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それから数日、俺達はライアの部屋から一歩も出ることを許されなかった。窓から見える俺の家が、随分小さく見えるようになったころ、じい様が部屋にやってきた。
「毒蛇を放ったものは、見つからぬ。だが、これだけ証拠を残さずに毒蛇を放つには、女子供では無理だろう、と王も納得してくださった。じゃが……」
母さんと王妃が、息を詰めるのが、わかる。じい様の次の言葉が、怖い。
「王の側室は、エルのみ。側室の子は、センのみじゃ。今後、マリが側室を名乗ることも、シュウが王家の血筋を名乗ることも、許されぬ」
息を詰める音が、やけに大きく響く。じい様の言葉が何を意味するのか分からず、ぼんやりとする俺をみて、ライアが瞳を揺らした。誰も、動かなかった。
「新月までの間に、家を出るようにと仰せだ」
「……はい」
力なく呟き、俺の肩を抱いた母さんの腕は冷たく震えていた。
「母さん、眠らないの? 」
数日ぶりに戻った自宅。穏やかな空気に迎えられて、ゆったりとした時間が流れる中、母さんはいつまでも窓辺で欠けた月を眺めていた。
「ええ、もう少し……。先に眠りなさい。疲れたでしょう? 」
「……うん」
お休み、と笑ったその顔は不安の色が濃く映っている。
大丈夫。俺が守るから。
意志は、言葉にならず闇に溶ける。
目を覚ました時には、陽が高く上っていた。紅茶の香りが部屋に広がり、話し声が聞こえる。抑揚を感じない、聞き覚えのある声。
「ルーク伯父さん? 」
「シュウ、起きたの? 」
昨夜からは考えられないくらいにしっかりとした母さんの声。瞳には、力が戻ってきている。
「ルーク伯父様が持ってきてくれたのよ」
ニコニコとしながら、バスケットに入ったパンを指す。見たことがある。城で作られているパン。ライアの好物だ。
「……欲しくない」
空腹を訴える身体を抑えながら、精一杯の抵抗だった。俺がいくら幼くても、王が、俺と母さんを捨てた事はわかる。施しなど、欲しくない。
「……そう」
悲しそうな母さんにも、苛立つ。
どうして? 母さんは、誰の事も憎んでなどいなかった。殺すわけがない。それなのに、誰より愛した人に信じてもらえない。それどころか、存在自体がなかったことになるなんて。そんなのって、あまりにも悲しい。母さんが許しても、俺が、許せない。
「……マリ。外にあるもので、必要な物は? 」
「そうね。少し、見てくるわ」
困った顔で家から出ていった母さんを見送れば、ルーク伯父さんが静かに紅茶を入れてくれた。
「これは、マリが買った紅茶で、俺がいれた。これも、不満か? 」
ルーク伯父さんが不満なわけじゃ、ない。ルーク伯父さんも、ライアも、センも、悪くない。わかっている。
「いただきます」
口をつけた紅茶は、柔らかい味がした。丁寧に入れられたことが伝わる。
「これは、ライアからだ」
バスケットに入ったパンからは、いい香りがする。ライアの好物。俺も、大好きだった。わかっている。ライアが、どれだけ俺を大事に思ってくれていたか。俺を切り捨てた王にどれだけ失望したか。
そして今、どれだけ俺を心配しているか。
黙って、バスケットに手を伸ばした俺に、ルーク伯父さんが満足そうに笑った。
「お前の生活は、保障する」
「……」
「住まいは国の外れになるが、必要な物は全て私が手配しよう」
違う……。
『生活の保障』とか、『必要な物の手配』とかじゃない。母さんが欲しいのは、そんなものじゃない。
「王の寵愛を、マリが得られる事はない」
ルーク伯父さんの言葉に、反射的に目の前にあったバスケットを投げつけた。俺が投げたバスケットは、真直ぐにルーク伯父さんの胸にあたり、鈍い音をたてて形を変える。バスケットからこぼれたパンが、満月を見つめる母さんに重なった。
「それなら、どうして俺は生きている? 」
俺は、王が母さんを愛した証では、ないのか。生活を保障してほしいわけではない。王になりたいわけでもない。
「王が愛したのは、エルだけだ。それは、変わらない事実」
冷たい声が、俺に刺さる。わかっている。王が誰を一番に想っているのかなんて、よく分かっている。それでも、どうしても……。
「王は、エルを愛していた。エルの子こそが、愛すべき我が子」
「ライア、は? 」
「ライアは正室が産んだ、次期王だ。側室の子は、王にはなれぬ」
「センも? 」
「そうだ。センはこれから王の補佐となるべく、城で学ぶ。城に住むのだ」
あの冷たい城で、センが暮らす?
どれだけ冷たい視線を浴びても、笑顔を崩さなかったセンを思うと、胸が詰まる。
「城の従者は、王妃を慕っている。王妃よりも王の寵愛を受けたエルと、その子センが憎まれるのは道理。それでも、センは城に残る事を選んだ」
「選ぶ? 」
「望むなら、お前と一緒に城から離れ穏やかに暮らすこともできた。だが、センはライアの従者として城で学び、次期王の補佐となることを選んだ」
「……」
センも、俺よりもライアを選ぶのか。
「お前は、離れて国を守るのだろう? センは、お前を信じている」
確かに、そういった。だけど……。
「それぞれが最善と思うことをしていれば、いつかまた一緒にいられる? 」
「センもライアも、必ず力をつける。必ず、お前を呼び寄せる。王がどれだけ否定しても、お前は王家の子息。センと同じく、ライアの弟だ」
「……俺は、何をすれば? 」
「民の意志を王に伝え、国を導け」