3−1、目的。
森の中では時間の感覚が無くなる。
一体何日経ったのか。数日は経過しているのだろうけれど、僕に確かめる術はない。
日が昇り、沈むという事が無い世界なので、どこからが一日の始まりで、どこで一日が終わるのか。明確な基準が存在しない。
この世界の住人は独自の体内時計を有しているのか。あるいは単に一定時間活動して疲れたから休憩しているだけなのか。きちんと調べたりしていないので、どちらかはわからないが、何らかの方法で日の無い生活に適応している。
起きて、働いて、眠って。きちんとしたサイクルで活動している。
一方で、この世界の住人ではない僕は、普段はアルザギール様が起床なされた時を一日の始まりとし、お休みになられた時を一日の終りとしている。
アルザギール様が不在であるこの場では、トランキノが活動を開始した時を朝としているが……狩人であるトランキノは少しの仮眠で充分らしく、長い睡眠を取らない。短い休憩を小まめに取る。それにより、僕の時間に対する感覚は狂ってしまった。
トランキノに「今は森に入ってから何日目ですか?」と質問すれば簡単に答えてくれそうだが、休憩すると食事を取ってすぐに眠り、起きたら起きたですぐに狩りに行くので、中々落ち着いて話す時間が無く(さっきはチャンスだった。けど、全く別の話題について話したので失念していた)、僕としても、まあそもそもこの太陽の無い世界では時間の感覚などあってないようなものだしいいか。という事で聞きそびれてしまっている次第である。
それにしても、不思議なものだな、と思う。
何故、この世界では太陽が昇らないのか?
何故、月だけが、満月だけが、ずっと空に浮かんでいるのか?
まるで月が太陽を食べてしまったかのようだ……。などと、詩的な事を思い浮かべてしまうのは、余裕がある証拠だろう。
強くなった事で生まれた、余裕。
僕は錆臭い匂いを辿ってゆるりと歩き、木の幹に背を預け、視線を森の奥に向けていたルーレスを見つけて、静かに声を掛けた。
「ルーレス様、そろそろ交代しましょう」
「む……もう交代か……。充分休めたか? ユーリ」
「はい。お陰様で」
「エリはどうしている?」
「まだ眠っています」
焚き火などはしていない。「煙の匂いが付く」「巨獣に位置を知られる」とは水浴びを終えてのトランキノの台詞だ。彼女は木の実をいくつか食べた後、そこら辺の木から引き千切った厚い葉に包まって地面に転がり、寝た。
「そうか」
「見張りは僕が引き継ぎますので、ルーレス様も、どうぞ休んでください」
「そうだな。俺様も、今日はいつも以上に働いたからなぁ、お言葉に甘えてそうさせて貰うとするか……と言いたいところだが」
「何ですか?」
「折角の機会だ。ユーリ、少し話しをしないか?」
「話し、ですか?」
「ああ」
「それは、構いませんが……」
改まっての話し……内容は何なのか?
少々気になるので、僕もルーレスに倣い、近くの木に背を預けた。
体はルーレスの方に向けている。
気は抜かない。
「ふふん」
それを、ルーレスは愉快そうに鼻で笑った。
こちらの心情は見透かされているようである。けれど、それがどうした。笑いたければ笑うがいい。僕は気にしない。
反骨精神に似たものを表に浮かび上がらせていた僕に、ルーレスは言った。
「お前は、本当にあれだよなぁ……。アルザギールの良き剣であろうとしているのだなぁ」
「はい」
アルザギール様に関する話題への返答は即座に行える。故に、即答した。が、内心では拍子抜けしていた。
まさか褒められるとは思ってもいなかった。
「何故そこまでアルザギールに入れ込むのか、と聞くのも野暮だな」
「聞きたければ、お話しますが?」
アルザギール様に心の底から忠誠を誓っている理由。それを語るという事は、アルザギール様の素晴らしさについてお話しする事と同義である。僕にとって、大変喜ばしい事である。なので、聞かれても全く構わない。というよりも、むしろ聞いて欲しい。アルザギール様の素晴らしさについて語りたい。
アルザギール様の名を幾度となく口にし、アルザギール様の存在を近くに感じたい。相手にも、感じさせたい。
「いいや、やめておこう。お前の話しはなんか長くなりそうだし」
「そ、そうですか……いいですか……そうですか……」
感情の激しい昂ぶりを感じ取られたのか、却下された。
ルーレスはアルザギール様についてよく知っているとは思うが、それはかつての話しだ。現在のご様子などを気にしていないのは、少しばかり悲しかった。
「まあまあ、そう落ち込むな。お前の話しは今度暇な時でも聞いてやるから。……今は、本題だ」
「本題? 何の事ですか?」
「アルザギールの目的についてだ。何故あいつは、この森の深い部分を目指しているのか。お前は何か知っているか?」
「いえ、知りません。僕は別の任務の後に、そのままここに連れて来られましたので……アルザギール様のお口から直接お話しをお聞かせされていないのです」
「そうか。知らないか……」
「ルーレス様は、何か心当たりがありますか?」
「それがないから聞いたわけだ」
やれやれ、と、ため息が一つ吐き出された。
「エリに聞いても狩りの話しかしないからなぁ……」
「そうですね……」
やれやれ、と、僕もため息を吐き出した。
トランキノ……あいつは本当に狩り以外の事がどうでもいいのだ……僕が注意しなければ巨獣の死体もそのまま置いていこうとしていたし……あいつには忠誠心というものがないのか? 僕の事を少しは、いや、大いに見習って欲しい。
「だがまあ、あいつの一族の者たちが巨獣を狩りまくっているお陰で、近隣の街は平和そのものだからなぁ……本当に大したやつらだよ。あいつらは」
「そうですね」
大したものだ。本当に。
大勢いるというトランキノの、獣人の一族の者達……。この僕に、全く気配を感じさせないとは……。
「昔は今とはまるで違って、敵意をむき出しにして正面から巨獣に突っ込んでいっていたものだが……時が経てば変わるものだな」
「へぇ……。そうなんですか」
感慨深げなルーレスの隣で、僕は意外さに驚いていた。
トランキノの狩りなどは、敵意のような強い感情とは縁の無い、淡々としたやり方だ。荒れていたところなど想像も出来ない。と言うか、獣人程度の戦闘能力だと、冷静に戦わなければ間違いなく死ぬ。
それなのに……。
「うん? 何だその顔は? エリから聞いていないのか? あいつらの一族について」
「巨獣から造り出された獣人。という事は知っていますが……」
興味が無いのでそれ以上は知らない。
「それだけ知っていれば予想は出来るだろう?」
「はぁ……?」
予想出来ない。僕は首を傾げた。ルーレスは構わず続けた。
「あいつらの一族はな、巨獣を強く憎んでいる。あいつらは……自分たちの生まれを否定しているのだ」
「否定、ですか?」
それは僕にとってはよくわからない心情だった。
生まれを否定する、などというのは。
生まれてしまったのだから、否定などしても無意味だ。既に手遅れだ。
どうしようもない。
だが、それでも、獣人たちは否定している。
「自分たちは、あのような醜い怪物と脆弱な人間の混ぜものではない、とな」
「……」
「自分たちは強き者である。という自負があるのだ。自由を勝ち取ったが故の、誇りがあるのだ。……む、そう言えば、お前は元人間だったな。気に障ったのなら謝ろう」
「……いえ、事実ですから。謝罪は必要ありません」
人間は弱い。
巨獣も、吸血鬼に負け、今も狩人に一方的に殺されるだけの存在だ。
強いか弱いかで言えば、弱い部類に入れられる。
そんな弱いものから造られたと信じたくない……。
つまるところ、獣人はプライドが高い。というわけなのだろう。
ルーレスの言った通り、自由を勝ち取った事により、自分たちは強い。と思うようになったのだ。だから、我慢ならないのだ。
力が全て……。
力こそが誇り……。
そういう生き方をしているのだ。トランキノも、その一族も。
「それにしても……なるほど。そうだったのですね。そんな理由が……」
僕は適当に神妙そうな雰囲気を装って頷いておいた。
正直、トランキノやその一族が何を思っていようとどうでもいい。
大事なのは、アルザギール様の為に働くか否か、である。
今のところは、トランキノはアルザギール様の思想に共感しており、力を尽くしているので、良しとする。
「エリについてはこのくらいにしておくとしよう。後は、あいつ自身から聞くといい」
「はい」
また適当に返事をして頷いた。
恐らく、いや、確実に、僕から聞く事は無いだろうが。
「……で? 話しを戻すが、結局のところ俺様たちは、このまま巨獣を始末しつつ森の奥へ行けばいいわけか?」
「はい。それで大丈夫です。そこまでの道を作って欲しい。というのがアルザギール様からのご命令ですから」
「俺様の知る限りでは、森の奥には特に何もないのだが……まあ、とりあえず、行ってみるしかないか」
「そうですね」
目的地に到達するより他に、答えを知る手段は無い。
ルーレスにとっては何も無いように見えても、アルザギール様にならば何か見えるのだ。そうに違いない。
僕はアルザギール様を心の底から信頼しているので、このまま進むという意志を肯定した。
その時、だった。
「説明しよう。私が」
僕とルーレスとの間に、何者かが現れたのは。
「——っ!?」
赤色のローブ。
頭から足先まで全身を覆っている。
顔には前時代的な、鳥の嘴みたいなデカいガスマスク
武器は——わからない。
何者か——魔女? わからない。
いつの間に——わからない。
不明な点だらけの瞬時の思考が終わる前に、右手から刀を伸ばし、その何者かの首の前に突き出した。
「敵かっ!?」
僕の放った殺気に反応して、即座に飛び起きたらしいトランキノの、刺々しい声が飛んできた。
焦りを隠す為に、わざとゆっくりと僕が口を開いたのは、それからだ。
「何者ですか?」
早まる動悸を——得も言われぬ違和感を——抑えつつ、まずは問い掛けた。
「無意味だよ。脅しなんて」
こちらの質問を意に介さず、そいつは呑気な調子で声を上げた。
声は……男でもあり、女でもあるように聞こえた。変な形のマスク越しだと言うのに、嫌にはっきり聞こえた。
「何者ですか?」
もう一度、問う。
「聞きたくないのかい? 私の説明を」
再び、こちらの質問は無視された。
「ユーリっ!」
トランキノの声。弓を構える音。いつでも撃てるようだ。
僕も、いつでも刀を振れる。
ルーレスは……ぼんやりと突っ立っている。闘争心の欠片も無い。一応は間合いの中だ。パンチ一発くらいはいつでも打てるから、余裕があるのか……。
彼は、この状況を一体どう見ているのか……。
「もう一度言おう。無意味だよ。脅しなんて。何故なら私は——」
「ユーリっ! 敵はどこだ!?」
「どこにもいないから」
その言葉と、同時に、
「な——っ!?」
そいつを見失った。
消えた!?
馬鹿なっ!?
一瞬たりとも目を離していなかった。
瞬きもしていなかった。
視界の中に捉えていた。
それなのに——
「そして、どこにでもいる」
背後——!
「ちぃっ!」
声のした方向。振り向きながら刀を振る。
一閃。
手応えは——無い。
首のある位置を刀は通過した。自身の斬撃の瞬間を見逃してなどいない。確実に首を斬り落とした一撃だった。
しかし、あり得ない事だが、そいつの首は落ちていない。
「言っただろう? 無意味だと」
「くっ!?」
何だこれは?
どうなっている?
どういう理屈だ?
完全に無傷……再生したとかそういうのではない。斬ったとか斬っていないとか……そういうのでは……ない……?
手応えそのものが無かった。
まるで、そこには誰もいないかのように……。
「……?」
いや、これは……?
最初に、視覚で捉えてしまったせいで、誤認した。突然の出来事に落ち着きを失った。冷静さを欠いていた。
それで、気付かなかった。
こいつには、匂いがない。という事に。
「……いない……のか?」
警戒しつつも、僕は一旦刀を下ろした。
「気付いたようだな」
ルーレスが笑いを噛み殺すような声を発した。
「はい。こいつは、ここにはいません」
「酷い言われようだ。こいつ呼ばわりとは」
呆れ声を上げた謎の人物。存在しない人物。
よく観察すれば匂いだけでなく、つい先程までこいつの立っていたところの草も折れていない。重さもないのだ。
そこにいるが、いない。
見えているが、実体はない。
それにしても、こんな如何にも魔法みたいな事が出来る者がいるとは……。
「説明をしていないのか? 私についての。君に。アルザギールは」
「アルザギール様を呼び捨てにするなど……」
不届き者が。
この場にいないという事は理解したが、それでも、斬っておかなければ気が済まない。
僕は再び刀を振り上げようとして、
「その御方の言っている通り、無駄だ。剣を下ろせ、ユーリ」
事態を確認する為に自ら赴いてきたトランキノに静止させられた。
「トランキノさん。しかし……」
無駄だとはわかっている。わかているが、これは心の問題だ。不適切な発言に一つにつき、一斬り。せめてそれくらいはしておかなければアルザギール様に顔向けが出来ないではないか。
「ルーレス様は考えなくともいいと言ったが、このような時は考えろ。それは幻だ。斬る意味など無い。体力の無駄だ」
「わかっています」
そんな事は百も承知だ。
それでも。
「幻だ。君の世界の言葉を借りるなら。相当するだろうね。立体映像というものに。とは言え、レーザーやプロジェクターなどの機械を使っているのではない」
「え……? 今、何て……?」
固められた僕の決意は、その一言で、揺らいだ。
「魔法だよ。これは。空間に映像を投影する類の」
「魔法……? しかし、何でそんな言葉を……? あなたは……一体……?」
「ただのアピールに過ぎない。魔女と仲良しだから。私は。あちら側に詳しいという。大したことはない。今の発言は」
「……」
大したことはない。
実際、そうだ。単語を一つ言っただけだ。
けれど、幻。という、ただそれだけを言い換えられただけで、心が泡立った。
何故そんな単語を知っているのか?
こちらの世界では一度も見た事が無い電子機器について、何故知っているのか?
元の世界に未練は無い。無いとはいえ、強い興味を抱かずにはいられなかった。
嘴型のマスクを被った謎の人物は、たった一言で僕を揺るがして満足したのか、そこでようやく、名乗った。
「バルヴェニア・ダフタ・アン・スペイサイド。私の名だ。それが」
「バルヴェニア……」
その名は……。
「おい。ちゃんと様付しろ」
トランキノから怒られた。
いつもなら、うるさないなぁ。と、無視するが、今回ばかりは従わざるを得ない。
何故なら、その名は……十二人の吸血鬼の一人の名だったからである。
「まさか、あなたが、バルヴェニア様だったとは……」
「ユーリだね? 君が」
「はい」
「よろしい。終わりだ。自己紹介は。これで」
非常に淡々と、事務手続きさながらに、バルヴェニアはそう言って、
「戻そう。話しを」
いきなり、
「会うつもりだ。大魔女に。アルザギールは」
アルザギール様の目的についてを、口にした。




