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5、光。(ユーリから見たアルザギールの登場シーン)

 それはさながら神話の一ページ目だった。

 いや、まさしく神話そのものだった。

 既に大地はあり、闇に覆われた空があり、文明が興り、巨大生物が闊歩する世界だが、それは確かに神の話しの始まりであった。

 闇を裂き、光が差そうとしていた。

 太陽の無いこの世界には存在しないはずの、暖かい光。

 月の光ではない。

 そのような、何かを反射する事で生まれた光ではない。

 原初の光そのものだ。

 この宇宙の誕生の時、その時にどこからともなく発生した光。

 薄い雲の切れ間から覗くように、これからそれが到来するという予感がした。

 この世界の全ての存在が、それを感じていた。

 世界にざわめきが奔った。

 それは木々の間を縫い、地に満ちようとしていた。

 まだ、満ちてはいない。

 しかし、光の気配を、存在感を感じ取った地は、自分よりも美しく気高く全てを包む暖かいその光を浴びて、恥じらい、頬を染めた。

 草花が歓喜で芽吹いた。もっと多くの花で森を埋め、光の到来を祝おうとした。

 風が熱烈な歓迎の舞いを踊り、触れ合う枝が万雷の拍手を奏でた。

 遠くで水の飛沫がいくつも立ち上がり、笑い声を上げた。

 反対に、巨獣の声は消えた。自身よりも大きな、とてつもなく大きな存在を感じ、動きを止め、天を仰いだ。本能に従い破壊を繰り返している場合ではない。この光を浴びなければならない。と理性が目覚め、そのように囁いたのだ。

 同時に、いくつもの木の実が地に落ちた。光の寵愛を受け、のびのびと育まれようと、種子がその瞬間を持っていた。まるで、親に名を付けられる前の子のようだった。

 そう。子だ。

 光を親とするならば、全ては子である。

 光は母親である。

 それも、生き物は直感した。我々は子である、と。

 母は、自らの存在より以前からあった自然に対しても、区別を付ける事なく、別け隔てなく接する。

 お腹を痛めて生んだ子ではなくても、子は全て可愛いものである。母親であれば、皆、そう思う。生む痛みを理解しているからである。

 故に、光は、自らの到来を待つ全てに柔らかな笑みを向けた。

 私の為に、そこまでする必要はありませんよ。と、謙虚にもそう言っているようだった。

 あるがままでありなさい。と、命じるでもなく、全てのものにそう語りかけていた。

 光に言葉は無かった。

 けれど——私は全てのものに平等に注がれます——そう言っているという事を、全てのものは感覚的に理解していた。

 生きとし生けるもの全てが寵愛を受ける事が出来る。

 それを受け取るのは自由である。であるが、しかし、では受け取らない。と言うものがいるか? と問われると、答えは、いない。である。

 無償の愛など存在しない。という事は、自然が最もよくわかっている。

 この弱肉強食の世界では、弱いものは生きてはいけない。生きる権利を持たない。弱いものは愛を知る間もなく強者に淘汰される。あるいは、利用される。踏み台にされる。食い物にされる。

 けれど、光はそのようなか弱いものすらも包もうとしている。

 どこかで赤子が泣き声を上げた。

 生まれたばかりの声だった。

 無知なる赤子の、純粋なる叫び。

 親の腕から伝わる愛。それにすら気付いていない声。

 孤独を感じているのだろうか。

 暗闇なる世界に生まれてしまった事を、嘆いているのだろうか。

 闇を恐れているのだろうか。

 遠い未来で、何者かに殺される場面を見てしまったのだろうか。

 ああ……赤子よ、今は泣くがいい。

 何も知らない今は、声なき声を上げるがいい。

 お前はすぐに知るのだから。

 この世界には光が在る。という事を。

 光は全てのものに注がれる。

 例えそのものが、どれだけ強固な憎しみで形成されていようと、光は染み込み、憎しみを慈しみへと反転させる。

 自らをも燃やし尽くすような怒りでさえも、生を育む優しさへと変える。

 ああ……そうだ。そうなのだ。

 これは道標である。

 物事をより良き方向へと進める、道標。

 光が指す方へと、進む。

 それがそういうものだという事に気付いた時、世界は狂乱を終えて、静けさを取り戻した。

 嵐の前の静けさ……ではない。

 静寂であった。

 落ち着いていた。

 世界は待っていた。

 その時が訪れるのを。

 道が示される時を。

 静かに。

 ただ、静かに。

 待った。

 何もかもが息を潜めた。

 漂う空気でさえ、自らの存在の軽さにより、空中に乱れが生じてしまう事に耐えきれず、その場で動きを止めた。

 闇の中で、呼吸を続ける葉も、息を止めた。

 世界が息を呑んだ。

 痛いほどの静けさだった。

 世界が一個の固体になってしまったかのようだった。

 一つの意志によりまとめられた塊。

 これまで個々の生き方をしてきたのだ。急造の統一では、不格好だったに違いない。だけども、光はその不格好さすら愛した。

 ここに光が当たれば、ここは影になるかもしれない。そうなってしまっては平等ではない。どこから光を当てればよいのか……。

 試算しているのか、光の道が通るであろう場所が、柔らかに撫でられる気配があった。

 凹凸を、小さな指の先が、ゆるりと通過していく気配。

 世界が震えた。

 ぞわり、と。

 それは喜びの震えだった。

 来るぞ……。

 もうすぐだ……。

 世界は待った。

 ……そうして、どれだけの時が流れただろうか。

 忘れる程に長い時だったのかもしれない。

 信じられない程に短い時だったのかもしれない。

 しかし、そのように時を数える事に意味などは無いのだ。

 なぜなら、その光が地に降り立ったその瞬間こそが、一瞬にして永遠なるその時だからである。

 その時は、世界の始まりと全く等しかった。

 その瞬間にこそ、世界は存在し、その永遠の中にこそ、世界は存在する。

 終わりであり始まりであり、始まりであり終わりである。

 それの到来とは、そういうものである。

 そして存在を始めた世界に—–待ちわびていた世界にとって、それは再起動とも考えられるが——光が満ち満ちた。

 おお……おお……。

 言葉も無かった。

 嗚咽のみが流れ出た。

 苦しみではない。これも喜びである。

 溢れた感情が単語として変換されず、感情のまま口から出た結果であった。

 語るべき口を持たない世界の代わりに、僕がそのような反応をした。

 僕はこの時、世界を代弁したのである。

 表現不可能なものを何とか表現しただけである。故に、これは神話の一ページとして完璧なものではない。不完全なものである。なぜなら、僕の表現出来る領域を軽く超えているからである。

 自分でもそれを理解している。

 しかし、それでも、どうにかして、この喜びを表現せずにはいられなかった。

 どうにかして、この喜びを、自身の脳内に書き込まずにはいられなかった。

 何故なら、ああ……。

 アルザギール様が、降臨なされるからである。

 一ページ目が捲られた。

 気配は確信へと変わった。

 二ページ目が始まる。

 そこに記されるのは、アルザギール様の降臨の瞬間である。

 がたり、がたり、と。

 慣れぬ道で馬車が揺れ、車輪が地を転がる音が響く。

 まず、フォエニカル隊長が引く馬が現れた。

 続けて、そのすぐ背後に、個室の馬車が見えた。

 あの中に、おられる。アルザギール様が。

 見えずともわかった。

 音、匂い、気配。何らかの理由を付けようと思えばいくらでも理由付けは可能だが、そんな無粋な理由など不要だ。

 世界がそれを感じ取ったのと同様に、僕もまた直感したのだ。

 さあ、祝え。

 光の到来を。

 アルザギール様のご到着を。

 祝え。

 一瞬、あるいは永遠の時が流れ、馬車が、僕の前で止まった。

 個室の扉が開かれた。

 開かれたる扉の中から溢れ出たのは、高貴なる気配……。

 隠しようのない、存在感……。

 馬から降りた隊長が、すかさず小さな段を入口の前に置いた。

 一泊置いて、伸びてきた、白い靴に包まれた、右の脚のつま先。

 未だ巨獣の住まう森だというのに、一切の恐怖を感じさせず、実に堂々と、脚は段を踏み、あっという間に、両の脚が森の大地に着いた。

 ああっ……。

 大地の発する甘い吐息が聞こえた。

 もう二度とアルザギール様を離しません。いいえ、離れたくないのです。アルザギール様。アルザギール様。

 大地はそう言っていた。間違いなく。

 僅かな時、僅かな距離。

 それはこの世界が誕生し、終わるまでの時よりは遥かに短く、大地と空との隔たりよりも遥かに短い距離でありましたが、もう二度と、そのような時と距離を置かれたくはないのです。

 と、大地は涙を流し、しずしずと語っていた。

 しっとりと濡れている草は、大地の涙を吸ったが故である。

 アルザギール様と真っ先に触れ合えた足元の雑草に、僕は嫉妬の感情すら抱くところであった。が、それは寸でのところで思い留まる事が出来た。

 何故か?

 聞こえたからだ。

 おおっ……。

 という、空の嘆きが。

 アルザギール様との距離が、ほんの少しばかり離れた事で、空は悲しみの声を上げた。

 雲が流れ、形を成していく。

 天気というものは気まぐれである。その名の通り、天の気分である。

 アルザギール様はお屋敷にいる時でさえ、一階と二階を行き来するのだ。その度に、天は呻くのだ。

 おお……アルザギール様が私から離れてしまった。と。

 そして、すぐに悦びの声を上げるのだ。

 ああ……アルザギール様が、再び私の傍に来てくれた。と。

 アルザギール様の一挙一動により、世界はその姿すら簡単に変えるのである。

 当然ながら今回も、空は涙を流し、アルザギール様に自らの悲しみを訴えようとしている。

 ……しかし、遂に、涙は降ってこなかった。

 集まった雲は、蜘蛛の子を散らすかの如く、皆別の方向へと散り散りに流れて行った。

 天は思い留まったのだ。

 天は気付いたのだ。

 自らの涙でアルザギール様を濡らす事に、何の意味があろうか、何の意味も無いではないか。仮に雨を降らせたとして、アルザギール様がご機嫌を損ねられ、近くに来ることが無くなってしまったら……。

 おお……その時、天は地に堕ちるだろう。

 アルザギール様を地から引き剥がし、我が身の傍に置こうとするのだろう。

 それは、世界の崩壊……。

 ああ……何という事だろうか。

 つまり、だ。

 アルザギール様は、その身を以って世界の崩壊を食い止めておられるのである。

 天と地を行き来する事によって、世界の均衡を保っておられるのである。

 この事実に、ぼくは驚愕せずにはいられなかった。

 まさしく、神である。

 否、神の創りし天と地とを手玉に取っておられるのだから、神以上の存在である(僕にとってアルザギール様が神以上の存在である。というのはわざわざ語るまでもない自明の理であるが、否定される事により強調される事実もある。なので、とりあえず神を引き合いに出させて貰っている次第である)。

 ……と、ここまで夢想して、僕は己の過ちに気付いてしまった。

 アルザギール様が神以上の存在であるならば、神話の一ページ目。などという表現はアルザギール様に失礼にあたるのではないか? という疑問である。

 神を超越せしめたアルザギール様を神と同列に語ってしまうなど……アルザギール様の登場の光景があまりにも現実離れしており、神秘的過ぎたので、つい、まるで神話のようだ。などと思ってしまったが……。

 それは新たなる神話の始まりだった。……うーん。この出だしでは少し弱い気がする。これでは神話の延長線上にアルザギール様がおられるようである。これではいけない。

 それはまさしく、神話の書き換えが始まった瞬間だった。……とするのが良かっただろうか? これならば、アルザギール様が既存の神話的存在を超えたとてつもない存在である事の表現として適当なような……いや、しかしそうすると、この世界そのものの描写をも書き換える必要があるか?

 いっその事、宇宙創生から新たに始めてしまうべきだったか?

 アルザギール様のご登場により、宇宙そのものが新たなるステージへと進化していく……。

 何も無かった宇宙に、アルザギール様という存在があった。

 そこから、全ては始まった……。

 原初における創生。

 何も無いはずなのに存在した存在により、世界が形作られていく様子。

 そのような描写から始めるべきだったか……。

 僕は大きく後悔した。

 だが、自らの失態に嘆く時間はそこで終わりであった。同時に、アルザギール様の素晴らしさについて夢想する時間も、ここまでであった。

 アルザギール様について考える時間の終わりなどあり得ない。と、アルザギール様に絶対の忠誠を誓っている者ならば当たり前のようにそう思うだろうが、アルザギール様の視線がこちらに注がれていたのだから、自身の思考を中断するのは当然である。

 僕の中で際限なく膨らむアルザギール様への想い。

 それに待ったの声を掛けてくださるのは、いつだってアルザギール様であるのである。

 僕は慣れた動作で跪いた。勿論、衣服が汚れぬよう、膝を地に付けないようにしている。


「ここまでの巨獣の排除、ご苦労様でした。ユーリ」


  ああ……ああ……なんと嬉しい事だろうか。

 アルザギール様の凛としたお声が、僕の後頭部から背中に掛かり、そこから、全身へと染み入った。

 ぞくりとした。

 全身の毛が逆立ちそうだった。

 信じられないくらいの喜びを感じていた。

 久方ぶりだったせいだろう。

 いつも以上に、いや、これまで以上に、アルザギール様のお褒めの言葉が、僕という存在そのものを刺激していた。

 高鳴る鼓動。

 興奮で吹き出しそうになる汗。

 喜びのまま、未だ中空に漂っておられるであろうお言葉を掴み取ろうと、意志に反して動き出そうとしている指先を必死で抑えつけ、アルザギール様の吐いた息を肺活量の限界まで吸い込もうとしてしまうのを、呼吸を整える事で制御し、歓喜の声で歌おうとする口を、無理矢理にきちんと動かした。


「お役に立てたようで何よりです。アルザギール様」


 きちんと、アルザギール様。という素晴らしいお名前を発音出来ただろうか。

 いつもより声が上擦ってはいなかっただろうか。

 挙動不審では無かっただろうか。

 平常心でいられた自信はない。

 僕は昂ぶっている。一見するとわからぬようにしているが、心の中はアルザギール様の事でいっぱいになっている。

 しかしそれでも、アルザギール様は僕の極めてどうでもいい動揺に気付いておられながらも、それを全く意に介さず、微笑んでおられた。

 ああ……流石であられる。

 これこそが、アルザギール様である。

 超越的な存在である。

 この世界そのものである。

 僕は何度目かの確信をした。

 そして、深々と頭を垂れ、次の指示を待った。

 そんな僕に向かって、アルザギール様はこうおっしゃられた。


「さあ、進みましょう」と。


「目的地は、もう少し先にあるようなのです」と。


「はい。畏まりました」


 僕は頷いた。

 アルザギール様はそれだけを皆に告げると、再び馬車の中にお戻りになられた。

 進め。という事である。

 命に従い、進み始めた。

 僕だけでなく、僕と行動を共にしていた有象無象の者達もまた、アルザギール様の乗る馬車を囲むような陣形を自然と作り、進み始めた。

 誰もが理解しているのだ。

 アルザギール様こそが、この世界そのものである。という事を。

 アルザギール様の行動こそが、この世界を変えるのである。という事を。

 僕だけでなく、誰もが、そう理解しているのだ。

 同じ吸血鬼であるルーレスでさえも、そう思っているのだ。アルザギール様には敵わない。と痛感しているのだ。

 だからこその、行進だ。

 僕は誇らしかった。

 このようなお方のものとして仕える事が出来ている自らの幸福に感謝し、そして、アルザギール様の深いお心に深い感謝をせずにはいられなかった。

 だから……

 

 ありがとうございます。アルザギール様。


 内心で感謝した。

 そして、

 

 これからも、ずっと、お仕えいたします。


 内心で、永遠の忠誠を誓った。


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