くなったところで、ようやく思い出した。

 ルドベキアだった。

 アギレウスの主だった女だ。

 僕が殺したから、アギレウスはもういないというのに、今も真紅のドレスに身を包んでいる。

 相変わらず目立つ女だ。

 それにしても、何でルドベキアがここに? と思わないでもなかったが、正直なところどうでもいい事だった。

 アギレウスの一件を根に持っており、アルザギール様と敵対するつもりならば始末するところだが、そういう雰囲気は無い。

 だから、どうでもいい。

 ルドベキアがここにいる理由なんて、どうでもいいし。

 ルドベキアに何と言われようと、どうでもいいのだ。


「あれは巨獣対策にしては装備が……」


「数も多過ぎるので……」


「目的は恐らく……」


「引き続き調査を……」


 二人はアルザギール様にあれこれと話し掛けている。

 距離が開き過ぎているので、会話は途切れ途切れにしか聞こず、内容は判然としない。

 集中すれば聞き取れるかもしれないが、そこまでするべきか否か……。


「ユーリ。そろそろ立ったらどうだ? それともあれか、調子が悪すぎて一人じゃ立てないか?」


「いえ……」


 良いか悪いかで言えば、調子は悪い。

 最悪だ。経験した事が無い、かつて無い程の悪さだ。

 けれど、立ち上がれないわけではない。


「一人で立てます」


 言葉通り、僕は立ち上がった。

 頭部のダメージは残っていない。平衡感覚はある。ふらついたりはしない。

 ……大丈夫だ。

 ……大丈夫だ。

 自分に言い聞かせる。心の中で繰り返す。

 僕は大丈夫だ、と。


「……こんなんじゃあ気分転換にならないな。終わりにしとくか。わたしは色々準備することがあるから行くけど、お前は出発まで休んどけ」


 隊長はそんな僕を一瞥すると、黒い外套を翻して去って行った。


「はい」


 ぎこちなく首を縦に動かした。

 手伝います。と言うべきだったのだろうけれど、手伝って欲しいなら隊長はそう言ったはず。

 そうじゃなかったという事は、僕はいらないという事だ。

 隊長は今の僕を使えないと判断している。

 だから、後は追わなかった。

 無理に後ろに続いても「付いてくんな」と一喝されただろう。

 手持ち無沙汰な僕は、空を見上げた。


「……」


 いつもと変わらない満月が、中天に浮かんでいる。

 満月以外は、黒だ。

 暗黒……。

 魔法によって造られた闇だ。

 この魔法が解かれると、世界に光が差す。

 世界は元の姿に戻る。

 そうなると、アルザギール様は……。


「うっ……」


 不意に、頭痛がした。

 頭の左側が疼く。

 刺された傷が癒えていない……そんなはずがない。

 以前ならまだしも、今の僕は強い。こんな程度の刺し傷なんてあっという間に再生する。僕を殺すには大量の血を流させるしかないのだ。

 そもそも僕は、痛みなどという戦いに余分なものを遠くに置いてきたではないか。だから、痛いはずがない……なのに、痛い。

 何だ? この痛みは?

 頭の中に、蛆が湧いているような感じだ……。

 肉が、脳みそが、食われている……。

 貪られている。

 無数の蛆が身を躍らせ、蠢いている。

 美味いか? 僕の苦悩は?

 問いかけた。

 答えはない。

 蛆は返事をしないまま、脳みそを小さな小さな口で少しずつ少しずつ粗食している。


「くっ……う……」


 やめろ。

 左手で頭を掻く。

 効果は無い。

 やめろ。

 もっと強く、頭を掻く。

 髪の毛が指に絡まった。構わず、指を動かした。ぶちぶちと音がした。続けて、じゅぐじゅぐと音がした。ぬるりとして、ぬるい感触が指先から掌に伝わった。

 くそ。

 蛆め。

 頭の中から出てきたのか。

 脳みそを食い尽くしたから、新鮮な肉を求めて出てきたんだな。

 ふざけやがって。

 でも、丁度いい。

 出てきたのなら、この手で潰してやる。

 一匹残らず殺してやる。

 そうすれば、きっと……。

 きっと…僕の頭の中は……綺麗になって……何か……何か……素晴らしい……妙案が……。


「あ、あのっ! だ、だ、大丈夫ですかっ!?」


 左手に更なる力を籠めようとした寸前、誰かの——知らない女の——声がした。


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