幕間・いつかの記憶。選択の記憶。
「これからのあなたについてですが……」
重厚な石造りの白いテーブルを挟み、僕の前に座っているアルザギールは、申し訳なそうに口籠った。
そういう態度をされると、胸が痛い。僕は自分から問い掛けた。
「僕は、一体どうなるの?」
「……前にも言いましたが、選択肢は三つあります。まず一つ目は、元の世界に帰るという道です」
「……」
「あなたは魔女を殺しましたが、魔女は他にも存在します。魔法を使える彼女たちの誰かの手を借りれば、あなたが元いた世界に帰る事は、不可能ではないでしょう。……けれど、あなた自身既に気付いていると思いますが、あなたはもう普通の人間ではありません。普通の人間に戻る事も出来ません。そんな普通の人間ではないあなたが、元の世界に戻ればどうなるのか……想像はつきますね?」
「……うん」
人間ではなくなり、吸血鬼と成った僕が元の世界に戻るとどうなるか?
答えは、殺される、だ。
伝説などで怪物が人間に殺されるのと同じで、人間社会に入り込んだ異物は、人間の手によって排除される。いくつもの物語がそれを証明している。
故に、僕が人の世界に戻る事は、もう無い。
「二つ目は、ここで家畜として生きるという選択肢です」
「……」
「この世界に連れてこられた人間は、大抵が餌になりますが、あなたは再生能力に秀でているので、何らかの……それこそ、肉体を傷付ける類の慰みものになる可能性が高いと思われます」
「……」
つまりは、生かさず殺さずの苦痛の日々を送る事になる。という事だろう。
いつだったか、アルザギールは言っていた。
この世界では、人間は家畜同然の存在なのだ、と。
吸血鬼に血を与える為に、血を増やす改造を施され、延々と血を搾り取られ続けたり、愛玩用や戦闘用の人型種を造る為の母体としての改造を施され、獣種と交尾させられて異形の子を生まされたり、あるいはただの食料として、獣人の餌にされたりする。と言っていた。
正直に言って、これは今までと殆ど変わらない生活だ。僕はそんな日々を送るつもりなんてない。
「最後に三つ目ですが、それは……戦奴になる。というものです」
「……」
「バイロという、私の同胞の……いえ、私と同じ、吸血鬼の一人が運営する闘技場があるのですが、そこで娯楽を提供する為に闘う存在が、戦奴です。あなたのいた世界にも、かつてはそのような存在がいたと聞いています」
僕は今まで一度も喧嘩なんてした事無いのに……と思ったが、思い出してみれば、ついさっき魔女と獣人を殺したところだった。
「この身分ならば、通常の奴隷よりも待遇はいいのですが……その分、常に死と隣り合わせであり、過酷です。けれど、私は敢えてこの身分を選ぶ事をお勧めします」
僕は口を挟まず、黙って続きを聞いた。
アルザギールは、細い指を二本立てた。
「理由は二つです。一つは、改造されたあなたには闘う力があるから。であり、もう一つは、戦奴の大会で優勝すれば、望むものを手に入れる事が出来るから、です」
「望むものを……」
「ええ。勝てば、の話しですが……けれども、望むものは何でも手に入ります。それこそ、この闘いで勝利し、身分を手に入れ、自由になった元戦奴も少なからず存在します」
「……」
「自らの力で、自らの運命を選ぶ事が出来ます」
「……」
「今のこの世界では、選べる道はこれだけです。ですから、ユーリ。よく考えて、どれかを……」
「うん。わかった。決めたよ、アルザギール」
僕はアルザギールの言葉を遮った。
よく考えなくても、取るべき選択肢が一つしか無い事は、わかっていたからだ。
「僕は、戦奴になる」
「ユーリ……」
アルザギールは紅い瞳を悲しそうに細めた。
こんな選択肢しか用意出来なくて、ごめんなさい。と彼女の瞳はそう語っていた。
けど、彼女が僕に謝る理由なんて無い。
彼女は、僕をあの暗い部屋から出してくれた。
あの地獄のような部屋から、僕を助け出してくれた。
それだけで、充分だ。
あそこから出すという約束を果たしてくれただけで、僕はもう、アルザギールには感謝してもし切れない程に、感謝している。
だから後は、彼女に尽くすだけで良い。
僕の残りの人生は、地獄から救ってくれた彼女に捧げよう。
人間としての僕はもういない。ここにいるのは、改造によって生み出された、吸血鬼なのだから……。
「君の言う通りだ。他の二つよりマシだよ。それがきっと、一番だ。だから僕は、戦奴になる。なります」
アルザギールの勧めに従って、僕は、三つ目の選択肢を選んだ。
「そうですか……それでは、ユーリ。これよりあなたを私の戦奴とします」
彼女は、僕の意志を尊重し、認めてくれた。
そんな彼女に、僕は尊敬の念を抱き、椅子から立ち上がって、深々と頭を下げた。
「はい。今日よりお世話になります。アルザギール様」
何歳なのかわからないが、自分よりも幼く見える女の子に頭を下げるのは……嫌ではなかった。一介の戦奴として主人を敬うのは当然の事だ。
「……ふふっ」
下げていた頭を上げると、アルザギール様の笑みが目に入った。
心の内から浮かび上がってきた喜びの感情を、ほんの少しだけ表層に出したような。
そんな、小さな微笑みを、僕に向けてくださっていた。




