2、ルーレスの狩り。トランキノの気遣い。
ルーレスはとにかく強い。
一撃だ。
どのようなタイプの巨獣も、拳の一撃で屠る。
策など無い。
駆け引きも無い。
まるで自分のペットにでも接するかのように無造作に歩み寄っていき、無造作に一撃を放つ。
拳法とかではない。武術を学んだ動きでは無い。
拳を引いて、前に出す。
たったそれだけの動作が凄まじい速度で行われる。
それで、巨獣は爆発四散する。
拳が被弾した部位は肉片どころか飛沫となって消し飛び、命の火は一瞬で掻き消される。
恐るべき暴力だ。
よくこんなのと互角に戦えたものだ。服が破れたりしなかったのが奇跡としか思えない。
一体どのような戦闘だったのか?
トランキノが見たままを説明してくれたが、それによると、ルーレスの右の拳による一撃を受けて、頭部を失って膝をつくと思われた僕は、その反対にいきなり頭を無くしたままルーレスに飛び掛かって、彼の腕を一本斬り落としたそうだ。
そしてそこから、ルーレスは僕を自分と同等の敵と認識して、本気になったらしい。
暴力の渦となって、辺り一面を破壊し尽くした。
僕は頭を徐々に再生させつつ、その渦の流れに逆らわないで、攻撃を全て躱して数えきれない程の強烈な斬撃を叩き込み続け、ルーレスに膝をつかせた……そしてその時、僕の頭が完全に再生して、後は知っての通り……という事だった。
「無論、膝をついたのは貴様の圧力に一時的に押されただけだ。ルーレス様が力負けしたわけではない」
「そうでしょうね」
余力はまだまだあったように感じた。
意識を取り戻した僕を見て、戦闘を中断したのだ。状況がよく見えていた。とても冷静だった。
「それより、僕がルーレス様の腕を斬ったそうですが……」
「ああ、斬った」
「ならば、ルーレス様のあの甲冑は……?」
意識を取り戻した時には、既にあの姿だった覚えがある。
斬り落とされた腕は再生するにしても、甲冑はそうはいかない。予備を持っていたりしたのだろうか?
そもそも何で甲冑を身に着けているのだろうか?
抱いた疑問は、すぐに解かれた。
「あれは甲冑ではない」
「え? 違うんですか?」
「あれはルーレス様の一部だ」
「一部……? という事は、あれは血で出来ているという事ですか?」
「吸血鬼だけあって察しが良いな。その通りだ。あれは血だ。ルーレス様は自らの血を全身に纏っているのだ」
「へぇ……そんな力の使い方を……」
確かに、吸血鬼にとって最大の武器であり防具は血である。
だから、それを全身にあらかじめ纏わせておくのは合理的であると言える。
と言うか、冷静に成ってよくよく考えてみれば、普通の甲冑がルーレスの拳の威力に耐えられるわけがない。それに、鎧などの防具の類は血を操れる吸血鬼にとって意味を持つものでは無かった。
「……」
それにしても、あれが全て血だとは……。
色は黒い。幾重にも重ね、厚くしているからだろう。赤が深まり黒になっている。錆と思っていた匂いも、固まった血だったわけだ。
だとすれば、関節部への攻撃などあまり意味がないか……。僕も皮膚の下で血を固めてガードしたりするが、理屈はそれと似たようなものだ。関節部は装甲が薄いように見えても、そこに血液を集中させれば簡単に防御力を上げられる。
隙が、無い……?
……いや、結局のところ、その防御力を上回る攻撃力で一撃を叩き込めばいいだけの話しだ。しかしそれこそが、先程ルーレスが言っていた「一撃で決めろ」という事に繋がっていくのか……?
「ユーリ。貴様、ルーレス様を殺す算段を立てているな?」
「何か問題でも?」
否定はしなかった。彼女もそれをわかった上で聞いたとわかっているから。
「いや、強者と戦う場面を想定する事は問題ではない。それは無駄にはならない。しかし今は目の前の事に集中しろ」
「目の前の事、ですか……」
そうは言われても、先程から巨獣はルーレスが勝手に始末してくれている。
僕としては、楽が出来て嬉しいところである。
が、そんな僕とは逆に、トランキノは不機嫌だった。珍しく、わかりやすいくらいにむすっとしていた。
「ルーレス様が殺したものは、殆どが売り物にならない」
「……そうですね」
見ればわかる。体の大部分が消し飛んでいるのだ。当初の僕と同じくらいに……いや、それ以上に酷い有様だ。
「幾度となく綺麗に殺せと言っているのだが、聞いてくれない」
「そうですか」
それもそうだろう。ルーレスはそういう器用な事が出来るタイプには見えない。
豪放磊落。四字熟語で言えばそういうタイプ。
そう言えば、久し振りに四字熟語なんてものを思い出した。
どうでもいい思考が過ぎるのは、これがどうでもいい会話だからだろう。
「正直なところ、一族の者は苛立っているが……諦めてもいる」
「そうですか」
それもそうだろう。本来ならば売り物となるのに、あのように粉砕されてしまっては……残った部分を片付けるのも大変だろうし、苛立つ気持ちはわかる。そして、そういう文句を言ってもどうにもならないので、諦めているというのもわかる。
巨獣を始末してくれているという点ではルーレスに感謝しているが、死骸の処理の面倒さを考えると、トランキノの一族の者達には同情する。
「あ、そう言えば……」
ふと、思った事だ。
「何だ?」
「トランキノさんの一族の方々は、ちゃんと僕たちに付いて来ているのですよね?」
「当然だ」
「しかし、その割には気配が……」
無い。
僕たちが仕留めた巨獣の処理をするのだから、それなりの人数が近くにいると思うのだが、周囲を見回しても、影も形も見えない。
「自分達は狩人だからな」
「はい。それはわかっています」
「狩人だから、身を潜めているのだ」
「……今の僕でも気付けない程に、ですか?」
「今の貴様でも気付けない程に、だ」
「……」
僕の身体的、感覚的な能力は、これまでとはまるで別物であり、圧倒的に強化されている。
敵を斬り裂いた際に吹き出た血を、一滴残らず視認し、刀で受け、服を一切汚さずに済ませる事だって出来る程だ。
集中すれば、風の粘性すら感じる程なのだ。
周辺環境の些細な変化も見落とさない。
間合いの外にいようと、何かあれば、誰かいれば察知する事は可能だ。
それなのに、気付けない……という事があるのだろうか?
「自分達には経験がある。狩人として巨獣を、自分達よりも強大な敵を屠ってきた経験が」
それとなく視線をあちらこちらにやっている僕に向かって、トランキノは淡々と、しかしどことなく誇らしげな雰囲気を醸し出しながら、そう言った。
「貴様は強い。だが、ただ強いだけだ。それだけで見付けられる程、我が一族の者は甘くはない」
「……そうですか」
経験、か……。
それは確かに、僕には無い部分である。
単純な暴力では辿り着けない領域。
努力、修練で得た技術。
「例えば、自分は日に三回水浴びをして体臭をほぼほぼ消している。それだけでなく、気付かれぬよう万全を期す為に、標的に対しては常に風上を維持している」
「はぁ。そうですか」
そう言えば、ここまでの間も度々「水浴びに行く」と言っては急に泉があると思われる方向へと走り去る事があった。
こちらが「どうぞ」とか許可を出す前に走り出すのは勘弁して欲しかった。自分勝手に行動しないでください。と言いたいところだったが、無意味そうなのでやめた。我慢した。
「この衣服には、草木の汁を塗り込んである。森と一体化する為だ」
「へぇー」
体ほど服を洗っているように見えなかったのは、面倒だったのではなく、そういう為だったのか。……正直、どうでもいい知識だ。僕は服にそんな事をしたりはしない。むしろ体よりも丁寧に洗っているくらいである。
「直前まで弓を構えない。矢を構えると、これから矢を放つ。という気が漏れるからだ」
「なるほど」
僕は武器が血だから直前まで出さない。弓矢とは違う。だが、臨戦態勢を取るとその気配が漏れる。という考え方は勉強になる。
武器を構えれば、いくら気配を殺していても、戦おうとすると戦意とでも呼べるような気配が先行するように思える。思考する相手との戦闘ならば、駆け引きの一種として使えそうだが、狩りでは、それは抑えなければならない。
ルーレスがああやって無造作に歩み寄っていくのも、戦おうとする気配をぎりぎりまで抑えている証。とも考えられる。
ミナレットのように、殺しまくって殺しそのものに慣れる。という方法も一理あるが、こちらもまた一考する価値がある。
様々な戦い方があるものだな。と、ここばかりは僕も素直に感心した。
「あ……もう一つ、いいですか?」
感心していたところで、どうでもいい……いや、よくよく考えればどうでも良くない事を思い出した。
「何だ?」
「全然姿を現さないので、すっかり忘れていたのですが……トランキノさんの一族の人への挨拶を、まだ済ましていないな、と思いまして……」
「……何? 挨拶だと?」
「はい」
お目にかかってはいないものの、一応、行動を共にしているわけだから、挨拶ぐらいはしておくのが礼儀だろう。
「トランキノさんが声を掛けて、隠れている方々をここに呼んで頂ければ、僕が一言、挨拶をしますが……」
「何故挨拶をする必要がある?」
「え? それは、その、アルザギール様の為に、共に働いているわけですし……言うなれば、仲間のようなものなので……」
「何故仲間に挨拶する必要がある?」
「それは、何と言いますか……団結の為。とでも言いますか……」
「我が一族は既に団結している」
トランキノは相変わらずの仏頂面だが、怒っているわけではなく、呆れているようだった。
「自分達が巨獣を殺す。一族の者が巨獣を解体し、片付ける。これでアルザギール様の役に立っているはずだ」
「それは……まあ、そうですが……」
「ならば、どこに挨拶を交わす必要がある?」
「……」
どこにあるだろうか?
少し考えた。
わからなかった。
「思い返してみれば、アネモネもそういう事を言っていた」
「アネモネさんが? ……ああ、そう言えば、孤児院の出だったから……」
「一々孤児院に帰っていたそうだ。挨拶とやらをする為にな」
「よく帰ると言っていましたね」
その場所は、僕とミナレットが燃やしてしまった。
当然だ。アルザギール様の敵であったのだから。
話題に出しても僕の胸は傷まない。全てはアルザギール様の為だ。正しい行いだったのだ。
「自分達には理解出来ない。挨拶とはそれ程に重要なものなのか?」
「一言で挨拶と言っても、アネモネさんの場合は、自分の安否報告のようなものだったと思いますが……」
「それこそわからない」
トランキノは軽いため息を吐き出した。
「自分が生きているという事は、自分の殺した巨獣を見ればわかる」
「まあ……そうですね……」
「だから、自分は殺している」
言いつつ、トランキノはふらりと数歩横に歩いて、弓を構えて即座に一射。
矢の延長線上にいた巨獣が一匹、倒れた音がした。
「貴様も殺せ。挨拶がしたいというなら、ここではこれが挨拶の代わりだ」
「僕はトランキノさんより上手く殺せませんから」
揚げ足を取られた形になっているというか、皮肉を込められたというか、上手い事言われた気がしないでもないが、
「一撃では仕留められませんしね」
と、僕は謙遜した。
これに対して、トランキノはすぐに口を開いた。
「それでもルーレス様よりかは良い」
少し移動して、また一射。
一射一殺。
単純に殺し方だけを比べれば、ルーレスよりも上手だ。
僕でさえ、矢が放たれた事を察知して警戒していなければ、当たるかもしれない。
気配が無い。だから気付け無い。恐ろしい狙撃技術だ。この技量には感心せざるを得ない。
「貴様が巨獣を上手く殺せないのは、殺気が強過ぎるからだ」
「殺気、ですか……」
確かに、そうだろう。自覚はある。
「気負うな。巨獣を殺すのは特別な事ではない。この世界にとって必要な事だ。自分のように弓を使えないなら、殺しに慣れろ。そしてその気を放たぬようにしろ」
「……」
殺し続ければ、それが日常になる。
そうなれば、自分のようになれる。
ミナレットはそう言っていた。はっきりと覚えている。
この狩りを通して、ミナレットのようになれ。とでも、トランキノは暗に言っているのか……いや、そういう気遣いをするとは思えないので、単に狩りの効率化を計っているだけだろう。
「わかったか?」
「はい」
「では行け……いや待て。そう言えば、そうだ。自分も貴様に一つ聞いておかなければならない事があった」
「何ですか?」
行こうとして、止まって、僕は彼女の方を見た。
中々に仰々しい言い方だが、ああしろこうしろと……どうせこれも狩りの事に違いない。
僕はどうせまたつまらない話しをされるんだろうなぁ。と思った。
のだが、
「貴様との接し方についてだ」
「……は?」
あまりにも予想外過ぎた言葉に、本当に僕は硬直した。体が固まった。
「え? あの、それは……どういう意味ですか?」
「そのままの意味だ」
「はぁ……?」
そのままの意味。というのが、わからないのだが……。
「自分は、力こそが全てだと考えている」
今更改まって言われるまでもない。
たぶん、この世界に住む殆ど全ての住人がそう考えている。間違いない。
「ルーレス様は、最強の力を持っているからこそ、尊敬している。同時に、狩りが自分より下手なところは見下している」
「そ、そうですか……」
だからルーレスに敬語を使わないのか。それにしても流石に正直過ぎるだろ……と呆れつつも、とりあえず頷いた。
「そういう意味では、貴様も尊敬している。貴様は自分よりも強いからな」
「はい……はい?」
適当に相槌を打って、打とうとして……途中で、首を傾げた。
「ユーリ様。と呼ぶべきだろうか?」
「は?」
「ルーレス様と互角の力を持つのだから、貴様もルーレス様と同等に扱うべきではないか。と自分は考えている。それで……」
「いいですよ。今まで通りで」
真剣な表情で悩んでいる彼女の言葉を遮って、僕は拒否した。
「様付なんてしなくてもいいです。大丈夫です。お気遣いなく」
「何だと? 本当にいいのか?」
「はい」
「……そうか。わかった。正直、貴様は自分よりも狩りが下手な上、主人であるアルザギール様の配下に当たるので、様付けしてもいいものかどうかと悩んでいたのだが……呼ばなくともいいのなら、これまで通りユーリと呼ばせて貰う」
「はい。それでお願いします」
僕としても正直なところ、ルーレスと同等に扱われたく無い。
ルーレスと同等に扱われるという事は、つまり、アルザギール様とも同等になってしまうという事である。
それは僕にとって嬉しい事ではない。断じて無い。
トランキノが言ったように、僕はアルザギール様の配下である。いや、アルザギール様のものである。
ものが主人と同等に扱われるわけにはいかない。
トランキノの力への信仰はわからないでもないが、それを僕にまで適用してくれなくともよいのだ。
僕はものなのだ。
アルザギール様のものなのだ。
それ以上にはならない。それ以下にもなるつもりはない。
トランキノにはそこまでは伝えなかったが、彼女は納得したようで、遠慮なく僕を呼び捨てにして、狩りの時はああしろこうしろと、色々と命令を下してきた。
お陰様で、巨獣の始末は捗った。
そうして、何体屠ったか……数えるのが面倒になるくらいに一方的な虐殺を続け「少し休め。自分は水浴びに行く」というトランキノの一声で、この日の狩りは終わったのだった。




