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「シュウ、セン、私の部屋に行こう」
少し遅れて部屋に入ってきたライアが、嬉しそうに俺とセンの手を取った。
不安そうに自身の母を見るセンを見て、ライアの母親が穏やかに笑う。
「そうね、ライアの部屋でゆっくりしているといいわ。スコーンを持っていきなさい。紅茶は、後で運ばせますから」
「ありがとうございます。かあさま」
にっこりと笑ってスコーンの入った籠を持つと、嬉しそうにセンの横に並んだ。センは、姿勢を正し、ゆったりとライアの前を歩き、扉を開ける。
その姿は、いつものセンではなかった。
「シュウ、食べていいのよ? 座ったら? 」
部屋についても落ち着かず、ウロウロと歩き回る俺に、可笑しそうにライアが笑う。俺はスコーンよりも、部屋の広さや、置かれている家具が気になって仕方ない。
俺の家全部を合わせたよりもまだ広いのではないかというほどの広さの部屋には、大きなベット、ソファーにテーブル、どれだけ服が入っているのかもわからないような、壁一面のクローゼット。そして、本棚には見たこともないような分厚く重そうな本ばかり。
「シュウ、こっちにおいでよ。シュウの家が見えるよ」
大きな窓の前で、センが手招きをしている。
センの指した場所は、木に囲まれた、赤い小さな屋根。家の横にある小さな畑に、小川。確かに、俺の家だ。
「小さい……」
「ここは高いからね。小さくなんてないよ、俺の家なんて、もっと小さい」
ほら、と指したセンの家は、青い屋根。俺の家からはずっと遠いと思っていたのに、ここから見ると、すぐ近くにあるようだ。
「この窓、二人の家が見えるから気に入っているの。二人の家からも、この城が見えるでしょう? だから、一人でも寂しくないの」
ライアがスコーンを片手に笑った。
「家にいるのに、寂しいのか? 」
家の中ならどこにいても母さんの気配がある。どちらかが外にいても、狼の姿を取れる俺は、母さんがどこにいるのか匂いでわかる。寂しいなんて、感じたこともない。
「ここは、広いからね」
スコーンをほおばるライアに変わって、センが答えた。
確かに広い。ここで、ライアは一人で眠るんだ。
「早く、飛べるようになればいいな。そうしたら、寂しくなったら俺の家まで飛んで来いよ。空を飛んだら、すぐだろう? 」
なんとなく、本当になんとなく言った言葉に、センもライアも目を丸くしている。
「ありがとう」
ライアの言葉は、空っぽだった。
「王女、紅茶をお持ちいたしました。入っても? 」
柔らかい声が聞こえると、センがドアを開けた。紅茶を持ってきた若い女性が、ゆったりとした動きでテーブルにカップを並べ、紅茶を入れる。その動きは、どことなく母さんと似ていた。
「お母様も、こうして入れるでしょう? 」
にっこりと笑い、手を止めた女性。母さんを、知っているのか?
「紅茶の入れ方、似ていると思う。どうして? 」
母さんとセンの母は、紅茶の入れ方が全く違い、同じ茶葉とは思えないくらいに味も香りも違う。でも、彼女の紅茶は、母さんと同じ香りがする。
「そうでしょう? 私、この城に来た頃、貴女のお母さまに紅茶の入れ方を教わったんですもの」
クスクスと笑うその姿に、何故か俺は不安になった。
「母さん、ここに住んでいたの? 」
彼女が下がった後、どちらに聞くでもなく、呟いた。
「私が産まれた頃は、居た。でも、今は居ないの」
「……ふぅん」
普段ならしない、突き放すようなライアの口調にそれ以上何かを聞くことは諦めた。
ライアの部屋は広く、俺たちが転げまわって遊ぶには充分だった。いつものように
3人ではしゃぎ、違和感が消えたころ母さんが迎えに来た。
「センも一緒に帰りましょう。今日は、家に泊まっていきなさい」
「……はい」
センが泊まりに来るのは珍しくはなかった。きっと明日には、センの母がライアを連れて家まで来る。センが泊まりに来ることが嬉しくてたまらずに廊下で跳ね回る俺を、センが困った顔でたしなめた。
「ダメだよ、シュウ。城でそんな風にしたら、シュウのお母さんが困るよ」
「どうして? 」
「ここは、人が多いから」
困ったように言葉を探すセンに、それ以上聞けず、俺はおとなしくセンの横に並んだ。どんなに嬉しくても、ここでは真直ぐに歩かなくてはいけないらしい。
夕暮れまでスコーンをつまんでいた俺はあまり食欲がなかったが、センはいつも通りに食事を平らげ、母さんに教わりながら、紅茶を入れていた。その手はぎこちなかったが、味は、今日ライアの家で飲んだ紅茶と似ている。
「とても上手よ。これなら、すぐに城でも紅茶を入れられるようになるわね」
紅茶を飲んだ母さんが、にっこりと笑う。センは、誇らしげで、すこし不安そうだった。
「ライアの家は、城なの? 」
『家』とは違うのか? と問いた俺に母さんは困ったように笑い、センがゆっくりティーカップを置く。俺の問いに答えたのは、センだった。
「そう、城。ライアは、この国の王と王妃の子供で、王女だ」
わかる? と言いたげなセンの顔は、それまで見たことが無いぐらいに真剣だった。でも、その時の俺は、『国』や『王』というものさえはっきりとわかってはいなかった。
そんな俺に、センは根気強く俺たちが住んでいる『国』や『国』を治める『王』というものを教えてくれ、すっかり紅茶がさめる頃には、ライアが俺たちとは違う事をぼんやりとだが、理解した。
「ライアは、大きくなったら王様になるの? 」
「どうかなぁ 王妃が男子を産めばその子が王になるだろうし、ライアと結婚した人が王になって、ライアは王妃になるかもしれない」
「大きくなったら、もう遊べない? 会えない? 」
「会えるよ。俺たちは、兄弟だから」
「兄弟? 」
ライアは、正室である王妃の子。センは、側室の子。俺も、側室の子。
センは、穏やかに話す。側室の子であることが、自身の誇りだと目を輝かせていた。
「昨日、城であったルーク様、覚えている? シュウに『王家の子息』と言った人」
「うん、覚えている……」
迫力があって、とても、怖かった。
「あの人は、前王の側室の子。王の義弟で、俺たちの叔父。今は王の補佐をしている。俺も、ライアが王になるなら、その補佐になるんだ」
誇らしげに胸を張るセンだが、どうしても昨日感じたような迫力が身につくとは思えなかった。センがあんな冷たい目をするなんて、考えられない。
「センは、あんな風にはならないと思う……」
思ったことを素直に伝えると、センも母さんも笑い出した。
「そんなことないよ。俺だって、大人になったらきっとすごく厳しくなる。シュウが怖がって近寄らなくなるぐらいにね」
「そんなに怖くなるんだったら、俺はセンと一緒にいたくないなぁ。でも、俺も『ソクシツノムスコ』だから、王の補佐にならなくちゃいけないのか? 」
「そんなことないさ。王の補佐は俺一人で充分。シュウは、好きな事をしていたらいい」
クスクスと笑っていたセンが、急に真面目な顔をして俺の頭を撫でる。
「素敵なお兄さんがいて、シュウは幸せね」
センが帰った後、母さんが俺の頭を撫でながら呟く。そう、きっと幸せなのだろう。俺はセンやライアが居なくなるなんで、考えることもできない。