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「これを、新月の都度やっていたのか……」
ため息とともに呟くと、センが笑って頷く。新月の都度、俺や母さんが話した内容を城に戻ってから書類としてまとめていたルーク伯父さん。それは、俺が語った一語一句、状況までを正確に記している。とてもじゃないが、こんな正確な報告書を作ることはできない。
「シュウはこれまでよりも細かく観察して、家で事細かに記してほしい。そのまま持ってきてくれたら、最初のうちはまとめるのは俺もやるよ。そのうち、慣れてきたら俺の欲しい情報も集めてもらうけど、それはまだ先。とりあえず、今まで通りに生活して、自然に目に耳に入った情報を、教えて」
この数時間で、センの笑顔を怖いと思うようになったのは、黙っていよう。
城を出る頃には、空はうっすらと明るくなっている。城の通用口までセンが送ってくれた。
「じゃぁ、また新月に」
「ああ」
「……」
ニコニコとしながら、俺の腕を離さないセン。どうしたのかと思えば、バックにつけられたブローチを指で弄びながら俺の顔を見つめてきた。そういうことか。
俺が初めて作ったブローチ。正直、売り物にはならない出来だ。子供の頃なら、弟からの贈り物として渡せたのだろうが、王女の護衛隊の任についているセンに、渡せるような物ではない。それでも、センの指はブローチを弄んでいる。
俺は、諦めてバックからブローチを外してセンに渡した。
「……センだよ」
「シュウが作ったの? 」
「……ああ」
「そう」
じゃぁね、と満足そうに笑って俺の腕から手を離した。
「三人で、この国を作ろう。ライアは、王として理想を掲げる。シュウは、この国の現実を見る。俺は、補佐官としてバランスを取りたい」
「……」
「誰より優れた王を支え、この国を導きたい」
知っている。幼いころからセンは従者としての誇りを持っていた。
あの頃から、ライアを生涯の主と決めていた。弟である俺にも、王女に仕える従者としての道を歩む事を望み、誰より信頼のおける仲間になることを信じてくれている。
「ああ」
「一番辛い思いをさせるかもしれない。それでも、俺はシュウに謝ることは出来ない」
『謝ることは出来ない』と言いながらも申し訳なさそうな顔をしてうつむくセン。護衛隊の隊長補佐まで上り詰めたのに、相変わらず弟に甘い兄。
この兄の見ている未来を、一緒に見たい。
「離れていても、名乗れなくても、王女の弟としての誇りを忘れたことはない。俺がこの国の役に立てるなら、好きに使ってくれていい」
笑って見せると、少しホッとしたように息をつく。息を、止めていたのかよ……。
「じゃぁ、また」
「また、新月に」
さっきと同じ挨拶を交わして、狼に姿を変える。俺が走り出すよりも先に城の扉が閉まる。
見送らない。それは、もう保護が必要な弟ではないから。そんな小さな信頼が、嬉しい。
「結局、辛い思いなんてほとんどなかったんだけどな」
「そう、かなぁ? 」
美羽が冷めた紅茶を飲みながら首をかしげる。一緒に城に上がった時の事を言っているのだろう。あの時は、城に残っている従者自体が少なかったとはいえ、俺が連れて行った美羽に対して従者のあたりはきつかった。従者の厳しい視線から守るために、センは美羽に王女の侍女という立場を与えたが、王女付きになったことで俺は側にいてやることができなかった。
「城では、放っておいて悪かったな」
センと王女にまかせっきりだったことを素直に詫びると、美羽はブンブンと首を振った。
「そうじゃなくて、あの、ごめんなさい。私は、センさんにも王女にもずっと守ってもらっていたから何ともなかったの。でも、シュウに対しては、なんだか……」
そういや、美羽と二人でいた時に何度か従者に嫌味を言われたことがあったな。昔なら腹も立ったんだろうが、何度も城で言われているうちに気にならなくなっていた。王女への敬意から俺を嫌う従者も多い。俺に対して敵意がある者であっても、信頼のおける従者として見る事ができる。
「城でのことは、なんとも思わない。センの言う『辛い思い』は外でのことだ」
民の意志を王に伝える。『民の意志』、には国にとってよからぬことも含まれている。国にとって悪しき意志、民を傷つけるであろう者達を刈り取る事もあった。それは、俺を信頼して笑い合っている奴らを裏切ることでもある。彼らの話に同調し、笑っているのに、彼らを貶める。それでも、国のためにと思えばなんてことはなかったし、多少の危険は、気にもならなかった。
辛いと思ったのは……。
王女の護衛隊として、城に戻って欲しいとセンに頭を下げられた時が初めてだ。何も知らない美羽を一人置いていくことも、城に連れて行くことも選べずに、平和な元の世界に帰ってほしいと願った。美羽に危険が及んだ時それまでにない恐怖を感じた。王家の血縁であることを憎み、安易に城に連れてきたことを悔やんだ。俺の側に置くべきではなかったと。
家族を危険にさらしながら、己で守ることもできない。自分の無力が情けなかった。
「私ね、センさんに護身術を習ったの。こっちに戻って全然練習していないから、また元に戻っちゃったかもしれないけど」
「護身術? 」
センが教えていたなんて、聞いていない。一体、いつ?
「即位式の後、少し時間ができたからってセンさんが教えてくれて。あの、ルークさんとタカさんも、時間のある時に教えてくれたの。シュウには内緒って、センさんに言われていたんだけど……」
『内緒』のくだりは話している途中で思い出したのだろう、オタオタとしながら言葉を探している。
センもルーク伯父さんも、あのタカまでもが美羽に護身術を教えた。男ばかりで体術を学んできたのに、女、しかも平和な世界からやってきた美羽に教えるのはどれだけの手間だろう。それも俺にわからないようにゆっくりと教えた。
「護身術、か。できるようになったか? 」
身を守れるように、よりも美羽が自信をつけるための護身術だろう。
「なかなか……。タカさん相手だと、身体を掴むこともできなくて」
タカは、美羽相手にも加減は最小限なんだろうな。センもルーク伯父さんもタカよりもずっと強いことは、わかっているんだろうか。
「それでも、私は女王の足手まといにはなりたくない。一度は侍女として仕えたのだから、女王の弟の足手まといになるなんて、嫌」
「……そう、か」
隣の世界からきた美羽も、すでに従者としての誇りを持っている。美羽の兄を名乗ったのだから、妹の誇りも守らなくては。
「次の新月には、美羽も一緒に城に行くか?」
先日美羽が作ったネックレスは、女王のドレスによく映える。きっと、女王を意識して作ったのだろうが、市場で売るには艶やかすぎる。女王に渡そうかと言うと泣き出しそうな顔で困っていたが、きっと女王は喜ぶだろう。何せ、たった一人の可愛い妹だ。
「女王も美羽に会いたがっている。そろそろ連れて行かないと俺が怒られちまう」
可愛い妹に会って癒されたい、と言って俺を睨んでいた。どうやら、ライアは美羽が城に来ないのは、俺のせいだと思っているらしい。
「満月の夜、ではダメなの? 」
恐る恐る言葉を紡ぐ美羽。満月の夜。母さんの憂いを帯びた顔が頭に浮かぶ。
なぜ、と問う俺に美羽は不思議そうな顔をした。
「王は、満月の夜だけ自分の時間を取れる、と聞きました。逆に、新月の夜は多忙を極めると……」
憂いを帯びた瞳で満月を見つめていた母さん。新月の都度、城を抜け出していたルーク伯父さん。
正面から城への出入りができるようになった今でも、新月の夜にしか訪問しない俺に不満そうにしていたライア。
「……そんな理由が、あったんだな」
「シュウが知らないのに、私が知っていることもあるのね」
嬉しそうに、得意げに笑う美羽。そうだなぁ、と一緒に笑う。
「センも、ライアも美羽が来るのを楽しみにしている。満月の夜は、一緒に行こう」
「うん」
女王も補佐官も可愛い妹の訪問を心待ちにしている。