3−2、剣の務め。
闇の中を、走った。
敵がどのような勢力に属する者なのかはわからないが、狙いはアルザギール様に違いない。それ以外に考えられない。
故に、まずはお屋敷まで向かう。
隣を、トランキノが並走している。
流石に走れば音はするが、かなり小さい。
小動物が全力で駆ける音よりも、尚小さいのではないだろうか。
しかし、今は感心している場合ではない。
「戦っている」
トランキノが、呟くように言った。
確かに、金属製の物同士がぶつかり合う音が聞こえ、血の匂いが流れてきている。
同時に多方向からの襲撃なのか?
だとすれば、この夜襲は潜んでいる暗殺者と関係がある可能性が高い。
内部の暗殺者の手引きで敵がお屋敷に侵入した……もしそうだとしたら、これを機に、行動を起こすのは確実である。
行動とは、アルザギール様の暗殺だ。
「——」
それだけは絶対に阻止しなければ、と、その瞬間、前方に、何者かの気配を感じた。
敵だ。
直感だが、間違いない。
獣臭い独特の匂いがする。
獣人だろう。
敵も僕たちの存在に気付いたらしい。
こちらに、向かってきている。
強烈な殺気が、風に乗って吹き付けてくる。
「——」
やる気か。
ならば、やってやる。
僕は即座に血の刀を右手に作り、握った。
走る速度は落とさない。
むしろ、上げる。
互いの距離が一気に詰まる。
敵の姿が見えた。
闇に紛れる為の全身を覆う黒衣。防具の類は黒衣に隠されていて見えないが、この速度からして身に付けてはいないだろう。
深く被られたフードの下から覗くのは、狼に似た鼻先。
右手には諸刃の長剣。
暗殺の命を受けている事。剣を使える事。そこから、薬漬けにされた戦奴とは違い戦士として真っ当な訓練を受けているのがわかる。
恐らく、強い。
しかし、それがどうした。
僕は急いでいる。
アルザギール様の下へ、一刻も早く馳せ参じなければならない。
こいつはこのまますれ違いざまに斬り殺す。
一撃で決着をつける。
敵も、狙いは同じらしい。
こちらをすぐに片付けて次に行くつもりなのか、剣を握る腕に力が籠もったのが見て取れた。
悠長に斬り合いをする気など無い。
僕も敵も、全力の一撃を放つつもりでいる。
ならば後は、どちらが死ぬか、だけだ。
ここ、というタイミングで、
僕と敵は、同時に武器を振り被った——
刹那、
「ふっ」
背後から、鋭い呼気と共に放たれた二筋の銀光が、僕のすぐ隣を抜けて、敵の頭と心臓部に突き立っていた。
敵は断末魔の声すら上げなかった。
即死だ。見ただけでわかる。
「——っ!」
だが、慣性は殺されず、勢いがついたままの体が倒れて来たので、横に躱した。
その死体を追うように振り向くと、すぐ後ろに、トランキノがいた。
僕が攻撃を決意して速度を上げたところで、一旦足を止め、今の攻撃の瞬間に合わせて矢を放ち、それから即座に疾走を再開し、ここまで移動してきたようである。
速い。どの動きも。
行動に無駄がない。
躊躇も無い。
考えるよりも先に、体が動いている。
戦いが、骨の髄にまで染み付いている。
「仕留めた。二人目だ」
「……ありがとうございます。凄いですね」
「礼には及ばん。敵は貴様に集中していた。故に、隙を突けた」
淡々と語るが、実際のところ、驚異的な技量であるとしか言いようがない。
臨戦態勢に入っている敵の急所、それも、目と心臓を、どちらも一発で射抜いたのだ。
いくら僕に注意が向いていたとはいえ、気取られず出来る事では無いし、そもそも並みの腕前なら、ピンポイントで眼などの小さな部分を狙う事も不可能である。
ミナレットは理解の及ばぬ不気味な強さだったが、トランキノもまた、底が知れない。
「それにしても、不可解な……」
その実力に内心舌を巻いていたところ、トランキノが静かに言った。
「不可解? 何がですか?」
「今の敵は、殺意が強過ぎた」
「……?」
敵が強い殺気を放つのは当然では? と思ったが、トランキノの見解は違った。
「まるで我々が……いいや、貴様が目標だったように感じられたが……」
「僕が、ですか?」
アルザギール様ではなく、狙いは僕だという事なのか?
そんな事など有りえない。
僕を殺すメリットなど無い。
僕はこの前までただの戦奴だった。今はアルザギール様のものだが、社会的地位など得ていない。
殺したところで相手が得るものなど、何も無い……はずだが……?
「そう感じただけだ」
トランキノも考える事は同じようで、根拠は無いらしい。
「そうですか」
個人的には、僕を狙ってくれた方がアルザギール様に迷惑が掛からないでいいのだが……いや、違う。全然良くなかった。アルザギール様のお庭が賊に踏み荒らされたのが僕のせいだとしたら、大変申し訳ない事である。
一体どのようにしてこの罪を償えばいいのか。
今回忍び込んだ敵の一味を壊滅させただけでは全く足りない。
その背後にいる者の首を取っても足りない。
諸悪の根源と思われる、敵対している吸血鬼を打倒し、二度とこのような事が起こらないようにするのは勿論の事であり、それより何より、自らの手で荒れたお庭の整備をしなければならない。最低限、ここまでやらなければ、償えはしまい。
「……あ」
「どうした?」
「いえ、何でもありません」
今は一刻を争うので置いていくが、後で戻って死体を片付けなければ。と思っただけである。
お屋敷の裏手には焼却場がある。ゴミはそこでまとめて燃やしている。死体もそうする。そこに運んで、燃やす。
この世界に火葬という概念は無い。単に燃やした方が埋めたりするよりも手間が掛からないから、そうしているだけに過ぎない。特別な意味は無い。
聞いた話によると、死体を戦奴や獣よりの獣人などの餌にしているところもあるそうだが、ここではそんなゴミの再利用的な事はしていない。
アルザギール様は綺麗好きである。
ゴミの処理は、きちんと行わなければならない。
とはいえ、これは今の、トランキノにはどうでもいい事だ。
こいつが暗殺者ではなく、これからもアルザギール様の下で働くのなら、その時は、仕事の一環として後片付けを手伝わせるが。
「……」
思考の片隅で考える。
共に走るこの獣人は、敵か味方か……。
一応、トランキノはここに来るまでに二人殺している。
そうすると、味方なのか? と思ってしまうが、こちらを信用させる為にわざと仲間を殺したとも考えられなくもない。
使えない奴を殺して僕たちを信用させておいて、真の使い手である自分は何食わぬ顔で目標に接近し、目的を遂行する……そんな可能性も考えられる。
「……」
可能性を挙げればきりが無い。
三人の中の誰かが裏切る光景が脳裏を過る。
僕が背後から斬られたり射られたりしている場面が目に浮かぶ。
まずはアルザギール様ではなく、近くにいる僕を殺して抵抗の芽を摘んでおく。その為の、闇討ち。
一刀で首を撥ねられるところや、両目に矢が突き立っているところが見える。
首が落ちれば、体は動きを止めるだろうし(戦闘中に落とされた事は無いので、真偽不明だが、思考と行動が分断されるはずなので、たぶん止まると思われる)、目に矢が入れば、視力は奪われ、脳もダメージを受けて思考停止し体も停止するはず(これもまた、脳にダメージを受けながら戦った事が無いので、僕の想像である。でも戦闘能力が一時的に失われる可能性は高いと思われる)。
僕が暗殺者で吸血鬼を狙うなら、そういう方法で殺害、あるいは一定時間無力化する。
そこまで考えると、思考が最初に戻る。
一体誰が暗殺者なのか? と。
誰が、どの吸血鬼と繋がっているのか?
そもそも、どういった目的があって暗殺を実行しようなどと思ったのか?
疑問は尽きない。
が、何度自問したところで、僕の中から答えなど出てくるわけがないのだから、考えるのはやめだ。
まずは、目の前の事からである。
「お屋敷の安全を確認した後は、近くの敵から始末していきましょう」
「承知した」
真っ先にやるべきは、アルザギール様の無事を確認。その後に、敵を一人残らず殺す。いや、一人か二人は残して、拷問して情報を吐かせよう。
そうすれば、もしかすると、何もかも明らかになるかもしれない。もちろん、ただの暗殺者が何もかもを知っているとは考えられないので、僕の望む答えが手に入る可能性は限りなく低いと思う。が、それでも、試せる方法は試すべきである。
「ん? あれは……」
と、事態を最も簡単に終息させる方法についての目論見を立てつつ、到着したお屋敷の前にいたのは、
「よう。流石に早いな、ユーリ。そっちはどうだった?」
服装が黒一色なので暗殺者かと勘違いしてしまったが、フォエニカル隊長だった。
見る限りでは、戦闘を行った形跡は無い。
血の匂いもしない。
敵と遭遇しなかったのか、それとも血を流させずに倒したのか。どちらかだろうが、どちらでもいい。
僕は簡潔に報告を行った。
「トランキノさんが二人仕留めました」
それから、お屋敷に目をやりつつ、最も重要な事について尋ねた。
「アルザギール様はご無事ですか?」
「ご無事だよ。安心しろって。それにしても、流石は狩人だな。ちなみにあたしも向こうで一人倒して捕まえた。部下はあっちで二人始末した。全員獣人だった」
「そうか。手練れの部下だな。敵に関してだが、こちらも獣人だった」
「お屋敷の内部へ侵入されたりはしませんでしたか?」
トランキノの相槌を押しのけ、僕は再び尋ねた。
アルザギール様はご無事であるとの事であり、お屋敷にも変わった様子は無い。荒事があった雰囲気は無く、慌ただしい気配も無い。それに隊長がここにいるという事は、何事も無かったという事に違いない。それはわかっている。頭では。しかし、それでも、きちんと確認するまでは、気が気ではない。
「落ち着けって、ユーリ。見たらわかるだろう? お屋敷の中には入られちゃいない。ここは安全だ」
「そうですか。それは良かったです」
まずは一安心である。
僕はほっと一息吐いた。
「では、本当にアルザギール様がご無事かどうか、一応、この目で確認しに行ってきます」
一息吐いてそのままお屋敷に入ろうとしたが、それは隊長に阻止された。
「おいおい。今言っただろう? アルザギール様はご無事だ。大丈夫だ」
「はい。ですから、一応と」
「だから大丈夫だって。落ち着け。安心しろ。そしてよーく聞け。ユーリ、お前にやって欲しいことがある」
「やって欲しい事? 何ですか、それは?」
「捕らえた敵を尋問した後に殺せ。その時に親玉というか、背後にいるやつが誰かわかったら、そいつも殺しに行け」
「……とにかく殺せ。という事ですね? アルザギール様の剣として」
「そうそう。その通り。こんなつまらない争いを起こすような、アルザギール様に楯突く不届き者は粛清しろ。それがお前のやるべき事だ」
「……」
確かに隊長の言う通り、アルザギール様のものであり、剣である僕が、アルザギール様に仇なす者をこの手で始末しなければらない。
納得は出来る。けれど、主人を守る剣として、まずは身近な敵から排除していく必要があるのではないか? という思いもある。
「不満か?」
「……いえ」
不満という程の感情は無い。
このような状況で、アルザギール様に一目お会い出来ないのが心苦しいだけだ。
こんな時こそ、僕が傍に付き、アルザギール様をご安心させてあげたい……。
そういう想いが湧き上がってくる。湧き上がってくるが、これは僕がしたい事であり、アルザギール様が僕にして欲しい事ではない。
アルザギール様の望みは、世界を美しくする事である。
つまりは、醜い者の排除。敵の殲滅である。
故に、僕はこの場を去り、行かなければならない。
それは理解している。
しているが、あまりにも悲しみが深かったせいで、つい文句が口を突いて出た。
「しかし……まさか、このお庭に踏み入られるとは……外で警備をしている連中は、一体何をしていたのですか? 真面目に働いていたのですか?」
「そう言ってやるな。どうも警備の穴を突かれたらしい」
「警備の穴? そのようなものが、このお屋敷に?」
「侵入不可能な城塞など無い。どこかに必ず死角はあるし、完璧な見張りなんてのも出来ない。僅かな隙を突かれたってわけだ」
「……」
僕のいた世界であれば、監視カメラや、センサーなどで完璧に近い警備が可能であるが、この世界の文明レベルだと、確かに警備に穴が出来るのは仕方が無い。
仕方が無いが、気になる。
「見張りの隙。と言うと、どこにどのような隙があるのか、見張りに関しての情報が漏れていた、という事ですか?」
「かもなぁ……でもそうすると、敵が真っ先に宿舎に来たのが謎なんだよなぁ……」
「え? 宿舎にですか?」
僕は驚いて眉を顰めた。
隊長も首を捻って不思議そうな顔をした。
「ああ。ほら、あそこのことは宿舎って呼ぶけど、住んでるのはあたしたちだから、実質兵舎だろう?」
「そうですね」
「事前に調べてたなら、敵もそれを知ってるはずなんだが……そこに一番に攻め込むってのはなぁ……。あたしなら無視するけど……ま、奇襲だったし、隙を突いたから兵力を削げる。とか考えてのことだったのかもなぁ?」
「そういう風に考えられなくもないですが……ちなみに、数は? 何人でしたか?」
「六人いた。敵の主力だろうな。中々良い雰囲気を出してたよ」
「そいつらはどうなったのですか?」
「ミナレットが四人殺した。あっという間にな。大したもんだよ、あいつは。冗談みたいな手際の良さだった」
「……そうですか」
冗談みたい。とは言うものの、隊長の言い方からして全く冗談ではないのは理解出来た。
あっという間の言葉通り、きっと、流れるような動作だったのは疑いようがない。
一人殺したと思ったら、残りも既に死んでいた。気付けば立っているのはミナレットだけだった光景が容易に思い描けた。
「残りは、どうなったのですか?」
「アネモネが一人始末して、最後の一人はあたしが生け捕りにした」
「生け捕りという事は、そいつから情報を?」
「そうだ。今アネモネとミナレットの二人が色々やって聞き出そうとしてるとこだ。……いやーしかし、ミナレットも凄かったが、アネモネも腕が立つみたいだったぞ。あの細い剣で簡単に敵の首を斬り落として、続けて四肢も落としてた。とんでもない早業だったよ。剣の使い方が上手かったな。あれはかなりの技量が無きゃ出来ん芸当だ」
「……そうですか」
これもまた、しみじみとした感想なので、真実だ。
ミナレットやトランキノに負けず劣らず、アネモネも高い実力を持っているという事だ。
仮にこの中の一人が暗殺者だとしたら、苦戦は必至……二人いるとしたら、僕一人で相手取るには厳しいかもしれない。難しいだけで、不可能では無い、とは思うが。
「ま、とにかくだ。まだ敵がいるとマズいから、捕まえたやつの扱いはあいつらに任せて、あたしはこうしてお屋敷まで急いで来たわけだが……周りの様子からして、もういないっぽいな。でも万が一ってこともあるし、あたしはここで引き続きアルザギール様の警護をする。警備隊長としてな」
「剣である僕は、敵の居所を突き止めて、そこに斬り込めばいいのですね」
「そうだ。ミナレットかアネモネか、どっちかを連れて行っていいぞ。残った一人は屋敷の警備に使うから」
「……わかりました」
一人で十分です。どちらかを連れて行く必要は無いと思いますが……などとは言わずに、とりあえず頷き、僕は踵を返して宿舎へと向かおうとした。
すると、
「よし、では自分も」
何故かトランキノも僕に付いて来ようとした。が、
「おいおい。どこに行くつもりだ? お前はこっちだよ。トランキノ。あたしとここで警備だ」
隊長に呼び止められ、一つため息を吐いて、彼女は言った。
「……水浴びをしたいのだが」
「は?」
「え?」
この発言には、隊長だけでなく、僕も驚いた。
「な、何だって?」
「水浴びだ。走って少々汗を掻いた。流したい」
「そんなのは後でやれ」
「……」
無言だが、不服そうな顔である。
ついこの前話しをした時に、一日に三回は水浴びをしたい。と言っていたが、まさかこんな時でもしたがるとは……。
非常識というか、何というか……いや、まあ、元々は森育ちで、いつでも水浴び出来る環境にいたのだから、仕方がないのかもしれないが……。
「……僕は行きますので」
ついさっきの仕事ぶりは評価しているが、トランキノに助け舟を出す気などさらさら無いので、そのまま放っておく事にした。
「おう。いけいけ。あいつらのことだ、もう何か聴き出してるかもしれん。だから早く行ってこい」
「……はい」
確かにあの二人なら、敵の口を割るくらい簡単にやってのけるはず。
方法は、拷問。
ミナレットはすぐに殺してしまいそうだが、アネモネは生かさず殺さずの加減が上手そうな印象がある。
そうすると、既に敵の首魁を突き止め、次の指示を待っていそうである。
「では、行ってきます」
何にしても、行ってみてからだな、と、僕は宿舎へと急いだ。
背中には、たぶん、自分も宿舎に行きたかったのに……と思っているトランキノの視線がずっと張り付いていて、緊張感のある状況のはずなのに、なんだか変な気分だった。




