3−1、襲撃。
その日も、僕はいつも通り警備に勤しんでいた。
これまでは一人で行っていた(実力的に一人で十分だという事もあるが、僕が以前隊長の部下を殺したので、その件で他の人から距離を置かれているというのもある)が、最近は二人。
隊長の提案で、暗殺者が見つかるまでは、警備の間は僕と隊長で一人ずつ新入りに付いておく事になった。
それで、二人だ。
僕と隊長が一人ずつ連れて警備を行う場合、残りの一人は宿舎で待機となっている。
宿舎には隊長の部下が数人いる。彼らも、暗殺者がいるかもと隊長から聞かされているので、待機中も常に気を払っている。仮に残った一人が暗殺者だったとしても迂闊な真似は出来ないし、させないだろう。
そういう理由での二人一組の行動で、この時、僕の隣を歩いていたのは、トランキノだった。
トランキノは、足音を立てずに歩く。
殆ど無音と言っても差し支えは無い。
それに、気配も無いに等しい。
闘技場で戦っていた頃に見た、本能のままに暴れる戦奴や、無遠慮なまでに自らの存在感を際立たせていた金持ち連中とは真逆だ。
背後に立たれても、気付かないのではないか……そう思ってしまくらいに、存在感が薄い。
恐らくは、狩りの為に身に付けた技能なのだろう。
巨獣は音や匂い、気配に敏感であるという。
それを消す為の、素足。それを限りなく無くす為の、一日三度の水浴び。それを感じさせなくする為の、遠方からの狙撃。
彼女の全ては、狩りに通じている。
そういう背景が、ただの歩き姿から、想像出来た。
「何だ?」
「……いえ、何でもありません」
ほんの少しの間、所作に眼を奪われていた。
素直になって、どうすればあなたのようになれますか? と問いたいところだが、ここ数日の会話の内容から鑑みて、返ってくるのは「狩りをしろ。巨獣を殺せ」だけだろうと予想出来たので、僕は何も言わない事にした。
トランキノは寡黙に見えてお喋りである。
特に、狩りの話しをしたがる傾向にある。
「今日は狩りをするのに良い日だ」
「はぁ……?」
分析通り、また、狩りの話しが始まった。
「月の綺麗な夜は、巨獣を見つけやすい」
「そうですか」
「明るい」
「そうですね」
「明るいと、痕跡がよく見える」
「はい」
「痕跡を追い、見つけて、射る」
「なるほど」
「目を、一射で射抜く」
「へぇー」
「射れば、死ぬ」
「そうですね」
「巨獣に憎しみはある。しかし、死した骸は解体し、利用させて貰う」
「そうですか」
「巨獣にいらない部分は無い」
「そうですか」
「肉も骨も皮も、内臓にすら、使い道はある」
「へぇー」
「どの部分も自分たちの為に利用出来る。それだけでなく、売り物にもなる」
「なるほど」
「奴隷を作る為にと、生け捕りを望む者が多いが、我々はそういう者とは取引はしない」
「それはいい事ですね」
「巨獣はこの世界に不必要な存在だ。全て殺さなければならない」
「そうですか」
適当に相槌を打ちながらも、ふと思った。
それを言ってしまうと、巨獣から生み出されたあなたも不必要な存在になるのではないですか? と。
思った事をそのまま口に出して尋ねてみたい衝動に駆られたが、そうすると話しがややっこしくなり、その上更に長くなりそうなので、やめた。
話すべきは、狩りについてなんかではなく、もっとこう、暗殺者かどうかわかるような、そんな話題なのだが……僕はこちらの世界の事について殆ど何も知らないので、咄嗟に話題にするべき事柄が思い浮かばない。
例えば出身地などについて聞いても、何もわからない。
流行しているものなど何も知らないし、そもそも興味もない。
会話に困ったらまずは天気の話しをするといいと、僕のいた世界では聞いた事があるが、トランキノの一言目がそれに近い内容だったので、今更話題にでは出来ない。
それで、僕から口を開いたりはしない。
だから、トランキノがどうでもいい話しを続けてしまっている。
けれど、流石に話し疲れたのか、トランキノは一旦口を噤んだ。
またいつ開かれるかわからないが、一先ずの間の無言……。
静寂が場に降りた。
風が草花を揺らす静かな音が、お庭に優雅に流れている。
以前お茶会を行った庭園程では無いが、アルザギール様の散歩コースであるこの一角に咲く、少しばかりの花々が、月の光を浴びてその存在感を際立たせている。
「……」
あぁ……。
隣にいるトランキノが気になり、声を発しはしなかったが、一人だったら、心のままに、思わず嘆息していた。
本当に、ここは、心地の良い空間である。
夜に映える、美しい景色。
漂ってくる、芳しい香り。
きっとアルザギール様は、風の流れさえも計算に入れて草も花も、何もかもを配置し、このお庭を設計しなさったのだろう。間違いない。そうでなければ、ここまで居心地のいい空間は創れまい。
アルザギール様の、自然への……否、この世界への深い想い……愛が窺い知れるというものである。
そう思うと、トランキノの第一声が、月が綺麗な夜。というものだったのが、何だか気になってきた。
この世界は常に夜で、常に月が出ている。なので、月が綺麗に見えない夜などは、逆に数えるくらいしかない。
これはいつも通りの光景である。特別なものでは無い。
特別なのは、ここである。この場所である。
故に、まずはアルザギール様がお創りになったこのお庭について褒めるべきではないのか?
何という事だろう。雑草の生い茂る森では見た事の無い、完璧に調和のとれた光景が眼前に広がっている。こんなにも美しい景色を目にしたのは初めてだ。素晴らしい。と言うべきである。
僕ならば、第一声はそういうものにした。
けれど、どうやらトランキノにはそのような芸術的なものを理解する感性は無いらしい。
常に狩りの事しか考えていない事からも、それが窺える。
可哀想に……。
彼女の貧弱な感性は、いつも通りの光景を見て、見たそのままを口にする事しか出来ないのだ。
僕はトランキノのこれまでの人生を哀れんだ。
そして、出来ればこれから、ここで感性を磨いていって欲しい。と思った。
そんなどうでもいい事が頭を過っていた、その時、
「……?」
何か、感じた。
右前方。
上方。
綺麗に磨かれた白い壁。
お屋敷を囲っており、外界との境界線である、その上の部分。
そこに、突如として生じた、違和感。
何だ?
何かいるのか?
僅かに、僕が何かを察知したのと、ほぼ同時に。
「ふっ——」
アネモネが、矢を放っていた。
二射。
呼吸は一つ。音も一射分だけだった。しかし、飛んでいく矢を辛うじて目で追えたので、二射だと気付けた。
とてつもなく疾い動作だった。
それだけでなく、殺意も一切感じなかった。
日常の動作として染み付いている射撃。
一つはその何かの頭部と思われる部分(恐らくは目)に、もう一つは心臓部(間違いなく心臓)に。
ほぼ同時に突き立っていた。
なんて技量だ。
凄い。
感嘆の声を漏らして感心する間もなく、結果が目に入った。
壁の上で何かがよろめき、地に落ちた。
ちょっとした弾力があり、重量のある物体が落ちた音……いや、この音は物体のそれでは無い。人体だ。人の体が落ちた、重々しく生々しい音が聞こえた。
落ちた者が動く様子は無い。
花の香りを押しのけて、風に乗って漂ってきたのは、血の匂いだった。
死の匂いだった。
「敵だ。仕留めた」
トランキノが、低い声で言った。




