プロローグ。今回の役目について。
「暗殺者、ですか……」
「暗殺者だなぁ」
怜悧に輝く月光に照らされた、アルザギール様のお屋敷の、その中庭を、僕はフォエニカル隊長と並んで歩いている。
速度は、ゆるりと。
お互いの距離は、近くはない。
抜き打ちの剣が、届くか、届かないか。
腕試しだと言って不意打ちを仕掛けてくる癖のある隊長に対応する為の距離。
絶妙に間合いは外し、ずらし、歩き、会話をしている。
話題は、今回僕たちにアルザギール様がお与えになった役目についてである。
「アルザギール様を暗殺するなどとは……まさか、そのような不届き者がいるとは思いませんでした」
「思いませんでした、か。お前らしい言葉だな、ユーリ」
「僕らしい言葉、ですか?」
「ああ、アルザギール様に絶対の忠誠を誓っている、お前らしい言葉だよ」
「褒めていただいて、ありがとうございます」
「褒めたわけじゃ……いや、褒めた。褒めたよ。実際凄いよ、お前は。本当に。流石はアルザギール様のものだ」
つい、笑みが浮かびそうになるのを堪えた。
僕はアルザギール様ものである。
そう、僕はアルザギール様のものであるのだ。
この事実に興奮せずにいられようか? いや、いられない。それに、ものである事を褒められたのだから、諸手を挙げて喜びを全身で表現してもいいくらいである。が、ものが主人に忠誠を誓うのは至極当然の事であるので、そこまでするのは些か大げさというものである。故に僕は「ありがとうございます」と、隊長とアルザギール様に感謝を重ねるに止めた。
隊長は「いやほんと凄いよお前は〜」と再び僕を、今度は冗談めかして褒めた。
そして、言った。
「だが、だからこそ、そういう者がいるという事を知っておいた方がいいな」
ほんの一瞬前とはまるで異なる。ふざけてはいない。真面目な口調であった。
「皆が皆、お前のようにアルザギール様に己の全てを捧げられるわけじゃない。その逆もいる。世界の支配者が持つ強大な力を、妬むやつ、憎むやつ、恐れるやつもいる。そういうやつらが、大勢いる」
「大勢? そんなまさか……」
「数え切れないくらいにいるさ。そこら中に」
そういうやつらが少なからずいるというのは、理解出来る。が、それが大勢というのは、わからない。
この世界では、力が全てだ。
単純な暴力が最も出番が多いようであるが、それだけでなく、財力、権力、知力、武力など、一口に力と言っても、様々な種類がある。
この中の、どの力でもいい。他者を、敵となる者を打ち倒すに足る、何らかの力があればいいのだが……例えば、権力と財力はあっても、本人に武力は無い。など、普通の者は、どれか一、あるいは二つくらいにしか秀でていないように思える。
それでも、力を持っているといえば持っている。
が、しかし、吸血鬼は、ほぼ全ての意味に於いて、圧倒的に強大な力を持っている。
この世界は弱肉強食である。
力の無い者は、力の有る者に蹂躙される。
だから、大きな力を持つ者の庇護下にいるべきであると、僕は思う。
そうすれば、導かれ、正しい道を進めるはずだ。
この僕のように。
しかし、世の人々はそうは思っていないらしい。
「何故ですか?」
「今言っただろう? 恐れてるのさ」
「恐れる必要など……」
無い。
その力に、身を委ねればいいではないか。
僕はそう思う。
「それも言っただろう? 誰もがお前みたいになれるわけじゃないんだ」
僕みたいに。
つまり、力を持つ者に、自らの全てを捧げられないし、絶対的な忠誠も誓える存在にはなれない。という事か。
嘆かわしい事である。
僕は暗い部屋から出る事が出来た。アルザギール様のお導きによって。
それにより、アルザギール様に絶対的な忠誠を誓うようになった。助けられたのだから、恩返しとして、自らの全てを捧げて力になりたいと思うのは当然だ。
一方で、この世界に生きる人々も、巨獣に怯える生活から解放された。アルザギール様を含む、十二人の吸血鬼の活躍によって。
けれど、人々は、吸血鬼を敬い、尊んでいるものの、恐れてもいるという。
助けられたのに恐れているとは、おかしな話しである。
僕には理解出来ない。
理解出来ないが、世の中にはそういうどうしようもない下衆がいて、更にそういう下衆は、僕からしてみれば最悪の手としか思えない事をしようとしている。
「自分よりも大きな力を持つ存在が恐ろしいから、暗殺するのですか?」
「そうさ。誰だって、自分が一番でいたいからな。それで、今の一番を引き摺り下ろすわけだ。殺してな。どうだ? 一番手っ取り早くて、楽な方法だろう?」
「隊長の言い方だと簡単そうに聞こえますが……それはそれで、難しい方法ではないのですか?」
そこらへんにいるただの金持ちとかならともかく、狙うのはアルザギール様である。世界の支配者の一人である。そのような御方を暗殺するのは不可能としか思えない。
実際、暗殺対象となる吸血鬼そのものが不死身に近い肉体を持つし、かなり腕の立つ護衛であるフォエニカル隊長もいるし、僕もいる。なので、やるだけ無駄だと相手に言ってやりたいところである。
「そりゃあ、難しいのは難しいさ。けどな、やり方は無くも無いわけで……そもそも、正面から力と力でぶつかりあったら絶対負けるわけだからな。どんなに難しくとも、裏からこっそりやるしかないわけだ」
「はぁ……?」
「他に良い方法を思いつかなかったから、そうするしかないんだよ」
この世界では力が全てであり、力で解決出来る問題は、自らの力……先に挙げた、様々な種類の力を用いて解決するのが普通である。だが、そこまでして自分より大きな力を持つ者とやりあう意味があるのか? と思わないでもない。……けれど、僕には思いつかないだけで、きっと当の本人には譲れない理由があるのだろう。
とはいえ、どのような理由があろうと、僕には関係など無い。
例え、家族を人質に取られていて、やむをえずアルザギール様の暗殺をする事になった……と、相手が涙ながらに申し開きをしても、その言葉は僕には届かない。
僕はアルザギール様のものとして、アルザギール様から与えられた使命を全うするのみである。
つい先ほど、私室にて、アルザギール様は僕にこうおっしゃられた。
「私のもの、ユーリ。これから、この屋敷に敵を招き入れます。あなたは剣となり、私を守る為に、敵を斬ってください」
今でも、耳に残っている。アルザギール様の、麗しい声の響き。
私のもの。
私の。
アルザギール様が、そうおっしゃってくださった。
あぁ……アルザギール様が、僕を、自分のものだと言ってくれる。僕が、アルザギール様のものであるという事を、アルザギール様が認めてくださっている。
それを口に出してくれる事の、何と喜ばしい事か。歓喜で震えそうになる体をなんとか抑えるのに苦労した。
だけど、出来る事ならば、叫びたかった。「僕はアルザギール様のものだ」と。
アルザギール様のお願いを叶える、ものなのだ。と。
ただの戦奴から、そのような存在になれたのだ。と。
なればこそ、アルザギール様のご命令に従い、一振りの剣となり、敵を斬るなど、容易くこなさなければならない。
「暗殺などさせません。絶対に阻止します。アルザギール様からのご命令通り、剣として斬り、排除します」
暗殺と言っても、所詮は力と力のぶつかり合いだ。
正面きっての大きな争いではない。というだけに過ぎない。
本質は、変わらない。
相手が力に訴えるなら、どうするか?
この問いに対する答えは、簡単だ。
力には力で対抗する。
暴力には暴力をぶつける。
相手を凌駕する力で、圧し、潰す。
結局のところ、そういう事だ。これは。
「出来れば生け捕りにして、背後関係とかを調べたいところだけどなぁ。アルザギール様も、そうしようと思って敵をわざわざ内部に入れるわけだし」
「そうですね」
「けど、相手は暗殺者だからなぁ。生け捕っても自死するかもしれないし、そもそも生け捕るのが難しいかもしれない」
「はい」
「だから、これはわざわざ言うまでも無いと思うが……一応言っておくぞ。自分の力を過信するなよ。少しでも生け捕るのが難しいと感じたら、その場で殺せ」
「はい。わかりました」
わざわざ言われるまでもない。僕は素直に頷いた。
生け捕れそうなら生け捕る。
それは、アルザギール様の為になるからだ。
そうでなければ、殺す。
それもまた、アルザギール様の為になるからだ。
アルザギール様に仇なす者は、生かしてはおかない。
生け捕った場合も、情報を得られたら、始末する。
どの道、敵は殺す。
これは確定事項だ。
ただ一つ、問題がある。
「問題は、どうやってその暗殺者を見つけるのか? という事ですが……」
僕は頭を悩ませつつ、それを提起した。
対して、隊長は気楽なものだった。
「なぁに。そう難しいことじゃあないさ。何せ、候補は三人しかいないんだからな」
「それは、そうですが……」
候補は三人だけ。
綿密な調査によって、既にそこまで絞り込まれている……というわけではない。
つい先日、お屋敷の警備や、アルザギール様の身辺警護などの、武力的な側面を担う者として、アルザギール様が直々に三人をお雇いになった。
その三人は、今、お屋敷の訓練場にて待機しており、同じ職場で働く事になる僕たちと、これから顔を合わせる予定である。が、この中に、暗殺者が紛れ込んでいる。と、アルザギール様がおっしゃったのだ。
「この三人の中に、必ずいます」と、アルザギール様は断言なされた。
更に続けて、こうも言った。
「あるいは、全員がそうかもしれません」と。
根拠は「私を殺したい者がいる。それは確かだからです」というものだった。
その時のアルザギール様の眼は、酷い悲しみに満ちておられた。
理由は明白である。
アルザギール様の死を望む者が、他でもない、自らの同胞、吸血鬼であると確信しておられるからだ。
「かつての大戦で、スオウが死にました。そして先日、バイロが死にました」
アルザギール様の口から涙のように零れ落ちた、二人の吸血鬼の名前。
バイロについては、わざわざ語るまでもない。
バイロ・トレニ・アニ・フルニエッリ。昔はどうだったか知らないが、ただのクズに成り、果てた者。僕が初めて殺した吸血鬼である。
スオウについては、名前と、その最後くらいしか聞いた事が無い。
スオウ・シルキア・コア・エンディカイト。かつての大戦中、最前線で戦い続けたが、凄まじい数の巨獣の群の中に一人で突貫した結果、力及ばずばらばらにされ、この世界で初めての吸血鬼の死者となった……らしい。
「私を除けば、残りは九人です」
アルザギール様は、他の吸血鬼にはついてはあまり語られない。
ものである僕などに話す必要が無いという事もあるだろうが、過去を振り返られたりはしない。という事なのかもしれない。
それに、かつての大戦の後、吸血鬼同士はあまり関わりを持っていないと聞く。
少しばかりの交流はあるようだが、まるで不干渉の取り決めをしているかのようにすら感じられるくらいに、吸血鬼同士が出会うのは本当に偶にだ。アルザギール様がバイロの下を訪れた時のやつの喜びようからして、それがわかるというものである。とはいえ、何故距離を置いているかは、僕にはわからない。
しかし、どうやらそれも、終わりとなるらしい。
「同じ吸血鬼であるバイロを殺した私を許せない。そう思う者も、当然いるでしょう」
僕にはそんな者がいるとは思えない。血が見たいというただそれだけの理由で、戦奴を使って殺し合いをさせていたクズだ。やつは死ぬべくして死んだのだ。それでアルザギール様を恨むのは、逆恨みである。そんな不条理な理由でアルザギール様に手を出す者は、僕が即刻斬り捨ててやる。
「仲間が一人減ったこの状況を、自らの為に利用しようとする者もいるかもしれません」
そちらの方が納得出来る。
ただ、そういう手合いがアルザギール様に手を出してくるとは思えない。自らの利益を一番の望みとするのなら、吸血鬼と争うのはリスクが大きいと思う。
まあ、もし不用意にも手を出せば、僕が始末する。
「このような事に、興味など無く、ひたすらに己の道を進む者もいます」
現在の吸血鬼同士の関係性を考えると、こういう者が一番多そうな気がするが……。
それでも、進む道の先にアルザギール様がおり、ぶつかる事になった。などという事になれば、容赦はしない。道を退くのはアルザギール様ではない。相手の方だ。力づくでも道を退かせるというのなら、僕がそいつを道から落とすまでである。
「それぞれ何らかの思惑があるはずですが、バイロの死を……これを一つの機会と見て、己の望みを果たす為に、私を亡き者にしようと画策している者は、必ずいます」
九人の吸血鬼。
その中に、自分の命を狙っている者がいる。と、アルザギール様は、断言なされた。
「三人の内、何人が暗殺者なのかはわからん。だが、必ずいる」
アルザギール様の言葉を思い出してか、隊長もまた、断言した。
「絶対に誰かが暗殺者なんだから、一人ずつ拷問とかすれば確実にわかるんだが……無実のやつもいるかもしれないからなぁ……」
無実だったら可哀想だよなぁ……などと言うものの、本当はそんな事少しも思ってもいないだろう。アルザギール様が雇った者を、三人全員廃人にするのは気が引ける。主人に申し訳が立たないから。というのが本音に違いない。
隊長は常に最短の方法を思いつく。
しかし、それが最善とは限らない。
本音と建前の間で苦悩している隊長は、腕組みをして首を捻った。
ほんの数秒だけ。
案は、すぐに思い浮かんだようだ。
「とりあえずは、殺し合いでもやってみるか」
「え?」
殺し合い? 暗殺者と?
会話や日々の生活の中で、抜け目無く観察し、それとなく情報を引き出す。とか、そういうこっそりと探りを入れるやり方を想像していた僕は、隊長の予想外の案に驚かずにはいられなかった。
「殺し合えば、何となくわかりそうじゃないか? あ、こいつ暗殺者だな。みたいなのが」
「……戦い方を、染み付いた癖を見る。という事ですか?」
「そうそう。それ」
「……」
僕は眉をしかめた。
本当にそうなのか?
今の僕の意見に便乗しただけではないのか? と思わないでもなかったが、隊長は続けた。
「やっぱり、暗殺を生業としているやつは、普通の戦士とはちょっと違うからな。雰囲気というか、身に纏ってる空気というか……そういうのが、違う」
「それ程違いますか」
「違うね」
はっきりと、隊長は言い切った。
「違うが、そういうところをおいそれと見せたりはしない。暗殺者だからな。やつらは寝首を掻く。油断を突く。日常に潜り込み、あたしたちの中に潜み続ける……必ず殺せる瞬間が訪れるまで……」
「……」
「だから、殺し合え」
嫌らしくニヤついた笑いを隠さずに、隊長は言った。
「潜んでいるやつらを無理やり戦いの中に放り込んでやれば、何か見えてくるものがあるだろうさ」
「そう簡単にいくといいですが……」
「確かに、こればっかりはやってみないとわからんが……お前得意だろう? 殺し合い。元戦奴なんだし」
「それは、まあ、得意だと思いますが……」
こちらに連れて来られてからというもの、やっている事は、殆どが、相対した敵を殺す事。それだけだ。
だから、得意というのは正しい。
「簡単には死なないしな、お前」
「……そうですね。僕は吸血鬼ですから」
吸血鬼は、簡単には死なない。
体内から血を流し尽くさなければ、真の意味での死は訪れない。
内臓を抉られても、心臓を貫かれても、首を斬られても、頭を潰されても、死んだりはしない。再生する。
不死身に近い。
余程の事が無い限り、単純な戦闘で命を落とすとは思えない。傲慢に聞こえるかもしれないが、自分でも、その場面が、自らの死が、想像出来ない。
命はあるが、それを大事にするだとか、そういう普通の人間的な考え方はもう無くなっている。
「だったらやっぱり、殺し合いが一番手っ取り早いな」
「そうですね」
シンプルだが、結局は、そういうやり方が最も適しているのかもしれない。
手抜きなしの、全力の、命を懸けた戦闘。
それにより、追い詰められ、日々の生活の中では隠していた暗殺者としての部分が浮かび上がってくる可能性はあるように思える。
「そういうわけだから、ま、よろしく頼むぞ、ユーリ」
「はい。わかりました」
頷いて、件の三人が待つ、宿舎の前の訓練場へと歩を進める。
一人は、黒耳長の傭兵。
一人は、獣人の狩人。
一人は、白耳長の商人の娘。
種族も職種も異なる三人だ。
この中の一人か、それとも二人か、あるいは、三人全員か。
アルザギール様が必ずいる。と断言なされたのだから、一人もいないという事は無い。絶対に無い。
故に、誰かが暗殺者であるのは、間違いない。
「アルザギール様の為に、全身全霊を懸けて、不届き者を見付け出し、粛清いたします」
決意を込めて、僕は言った。
「その意気だ」
隊長は、面白い事になってきた、と言わんばかりに、口の端を釣り上げて、心底この事態を面白がっているような、不謹慎な笑みを浮かべた。




