6ー1、大魔女との会談。
「お久しぶりですね、ルーレス」
「おう。久しぶりだな。アルザギール」
「少し大きくなられましたか?」
「前よりは大きくなったかもなぁ。それにしても、お前は相変わらず小さいなぁ」
「ふふっ。そういうものですよ。吸血鬼とは」
「くくっ。まあ、そうか。そうだな」
僕は談笑する二人から数歩離れ、後ろに付いて歩いている。
アルザギール様は一角の馬によって引かれる馬車の中におられる。
ルーレスは巨体故に、馬車の中に入れないので、隣をのそりと歩いている。
馬の背に乗り、手綱を握っているのは、フォエニカル隊長である。隊長は僕を見るやいなや「へぇ〜腕上げたみたいじゃん。やるなぁ」と呑気な声を上げていた。一見しただけで何かを感じ取ったと見える。流石の洞察力である。
他にも隊長の部下やアルザギール様のお世話をする者が数名来ているそうだが、その者たちは少し離れたところで待たせているそうだ。
大魔女に会うのに大人数で押しかけるのは憚れるので待機を命じたとの事である。
深い森の中なので、少々心配してしまうが、隊長の部下はそれなりに手練だし、トランキノの一族をいるし、巨獣の数も僕たちがかなり減らしたので、まあ安全だろう。
ちなみに、トランキノは進路の安全確認の為に先行している。
僕とルーレスとがいればアルザギール様の安全は完全に保証されたようなものであるが、念には念を、である。
「で? 大魔女はどこにいるんだ?」
「この先です。バルヴェニアの話しだと、すぐ近くのはずですよ」
「すぐ近くだと? その割には、やはり、何の気配も……」
ルーレスは前方を見た。
森の緑と、闇の黒とが広がっている。
美しい花、醜い花、芽吹いたばかりの花弁、苔の生えた巨木……様々な野生のものと、それが複雑に入り混じった匂い……。
しかし、それ以外には何も無い。
自然があるだけだ。
その大魔女……グレンというのがどのような人物なのかは知らないが、この先に誰かがいるとは思えない。
巨獣の気配すらもしない。
何も無い。
とはいえ、無論、アルザギール様のお言葉を疑っているわけではない。
アルザギール様が間違いを口にするはずがない。
間違えたのだとしたら、それはバルヴェニアだ。
魔法を使っていたし、魔女と深い関わりがあるようだが、この場にはいない。きちんと道案内をして貰わなければ困るというのに……。
やれやれである。
僕は誰にも聞こえないくらいに小さなため息を吐いた。
丁度その時、トランキノが戻ってきた。
「アルザギール様。ルーレス様。報告がある」
ご報告があります。だろうが。狩りではいい仕事をしてくれたが、それで調子に乗るんじゃない。と、内心で文句を言いつつも、停車した馬車に合わせて足を止め、僕も耳を傾けた。
「エリエア、何かありましたか?」
「ここはおかしい」
「おかしいとは?」
「言葉の通りだ。……フォエニカル。貴様は気付いているのではないか?」
「隊長って付けろよ。……ま、どーでもいーけど。お前の言いたいことはわかる」
「フォエニカル、何か問題が?」
「問題と言うべきかどうかはまだわかりませんが……そいつの言う通り、ここはおかしいのですよ。アルザギール様」
アルザギール様の疑問に答えつつ、隊長は周囲を見回した。
「これまでの道のりは、この馬車が通りやすいところを見付けて進んでいたのですが……ここはずっと平坦な道が続いています。森の中だと言うのに」
「偶然にもそのような場所が続いているのではないのですか?」
「いえ、違いますよ。これは何者かが作った道です。整備されています。木が行く手を遮っていませんし、あまりにも開けすぎています。こういう馬車でも通りやすい道にされています。それに……」
「何ですか?」
「わたしの勘違いでなければ、さっきからずっと同じ道を通っていますね」
「同じ道を……?」
「森の中なので、ま、こんな風に代わり映えのしない景色がずっと続くんだろうなぁと思ってたんですけどね……この道の様子と、トランキノの報告で確信しました」
「自分は先行していたが、どれだけ先へと進んでもこの馬車との距離が離れなかった。道もずっと先まで続いていた。この森では数えきれない程に狩りをしたが、こんな道があったなどと自分は知らない。それで何かおかしいと思い戻ってきた」
「そうですか……」
二人の所見を聞き、静かに頷かれたアルザギール様。
「魔法だな。これは」
ルーレスも頷いた。
「大魔女は、俺様たちを拒絶しているのか?」
「いえ、もしそうなのだとしたら、私達はここまで来る事が出来なかったでしょう」
「だったら、何故同じ道を進ませる? 何が目的だ?」
「……」
アルザギール様はルーレスからの質問に、暫し沈黙なさった。
トン、トン、トン。と、細い指先で顎の先を軽く叩いている音が聞こえた。
ああ……とても、久し振りである。
それは僕の心音と重なり、心を安らげる音色。
一定のリズム。
宗教的な音楽というのは、一定の音程を一定のリズムで繰り返す事によって、聞く者をトランス状態に誘うと聞いた事がある。
これはまさにそれだろう。
僕にとってアルザギール様は神をも超える存在である。
崇拝の対象である。
その肉体から紡ぎ出される音楽は、僕の肉体を優しく包み込み、アルザギール様の存在感を染み渡らせてくれる。
ああ……アルザギール様。
この道が魔法で作られている閉じた場所であるせいか、余計な雑音はしない。
まるでこの世界そのものがアルザギール様に注目しているようだ。
アルザギール様の一挙一動に、世界が目を見張っている。
アルザギール様がどのような答えをお出しになるのか。
世界はそれを知りたがっている。
その時が訪れるまで、耳を澄ましている。
トン、トン、トン。
音が響く。
世界に木霊する。
森はその音を受け入れ、どこかへと流す。
アルザギール様の存在感が満ちていく。
きっと、世界中の全ての者が今は手を止めているだろう。
アルザギール様の存在を無意識に感じ取っている事だろう。
今、この時を無意識にも感じている者たちは幸せだ。
この時を意識的に感じ取っている僕は、その者たちよりも更に幸せだ。
至福の時……。
だが、しかし、何事にも永遠は無い。
「……なるほど。わかりました」
アルザギール様は指をお止めになり、馬車の扉を開けた。そして、軽やかに、羽の如く、大地に降り立った。
今、踏まれ、潰れた草は幸せだ。
アルザギール様の礎となったのだから。これ以上の事はあるまい。
「アルザギール様? どうするおつもりですか?」
隊長が何事かと不思議そうな声を上げた。
「フォエニカル、あなたはエリエアと共にここでの待機を命じます」
「わかった」
「待機? それは、構いませんが……」
即答したトランキノとは対象的に、先へと進む当てがあるのですか? という表情を浮かべている隊長に、アルザギール様はおっしゃられた。
「恐らく、これより先に進めるのは吸血鬼だけなのでしょう」
「吸血鬼だけ……そうすると、アルザギール様とルーレス様ならば先に進めると?」
「ユーリもですよ」
「え?」
不意に名を呼ばれ、間抜けな声を上げてしまった事を激しく後悔しつつ、
「僕も……ご一緒していいのですか?」
アルザギール様に、問いかけた。
「はい。あなたもです」
アルザギール様は、僕に微笑みを向けて、頷かれた。
「これより先には、あなたと私と、ルーレスの三人で行きます」
アルザギール様が前に出た。
「行くか……」
ルーレスは、その後ろに続いた。
「……」
僕は、ルーレスの後を追う。
「フォエニカル。いいですか? これから何が起ころうと、ここで待機していてください」
「何ですか? それ、何か起こりそうな言い方で正直怖いんですけど?」
「大魔女は何をするかわからない方ですからね」
「……大魔女がそんなお方だったとは……困ったお方ですねぇ」
「ええ、本当に」
アルザギール様の困ったようなお声に、隊長の緊張を帯びた乾いた笑いが重なった。
アルザギール様は隊長より前に出た。
「何にしても……アルザギール様も充分にお気をつけください」
「ルーレスとユーリがいるので大丈夫ですよ」
「それもそうですね……だとさ、ユーリ。アルザギール様のことを頼むぞ」
「はい。お任せください。この命に代えてもアルザギール様はお守りいたします」
僕の言葉に嘘は無い。
アルザギール様は、そして歩を進めた。
ルーレスもそれに続く。
僕も、続く。
一歩、二歩、三歩……。
ゆっくりと歩いていく。
「……」
何が起こるかわからない。と、アルザギール様はおっしゃられた。
魔法によって何が出来るのかはよくわからないが、バルヴェニアやこの道のように、幻覚を見せるだけでなく、僕を拐ったりもした事から、色々と幅広い事が出来そうではある。
火とか雷を出すみたいな、攻撃魔法のようなものは見た事が無いが、そういうのも撃てるのかもしれない。可能性の一つとして考慮しておくべきだろう。
「……」
今のところ、変化は無い。
アルザギール様が先陣をきって進まれ、僕らはその後に続いている。
「……」
吸血鬼以外を排除する理由は何なのか?
この先で何が待つのか?
大魔女は何を企んでいるのか?
浮かんでくる疑問は多い。けれど、こんなのは些細なものに過ぎない。
最も重要なのは、アルザギール様の安全を確保する事である。本来ならば、僕がアルザギール様の前を歩くべきだと思うのだが、主の進む道を先に行ってしまうのはよろしくない。なので、殿を務めている。が、もしも何かあれば即座に守れるよう、気を巡らせている。
「……」
まだ、変化は無い。
アルザギール様がお進みになる。ルーレスと僕はその背を追う。
本当に、何かが起こるのか?
また、疑問が浮かんだ—–瞬間、だった。
「ここは……」
「おおっ……」
「なっ!?」
いきなり、世界は姿を変えた。
どこまでも広がっていた森が消えた。
乾いた大地が広がっていた。
オレンジ色を帯び、砂を含んだ風が、容赦なく僕らを襲った。
「アルザギール様っ!」
僕は慌てて、アルザギール様の前に躍り出た。
即座に、右手に刀を形作った。
視界は不明瞭。
現在地は不明。
周囲に気配は無い……隊長やトランキノの気配までもが消えた。
状況が一変した。
何が起こってもおかしくはない。
しかし、まさかこんな事が起こるとは。
空間を移動させられた?
どこかへ飛ばされたのか?
どこに?
わからないまま、警戒心を最大まで高めた。
何があっても、アルザギール様だけはお守り出来るようにと。
そんな僕に、アルザギール様は優しげな声を掛けてくださった。
「ユーリ。武器は必要ありません。安心してください」
「ですが、これは……ここは、一体どこなのですか?」
「ここは大魔女の世界です」
「大魔女の世界……ですか?」
「はい。大魔女がいたという世界。その心象風景……」
ぽつりと、呟かれた。
「大魔女の世界、ですか?」
「はい。それをただ見せているだけなのです。その証拠に、私達の衣服は一切汚れていないでしょう?」
「あ……確かに。そうですね」
これだけの砂嵐なのに、アルザギール様のお洋服は白一色である。アルザギール様のお美しいお洋服を汚す事を砂嵐さえ躊躇っているのか。と思っていたが、そうではなかった。
それに、今更気づいたが、目も痛くはない。
砂が入った時の異物感など一切ない。
「そこにいるのでしょう? 大魔女グレン」
アルザギール様が、前方に向けて声を放った。
瞬く間に、世界はまた姿を変えた。
アルザギール様のその麗しいお声が砂嵐を掻き消したのだ。
アルザギール様の影響力は凄まじいものである。
僕は感動した。
そして、光の道にいた。
「こ、ここは……?」
思わず、誰にともなく疑問を口に出していた。
空は、明るい。とてつもない、数えきれない程の星々の輝きで満ちている。
僕のいた世界とも、アルザギール様のおられる世界とも違う空だ。
地面はぼんやりと光っている。白く、淡い光だ。雲のようでもある。雪のようでもある。砂のようでもある。しかし、足場はしっかりとしており、確かに存在している。
遠くの方には凹凸が見える。丘だろうか? アップダウンが激しい道のようだ。
「ここはグレンのお気に入りの場所です」
アルザギール様が、小さな可愛らしいお口をお開きになられた。
「あの大魔女に、お気に入りの場所などがあるとはなぁ……それを知っているという事は、アルザギール、お前はここに来たことがあるのか?」
「以前、一度だけ。その時に言われたのです『私はここが好きだ。世界の生まれる場所だから。夢と希望のある場所だから』と」
「世界の生まれる場所だと……?」
「その言葉の真意は未だ私にもわかりません。ただ、好きな場所というのは私にもよくわかります。ここは、暖かい場所です」
暖かい場所……。
慈しみに満ち満ちたアルザギール様の、草花を愛でる時のようなお声。
確かに、その通りである。
ここは暖かい。
温度ではなく、精神的に。心に訴える何かがあるのを感じる。
何だろうか?
この感覚は?
……何だ?
自身の中にあるはずの感情を手繰り寄せられず、困惑していたその時、
「私はとても嬉しいよ。君がそう感じてくれてね。アルザギール・グラト・ピエンテ・マグノエリス」
どこからともなく、いや、どの方向からも、声が聞こえた。
女の声だ。
「——!」
周囲を見回す。
誰もいない。
気配も無い。
「君は何か思うところがあるかい? ルーレス・ノビリス・ベイ・ルーレル」
「さて……俺様は特にないが……」
のんびりと返答するルーレス。
「そうだね。それも一つの答えだね。君だけの感想だね。それもまたいいね」
彼の視線は……上に向けられている。
上?
僕も慌ててそれを追った。
そこに、いた。
無数の輝きをバックに、中空に佇んでいる。
重力を全く無視して、反対向きで。
頭がこちら、脚を上に向けて。
ボロボロの黒いローブ。ボロボロの黒い三角帽子。そして六芒星の形をした眼鏡を掛けた、眼鏡以外は如何にも魔女っぽい者が。
いた。
「君はどう思った? 木場友里」
「え……?」
「ああ。そうか。ユーリと呼んだ方がいいか。以前の名前は捨てたんだね。新しい名前を受け入れているんだね。それもまた君らしい生き方だね」
ユーリと呼ばれて、ようやく気付いた。名前を呼ばれていた事に。
そう。僕の名前はユーリだ。
木場友里。それは僕の名前だった。人間だった時の名前だ。今はもう存在しない人物の名前だ。
だから、わからなかった。
それについて悲しいだとか、苦しいだとか、そういう感傷は無い。
「君はどう思った? ユーリ」
「僕も……暖かい場所だと思いました」
誠に僭越ながら、アルザギール様と同じく。
「そうか。そうか。私はとても嬉しいよ。君がそう思ってくれた事がね。ユーリ」
そいつはそう言って、顔をこちらに向けた。
無の表情。嬉しいと言う言葉を口にした余韻は無い。
六芒星の奥で光る黒い瞳が、僕を捉えている。
「君とは初対面だ。自己紹介をしておこうかな。私は大魔女。名はグレンという」
「あなたが、大魔女グレン……」
「そうさ。私が大魔女グレンさ」
不思議な声だった。
こちらの頭の中に、直接響いてくるような。
しかし、強制的に聞かせているのとも違う。
優しい声だ。じんわりとしている。不快感の無い声。
生まれた時の記憶とでも言うのだろうか? 胎児だった頃の自分のイメージが浮かんだ。
何も出来ない自分。人の助けが無ければ生きていけない自分。そんな自分に何もかもをしてくれた人と、どこか同じような雰囲気を感じる。
今となっては、もう思い出せないその人。
お母さん……。
どんな顔だったっけ。痩せていたっけ、太っていたっけ。髪は長かったかな。短かったかな。何が得意料理だったっけ……。
ふと、僕は、そんなどうでもいい事を思い出していた。
「大魔女グレン。私は、あなたに質問があってここまで来ました」
思い出を塗り潰す、アルザギール様の凛としたお声。
その声は、今度は空間に何の影響も及ぼさなかったが、それは確かに、大魔女に届いていた。
「そうか。そうか。質問があるのか。それは嬉しいな」
大魔女の表情は変わらない。
感情を一切見せずに、喜びを口にしている。
「質問があれば何でも聞くといいさ。私は全てに答えよう」
大魔女はそう言った。
大袈裟に手を広げたりはせず。芝居掛かった動作もせず。
淡々と、
「私の愛する吸血鬼諸君。私は歓迎するよ。君たちの中に生まれた問いを」
そう言った。




