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2−2、警備隊長

 アルザギール様がお暮らしになっていらっしゃるお屋敷はとても広い。お屋敷だけでなく、庭もまた、非常に広い。流石はこの世界の支配者の一人である。端から端へと移動するのに、徒歩ならば二、三時間は掛かってしまうと思われる。

 そんな敷地の中で僕が住んでいるのは、お屋敷から少し離れたところにある、宿舎だ。専らお屋敷で働く警備兵達が使っているのだが、僕も一緒にそこに住まわせていただいている。

 その宿舎に向かって歩いていたところ、暗闇の中、突然銀光が煌めいた。


「っ!」


 先端が異様に尖った、細身の剣による、突き。

 瞬時に武器と攻撃の軌道を見切って、僕は大きく横へ飛んで、腰を浅く落として構えた。

 追撃は……無い。けれど、それも当然か。

 今の攻撃からは、闘気も殺気も感じられなかった。

 今のは、戯れの一撃だ。


「よく躱したな、ユーリ」


「服を斬られるわけにはいきませんからね」


 襲撃者の感心した風な声に、緊張を解かずに応えた。

 突然攻撃を仕掛けてきたが、賊ではない。このお屋敷には、戯れに人を突き殺そうとする者が、僕の知る限りでは一人だけ存在する。


「服を斬られるわけにはいかない、か。以前のお前なら剣を体で受け止めて、そのままあたしの命を取りにきただろうに……これが成長ってやつかね?」


「そうかもしれませんね」


「何だ? その他人事みたいな返事は。……ま、ともかくだ。ユーリ、初戦突破おめでとさん」


「ありがとうございます。フィアネル警備隊長殿」


 姿勢を正して、彼女に向かって軽く頭を下げた。


「そう畏まりなさんな。今は部下もいないし、警備隊長殿とか固い呼び方はやめて、好きなように呼んでくれ」


 闇の中から姿を現したのは、夜に紛れる程に黒い長髪と漆黒の瞳、そして黒い肌をした黒耳長の女性だ。夜戦用の装備というわけでは無いのだが、髪と瞳と同じくらいに黒い服を着ている。

 その中で、彼女が右手に握っている剣の刀身だけが、月光を反射して淡く輝いている。

 黒一色の格好とは対照的な、白銀の刺突剣。

 まるで暗殺者みたいな出で立ちだが、彼女こそが、このお屋敷の警備を任されている黒耳長の傭兵、フォエニカル・フィアネル警備隊長殿である。

 アルザギール様程ではないが、整った顔立ちと女性らしい体つきに、気さくな性格。更に高い戦闘能力の持ち主でもあるので、部下からの信頼は厚い。アルザギール様も、彼女には全幅の信頼を寄せていらっしゃる。


「それでは、あなたの部下に倣って、フォエニカル隊長とお呼びします」


 視線は離さず、僕は再び軽く頭を下げた。

 この人には住む場所を手配して貰ったり、闘い方を教えて貰ったりとお世話になっているので、アルザギール様程ではないが感謝し、尊敬している。


「それも固い呼び方なんだが……ま、いいか。んで、どうだった?」


「どう、とは?」


「大会だよ。予選で何度か試合をしていたとはいえ、初めての本戦だ。……けど、とても初めてとは思えない落ち着いた闘いっぷりだったな」


「昼間の試合を見ていたのですか?」


「そりゃあ、あたしは警備隊長だからな。アルザギール様のお傍にいつでもお控えしておりますよ」


 隊長は和やかな雰囲気でそう言った。が、剣はまだ鞘に収まっていない。隙あらば攻撃してくるつもりだろう。雑談中だが、もう暫くは緊張を解くべきではない。


「それで、満足出来たか?」


「満足、ですか? ……そうですね、服を汚さないで済んだ、という点では満足しています」

 

 問われたので、僕は思い付いたまま、感じたままに答えたが、その答えは隊長のお気に召すものではなかったようだ。


「はぁ? 何だその答えは? ……あのなぁ、あんな雑魚との闘いじゃあ折角鍛えた自分の力を少しも試せなくてつまらなかっただろ? 満足出来なかっただろ?」


「いえ、僕は別に……自分の力を確かめる為に大会に出た訳ではないので」


「なにぃ?」


「僕の目的は強い敵と闘う事ではありません。優勝する事です。なので、別に敵が弱くても構いません」


 むしろ、弱い方が良いです。優勝し易いから。と付け加えようとしたが、それを言うと更に文句を言われそうなので、余計な言葉は飲み込んだ。


「つまらんやつだなぁ、お前は。あたしはてっきり、その吸血鬼の力を為す為に、大会に出たと思ったんだが……」


「いえ、欲しいものがあるから、出ただけです」


「へぇー、欲しいものがあるのか。戦奴なのに」


 隊長は僕の欲するものを確かめるかのように、一足でこちらの懐に踏み込むと、まじまじと顔を覗き込んで来た。


「それは何だ?」


「言えません。アルザギール様にも、お伝えしておりません」


「ほう。それ程のものなのか。……いや、言えないような、いかがわしいもの、とも考えられるよな?」


「そんなものではありません」


「ふーん……」


 鼻と鼻がぶつかりそうな程に近い距離。

 隊長の見開かれた黒い瞳が、遠慮無く僕の瞳や唇、喉元に向けられている。小刻みに動く鼻は僕の体臭を嗅いでいるらしい。

 黒耳長は、鋭い感覚を持つ種族だと聞いている。筋力や再生力は、鍛えた吸血鬼には及ばないのだが、その代わりに五感が非常に発達しているらしい。

 その五感を活かして、視線の動き、筋肉の収縮、鼓動の速さ、瞬きの回数、流れる汗などを読み取り、対象の動きや心を読み取る事が出来るそうだ。

 一応、僕も隊長からそれのやり方を教えて貰ったので、真似事なら少しは出来るが、精度は隊長の方が上だ。


「……」


 それにしても、自然な踏み込みだった。虚を突かれたと言うか、呼吸を合わされたと言うか、まるで僕の一部のように、すんなりと懐に入られた。

 殺気が無かったので、攻撃は無いと踏んでいたが、もしも今攻撃されていれば、危なかった。致命傷を負う事はないだろうが、服が破けてしまったに違いない。


「ふーむ……動揺は無し、か。確かに、いかがわしいものではなさそうだが……」


 僕は心を読まれる事など特に気にしていないので、自然体のままでいたのだが、暫くすると隊長は面白くさなそうに顔を離した。


「ユーリよ、お前は本当につまらんやつだな」


「そうですか?」


「そうさ。心に乱れが無さ過ぎる。あたしみたいな見目麗しい美女が近付いたんだから、もっと動揺しろ」


 隊長はそう言って、大きな胸を張った。


「……わかりました。次からは気を付けます。フォエニカル隊長」


 あなたは確かに綺麗なようですけど、アルザギール様程じゃないので動揺するなんてとてもじゃないけど無理です。と言うところだったのを、僕は頑張って口に出さないようにした。

 本音と建前は人間社会だけではなく、魔界社会でも有効だ。


「おい。お前今、失礼な事を言おうとしたな」


「……」


 流石は黒耳長の武人。僕の心の機微を読み取っていた。

 隊長は僅かに苛ついた雰囲気を発し、眼を細めて僕を睨んだが、すぐに真顔になった。


「……ま、いいさ。お前のアルザギール様への、揺るぐ事の無い絶対の忠誠心は、闘い方を教えてるあたしがよーく知っているからな。アルザギール様以外に全く興味が無い事は、重々承知しているさ」


「わかっていてくれて、ありがとうございます」


「ふふん。……さーて、それではあたしは警備の続きに戻るが、お前はどうする?」


「折角なのでご一緒しますよ。フォエニカル隊長」


「良い心掛けだな。流石は主人の為に働く戦奴だ」


 隊長は満足そうに頷いて、ようやく剣を鞘に収めた。

 僕としては、自分の部屋に戻って先程ポケットに入れたハンカチの扱いについて考えるつもりだったのだが、隊長自らが警備をしているのは、僕の責任でもある。

 なぜなら、僕が警備の者を二人、殺してしまったからだ。

 あの部屋から自由になって暫くしたある日のこと、屈強な黒耳長の男が二人、訓練場で僕を待っていた。彼らは僕に「俺達が闘い方を教えてやる」と言って、持っていた剣で斬り掛かって来た。

 けれどはっきり言って、男達は隙だらけだった。剣で斬りつければ僕がひるむと思っていたし、刺せば僕が痛みで倒れると思っていたのだろうが、それは大きな間違いだった。

 僕は斬られた隙に男に近付いて眼を抉り、頭を潰した。

 もう一人も、刺された際にそのまま接近し、腕を捥いで、心臓を抉った。

 男達はアルザギール様のご寵愛を受けていた僕の事が気に喰わず、ちょっといじめてやろう。という程度の気持ちだったのかもしれないが、それでも、闘いは闘いである。なので、襲いかかってきた相手を殺すのは当然の事だ。

 だから僕は、二人を殺した。

 今にして思えば、アルザギール様から頂いた服を粗末にしてしまったし、武器が無かったからとはいえ、手も汚してしまった。

 アルザギール様に仕える者として、恥ずかしい事この上ない。記憶から消してしまい程の醜態だが、とにかく、その後、騒ぎを聞きつけて隊長がやって来たのだが、残骸になった二人を見て「こいつらは自分の力量を把握してなかった。だから、死んでも仕方が無い。とりあえずこの件は訓練中の事故って事で処理しとくな」とあっけらかんとした口調でそう言った。

 隊長曰く、この世界は昔も今も弱肉強食。だそうだ。

 弱いヤツが強いヤツに喰われるのは当然だ。それは自然の摂理なのだ。だから、強くなって喰うしか無い。強くなる事でしか、ここで、この世界で生き延びる道は無い。

 僕は隊長から、そう教わった。


「ほれほれ、行くぞ。見回りが終わったら、ついでに稽古も付けてやんよ」


「はい。よろしくお願いします」


 頷いて、僕は歩き始めた隊長の後ろに続いた。

 闇に溶け込みそうな程に気配の薄い隊長の後に付いていくのは中々骨が折れるが、これも訓練の一環だ。

 僕は強くならなければならない。

 生きる為に。

 勝つ為に。

 願いを叶える為に。

 そして何より、アルザギール様の為に。


「……」


 歩きながら、僕はアルザギール様のお部屋の窓に眼を向けた。

 お部屋の明りはもう消えている。どうやらお休みになられたらしい。

 頑張ってくださいね、と言ってくれたアルザギール様。

 微笑んでくれたアルザギール様。

 僕だけを見詰めてくれたアルザギール様。

 大切な存在と言ってくれたアルザギール様。

 どのシーンのアルザギール様も、かけがえのないアルザギール様だ。


「大切な存在、か」


「ん? 何が大切だって?」


「いえ、独り言です」


 もったいなきお言葉だった。

 こんな僕を。

 人間でも、本物の吸血鬼でもない僕を。

 大切な存在だと、言ってくれるなんて……。


「良い眠りを。アルザギール様」


 呟いて、僕はアルザギール様のお部屋に再び視線を送った。

 それから、良く眠れるよう、心の中で祈った。

 警備に励む間、僕はずっと、祈り続けた。


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