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兄弟であることを知っても、俺たちは何も変わらなかった。センとライアを連れてセンの母が俺の家に来る。母さんが紅茶を入れ、俺たちは外を駆け回り、時には城に招かれることもあった。
そんな日が、ずっとずっと続くと思っていた。
ライアとセンが空を飛べるようになった頃から、ルーク伯父さんが新月の都度俺の家にやってくるようになった。国の歴史や、計算、剣の使い方を俺とセンに教え、大量の課題を置いて帰っていく。センは文句ひとつ言わずに一つ一つ学んでいったが、俺は、嫌で仕方がない。ライアはやらないのに、どうして、と何度も訴えるが伯父さんの表情が崩れることはなかった。
「王女は城に教師がいる。私が教える必要はない」
「伯父様は、忙しいのに時間を作ってきてくれているんだよ」
伯父さんが帰った後までもブツブツと言っている俺に、センが困ったように諭した。この頃は、物わかりのいいセンにも、腹が立つ。
「シュウ、セン。しばらくの間、伯父様は多忙で来れないから、今度から二人が城に来るようにって」
良く晴れた日、ライアが嬉しそうに俺たちの手をとった。
「城にいって、何をするの? 」
わかっている、伯父さんが来れなくて、代わりに城に行けってことは……。
「私と一緒に、勉強するの」
花が咲いたような笑顔。普段は、その顔を見ると大抵のことは許してしまうのだが、これは別だ。
自然と俺の顔は不満を訴え、身体はライアから距離を取る。
「いや、なの? 」
学ぶことを苦手としないセンまでも、一瞬不安そうな顔をしたことに、花が萎れた。
「嫌なわけじゃないけど。俺たちはライアよりもずっと遅くに勉強を始めているから、同じように学べるかと。ちょっと、不安かな? 」
「伯父様は、大丈夫って言っていたわよ? 」
花を摘み取る事などできるはずもない。俺たちは毎日城に通う事になった。
一歩城に入れば、俺たちへの視線は厳しい。ライアが側にいないと、衛兵から侍女まで、全ての従者が俺とセンを睨みつける。ライアの教師と言われる者も、あきらかに俺たちとライアでは態度が違う。
いつか紅茶を入れてくれた侍女も、ライアがいないところでは目を合わせることもしてくれない。入れてくれる紅茶も、あの日のような優しい味ではない。
城の中で優しくしてくれるのは、王妃とライア、じい様だけだった。
帰り道、もう城に行くのは嫌だと訴える俺に、センが笑う。
「王妃も、ライアも、じい様も優しいのに? 」
「あんなに人がいるのに、それだけじゃないか」
「皆、王妃とライアが好きなんだ。主を信じ、守ろうとする。素敵な城だよ。シュウが行かなかったら、俺一人かぁ。今よりも、もっと辛いなぁ」
センはどれだけ睨まれても、すれ違いざまに舌打ちをされても、いつだって笑っている。そのセンの口から『辛い』という言葉が出たことに驚いた。
たった一人、冷たい城で上手に笑っているセンを思うと、それ以上何も言えなくなる。
「シュウは、剣が上手いなぁ。俺よりも強くなるんじゃない? 」
勉強が苦手な俺は、剣の鍛錬を多くすることで机の前から逃げ、結果、センから一本を取れるほどに成長していた。敵う事なんてないと思っていた完璧な兄からの賞賛は、俺を調子づかせるには充分で従者からの冷たい視線も、徐々に気にならなくなり城に通う事が楽しくなっていった。
「最近、同じ城にいるのに会わないわねぇ。ちっとも遊べない」
スコーンがあるから、と呼ばれた食堂にはライアが不貞腐れたように座っていた。その横では、王妃がクスクスと笑っている。王妃は、いつも穏やかだ。優しく、美しい女性。
「二人とも、一生懸命勉強しているのでしょう。ライアはお姉さんなのに、遊べないって不貞腐れるなんて、おかしいわねぇ。セン、シュウ、座って。今紅茶を入れるわ」
「王妃、紅茶なら僕がいれます」
「いいのよ、たまにはやりたいの。センは、座っていて」
真直ぐにセンを見る王妃の瞳は、少し切なげに見える。
「私にも、いただけますか」
不意に、頭の上から声が降ってきた。
「ルーク伯父さん!」
相当忙しかったのだろうか、俺たちが城に来るようになって、すでに2つは季節が変わっているが、一度も見かけることがなかったルーク伯父さん。
城で学ぶようになって、どれだけルーク伯父さんの教え方が上手かったか、俺たちに対して公平な気持ちを持っていてくれていたか、よく分かった。
久しぶりに見る伯父さんは、意志を表すような真直ぐな黒髪を一つにまとめ濃い灰色の上衣を着て、俺たちに見せるよりもずっと穏やかな顔で、王妃を見ている。
「今いれますから、そこに座っていて」
王妃が嬉しそうに笑い俺の隣の席を勧めると、ルーク伯父さんは音を立てることなく横に座る。初めて会った時に感じた嫌悪は消え、同じ側室の子として、この冷たい城でここまでの地位を築いたことを素直に尊敬できた。
話したいことも、聞きたいこともあるのに、どうしてか言葉が上手く出てこない。
「お前たちの母は、息災か。城には来ぬのか」
「ソクサイ……? 」
「あぁ、言葉は学んでいないのか」
「息災です! 僕の母も、シュウの母も」
いつも穏やかなセンが、大きな声を上げ強い嫌悪の意志を向ける。
「セ、ン? どうしたの? 」
怯える様なライアの声に我に返ったセンは、小さく『ごめん』と呟き、激しい嫌悪を向けられたルーク伯父さんは、何故か嬉しそうにクツクツと笑いだした。
「そう、か。息災なら、それでいい」
「二人とも、先日城に見えたのですよ。ルーク様はご存知ないかもしれませんけどね」
王妃がティーポットを持って戻ってきた。満足そうに微笑むその姿にセンは少しバツの悪そうな顔をしていたが、すぐにカップを並べるのを手伝い、ルーク伯父さんの前にスコーンを出した。
「ありがとう」
ルーク伯父さんの言葉に。俺もセンも時が止まった。まさか、お礼を言われるなんて、思ってもいなかった。感情を出さずに淡々と俺たちに接する人。それが、ルーク伯父さんだと思っていたが、その日のルーク伯父さんはいつもよりもずっと柔らかく笑っていた。
「そう、ルーク様が、ねぇ。良かったわねぇ、シュウ」
家に帰ると、母さんの入れた紅茶を飲みながら、城でのことを話すのが日課になっていた。今日のルーク伯父さんの事を話すと、母さんはとても嬉しそうに、満足そうに笑った。
「誤解されやすい人だけど、真直ぐで、嘘のない人よ。国の事も、貴方たちの事も、とても大切に思っている」
「うん」
前王の、側室の子供。きっと嫌な思いもしたはずだ。それでも、王の補佐として国のために尽くしている。側室の子が、城の中であれだけの地位を得るにはどれだけの努力があったのだろう。
俺にはセンがいるけれども、ルーク伯父さんには誰かいたのだろうか。正室の子である王は、ライアのように優しく守ってくれたのだろうか。
初めて城を訪れた日から、1年近くたっているのにいまだ一度も会ったことのない王、おれたちの、父親。ルーク伯父さんのように、強く厳しく、忙しい人なのだろうか
城に上がるようになってから、満月の夜に手紙を持ち帰るのはすっかり俺の仕事になっていた。満月のたびに母さんの溜息を聞くことにも慣れてきたが、満月の次の朝、センが申し訳なさそうに母さんと王妃から目をそらすことには、いつまでたっても慣れそうにない。
誰からの手紙なのかは、知っていた。手紙に書かれていることも、なんとなく、わかっている。
でも、それはセンが申し訳なく思う事なのか。センが俯くたびに、俺はセンの手を握る。
満月の次の日は、決まってルーク伯父さんの姿を見かけるようになった。多忙を極めているため、何日も顔を見ない事も多いのに、満月の次の日は、必ずどこかで俺達を見ている。