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灯神祭  作者: 十夜凛
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 灯神祭の知らせと冬期休暇の注意事項を記した紙が、昇降口に立った掲示板に並んでいる。その他、冬期休暇前に提出すべき課題についての連絡が、各教科からちらほらと。

 目新しい連絡は増えていないことを確かめて、カルツはローファーを脱ぎ、紺色のソックスに包まれた足を外履きのブーツにねじ込んだ。除雪作業や課外授業で使う、雪に沈んでも平気な靴だ。硬い革の内側の、冷えた温度が爪先に染み入る。

「カラメルビスケットをひと箱と、ビター・シロップ。それからローストナッツと、タフィを買ってくるよ。ねえ、カルツ」

「ああ、うん」

「カルツってば。聞いてた? 君の分のお土産の話をしてたんだよ」

 耳朶を引っ張られて冷たさで我に返り、カルツは「ごめん」と正直に謝った。何か話しかけられているのは分かっていたが、上の空だった。やっぱり、と目を尖らせたマレが、ブーツの紐を結ぶ。

「そんなにたくさん、いいよ。荷物も多くて重いだろうし」

「夜行列車に乗りっぱなしで帰ってこられるんだから、平気だよ。年が明けたら、寮にいられるのもあとちょっとなんだ。美味しいものいっぱい、一緒に食べよう」

 霜柱を踏んで外へ出ながら、マレはそう言って笑った。

 灯神祭が終われば、ハーローツ少年学院は二週間の冬期休暇を迎える。帰省をするか寮で過ごすかは自由だ。実家に帰ることが決まっているマレは、このところ休暇のことで頭がいっぱいだった。彼の家は遠くて、郵便を送ると配達費が高くつくせいで、めったに家からの贈り物がされてこないのだ。甘いお菓子やジュースなど、寮で手に入らないものにすっかり飢えている。

 カルツは帰らない。二ヶ月に及ぶ夏期休暇と違って、あまり日数のない冬期休暇は、毎年寮で過ごすのが初等部の頃からの習慣だ。生徒が減るこの期間でも、ラウンジは変わらず暖炉が燃え続けている。静かな温かい部屋で勉強を捗らせて、休暇明けの学年末試験に臨むのが例年の過ごし方だ。カルツの頭の中は、休暇の予定よりも試験に向かっていた。

「兄さんは、どうするの?」

「カルセ? 帰ったり帰らなかったり、色々だからなあ。そういえば今年はどうするんだろう」

「帰らないぜ」

 真後ろから声をかけられて、マレが飛び上がった。彼ほどではないにしろ、驚いて跳ねた心臓をおさえるようにして、カルツも後ろを向く。

 よう、とカルセが片手を上げた。両隣にランスとニオを連れている。生徒会の役員でも、私的な場面でも、この三人は仲がいい。

 ランスが徐に手を伸ばして、マレの首元に触れた。襟のボタンが取れかかっているから、式典までにきちんと直しておくように、と告げる。縫えないなら後で一組へ持ってくるように、とも。

「帰らないんだ?」

「今年はな。俺が寮を空けたらスリンジャー先生の負担が増える。何より、ここで過ごすのも最後の冬だ。俺たちは全員残る予定だよ」

 心配するな、お前の勉強の邪魔はしないから。冗談めかしてそう笑うカルセに従うように、寂しくなったら遊んであげないこともないけど、とニオが言った。マレが帰省するのを聞いていたのだろう。ありがとう、と素直に言って、カルツは兄に向き直る。

「母さんが、寂しがらないかな。カルセが帰らないと」

「明日の灯神祭には来るんだ、終わった後にでも会えばいいさ」

「ああ、そうなんだね」

「なんだ、聞いてなかったのか?」

 中庭から校庭へ続く道を歩きながら、カルツは頷いた。しまったという顔をするカルセがいとおしい。母の愛情を深く受けていることを、カルセはいつも、カルツに対して隠そうとする。

 隠しごとは、面倒くさいだろうに。カルセがそうやって自分を傷つけまいと大切にしてくれるから、カルツは母の手紙がなくても、誰にも愛されていないなんて思うことはない。

 母はカルセに、父の面影を探しているのだ。愛した男に流れていた〈灯守〉という特別な血を、カルセは引いている。永遠を誓ったひとと、たったの数年で死別するのはどんな気持ちだったろう。生き写しの息子が特別に可愛いのは、仕方のないことと今は思える。

「駅前に、ホットチョコレートの美味しい店ができたって噂だったろう。灯神祭のあと、そこへ行こうかって話してる」

「へえ、いいね」

「お前も行くだろ? 勉強詰めの休暇に入る前に、ちょっとは羽を伸ばさないと息が詰まるぞ」

 後ろでマレが、ランスとニオに囲まれて故郷の話をしている。一駅離れた場所に建つハーローツの高等部には進学せず、仕事に就いて弟たちの進学を援助するという言葉が聞こえた。ニオは高等部への進学がすでに内定している。ランスは貿易会社を営む父の知人を頼って海外へ。留学を経て、二年後にハーローツの高等部へ編入する予定だ。

「僕は、」

 行かなくても、と。言いかけたカルツの頬に、冷たい風が吹きつけた。まっすぐな髪が風に煽られ、レンズの前がラベンダー色に曇る。焼けつくような冷たい風だった。北のほうが吹雪いているのかもしれない。凍りつこうとする体を解かすように、膚の一枚下が忙しなく血を巡らせ、熱を持つ。

「すごいな。すぐ顔が赤くなる」

 覗き込んで、カルセが言った。

「中に火が灯っているみたいだ」

 そういって頬に触れる彼の手は、季節に関係なく温かい。君こそ、と返すと、水色の眸は曖昧な笑みを宿して伏せられた。何の話。ニオが背中から、カルセに飛びついて訊ねる。

 そうしてふと、真横に並んだカルツの顔をまじまじと見上げて、面白いことでも知ったように頷いた。

「身長、カルセと同じなんだねえ。カルツって結構、背高いんだ」

「本読んでるときは、いつも猫背だからな。小さく見えるけど、実は俺と変わらない」

「ランスとどっちが大きい?」

「春の測定じゃランスのほうが大きかった。でも、最近目線の高さが逆転したような気がするんだ。どうだろうな」

 話しながら歩く二人の横に、ランスが立った。背中を叩かれて振り返ると、マレが隣に来ていた。イェ・ジェン。耳慣れない言葉を、得意げに口にする。ランスが春から渡る国の言葉で、こんにちはという意味だと教えられた。

「じゃあ、お互い頑張ろうな」

 礼拝堂の前に着くと、カルセはそう言って、ドアを開けた。三人は生徒会として、礼拝堂の中での準備に取りかかる。

 カルツたち一般の生徒は、外の掃除や雪かき、窓ふきだ。見れば礼拝堂の周りには、見慣れた顔ぶれが集まり始めていて、スリンジャーが早く来た生徒から作業を割り振っているところだった。

「君たちは裏口の掃除を」

 スリンジャーがカルツたちに指示を出す。二人は掃除道具を取って、礼拝堂の横を通り、裏手へ回った。

 正面入り口の四分の一にも満たない、小さな木のドアが閉まった裏口は、明日、灯神祭の式典中に教師や生徒たちが出入りするのに使われる。内側には紺色の緞帳を垂らして、ドアが見えないようになるはずだ。

 カルセもここから入って、祭壇の前に出てうたうのだろう。

 段差を覆う凍った雪を砕いて、ぼんやりとその光景を思い浮かべたとき、ドアの向こうから聴き慣れた歌声が響いてきた。

「カルセだ」

 スコップで雪をよけていたマレが、顔を上げる。

「リハーサルかな。明り取りが開いてるんだ、結構聞こえるもんだね」

 歌声に合わせて、伴奏の生徒が奏でるオルガンの音も流れてきた。明日に向けての最終調整といったところか。これが本番だと言われても違和感がないくらいに、完成度が高い。補い、高めあう息の合った歌に、カルツはふと父の歌を思い出した。

 声はあまり似ていないが、父は歌の上手いひとだった。カルセの歌には、父に劣らない練習を重ねてきた努力が見える。一音一音の伸びやかさの中に垣間見える緊張が、張り詰めた冬の空気を震わせて銀世界によく映える。

 灯守だけが、うたうことを許された歌だ。

 しかしカルツが掃除の手を再び動かし始めたとき、その声が唐突に掠れ、歌が消えた。

「……カルセ?」

 咽ぶような咳が、ドアの向こうから響いてくる。尋常ではないその様子に、伴奏が止まり、礼拝堂の中がざわついた。

 やがて咳がぴたりと止んだ。ざわめきが一瞬静まり返り、叫びに代わる。

 カルツはマレと顔を見合わせて、薄いドアを引きはがすように開け、祭壇に目を向けた。

「……カルセ!」

 オルガンの向こうに、ラベンダー色の髪が広がっている。床に投げ出された手足は力なく方々を向き、伴奏をしていたと思われる生徒が、青ざめた顔でその体を揺さぶっていた。

 カルツは我を忘れて、外履きのまま階段を駆け上がり、祭壇へ上った。正装の黒いケープをはおったカルセが、そこに横たわっている。囲んでいた生徒たちが、血相を変えて飛び込んできたカルツの姿に気づいて、一歩広がった。

「カルセ!」

「道を開けて! 通してちょうだい。カルセ君!」

 騒ぎを聞きつけて駆けてきたミシェーラが、生徒たちをかき分けて前に出る。仰向けに倒れたカルセを挟むようにして、カルツと反対側に膝をつき、首筋に手の甲を押し当てた。

 カルツは恐る恐る、目を閉じたカルセの口許に手を寄せた。かすかだが、呼吸はある。脈もあるようだ。でも、生気がない。いつも晴れ晴れと血色のよかった頬が、今はカルツの頬よりも白く、雪のようだ。触れてみて、その冷たさに胸がぞわりと粟立つ。

 本物の雪の塊に触れたのかと思った。

「そんな……まさか……」

 呆然とするカルツを、ミシェーラは鋭く射抜いた。その視線の意味を問うよりも早く、彼女はカルセのケープに手をかけ、ボタンを外す。制服のジャケットもボタンを外し、震える手で開いた。

 真っ白なシャツの第三ボタンを食い破って、カルセの心臓の上に氷の結晶が広がっていた。

 ざわめきが波紋のように広がっていく。いつのまにか礼拝堂には、多くの生徒が押しかけていた。スリンジャーの姿もある。日頃はほとんど動きのない眼差しに、動揺がありありと浮かび上がっている。

 ミシェーラが顔を上げ、カルツを目に映した。閉じ込められてしまうかと思うくらい、食い入るように見つめて、血の気の引いた唇を開いた。

「灯神様の怒りに触れた者の症状です」

「え……」

「権利を持たない者が、灯神祭の歌をうたったときに……現れるものよ」

 何を言われているのか、すぐには分からなかった。

 蒼白の顔に躊躇いと困惑を、何よりも信じられないという驚きを浮かべて、ミシェーラは静かに、言葉を変える。

「カルセ君、カルツ君。貴方たち――本当の〈灯守〉は、どちら?」

 雷のような衝撃が、カルツを頭の先から足の先まで貫いた。そんなの、と横たわるカルセを見下ろして、開いた口が声にならない声を漏らす。

 頭の奥で、分厚い氷の罅割れる音が聞こえた気がした。水色に光る冷たい湖へ、抗えない力に引っ張られて潜っていく。

 ――心配するなよ。

 溺れる、と目を瞑ったとき、幼い声が耳の内側で響いた。

 ――おれが、守ってやるから。

 どぼんと、体が無数の泡を散らして沈んだ。



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