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3−7、ご報告

「吸血鬼の男、と、ソナレはそう言っておりました」


 ソナレの死を確認して、ミナレットと合流し、お屋敷へと帰った僕は、そのままアルザギール様の私室と向かい、恭しく膝まづいて、報告を行った。


「男、ですか……」

 

 薄手ながらも気品を感じさせる、就寝用の衣服に身を包み、ベッドの端に腰を掛け、僕の話しにお耳を傾けておられたアルザギール様は、小さく、呟かれた。

 一度は眠っておられたようだが、襲撃によりお目覚めになったご様子である。

 こんな事も思ってしまっては不敬にあたるかもしれないが、普段はお目に掛かる事の無い衣服は大変新鮮であり、非常に眩しい。

 それに、ベッドの端に腰を掛けておられるのも、まず見る事が無い光景である。まさに自然体。気の知れた友人相手でも、このようなところは見せないのではないか。

 これは、僕にそれだけお心を許しているという事なのか。それとも、眠っていたので面倒だっただけなのか。アルザギール様に限って後者という事は無いので、前者であると考えるのが当然だが、それは流石に自分本位過ぎるか……。

 何にしても、このようなアルザギール様のお姿を拝見する事は滅多に無いので、一生記憶しておかなければと強く決意した。

 

「……」


 そんな風に内心非常に昂ぶっている僕に対し、アルザギール様はお心の内に何を思い描いておられるのか。

 報告が終わってからというもの、トン、トン、と、その細く、陶磁器を思わせる美麗な指先で、自らの顎の先を叩いておられる。

 久しぶりに、アルザギール様のこの癖を見る事が出来て、僕は安堵せずにはいられなかった。

 最近は、ついぞお会いする事の出来なかったアルザギール様が、今目の前におられる。

 そして、思い悩んでおられる。

 苦悶の表情ではなく、空想するように。視線が宙を漂い、一定のリズムで発せられる音が、虚空へと消えていく。

 重ね重ね、誠に申し訳ないが、これは僕にとっては非常に心地良い時間である。

 アルザギール様が深くお考えになればなるだけ、一緒に過ごせる時間が増える。

 同じ空間にて、同じ時の流れを過ごす。

 アルザギール様の指先から発っせられる音と、僕の心音が重なっていく。

 一秒が延びる。

 時が細かく分割され、アルザギール様と過ごす一瞬一瞬が、体に、心に沁みていく。

 生きている。という実感が沸く。

 確かに、この時を生きている。という感覚に浸る。

 まさしく、至福の時……。


「吸血鬼の男というと、残っているのは、ロジェ、アルマ、ルーレスですが……その中で、あなたの言ったような事が出来る者となると……」


 トン、トン、トン。

 トン、トン、トン。

 トン、トン、トン。

 一人につき、三度。

 続けて、九度。

 細い指先で、自らの顎の先を叩く。

 トン。

 そして、十度目で、その動きは止まった。


「……」


 沈黙。

 部屋の上方に向けられた視線。

 見開かれた紅い眼は、ここでは無い何処かを見ておられる。

 男の吸血鬼。

 ロジェ。

 アルマ。

 ルーレス。

 その三人と共に過ごしていた、かつての大戦での記憶を遡っておられるのだろうか。

 あの視線は、そういう視線であるように感じられるが、あるいは、伝え聞かされているであろう今の彼らの暮らしぶりを思い起こしておられるのかもしれない。

 僕なんかには、アルザギール様の思い描く事など到底わかりようもない。

 ただ確実なのは、アルザギール様はもう考えておられない。という事である。

 癖が止まったのならば、既に結論は出ておられる。

 その吸血鬼が三人の内の誰で、動機は何なのか。答えに行き着いておられるに違いない。

 それを麗しいお口からお出しにならないのは、どのような理由があってなのか……。


「……」


 沈黙は、まだ続いている。

 耳を澄ませば、アルザギール様の規則正しい呼吸音や、心音が鼓膜を伝う。

 この世で最も尊敬するお方の、命の律動……。

 僕はそれに聞き入っていた。

 これまで聞いた事のあるどの音楽よりも優れたる音色と言っても過言では無い。

 僕の主観だが、誰が聞いてもそう感じるに違い無い。

 アルザギール様は完璧であるのだ。

 美しく、高潔。

 そして、絶対的に正しい。

 そのようなお方と、共にいる事に出来る事のなんと素晴らしい事か。

 アルザギール様には申し訳ないが、この静寂が、暫しの間続いて欲しいとすら思った。

 どうか、もう少し、このままで……。

 しかし、僕の願いは、願った瞬間に狙い澄ましたかのように消える事となった。


「ユーリ」

 

 束の間の沈黙を破る、アルザギール様の凛としたお声。


「はい。何でございましょうか、アルザギール様」


 僕はそのお声に、頭を垂れたまま、応えた。


「吸血鬼については、一先ず置いておきましょう。今日は、ご苦労様でした」


 続けて紡ぎ出されたのは、つい先程呟かれた声とは異なるものであり、とても、とても優しい声色だった。

 僕は恐縮せずにはいられなかった。


「い、いえ……そのような事は……今日の騒ぎは、元はと言えば、僕のせいですので……」


「バイロを殺すよう命じたのは、私です。あの命令で、あなたが恨まれてしまったのであれば、それは私への恨みと同義です」


「アルザギール様……」


 言葉を失った。

 やはりアルザギール様は主人の鏡である。

 普通なら、お前のせいだなどと罵倒され、今すぐ庭を掃除してこい! と怒鳴られても仕方が無いのに、アルザギール様はそんな激昂する様子など少しも見せておられない。


「そもそも今回の件は誰のせいなのか……元を正せば、このような目に余る暴挙を行ったのは、ユーリ、あなたではなく、他でもないソナレなのですよ?」


「それは……はい。そうですね」


 確かに、アルザギール様の言う通りである。

 僕のせいと思ってしまっていたが、仕掛けてきたのはソナレである。やつがそれをしなければ、何事もなかったのだから、ソナレのせいというのは正しい。アルザギール様のおっしゃられる事は正当である。


「故に、ユーリ。あなたが気にやむ事などないのです」


「アルザギール様……」


「ですから、さあ、顔を上げてください」


「はい」


 僕は顔を上げた。

 アルザギール様は、慈しみに満ち満ちた瞳で僕を見詰められておられた。


「残る問題は、暗殺者ですね」


「はい」


 お屋敷に侵入した賊と、その背後にいた者を始末して安心していたが、そうだった。

 暗殺者の件が残っていた。


「あの三人の中の誰がそうなのか、わかりましたか?」


「申し訳ありません。まだ、わかっておりません」


 最初に隊長が言っていた通り、ミナレットは無い。と、僕も思うようになってはきたが……確証は無い。

まだ、誰もが怪しい。


「そうですか……先程、フォエニカルにも尋ねたのですが、同じくわからないと言っていました」


「隊長も……」


「フォエニカルもあなたもわからないとなると、これは敵の巧妙さを褒めた方が良いのかもしれませんね」


 面白そうに微笑んだアルザギール様。

 自分の命が懸かっているというのに、この余裕である。

 みっともなく命乞いをしたソナレとの度量の差が際立つ。

 やはり、流石はアルザギール様である。が、しかし、それはそれとして、一刻も早く潜んでいる暗殺者を発見する必要はある。


「申し訳ありません、アルザギール様。全身全霊を尽くし、早急に発見いたしますので、もう少しの間、お待ち下さい」


「急がずとも大丈夫ですよ、ユーリ。その時が来れば、きっと見つかります」


「その時、とは?」


「私が暗殺される時です」


「——!?」

 

 いつもと変わらぬ調子で、そんな事を口にしたアルザギール様に、僕は声を荒げずにはいられなかった。


「あ——アルザギール様! そのような時は、決して、決して訪れさせません!」


「ふふっ、わかっています。冗談です」


 こちらを慌てぶりが余程おかしかったのか、アルザギール様は柔らかな微笑みを顔に浮かべておいでだった。

 その顔を見て、一気に力が抜けた。

 もし立っていたら、その場にへたりこんだかもしれない。膝まづいて良かった……。


「アルザギール様……冗談でも、どうか……どうか、そのような事をおっしゃらないでください……」


 例え冗談でも、そういう事は口にして欲しくない。

 自らの死について語って欲しくない。

 アルザギール様は必要な存在なのだ。

 僕にとって。

 この世界にとって。

 なくてはならない存在なのである。

 故に、


「僕が、そのような時は決して訪れないという事を、お約束いたします」


 僕は誓った。

 アルザギール様の瞳を、真っ直ぐに見詰め、全身全霊の想いを込めて、強い口調で、それを断言した。

 これに、アルザギール様は、


「ありがとうございます、ユーリ。あなたならば、その約束を守ってくれると、信じていますよ」


 眩しい笑顔と、信頼とを、返してくださった。


「はい。必ずや、あなた様をお守りいたします」


 この誓いは絶対だ。

 僕はアルザギール様を守り抜く。

 全身全霊で。

 あらゆる手段を講じて。

 どのような敵からも。

 守る。

 それを、今一度強く宣誓した。

 アルザギール様は、何事にも例えられない、女神そのものである微笑みを以って、僕の宣誓を受け入れてくださった。


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