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城への入り方を教わるため俺は狼の姿を取り、ルーク伯父さんについて家を出る。母さんは、センの姿を映したブローチをバックに着けてくれた。その瞳には憂いはなく、俺が兄姉に会えることを心から喜んでくれているのがわかる。
月の無い夜、ルーク伯父さんは闇に溶けるように、静かに速く走る。俺は、黒い背中を見失わないように必死に追いかけた。
『見失ってしまったら、楽なのに』小さく浮かんだ想いが夜の闇よりももっと深く暗く俺の中に広がっていく。
王は知っているのか。俺は、王の血縁を名乗ることも許されないのに、城への出入りが許されるのだろうか。一度は出ていった側室の息子が城に出入りすることを、王妃はどう思うのか。
何より、センとライアはまだ俺の兄姉でいてくれるのだろうか。
不安と恐怖で、うまく走る事ができない。ルーク伯父さんの背が、少しずつ離れていく。
「休むか? 」
感情の読み取れない静かな声。俺は乱れた呼吸のまま首をふった。身体を休めたら、きっと今よりも不安が強くなる。
「そうか」
さっきと同じ静かな声。闇に溶ける背中が、速度を増した。必死に追いかけるうちに、不安も恐怖も和らいでいくのがわかる。何も考えられない。ただ、前を行く背を必死で追いかける。
どのくらい走ったのか。暗く、大きな城。
初めて見た時と同じ威圧感。城そのものが、俺を否定している気がして足がすくむ。
「正面からは入れない。こっちだ 」
城を見上げて動かない俺を気にする様子もなく、狼の姿を解き城の裏へと回る。そこは、いつもセンと一緒に出入りしていた通用口。あの頃も、俺達だけで正面から城に入る事はできなかった。ルーク伯父さんと一緒でも、正面からは入れない。それなのに、俺は何故この城へ来たのだろう。
「行くぞ」
通用口から入っていく真直ぐな背中。衛兵の咎めるような視線は、俺ではなくルーク伯父さんに向けられている。長い廊下を進み、階段を上がり、見覚えのある扉の前でその背中が止まった。
城で過ごした最後の日が、よみがえる。
「入るぞ」
返事も待たずに開けられた扉の中からは、懐かしい匂いがした。やばい。泣きそうだ。
「シュウ? 」
間違えるはずのない、兄姉。4つの薄茶色の瞳が大きく開かれる。そこには、何度も夢に見た悲しみの色はなかった。
「……ライア、セン。久しぶり」
言いたいことなんて山ほどあるのに、口をついたのはそんな言葉だった。
「久しぶり。大きくなったなぁ、シュウ」
昔よりも低い声。昔と変わらない笑顔で、俺の肩を叩く。俺よりも少し背が高く、その腕は力強い。いつも優しく、穏やかだった兄。
言葉も出せずに震えている、気が強く優しい姉。滲んだ瞳は、相変わらず優しい。
センと同じ色の髪は胸まで伸び、すっかり王女らしく綺麗になった。
「ほら、シュウだよ? こっちへおいで」
センが手を差し出した途端、糸が切れたようにライアが飛びついてきた。確かめるように俺の腕をつかみ、声を殺して泣いている。
「王女。ほら、シュウが困っているよ」
「王、女? 」
「うん? まぁねぇ。これでも王女の護衛隊の隊員だから。いつまでも、子供の頃のようには呼べないよ」
シュウは『ライア』でいいんだよ、と笑ったセンが、すこし遠くに感じる。
部屋の壁に寄りかかったルーク伯父さんが、そろそろいいか? といって部屋の奥から箱を取り出してきた。その中にあるのは、これまでルーク伯父さんが持ってきてくれていたような、アクセサリーの材料。加工用の銀、金、色とりどりの石。
「これ、ライアが? 」
「集めてくるのは、セン。お休みをいただくたびに、色々買ってくるの。私は城から出ることが少ないから、買ってきたものを眺めるだけ。それでも、シュウがこれをアクセサリーに変えるんだと思うと、見ているだけですごく楽しいの」
「知らなかった……」
「だって内緒だったもの」
顔を見合わせてクスクスと楽しそうに笑うライアとセン。その姿は、小さい頃と何も変わらない。
一人、勝手な夢を見て、脅えていたのが馬鹿みたいだ。
「今後は、新月の夜にシュウが城に材料を取りに来る。シュウ、道は覚えたな? 」
「わかるけど……」
迷うわけがない。どこからだって、この城にはたどり着ける。それでも、『けど』がついたのはこの城に入ることにまだ不安があるから。城に入った時の衛兵の咎める様な視線。あれは、王の子息と名乗る事も許されない俺を、城に入れたから。ルーク伯父さんの権威があっても、正面から入ることは許されなかった。それなのに、新月の度になんて。
「新月の夜は、俺が通用口まで迎えに行くよ」
「待っているから」
二人が、嬉しそうに俺の腕をとる。ああ、この二人は……。
「夜が明ける前には城を出なさい。送らなくても大丈夫だろう? 私は仕事に戻る。王女、貴女も」
静かに指示をだす姿は、昔とかわらない。ライアはもう一度俺を抱きしめて、名残惜しそうに部屋を出ていった。その瞬間、センが憎々し気に大きく息を吐く。
「セン? 」
昔は、確かに尊敬していたはず。一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐに気を取り直し子供の頃と同じく柔らかく笑う。
「今でも、尊敬しているよ。王の補佐としても、この城の従者としても。俺とは違うものを守っている人だけど、学ぶべきことは多い。尊敬も、信頼も、している」
射る様な瞳でルーク伯父さんの消えていった扉を見つめる。尊敬も信頼もしていても、昔のような憧れにも似た気持ちは、もうないのだろうか。
「ライアも、仕事をするのか? 」
「あ、ああ。シュウ、聞いていないの? 」
「なにを? 」
俺が言われたことは、新月の夜、ここにアクセサリーの材料を取りに来ることだけだと言うと、再度茶色の瞳が大きく開かれ、軽く嘆息される。
「じい様からも伯父様からも、なにも? 」
「聞いていない」
気にならなかったわけではないが、聞けずにいた。冷たい城で一人静かに涙を流すライアと、凍り付いた笑顔を浮かべるセンが何度も夢に出てきた。二人は、悲しい瞳で俺を見ている。
仕方なかった。俺の意志でも、母さんの意志でもない。俺は、あの大きく冷たい城を自ら逃げだしたわけではない。城を離れてから、何度も自分にそう言い聞かせていた。
「あれから、どうしていた? 」
ちゃんと、向き合おう。
「そうだな、あれから……」
王の寵愛を一身に受けていた側室は命を落とし、王の子を成したもう一人の側室は城から追放された。
時間がたつごとに、王妃への疑いは色濃くなっていった。王からの冷たい視線に加え、心無い者からの詮索。一人になってしまった心労も加わり、もともとあまり丈夫でなかった王妃は寝室から出られない日が続いた。
王妃も政にかかわっている。王妃でなくても務まるものは全てルーク伯父さんが、王妃が民の前に出なくてはならないものは、王女であるライアが代わった。王女とルーク伯父さんは、懸命に王妃を守ろうとしていたのだ。
「その間、俺はまだなにもできなかった」
センは、あの後すぐに衛兵として城に入った。剣術と体術の訓練。時間があれば、国を、政を学ぶ。
王の寵愛を一身に受け殺された側室の息子と噂され、城でたった一人過ごした日々はどれだけ辛かっただろう。城から出ることも、ライアと笑い合うこともできずに前だけを向いてここまで来たのだろう。
改めて、俺は自分がどれだけ幸せだったのかを実感した。
「ライアも、伯父様も、俺も、王妃を守りたかった。だけど、全てなんてできない。忙しくて、誰も王妃の側に行くことはしなかったんだ。たった一人で過ごしていた王妃は、生きることを拒絶し始めた」
食事をとれなくなり、眠れない日々が続き、ついには薬を作らせ眠るようになったが、それはライアですら気が付かなかった。
「シュウがここを離れて1年を少し過ぎたころ、王妃は一人で逝ったんんだ。真っ白な顔、折れそうな細い腕。ライアも俺も同じ城にいたのに、たった一人で」
声を詰まらしたセンに、何一つかける言葉は浮かばなかった。
俺が城を離れ笑っている間、ライアは母を亡くし、なお前を向き王女としての仕事をこなしていた。センは、側室の子でありながら、衛兵として王女の護衛隊に所属。隊長補佐の地位まで登っている。
俺はこれまで、何をしてきたのだろう。
「昔、『シュウは好きな事をしていたらいい』っていったの覚えてる? 」
「ああ」
「あれね、やっぱり取り消す」
「は? 」
「取り消す、はちょっと違うかな? 好きな事をしていていいんだけど、ここでも仕事をしてほしい」
「仕事? 俺に、何ができる? 」
「俺達は、この城から離れられない。俺もライアも民の暮らしを知らない。民が何を求め、何を考えているのか。シュウは、それを俺達に教えてほしい」
「民の、暮らし? 」
「そう。ライアは女王になる。これまでの王とは違う、民の意志を知り、民を守る王。でも、民の意志を知るには、王女や城の従者の俺ではダメなんだ。王の血縁を解かれ、城から離れたシュウにしかできない仕事だ」
「民の、意志を知る……」
『民の意志を王に伝え、国を導け』ルーク伯父さんのいつかの言葉を思い出す。それが、城から追放された末弟の俺に出来ること。
「何を、知りたい? 」
俺に出来ることなら、なんでもする。俺だって、守られてばかりの小さな弟ではない。
「ありがとう。そうだな、とりあえずシュウが見聞きした、全て。まずは報告書の書き方から勉強しようか」
にっこりと笑って、これまでルーク伯父さんがまとめていた報告書を出してきた。