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プロローグ。いつかの記憶。出会いの記憶。

 その少女に出会ったのは、僕が薄暗く薬品臭い手術室、あるいは実験室とでも呼べる部屋に拘束されて、三度目の気絶と覚醒をした直後の事だった。

 その少女は、簡素な造りだが洗練された純白のドレスを着ていた。

 まるで神様がその手で造り上げた人形のような、人智を超えた存在が造形したとしか思えない整った顔立ちに、血よりも濃く深い紅い瞳。肌は初雪を連想させる汚れを知らない白さを誇り、腰まである長い金色の髪は、僅かな明かりしかない部屋の中でも淡く輝きを放っていた。

 そんな超越的なまでに美しい少女は、小さな口を開いて、唄うように名乗った。


「私はアルザギール。アルザギール・グラト・ピエンテ・マグノエリスという者です。あなたのお名前は?」


 とても丁寧な、気品に満ちた名乗り方だった。だから、僕もなんとなく、名乗らなければいけないと思わされた。


「僕の名前は……木場友里、です」


「キバ、ユーリ。という名前なのですか?」


「……うん」


 友里の部分の発音が少し違うような気がしたけど、久しぶりに名前を呼ばれた事が嬉しくて、僕は涙を流しながら頷いた。


「ユーリ、あなたは……大丈夫なのですか?」


「……」


 アルザギールと名乗った少女が、心配して掛けてくれた言葉に、僕は沈黙で応えた。

 現在、手術台、あるいは実験台に金具で固定されている僕の全身は、赤黒く腫れ上がっている。

 腫れの原因は、骨折だ。

 僕をここに拘束している魔女が、僕の逃走を阻止する為に骨を折ったのではない。

 魔女はいきなり「骨を丈夫にしないとね」と言って、僕の体に向かって思い切りハンマーを振り下ろし、骨をへし折った。

 砕けた骨が肉を裂いて体外に露出し、神経そのものをなぶる強烈な痛みを受け、僕は泣き叫んで許しを乞いた。だけど、魔女は聞く耳なんて全く持たずに、淡々と事務的に骨を折る作業を続けた。

 その途中で、僕は気を失った。そして気が付いた時には、眼の前にこの少女、アルザギールがいた。


「大丈夫、ではありませんよね……」


 彼女は沈黙する僕の前で、呟いた。

 そして徐に、右手の親指の爪で同じ右手の人差し指の腹を浅く切り裂いて、血の瘤が膨れ上がった人差し指を、僕の顔の前に突き出した。


「ユーリ、私の血をお飲みなさい」


 嫌だ。と言おうとした。

 僕は人間だ。血なんて飲みたく無い。と言いたかった。

 けれど、言えなかった。

 僕の体は、僕の心は、狂おしい程に彼女の血を求めていた。


「あ……がっ……」


 普通なら、血なんて鉄臭くて汚いものだ。と思ったはずだ。なのに、今はその鉄臭さが鼻腔をくすぐる。口が開き、勝手に舌が出る。

 好物を前にした犬みたいに、唾液が口の中に溢れ、異常に尖った犬歯と、舌の間で糸を引いた。


「お飲みなさい、私の血を」


 アルザギールは、人差し指を動かさずにそう言った。


「あ……あ……あぁっ!」


 抗えない欲求に支配された僕の舌が、彼女の人差し指の腹に、ぷくりと膨れ上がった血の塊に、触れた。

 一度触れると、もう止まらなかった。

 ぴちゃぴちゃと、下品な音を上げながら、僕は必死になって彼女の指を、その先にある、血を、舐めた。

 僕の舌は僕の意志を離れて暴れ、彼女の血を全て舐めとろうと、貪欲に動き回り、彼女の指を舐め回している。


「そうです。それでいいのです。ユーリ」


 アルザギールはくすぐったそうに、それでいて恍惚とした表情を浮かべ、喜びに濡れた紅い瞳を細めて微笑んだ。


「心ゆくまで血をお飲みなさい。あなたはもはや人間ではなく、魔女の手によって、吸血鬼となったのですから」


 アルザギールが喋っている間も、僕は一心不乱に彼女の指を舐め、血を掬い取っていた。

 彼女の血は、とても美味しかった。

 今まで飲んで来たどんな飲み物よりも甘く、刺激的で、深みのある味わいだった。


「ア、アルザ、ギール……」


「なんですか? ユーリ」


「もっと……もっと……血を……!」


「ふふっ、どうぞ」


 彼女は一旦指を引き、さっきよりも深く、人差し指の腹を切り裂いた。

 僕は拘束されている体を限界まで動かし、上体を僅かに起こして、アルザギールの人差し指に舌を絡ませた。

 血を飲む度に、ガギギガギ、と、骨折が回復していく音がした。

 自分の中から、新しい自分が生まれてくるような。

 自分という存在が、足りない部分を埋めて、真の姿に変資しているような。

 彼女の血と僕の血が交わると、ぎちぎちと、己の内から、肉の盛り上がる音が聞こえた。


「アルザ、ギールッ!」


 僕は彼女の名を呼び、細く白い右手の、人差し指を舐め続けた。


「それでいいのです。ユーリ。求めなさい、血を。私を。あなたの欲するままに。あなたの本能が、導くままに」


 彼女は僕の名を呼び、左手で僕の黒い髪を撫でた。


「そして、元気になったら、外に出て……いつか、綺麗な世界を……二人で、見ましょうね」


 いつもは僕の悲鳴で満たされている部屋の中に、優しい声と、湿った唾液の音と、荒い呼吸と、そして喜びの喘ぎが響いた。

 出会ったばかりだと言うのに、僕は激しく彼女を求めた。

 この後、一体僕は何度、彼女に救われただろうか。

 数えるまでもなく、答えは、数え切れない程、だ。

 感謝しても、しきれない程だ。

 だから、彼女の傍にいたいと思うようになったのは、自然だった。

 ずっと、彼女の傍にいて、助けてくれたお礼がしたい。

 彼女の為に、何かしたい。と、そう思うようになるまで、時間は掛からなかった。


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