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1−1、訓練場に着くまで、ぼんやりと考えた諸々の事柄。

 無血の粛清。

 少し前、闘技場で僕がバイロを殺した出来事は、世間ではそう呼ばれているらしい。

 バイロが血の一滴も流さずに死んだ事からこの名前が付けられたのだろうが、僕としては、その前の戦いでかなり流血してしまい、服を汚してしまった事が記憶に残っているので、無血と言われると否定したくなる反面、僕のみっともない姿が大衆の記憶には残っていないようなので安心したりもする。

 とはいえ、ここは僕の事なんかより、アルザギール様の行いが粛清と認識されている事にこそ安心し、喜ぶべきである。

 何せ、この世界の支配者を、それも、仲間である吸血鬼を殺したのだ。

 世界を美しくする為に必要な事だったのは間違いないが、大事である。

 それこそ、闘技場で戦わせる戦奴を造っていた奴隷商や、獣人などを作っている店、装備を納めていた武器屋、血と殺戮を安全圏から見るのが好きな金持ち連中など、バイロの下で甘い汁を啜っていたであろうクズ共が、何らかの抗議活動を行うだろうと思っていたのだが……そんな事は一切無かった。

 そして、大変嘆かわしい事に、アルザギール様は同族殺しの裏切り者とでも蔑まれ、吸血鬼同士の大きな争いが勃発するのであろう。と僕は思っていた……のだが、そんな事も起こってはいない。……これに関しては、あくまで、表面上は、という意味でしかないが。

 裏では、違う。

 目立たぬよう、ひっそりと、アルザギール様の暗殺を画策している吸血鬼がいて、そいつの放った刺客が、アルザギール様のお命を狙っている。

 だが、しかし、刺客が事を成し遂げる可能性はゼロだ。

 どのような相手が襲ってきても……それこそ、吸血鬼が直々にやって来ようとも、僕が殺す。

 アルザギール様に手出しさせない。

 アルザギール様の死は、この世界の崩壊に等しいのだ。

 アルザギール様なくして、この世界がこれ以上良くなるとは思えない。

 アルザギール様は、この世界に、絶対に必要な存在である。失ってはならない存在である。

 太陽無きこの世界に於いて、唯一自らが、汚れの無い、美しい輝きを放っておられる。

 その輝きを消し去る事は誰にも出来ない。僕が、させない。

 絶対に。

 もう一度言うが、アルザギール様は、絶対にこの世界に必要な存在なのだから。

 事実、アルザギール様のご活躍のお陰で、この世界には変化が生じている。

 例えばそれは、戦奴の大会が、事実上の中止となった事だ。

 アルザギール様が、その麗しきお声を以って、このような野蛮な催しは即刻中止にしなさい。と命じたから……というわけではないのが僕としては残念でならないところだが、運営をしていたバイロが死に、後を継ぐ者も出てこなかった。それで、大会は開かれなくなった。

 他の吸血鬼は、バイロの死などに関心が無いのか、誰も、何も言わなかったそうだ。

 死を悼む声もなく、引き継ごうとする素振りも見せなかった。

 完全な、無関心。

 何の反応も無かったという。

 また、白耳長、黒耳長たちの中にも、運営する手腕を持った者がいたはずだが、これも誰一人として名乗りを上げなかった。

 バイロの後釜を担い、金儲けをしよう。と思った者などいなかった。

 吸血鬼という、支配者の死が知れ渡った事で、恐れたのだ。

 アルザギール様のお怒りに触れ、粛清される事を。

 故に、あれ以降、あの闘技場に寄りつく者はいなくなった。

 響き渡っていた歓声は消えた。

 血の匂いも、風に漂わなくなった。

 闘技場は、ただの巨大なオブジェとして街に鎮座している。

 これにより、戦奴という存在が廃止され、図らずもルドベキアの願いも成就する事になったかといえば……そうではない。

 護衛用や、兵士の訓練用、巨獣狩りに使用するとか、まだまだ需要があるようで、街には以前と変わらず専門の店がある。

 なので、社会のシステムそれ自体には、変化は無い。

 故にこれは、少しばかりの変化でしかない。が、アルザギール様の行いによって齎された確かな変化でもあるのである。

 あの時の事を思い出すと、今でも誇らしい気分になる。

 アルザギール様のものとなり、アルザギール様と共に、世界に影響を与えた、あの時の出来事を、僕は一生忘れる事は無い。

 ……。

 ……。

 あまりに感慨深かったので、思い出に浸ってしまっていた。

 しかし、そうなるのも仕方が無いというもの……ああ、そう言えば、変わった事はもう一つあったか。

 バイロの一件の後、アルザギール様にお近づきになりたい。という者が急増したのだ。

 例えば、バイロに血液を提供していた食料品店の店主(バイロの下で甘い汁を吸っていたらしく、でっぷりと醜く太った白耳長の老年の男だった。僕のいた世界では、飼い犬は主人に似ると言ったりしていたが、まさにその通りだった。自らの快楽しか考えていないような、見るからにどうしようもなくつまらない者だった)が真っ先に名乗りを上げた。

 僕は驚かずにはいられなかった。

 一体全体どういう神経をしているのか。自分の主人と言っても過言では無い存在であったはずのバイロを殺したアルザギール様の下を訪れるとは……吸血鬼だから血は必要なんだし取引出来るだろう。とでも浅はかにも考えていたのかもしれないが、僕なんかはそいつの精神性が理解出来ず、こんな恐るべき馬鹿がいるとはなぁ、と、困惑で開いた口がふさがらなかった。が、アルザギール様は、そんな頭がおかしくなっているとしか思えない者を相手にしても、いつもと変わらず上品な口調で「既に専属の店がありますので。お断りします」と、やんわりと、しかし、断固たるお声の調子で拒否なされた。

 当然である。

 誰があんな風に豚を肥えさせた餌と同質の血を飲むというのか? 誰も飲むわけがない。

 僕だってごめんだ。

 全く……あの店の店主は、アルザギール様を何だと思っているのか? いくら同じ吸血鬼でも、アルザギール様とバイロとでは天と地ほどの、否、それ以上の、月と大地よりも遥かに差があるではないか。いや、そもそも、そのように比べる事すらおこがましい。全く違う。どこからどう見ても、何もかもが全く違うではないか。

 僕は、不敬罪で殺してやりましょう。と提案したが、慈悲深いアルザギール様が「この程度で剣を振っていると、腕が疲れてしまいますよ」と昂ぶる心を諌めてくださった。 

ああ……本当に、アルザギール様は素晴らしい御方としか言いようが無い。

 いや、素晴らしい。という言葉程度では不足している。それ程に、アルザギール様のお心は深い慈しみに満ち満ちていらっしゃる。

 僕はアルザギール様に感謝の意を示した。

 この僕の剣を、つまらない者の血で汚さずに済み、更には無駄に体力を使う事も避ける事が出来ました。誠にありがとうございます。と。

 アルザギール様は、そんな僕の感謝の言葉を聞いて「礼には及びませんよ」と、可笑しそうに微笑んでくださった。

 その時の笑みといったら……筆舌に尽くしがたい。

 砂漠に咲いた一輪の薔薇。などというありきたりな表現では失礼にあたる。

 この魔界という暴力で満たされた世界に降臨なされた、たった一人の天使……ではない。違う。違う。そうじゃない。アルザギール様は天からの使いではない。アルザギール様は、天如きに使われる存在ではない。

 天を統べる存在……そう、神だ。

 女神である。

 この世界に、神はいない。

 宗教も存在しない。

 きっと、かつての大戦の終わりと共に、巨獣に怯え暮らしていた日々を一変させた勝利と共に、人々は気付いたのだ。

 他者を凌駕する力があれば、世界は変えられる。という事に。

 奇跡を待つより、力を求めよ、と。

 それで、神は生まれる理由を失ったのだ。

 この世界について未だに詳しくは知らないので断言は出来ないが、僕はこの世界の空気を肌で感じて、そのように考えている。

 なればこそ。

 今こそ僕が、最初にそれを提唱する者となろう。

 アルザギール様は女神である。

 この魔界という暴力で満たされた世界に平和を齎す為に、汚れの無い美しいところから慈悲深くも降臨なされた、この世にただ一人しか存在しない、唯一の女神。

 それがアルザギール様である……のだが、これは僕なんかの貧弱な想像力を限界まで使っての表現であって、本来のアルザギール様は表現を超越した存在である。

 この世のどのような者の表現も追いつかない存在なのである。

 仮に僕が詩人だったとしても、アルザギール様という存在のその素晴らしさの全てを、余すところなく人々に言葉で以って語って聞かせるのは不可能だ。

 絶対に出来ない。

 故に、僕の表現を、アルザギール様を表す指標として欲しくは無いところである。

 ……話しがそれてしまったが、とにかく、アルザギール様はお側に置かれる者をきちんとお選びになっていらっしゃる。

 これから僕とフォエニカル隊長が会う三人も、その、アルザギール様が直々に雇った者たちである。

 三人の中には暗殺者が含まれているという事だが、これに関して、隊長は「生け捕りにして情報を引き出す為だろう」と言った。

 僕もそう思う。

 しかし、僕は更に、こうも思う。

「力を示す為である」と。

 アルザギール様は、暗殺など少しも恐れておいでにならない。

 そのような行為は無意味だとすら思っておられるに違いない。

 自らの支配者としての力と、僕たちの力を信じておられるが故に。

 アルザギール様が自らのお口でそう言ったわけではないのだが、言葉の端々に絶対なる自信が満ち満ちているのを、僕は感じ取っていた。

 だから、暗殺者と思われる者たちを簡単に受け入れたのは、己の持つ力、僕たちに対する信頼の証でもある。

 それを理解しているからこそ、僕は、強く誓っている。

 アルザギール様のご期待に応える為に、そして、命をお守りする為に、敵を、出来る限り速やかに始末する事を。

 とはいえ、そうする為にも色々と下調べは必要である。

 急いては事を仕損じる。とも言う。

 方法は殺し合いにしようと隊長は提案したが、一対一での面談などもした方がいいと思う。

 例えば、何故、アルザギール様の下で働くのか? というオーソドックスな質問は絶対に必要だろう。

 単純に、この世界を統べる最高権力者の下に付き、いい暮らしがしたいだけなのか。それとも、アルザギール様でなければならない理由があるのか。

 個人的に興味があり、更には、もしも、その答えが嘘で塗り固められたものだとしたら、アルザギール様に心から仕えている僕と、感覚の鋭い隊長ならば、それを見抜く事は可能であろう。

 場合によっては、すぐさま暗殺者を特定し、戦闘も行わずに捕らえる事も可能かもしれない。

 まあ、戦闘が無く、相手が無抵抗で捕まったとしても、暗殺者は殺す。

 アルザギール様に仇なす者は、誰であろうと殺す。

 それが僕の仕事だ。

 アルザギール様のものであり、剣である、僕の果たすべき使命である。

 そんな事を考えているうちに、訓練場に到着した。

 松明などの明かりは、無い。

 暗い場所だ。

 月の光のみに照らされている場所だ。

 闇の中、浮かび上がっているのは、土がむき出しになっている、舗装もされていない地面に石灰で引かれた白線のみ。

 リングを模しているのか、形は正方形。小さくはないが、広くもない。ボクシングとか、柔道とか、ああいう一対一の格闘技をするリングよりかは広い。という程度である。

 あまりにも簡素過ぎる作りだが、これ以上何か付け加えると、ただでさえこの一角がアルザギール様のお庭の雰囲気を壊してしまっているのに、それを更に破壊する事になってしまう。なので、これでいいのである。

 殺し合うには、これで十分だ。


「……」


 その時、殺しについて意識した事で、不覚にも僅かに漏れた、僕の殺気。

 それに反応したのか、訓練場の真ん中に立つ三人を僕が視認したのと、その者たちの視線がこちらに注がれたのは、全くの同時だった。


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