3−9、力なき者の結末。
「嘘……」
それは否定の言葉。
しかしながら、起こった事は嘘ではなかった。
僕も嘘だと思いたかったが、これは嘘ではないのだ。
「今の……完璧だと、思ったんだけどなぁ……」
「完璧でしたよ。あなたは」
そう完璧だった。
僕は気付かなかった。
今の今まで、攻撃を受けるまで。
アネモネが敵だとは、全く思ってもいなかった。
「じゃあさぁ……何で……」
「……」
「何で、わたしの方が……やられちゃってるわけ……?」
彼女は視線を落とした。
僕もそこに目を向けた。
立ち位置などから推測しての一撃だったが、上手く入っていた。
彼女の腹部に、僕の右の掌から伸びた血の刀が、突き立っていた。
「うっわぁ……お腹の中、ぐちゃぐちゃじゃん……気持ちわるっ……はは……これ、もう助からないやつだね……」
「そうですね」
血の刀は肉体をただ貫いただけではない。内部で枝のように変形している。内臓を切り裂いている。致命傷だ。自分で言った通り、もう助からない。
僕は刀を抜いた。
腹が裂け、彼女の中に入っていたものが、どろりと、地面に落ちて広がった。
支えを失い、体勢が崩れる。流れ出たものから少し遅れて、地面に膝がついた。ぐちゃっ、と、ぬかるみに足を突っ込んだような音がした。
「けほっ……」
力なく垂れ下がった両腕には、もはや剣を握る力すら無いらしく、二本の剣は地面に転がっている。
一本は、初撃の、僕の首を斬り落とすはずった剣であり。
もう一本は、追撃を加えるはずだった剣である。
「首、落とせなかったなぁ……血を、硬めたんだね?」
「はい」
「やっぱり……あの音……骨にしては、硬すぎると思ったんだよねぇ……でも、何で?」
「何で、とは?」
「反応、早すぎだよ……もしかして……あれかな? わたしのこと……疑ってた?」
「いえ」
「じゃあ……わたしが、誰かいるって……言ったから? あれで……警戒させちゃった?」
「いえ」
「えぇ……?」
理由がわからず、彼女は困った顔をした。
僕は、答えを告げた。
「集中していただけです」
「集中?」
「何があっても、対応出来るように」
「……あはは……なに、それ……」
呆れたように、彼女は笑った。
実際、呆れるしかなかったのだろう。
さっきのは、確実に首を落とせる一撃だった。
それこそ、ついこの前までの僕であれば、落とされていた。
「それ、一体、いつから……集中、してたの……?」
「ミナレットさんと戦ったあの日から、ずっとです」
「え〜……何それ……もう……冗談きついってぇ……ほんと……」
ため息と共に咳き込み、血が吐き出された。
呼吸が荒くなっている。
腹部からも、とめどなく血が流れていく。
命が、流れ出していく。
この女は、もうすぐ死ぬ。
内臓の大部分が既に地面にあるのだ。助かる方法は無い。
まあ、仮に方法があったとしても、助けるつもりなど、僕には無いが。
「失敗、したね……ユーリ君……わたしの、腕、一本だけ、斬り落とす……とか、だったら……止血して、拷問とか出来て……色々情報を、引き出せた、だろうに……こんな……お腹だと……もう……」
「あなたは、手加減が出来る相手では無かったので」
「はは……褒めてくれて……ありがと……」
理想としては、首を狙った一撃を回避し、腕か脚を一本か二本落としたかった。そうして戦闘能力を奪ってしまえば、色々と情報収集が捗ったはずだ。
しかし、そうはいかなかった。
本人は残念がっているが、アネモネの技量は僕の想像を超えるものだった。
首筋に刃が潜り込むまで、攻撃に気付かなかった。
極限まで集中していたからこそ、反射的に血を硬質化させ、手の平から刀を出して反撃する事が出来たが、それで精一杯だった。
他の事をする余裕などなかった。
その場しのぎの防御と攻撃を行うことしか出来なかった。
どちらも上手くいったので良かったが……もしミナレットとの戦闘がなかったらと思うと、ぞっとする。
あの時に、服を斬られていなかったら……あのような醜態を繰り返さない為に、極限の集中を維持し続ける事などしなかっただろうし、出来なかっただろう。
「もし、僕があの日……ミナレットさんではなく、他の誰かと戦っていたら……今の状況は逆になっていたかもしれません」
「ミナのせい、かぁ……こんなことに、なるなら……あの時、一番に……手を上げて、おくべきだった……かなぁ……」
「……」
少しの後悔。
残念そうな声。
だが、それだけだ。
感情の揺れは、少ししかない。
これから死ぬというのに、悲壮感は薄い。
「アネモネさん」
「な、に?」
最後は近い。
聞きたい事は、いくつかある。
誰に雇われたのですか?
吸血鬼からの命令ですか?
どうしてアルザギール様を殺そうとしたのですか?
金ですか?
何か別の目的が?
ソナレの襲撃と、あなたの目論んでいた暗殺とは関係があったのですか?
何故僕からだったのですか?
僕がトランキノと交代していなかったら、どうしていましたか?
などなど。
色々と、ある。
だが、悠長に話しをしている時間は、もう無い。
だから、ほんの少し悩んで。
そして、僕が聞きたい事を聞く事にした。
「あなたはさっき、僕に、命を大事にしろ。と言いました」
「……うん。言った、ね……」
「何故、あなた自身はそうしなかったのですか?」
僕を殺して、アルザギール様を殺して……それから、この場から逃げるなど……そういう事が可能だと本当に思っていたのだろうか?
どう考えても無理だ。と僕は思う。
トランキノもミナレットも隊長も、皆、手練だ。強者だ。
仮に僕を殺せたとしても、アルザギール様の下にたどり着くなど不可能だっただろうし、まず有り得ないだろうが、万が一にもアルザギール様を殺せても、ここから出る事は叶わなかっただろう。
少し考えれば、わかるはずだ。
これが、不可能な仕事だという事が。
「命が大事なら、こんな暗殺を引き受けるべきではなかったのでは?」
「そう……だね……」
力なく、アネモネは微笑んだ。
「ほんと……なんで、受けちゃったんだろうね……」
「……」
「わたしなら、出来るって……思ってたの、かも……ね……」
「……」
「自分は、強いって……思ってた、から……」
「……」
「これまで……孤児院を出てから、ずっと……一人で、生きてきたし……」
「……」
「だから……」
この世界では力が全てだ。
それを持っていれば、何でも出来る。
彼女は強かった。
力を持っていた。
だから、彼女は何でも出来るつもりだったのか。
自らの力で、好きなように生きていく事が出来る。と、そう思っていたのか。
しかし、それは過信だった。
お互いに不意を打った形であり、全力を出し切っての戦闘では無かったが、これが結果だ。
彼女の力は、僕のそれには及ばなかった。
「あ、そう言えば……」
「何ですか?」
「最後に……一言、だけ……」
彼女はそう言って、眠そうな視線を上げた。
そして、動きの鈍くなっているであろう口を無理やり、開いた。
「き、君と……アルザギール様が、美しい、世界を……望んでるなら……わ、わたしの……孤児院の人たちを……どうか……」
「……」
最後まで言い切らずに、そこで、アネモネの言葉は止まった。
死んでいた。
目を見開き、口を半開きにして。
腹部から出ていた血は、もう止まっていた。流れ尽くしていた。
「アネモネさん……」
つい、さん付けで呼んでしまったな。と思いながら、僕は彼女を抱き上げた。命の抜け殻は、少し、重たかった。
感傷は無い。
死体を抱き上げたのは、焼却場まで運ぶ為だ。
死体は燃やす。
さっき殺した暗殺者たちと一緒に。
区別はつけない。
アルザギール様を殺そうとした者なのだから、当然である。
「一緒に働くなら、あなたのような人が良かったのですが……残念です」
少し一緒に歩いて。
最後に本心からの言葉を口にして。
僕は彼女を、死体の山の中に投げ込んだ。




