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3−4、夜を駆ける。

 この世界で初めて、自分で走る以上の速度で、闇を裂いて駆けている。

 知らない家を、知らない道を、次から次へと通り過ぎていく。

 地面が剥き出しの道だなとか、石造りの家が多いなとか、一軒家が多いなとか、明かりはまばらだなとか、人通りは少ないなとか。

 思う事は色々ある。

 だが、悠長にそれを観察している暇は無い。

 吹き付けてくる風は冷たく、肌を刺す。

 一角の馬から伝わって来る振動は、想像以上に激しい。

 一足一足が、とても力強く地面を蹴り込んでいる。

 品種改良されているだけはある。僕の世界の馬より遥かに筋力が発達している。

 岩の如き筋肉が滑らかに動き、凄まじいまでの走力を発揮している。

 その力で以って、僕たちを目的地へと迅速に送り届けようとしてくれている。

 この馬も、アルザギール様に忠義を誓っているのだろう。

 そうでなければ、ここまでの速度で駆ける事は出来まい。

 僕は馬さえも従えてしまうアルザギール様の度量に感服した。

 目的地に着いた後は、心置きなく僕たちに任せて欲しい。と思った。

 僕たち。

 僕と、ミナレットである。


「よろしいですか? では、しっかりと、私に掴まっていてください」


 ミナレットは最初にそう言った。

 彼女は商人の娘だけあって、上流階級にお似合いの乗馬の趣味があったようで馬の扱いは上手かった。

 それでも、しっかりと捕まっていなければ振り落とされそうな程に、疾走している。

 本当に情けないが、僕はミナレットの背に抱き付いている。張り付いている。

 彼女の腰には、左腕を回している。

 腕から伝わってくる、ミナレットの肉体の暖かさ。

 華奢な体つきだ。

 引き締まっているのではなく、単に痩せている。

 戦う者の肉体では無い。

 服越しだが、体に触れてそれを実感しているが、右腕は空けている。

 万が一に備えてだ。

 揺れる馬の背で、密着状態。

 戦うには不安定過ぎる場所であり、状況だが、いきなり仕掛けてこないとは限らない。

 こいつは、殺さずにはいられない。と言った。

 そういう風に生まれついている、と。

 そんなやつに自分の全てを任せる程、僕は気が抜けていない。

 今も、考えている。

 不意打ちは、右で受ける。

 左は、その際にカウンターを放つ。

 僕は手のひらからすぐ刀を出せる。それを利用する。

 あるいは、左手に力を込めて、腹の肉をちぎり取ってもいい。必殺とまではいかないけれど、大きなダメージを与える事は出来る。

 密着状態では、これを避けられないはず。

 仮に躱しても、その時ミナレットは大きく動かざるをえない。そうなれば、隙が生まれる。

 そこを突く。

 不測の事態に際しての流れを、頭の中で組み立てている。

 そんな時だった。


「怖い事を、考えないでください」


 出し抜けに、ミナレットが呟いた。


「え……?」


 不意を突かれたのは僕だった。

 機先を制された。とでも言うべきか。


「怖い事とは、どういう事ですか?」


 状況の立て直しの為に、会話で繋ごうと考え、尋ねてみた。

 ミナレットは、答えた。


「ユーリさん。今、あなたは私のお腹を刺そうとしましたね? それは、いけない事です。そのような事をされては、私もあなたも、馬から降りなければならなくなります。そうすると、目的地に着くまでの時間が遅れてしまいます」


「……」


 察知されていた。

 攻撃のイメージを思い浮かべた時に、ほんの僅かに殺気が漏れていたのか……?

 とはいえ、驚きは少ない。

 こいつは以前、軽々と僕の攻撃を躱した。

 だから、驚きはしない。攻撃を読まれた事については。気配に異様に敏感なのだ、こいつは。

 気に掛かるのは、どこかズレた発言だ。

 戦闘そのものではなく、それによって起こる事態へ言及。

 ともすれば、僕よりもミナレットの方が今やるべき事をきちんと考えている。

 今果たすべき目的を見失うな。とでも、この僕に言っているのか。


「殺すべきは、私ではなく、ソナレです」


「……そうですね」


 心を読んでいるわけではないというが、そう思ってしまっても差支えが無い敏感さだ。

 一体このような手合いと、どう戦えばいいのか?

 まるで答えが見つからない。

 飄々としている隊長よりも、やり辛いのではないか。

 受け攻めをいくつも考えるが、最適解が思い浮かばない。

 ……いや、考えるからこそ、か。

 体が勝手に反応すればどうにかなる。と、隊長は言っていた。

 考えない。

 体に任せる。

 それはきっと、難しい事だ。

 隊長も、訓練で身につくと言っていた。

 一朝一夕では、その感覚は獲得出来ないだろう。

 今でも、ある程度は咄嗟に反応出来るが、ミナレットやトランキノの攻撃に対応出来る程では無い。

 攻撃を肉体で受けて、血液などを用いて止める。という事なら可能だが……ミナレットには通用しなかった。

 次があれば、そこから一歩進んで、攻撃を受け止めると同時に、こちらから攻撃を繰り出す。というところまでやってみたい。

 血液の硬化は瞬時に行える。掌から真っ直ぐに刀を出す事くらいは、防御と同時に出来る。当たるかどうかはわからないけれど、試す価値はある。

 複雑な事は出来ない。現段階で僕に可能なのは、それくらいだ。

 ……などと、そんな風に考え事をしていたこちらの心の内を見透かして、彼女は口を開いた。


「ユーリさんは、私とまた殺し合いをしたいようですけれども、そのような事は、日を改めて行いましょう。私の方も、もっとあなたの事を知りたいと思っていますから」


「僕を知りたい……?」


「ええ、知りたいのです。いつまで斬り続ければ、吸血鬼は失血死するのか。どうやれば、確実に殺せるのか。それを、私は知りたいのです」


「……」


「気を悪くされたのならば、謝ります。申し訳ありませんでした。以前も言ったと思いますが、殺しても死ななかったのは、ユーリさんが初めてですので……つい……」


「いえ……」


 それがあなたの性分だという事は、こちらも重々承知していますので。とは、敢えて言わなかった。

 僕らは、愉快な雑談をする間柄では無い。

 殺す者と、殺される者。

 力の有る者と、無き者。

 彼女は僕を後者だと思っているはずだ。

 自分に殺されるだけの存在だと、そう考えているに違いない。

 それが、悔しい。

 力が欲しい。

 こいつを殺せる力が……。


「焦らなくとも、ユーリさんならば、いつかは私のようになれます」


「……え?」


 激励なのか、何なのか。

 意外な言葉に驚いている僕に、ミナレットは続けた。


「殺しを続けていれば、いつかはそれが日常になります。そうなれば、私のようになれます」


「……」


「ユーリさんはこれからも、アルザギール様の下で戦いを続けるのですよね?」


「はい」


「でしたら、大丈夫です」


「……」


 戦いの果てに、極致へと至る。そういう事なのか?

 ミナレット・ルル・ルピナシウス。

 これまで、殺してばかりの人生を歩んできた女。

 そういうやつが言うのだから、説得力はある。

 だから、


「ありがとうございます」


 何となく、一応、お礼を言った。


「いえいえ、どういたしまして。ユーリさんのお悩みを少しでも解決出来たのであれば幸いです」


 殺したいと言っておきながら、同じ口で、僕を育てるような事を言う。

 やはりこいつは、よくわからない。

 それでも、学ぶべきところはある。

 彼女の言葉に従い、殺し続けて強くなれるなら、喜んで殺そう。

 アルザギール様の為に。

 アルザギール様の望みを、叶える為に。

 そうし続けなければならないのなら、望んでそれをし続ける。

 何人でも、殺してやる。


「ユーリさんのそういうところ。私は好きですよ」


 唐突に、ミナレットが変な事を言った。


「え?」


「誰かの為に強くなろうとしているところが、好きです。勿論、ユーリさんもわかっておられる通り、今の好きには恋愛的な感情は含んでおりませんので、どうか安心してください」


「はぁ……?」


 何に安心すればいいのかわからない。

 僕は困惑した。

 ミナレットは、そんな僕の様子にわけ知り顔な笑みを浮かべた。


「ユーリさんには、既に心に決めたお方がいらっしゃいますからね」


「……」


 アルザギール様の事だろうか? この女も、ルドベキアみたく、そういう目で僕とアルザギール様の関係を見ているのか?

 だとしたら、がっかりだ。

 僕はため息を吐きかけて、しかし、それは直前で止まった。


「羨ましいです。私には、心まで捧げる事など到底出来ませんので」


「……どういう意味ですか?」

 

 ため息の代わりに、問いかけた。

 ミナレットは、笑顔のまま、答えた。


「主人と剣というのは、とても美しい関係性ですね。という、一人の女性としての率直な感想です」 


「美しい関係性……?」


「女性ならば誰だって、自らの為に全てを捧げてくれる殿方に傍にいて欲しいものです。そしてその殿方が剣となり、困難を斬り払ってくれるのであれば、それ以上に頼もしい事は無いでしょう」


「……」


「私は剣にはなれません。なるつもりもありません。誰かの為には生きれません。私は私の為にしか生きていませんので。……だからこそ、なのでしょうか。アルザギール様の為の剣たらんとするユーリさんの強い想いは、私の目には美しく映るのです」


「……そうですか」

 

「はい。それで、好きです。と言ったのです」


「そうですか……」

 

 褒められている……のだろうか? 正直なところ、よくわからない。

 やはり、この人の事は理解出来ない。

 無邪気なのか。心のどこかが欠落しているのか……。

 何にせよ、こいつはそういうわからないやつだ。と思うより他無い。

 それでも、そんなやつでも、仲間でいてくれるうちは、いて貰った方がいいのは事実である。

 強い力の持ち主であるからだ。

 今はまだ、僕はこの人とは戦えない。

 戦うなら、その時は……。


「……」


「……」


 お互いに無言になった。

 沈黙は嫌いではない。

 気まずいとは思わない。

 けれど、流れてくる風が粘度を高め、肌にまとわりつくように感じる。

 神経を研ぎ澄ましているせいだろう。

 どんな動きも見逃さない。と構えているせいだろう。

 もう少しで敵地に着くから緊張している……のではなく、仲間からの奇襲を警戒しているのは、何だか滑稽なような気がしないでもないが……。

 その時、ふと、ミナレットが笑ったように感じた。

 僕の警戒が余程おかしいようだ。

 しかし、笑われるのがなんだというのだ。

 笑いたければ笑うといい。

 怒ったりはしない。

 常に冷静さを維持する。

 油断しない。

 目的に着くまで、後どれくらい掛かるのか。わからないが、気は抜かない。


「ふぅ……」


 一つ、呼気を吐いて、更に集中力を高めた。

 同じ轍は踏まないと決めたのだ。

 だから……。


「ユーリさん、もう少し、肩の力を抜いて良いのですよ?」


「……」


「私は、あなたの仲間です」


「……」


「言葉だけでは、信用出来ませんか? けれど、行動しても、信用されないのでしょうね」


「……」


「ユーリさん。あなたの事は好きですが……あなたのその、頑ななところは、申し訳ありませんが、あまり好きにはなれません」


「……」


「ですが、これから行うお仕事は、一緒に頑張りましょう」


「……はい」


 最後を除いて、ミナレットの呟きを僕はそのまま後方の闇へと流した。


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